#067 勝負
竹中重治が討たれた。
彼は、和議の使者として稲葉山城に赴いた俺達に対し、騙し討ちを目論んだ首謀者と思われた。
故に、
「終わったか……」
と誰かが零したのも、無理はなかった。
しかし、俺は覚えていた。
竹中重治は二人のお供を引き連れ、この場に現れた事を。
その者らは今も一矢報わんと、鋭利な視線を俺に向けていた。
そこに、足音を響かせながら一人の青年、いや少年が現れた。
その手に血濡れた槍を携えながら。
身に纏うのは白づくめの着物。
広範囲に渡り朱色に染まっている。
少年は血相を変え、
「織田殿は! 織田信行殿は御無事か!?」
と高い声で叫んだ。
その彼を追いかける様に、
「お、お待ちくだされ、龍興様! お一人では危のうございまする!」
慌てた声が後に続いた。
どうやら、この少年こそが美濃国主、一色龍興であるらしい。
一部の者を除いた、その場にいた殆どの者の視線が彼に集まった。
刹那、二つの影がその場を飛び出す。
影の元は竹中重治が連れて現れた、若侍らであった。
「父の仇!」
「覚悟!」
「もうよさぬか、氏家!」
都合、三つの声が重なる。
しかし、駆ける二人に変化はない。
彼らは走りながら器用にも刀を抜き放ち、俺に向かっている。
二人と俺との間には巨大な壁、身の丈六尺を優に超す旗衆が幾人も立ち並んでいた。
だが、意識が一色龍興に向いていた所為だろう、俺の守りを固めている筈の彼らはあっけなくも脇を通り抜けられる。
間を遮る物は無し。
そうなる事を事前に読んでいた俺は、弭槍を付した大弓を両手に握りしめ、右に大きく構えてから、
「その心意気や良し!」
互いの得物の長さの違いを活かし、横に薙ぎ払った。
狙いは近い方の若侍、その側頭部。
彼は慌てたのだろう、加えて大人と子供の力の差もあったのだろう、刀の腹で受けようとして受け切れず、鈍い音が一つ響いた。
くぐもった悲鳴と共に、若侍が横倒しになる。
結果、倒れた身体が僅かに遅れたもう一方の、若侍の道を塞ぐ形になった。
それを避けるかの様に飛び上がる今一人の若侍。
ついでとばかりに、刀を背に沿うほど大きく振りかぶった。
僅かの間、俺とその若侍の視線がぶつかる。
それは正に一瞬。
直後、俺はその視線の元を振りかぶった大弓で、
「ふんっ!」
強かに打ち据えた。
また、鈍い音が一つ。
それに、今度は大弓の爆ぜる乾いた音が続いた。
(っ!? 所詮は竹製の弓……と言うことか)
弭槍を付けたとはいえ、大弓は人を打つ代物ではない、その証左であった。
俺は俺の足元に落ち、うつ伏せ気味に倒れ、口から泡を吹く肉塊が再び動き始める気配が無い事を確認してから、
「一色龍興!! これはどういう事だ!!!」
憤怒の形相を敢えて作り、大音声を発した。
空気が震え、三方を囲う屋敷からミシリと音が響く。
余りの大声に驚いたのだろう、一色龍興を筆頭に美濃の侍共が目を見開き、言葉を継げないでいた。
俺はそんな彼らを意に介せず、一色龍興へゆるりと歩み始める。
すると、蒼白であった一色龍興の顔色が益々白く変わっていった。
「か、か、か、斯くなる……上は……」
彼は膝を折り畳み、その場で一度伏せたかと思うと、
「御免!」
何処からか短刀を取り出し、それを自らの腹に当てた。
(切腹!? させるかよ!)
俺は一色龍興が腹を搔っ捌く直前、
「そらっ!」
壊れた大弓を思いっきり投げ付けた。
本日都合三度目の、鈍い音が稲葉山城の庭に響いた。
と同時に、小さな悲鳴が上がった。
一色龍興は鼻から血を垂れ流し、仰向けに倒れた。
それだけでなく、何が起きたか、いや、何故遮られたのか理解が出来ていないのだろう、白目をむき出しにして驚いている。
俺はそんな彼に、
「この戯けが!!! 最早、貴様が腹を召して済む問題では無いわ!!!!」
先程よりも大きな声で言い放った。
また、軋む音が響いた。
突然なまはげを間近で見た幼子の様に、一色龍興の瞳が潤み始める。
(一国の主とはいえ、所詮は子供、か)
俺はそんな有様を晒す事になった彼に申し訳なく思った。
が、その上で、
「ふっ! 何も言い返せぬか! ま、当然よのう。戦に負け、城に籠るも四方を攻囲され! それを為した相手から”和議”という救いの手を差し伸べられたと言うのに、自らの家臣を抑えきれずに騙し討ち!! 正に後の世までの笑いものよ!!」
俺は声を掛けつつ、一歩更に近き、追い込む。
織田の優位を確たる物にする為にだ。
すると、歳若き国主の身体が小刻みに震え始めた。
(ん? ちと子供相手にやり過ぎたか?)
