#068 天下治平
永禄五年(西暦一五六二年)、五月四日 美濃国 稲葉山城城下 井口
美濃が織田の領国となったその日に、俺は斎藤龍興を美濃国の国宰に任じ、那古野に移送した。
那古野流の帝王学を学ばせると称して。
実質的には人質扱いなのだが、数年経てば美濃に帰る許可も出すつもりなので、美濃を安堵すると言ったのは決して嘘ではない。
その間の国宰代行には信広兄者を充て、遅滞なく那古野流の組織やら法令やらを整備して貰う。
一方、美濃の家老らは国人衆と共に北伊勢に派兵した。
織田の第二次北伊勢征伐の先陣としてだ。
これまでの国と同じく美濃侍共も俺の直臣としたのだが、それが余程嬉しかったのだろう、彼らは涙ながらに進軍していた。
結果、当然のことながら井口に残る兵の大半は尾張の者となった。
にもかかわらず、乱暴狼藉の騒ぎは見受けられ無い。
織田の兵卒は厳しく躾けられているからであった。
それどころか、稲葉山城の城下町である井口は早くも槌音を響かせていた。
町を焼け出された井口の民に一日でも早く元の暮らしを取り戻して貰いたい、そう願う俺が尾張兵に井口の再建を命じたからである。
(戦の世の常とは言え、出来得る限りの事はしてやりたいからな)
それに、俺の現代知識を活かした建築手法があれば、驚くほど短時間で家が建つ。
しかも堅牢な家がだ。
(なんせコンクリートブロック造だしな。これなら、火災にも強い)
何故そこまでするかと言うと、この時代の家屋はその大半が木造であり、地震や火事等の災害に非常に脆いからだ。
それでは日本史の授業で習った、いずれ起きる大地震”天正地震”に耐えられない。
(かの大地震は飛騨国を中心に起こり、中部・東海地方全域で地割れ、山崩れが発生し、それだけで無く、日本海と太平洋沿岸で大津波を引き起こしたらしいからな)
だからこそ俺は、この井口で復興の陣頭指揮をとっていた。
既に縄張り図は出来ている。
美濃侵攻を計画した際に、内々に作らせていたからだ。
壁材に用いるコンクリートブロックは続々と尾張から運ばれている。
壁の芯材は”足場”に使用した竹があるし、その辺りに幾らでも自生している。
水は長良川から幾らでも得られる。
そして、何より必要とする人手なのだが、着の身着のままで逃げていた井口の民がおり、彼らの中で自らの家屋を建てるのに手を拱いている者などいなかった。
足らぬ物は何一つ無い。
太陽がこの日一番高く昇る頃合い、俺は普請奉行を兼ねる丹羽長秀に指揮を任せ、とある陣幕を訪れた。
翻りし旗印は”花橘”。
荒子前田である。
「の、信行様が参られたよしに御座いまする!」
「入るぞ」
俺は一言だけ告げ、中へと踏み込む。
そこには前田利久を筆頭とする前田家の者らと、数名の怪我人が臥せていた。
「こ、これは……」
「随分と驚いておるな? まさか、隠し通せると思うたか?」
「め、滅相も御座いませぬ。目を覚まし次第、手の者を走らせ、お知らせ致そうかと」
「……まぁ、良い。で、如何なのだ?」
俺の曖昧な問いに答えたのは前田利益であった。
「叔父上が思いの外強く斬り付けたが為、肩が砕けておりまする。下手をすると左腕は使えぬやも知れませぬなー」
「!? 左様か……」
予想を上回る重症に声が詰まるも、自らの目で具合を確かめようと俺は話題にした男に近付いた。
目を閉じたままピクリとも動かぬ男、そのむき出しの肩は確かに大きく腫れ上がっていた。
「むぅ……これは酷い……」
刀の峰で打たれた跡がくっきりと残り、それを中心に赤紫に膨らんでいる。
一見すると、まるで何かの生き物が寄生しているかの様だ。
(肩の骨どころか、鎖骨や肋骨も逝ってるだろコレ……。ほっとくと死ぬんじゃないか……)
顔に考えていたことが出ていたのだろう、
「ご心配無用で御座いまする」
前田利久が俺の懸念を晴らそうとした。
「ほう? これを癒す手が有るのか?」
「はっ! 拙者、くさや汁を常備しておりまする」
「……つまり?」
「あれを朝晩頂きますると、身体がすこぶる調子が良うなりまする。生来身体の弱かった拙者が戦場でも床の上でも槍働きが出来る程に!」
(いや、流石にアレには精力剤としての効能は無いだろうよ。よしんば有ったとして、それを如何する? 傷口に塗るのか? こいつ、絶対怒るぞ? 見るからに潔癖性っぽいし……)
俺は見た目婦人の如き優男に対し、同情を禁じ得なかった。
すると、何かを感じたのだろう、優男が身じろぎし始める。
少し離れた場所から様子を見ていた前田利家が慌てて飛んで来た。
「おお、半兵衛が目覚めそうですな!」
俺は小さく頷き返した。
目を覚ました竹中重治、彼はすぐ様苦痛に顔を歪ませた。
見た目以上に酷く痛むのだろう、未だ顔色が土気色である。
そんな容態にもかかわらず、俺に対して平伏しようとする様は見るに堪えなかった。
「ああ、そのままで良い。今更無理をする必要など、何一つ無いでな」
「某如き敗軍の兵に、ご配慮痛み入りまする。流石は海道一の弓取り、織田信行様と思いを新たにした所存」
「ふっ、良くもまぁ、その身体でかような言葉がスラスラと出る。御主が倒れた後に美濃が如何したか、最早気にもならぬのか?」
竹中重治が青白い顔でニヤリと笑った。
「お戯れを。某が生きて御前にいる、答え合わせの必要も御座いませぬ」
「……まっこと小賢しい奴よ。我にいずれ龍興の足を引っ張るであろう者共の始末をさせる事といい、今は亡き兄上がこの場に居れば、間違いなく縊り殺されたであろうな」
俺の言葉に複雑な表情となる前田利家。
朗らかな表情の前田利久やニヤついている前田利益とは対照的である。
「ふふふ。まぁ、それだけ物が申せるなれば、いよいよ大丈夫であろう。が、しばらく養生しろ。それと、龍興は御主の死を無駄にせぬよう、一層励むそうだ。よって、龍興の為にも軽々に顔は晒すでないぞ」
「ははっ! 重ね重ねご配慮、痛み入りまする!」
「ああ、そう考えると丁度良い。御主の身柄は利家に預ける故、身体が癒えたら、罰と称し、しばらくの間は国外追放とする。諸国を回り、利家共々透っぱの真似事を致せ。行き先は京の都や一乗谷が面白かろうて」
(史実でも、その辺りを放浪していたらしいからな)
だがそこに異論を挟む者が現れた。
「せ、拙者の帰参は……」
名前を挙げた今一人、前田利家である。
「国主を討ち取っておらんのだ、諦めろ」
彼は俺の冷たい対応の前に、見るからに意気消沈していく。
「……と言う筈もなく。これより数年かけて軍を編成し直す。故に、こちらから戦に出る積りも無い。年若い御主が諸国を遊学するには実に適当な時期であろう」
「そ、それはつまり……?」
「腕を磨いて参れ。”槍の又左”の名に恥じぬようにな! いやそれだけでなく、織田の一将として恥じぬようにだ。お頭が弱い者、手足の足らぬ者に重き役目は任さられぬでな」
「なんと!? こ、この前田利家! 身命を賭して、信行様のご期待に応えてみせまする!」
「ああ、頼んだぞ」
前田利家の大袈裟な振る舞い、それが空気を熱くした。
俺は思わず、扇子を扇ぐ。
すると、竹中重治が何やら思い出したのだろう、
「時に、信行様」
徐に問うてきた。
「なんだ?」
「改めて御礼を申させて頂きまする。龍興様への寛大な御処置……」
「不要だ! 何故ならば、そもそも此度の和議は”天下治平”を世に示す為。故に、我の都合で龍興を生かしたのだ。無理に頭を挿げ替えると美濃が乱れる。重ねて言うが、全ては我の為よ」
「されど、申さぬ訳にはいきませぬ故……」
「要らぬと言うておる! どうしてもと言うなら、利家の如く尾張の、我が治世の役に立て! 那古野で学ぶ龍興の様にな」
「は、ははっ! ぐっ、うぅ……」
(あああ! ったく、無理をするなと言ってるのに……)
俺は再び苦悶の表情を浮かべた竹中重治に、楽な姿勢を取らせる。
「御主を含め、望む者は我が直臣とし、それ以外は帰農する事となるであろう」
「さ、流石で御座いまするな。まさしく”天下治平”に御座いまする」
「ん? 我が望みを解したか?」
「全てでは御座いませぬ。”天下治平”を謳われた当初、織田様は平家を名乗られている故、源氏の代わりに平家、つまりは織田様の名で天下を治めるのかと愚考致し申した。が、そうではない。世を可能な限り、乱さず、波風を起こさず、平たく天下を治める。”日の本の大名を活かしたまま、天下を望む”なのではと考えました。それもこれも、戦乱の世を短くし、下々の安寧を考えてのことかと」
(さ、流石だぜ、半兵衛。だがな! 決してそれだけでは無いんだがな!)
俺は思わず、目を細めた。
そして、内心の驚きを隠し平静を装いつつ、話題を無理やり変える。
「と、時に利久。我を襲いし若造共は如何した?」
「若造? あぁ、あの者らですな。彼らは未だ、目覚めませぬ。余程打ち所が悪かったので御座いましょう」
利久の言葉に、利家が余計な相槌を打つ。
「ったく、信行様に斬り掛かるなど、とんだ不届き者がおったものよ!」
(お前が言うな、利家……)
「痛っ!?」
刹那、利久と利益が利家を軽くしばいていた。
「……目覚めたら処罰の話をしておけ。良いな?」
皆が頷き返す。
俺は満足気に立ち上がり、陣幕の外へと向かった。
その途中、一つ思い出した。
俺はニヤリと笑いながら、竹中重治に問う。
「時に御主、名は何と申す?」
「は? お、お戯れを。某は竹中……」
困惑する竹中重治。
が、心得た男、前田利益が代わりに答えた。
「此方の御仁は”多田野半兵衛”に御座る!」
「なるほど、多田野半兵衛か! 良い名だ!」
俺は今度こそ、陣幕を後にした。
◇
相模国 小田原城
「……以上が、織田による北伊勢、美濃同時侵攻の一部始終に御座いまする」
巨躯の侍が語り終え、頭を下げた。
それを、
「大儀、大儀。風間小太郎、褒めてつかわす」
労ったのは北条氏康。
小田原北条家の先代当主であった。
彼はゆっくりと横を向き、隣の男に問うた。
「氏政、其方ならこの後如何致す?」
氏政と呼ばれた男は迷いなく答えた。
「内政に力を入れまする。内側を固めねば、外側には出れませぬ故」
「左様。だが、敢えて申せば今こそ織田を討つ好機、とも言える」
北条氏康は自らの言葉に、「いや、無いな」と笑った。
「公方様に武田、長尾に北畠。皆、我慢出来ず動き出そうとしておる。北条が動くのはその後よ。であろう、倅よ」
北条氏政は鷹揚に平伏した。
◇
甲斐国 躑躅ヶ崎館
屋敷の主が腕を組み、その配下が声高に叫んでいた。
「東美濃は武田の身代であるぞ! おのれ信行め! 尾張の出来星大名風情が調子に乗りおって!」
「遠山から靡いたとも聞くが?」
「那古野から伸びた道で随分と潤うているらしいな」
「それが如何したと言うのだ!?」
「はっ! 誠に分からぬのか!? それが遠山が織田に擦り寄った理由よ!」
「なれど我らには”金”があるでは無いか!」
先の声のどの言葉に反応したのか、屋敷の主が徐に動いた。
「良い加減にせい!」
その上で、
「これ以上、上杉政虎と遊んでいる暇は無い!!」
と声を発した。
続けて、
「武田の身代をより大きくせねば生き残れぬ! 義信、いよいよ覚悟致せ!」
鬼の形相で我が子を睨みつける。
視線の先にいた男は、ただただ歯を食い縛るだけであった。
◇
越後 春日山城
この年、上杉政虎は上野国赤井氏を滅ぼしたは良いが、佐野昌綱が籠城した唐沢山城を落とす事は出来なかった。
軍神、毘沙門天の生まれ変わりと称される男としては些か消化不良を感じていた。
その代わりに、越中侵攻でその憂さを晴らそう、そう思い支度していると、思いがけぬ報せが彼の許に届いた。
上杉政虎はその一報に触れるや否や、
「ああ、公方様が。何とおいたわしや……」
人目も憚らず、嗚咽を漏らした。
そして、一頻り泣いた後、
「公方様の願い有之! 織田勘十郎信行を討つ!」
血走った目で叫んだ。
◇
北近江 小谷城
未だ壮年と思わしき男が、床に臥せた若武者を抱きしめていた。
「新九郎! しっかりせい、新九郎!」
その者の名を叫びながら。
だが、呼ばれた者の体は熱を失って久しかった。
野良田の戦いで名を挙げた若者、浅井新九郎はこうして短い生を終えた。
享年、十七歳と言ったところである。
しかし、その代わりに瞳に生気を蘇らせた者がいた。
「おのれ織田勘十郎信行!!! 決して許すまじ!!!」
その者の名は浅井久政。
御年、未だ三十七。
隠居するには些か早すぎた男が再び立ち上がった。
◇
南近江 観音寺城
「浅井新九郎が死に、浅井久政が返り咲いた」
「されど、家中の掌握に時間が掛かりましょう」
「左様」
「加えて、浅井の目は織田に向くでしょう」
「左様、左様」
「……ですが」
「何だ? 義治、何が気になっておる?」
「織田、で御座いまする」
「うむ、織田の事は案じるな」
「はて? 何故か様な事を申されましょう?」
「織田から使者が参った」
「何と! 我らから北伊勢を掠め取ったと言うに! 何ぞ申し開きが?」
「ふふふ、言うに事欠いて、”不破関と鈴鹿関以西には進まぬと約する故、見逃せ”と言うてきおった」
「何と巫山戯た事を!」
六角義治は若さ故であろう、怒髪天を突いた。
「義治、落ち着くが良い。御主はそれが無ければ、より良い国主と成ろうに……」
六角義賢は我が子の豹変に呆れ返った。
その上で、
「約定を交わすまではいかぬが、誼を通じておく必要はあろう。さすれば、六角の兵を畠山に応じ、進める事が出来るでな」
一人言葉を続ける。
その目に鋭い光を宿しながら。
六角義賢は一人嗤った。
◇
山城国 八幡 男山八幡宮
辺りに満ち満ちた澄んだ空気。
それを斬り裂く音が鳴った。
その音が鳴る度に、為した男の体から飛沫が空を駆ける。
男の両手に握られた得物がそれすらも斬ろうと瞬いた。
刹那、小さな雫が二つに分かたれた。
そこに、
「公方様、ご機嫌よろしゅう御座いまするな」
一人の侍。
公方様と呼ばれた男、足利義輝は見向きもせず声を返した。
「我が意の通り、世が動いた。これが楽しくなくて何とする!」
再び剣閃が煌めいた。
「余の権威を求めた三好は元より、上杉に武田。更には浅井に朝倉。北畠に姉小路。加えて北条。我が呼び掛けに応えぬ者はおらぬ」
足利義輝は、さも楽しげに剣を振るい続けた。
◇
永禄五年(西暦一五六二年)、五月中頃。
諸国の様々な思惑が駆け巡る間、俺の歩みもまた、止まりはしない。
俺は美濃一色家を取り込み(斎藤に改姓、準一門とする)、その返す刀で伊勢神戸家をも併合した。
侵攻前は尾張国五十万石、三河国二十五万石、遠江国二十五万石、そして属国扱いではあるが駿河国十五万石を合わせた計百十五万石であった。
それが今や、美濃国五十万石と北伊勢十五万石を加えた百八十万石。
日の本の民はこの俺を、新たに出た大大名を、遍く賞賛したらしい。
名家が俺の軍門に降る事により、その名跡が残った事も良かったのだろう。
俺はその事実を、今一度天下に謳う事にした。
那古野城下町の屋外演舞場にて幸若舞を舞う事によって。
俺がメインを張り、天下に名を轟かせた貴種が共に舞う。
そして、その一部始終を瓦版を通して天下に知らしめる。
この日の本に、”織田勘十郎信行”の名を知らぬ者は居なく成るであろう。
それにしても、俺がこの時代に落ちてから思いの外織田の身代が大きくなった。
しかも、表面上、領国内はさして乱れていない。
だがそれは、俺がこれまでの統治体制を余り崩さなかった所為であろう。
俺の知る歴史では、至る所に”族滅”の言葉が乱舞していたからな。
そう、ある意味で全ては戦国乱世の先駆者である織田信長がいたお陰でもある。
だからこそ、俺は未だ、織田信行として生きて候。
◇
ポルトガル海上帝国
「余が暗黒大陸で死ぬだと!? 下らぬ! 蛮族如き言葉を、真に受けるでない!」
◇
スペイン帝国
「……ヌエバ・エスパーニャの副王は何と? ……ふむ、提督は重い病で帰国するもナゴヤエリクシルを与えると劇的に回復。その効用に疑いの余地なし……か。これは……世が乱れるな」
◇
バチカン 教皇宮殿内
「ライネス総長、これは……」
「ええ、存じております。そして私達が何をすべきかも。私は総長としてイエズス会の会員全てに”死人の如き従順”を求めます。”神のより大いなる栄光のために”! 如何なる活動も神に仕える意思の許に行われたならば! それは必ずや許され! その御霊は神の国に至るのですから! さぁ、備えましょう! 新たなる聖戦に!!! 異端者を討ち滅ぼすのです!!! 異教の、偽りの預言者を討ち滅ぼすのです!!! そう、全ては私達の父の為!!! 全ては許されるのですから!!!」
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