俺は一転して、幼子をあやすかの様な微笑みを顔に浮かべ、
「ふふふ、怯えるでない。ここまで赴いた以上、和議は取り交わしてやる」
優しげな声を作った。
だがしかし、龍興の身体はより大きく震え始める。
(……)
一色龍興の家老達に視線を移すも、誰一人として動きを見せなかった。
(……やれやれ)
俺は仕方なく、彼らに時間を与える。
意識を立て直す時間を。
その上で辺りを見回し、足元に転がる屍に対しじっくりと目を向けた。
俺が何に心を留めているか、を分かり易く伝える為に。
特に竹中重治とその連れとして現れた若侍に視線を這わした。
そして、頃合いを見て、
「その代わりにだが……屍体は我らの方で検分する故、全て預からせて貰う!」
と俺は宣言した。
「……そ、それは!」
およそ有り得無い言葉に動揺する美濃の家老。
だが俺は、
「黙れ! 騙し討ちする様な美濃勢に検分を任せると、騙し討ちに加担した者らの名を謀られるやも知れぬからな!」
と言い捨てた。
先の家老は言葉に詰まり、憮然とする。
俺はそんな彼を余所に、指示を下した。
「聞いていたであろう。利家、旗衆らを使い、屍を本陣に運び、しっかと検分致せ!」
「ははっ!」
前田利家はそう答え、痛みを堪えながら目の前に転がる竹中重治を抱え上げた。
俺はその姿に満足を覚えるも、表に現さぬ様気を配り、尚且つ、視線を屍から外す為に、
「さて、和議は評定の間で執り行うのであろう。龍興殿は我らを案内するが良い」
未だ茫然自失の一色龍興に場所を移せと言葉を掛けたのであった。
◇
稲葉山城、評定の間。
入った当初、ここにはとある老臣の冷たくなった体があった。
が、今は無い。
すぐさま、運び出されたからだ。
今は織田と一色、それぞれが上座を挟む形で腰を下ろしていた。
俺はそんな彼らを左右に俯瞰できる様、床几の上に座っている。
つまり……俺は美濃国主である一色龍興を差し置いて上座にいる訳だ。
それは戦いの帰趨が既に決したからであり、それどころか騙し討ちが行われた所為でもあった。
美濃勢に異論を差し挟む余地は些かも無い。
そんな上座にいる俺の隣に、俺は今一つ床几を用意させた。
そこに、
「飯尾殿、その方は我の隣だ」
今川氏真らと共に那古野から呼び寄せた一人を誘う。
その所業に唖然とする一色勢。
俺は内心ほくそ笑みつつ、理由を語った。
「これなる飯尾定宗殿は先の管領、細川晴元殿の娘婿でな……」
再度声なく驚く一色勢。
京の都に近いだけあってか、流石に細川京兆家当主の名を知らぬ者は誰一人としていなかった。
ちなみにだが、細川京兆家とは摂津、丹波、土佐の守護職と幕府管領職を代々世襲しているらしく、正に名門中の名門、と言った家柄を誇る。
それ故か、他にも娘がいるのだが皆、それなりの家柄に嫁いでいた。
越前国は朝倉義景しかり、越中一向一揆の総本山とも言える勝興寺の住職顕栄しかり、養女ではあるが元は三条公頼の娘である女を娶った石山本願寺の顕如しかり。
実に錚々たる顔ぶれ。
これだけでも、”細川京兆家の権勢、ここに極まれり”、を分かり易く表している。
尤も、これは余り知られていないのだが、現在の細川晴元は三好長慶との政争に負け、更には戦にも負け、その結果、摂津国のとある荒れ寺に押し込められているらしい。
貴種中の貴種としては不憫な扱い……
だが、今現在畿内が乱れに乱れているのも、元を正せば細川晴元がお家騒動の果てに細川高国と権勢を争ったが為である。
しかも、負けては逃げ、逃げた先で兵を集めては挙兵する、の繰り返し。
それも、一度や二度の話では無いらしい。
故に、情状酌量の余地は無い、と判断されたのだろう。
とまぁ、その様な歴史ある家から尾張の田舎侍が女を娶る……織田家中においても未だに謎であった。
(どうせ、盗賊に襲われた牛車を助けたら、細川晴元の娘が乗ってたのだろう)
と、俺が内心思っているのは秘密である。
もしかしたら、我が父である織田信秀の従兄弟として生まれたのが、その本当の理由かも知れぬがな。
だが、彼の官位は従四位下。
今は亡き、今川義元と同位なのは流石の俺も驚いた。
閉話休題。
俺は幕府要人や公家との密な繋がりを仄めかし、俺の隣に座する飯尾定宗の存在を確たる物にした。
その上で、
「天子様……とは言わぬが、都におわすやんごとなき方々が此度の事の成り行きに興味をもたれておるらしくてな」
止めを刺す。
無論、はったりだ。
が、那古野瓦版を山科言継の催促に応じ数十部余りを届けている以上、あながち嘘でもない。
加えて、飯尾定宗の存在が事実だと思わせるのだ。
「ふふふ、理解したか? さて、和議を結ぶにあたり、織田信行としての口上を述べさせて頂こうか」
ここで一拍置き、確認を取る。
誰一人として異論を差し挟まなかった。
「宜しい。では我から三つ程言わせて貰う。先ず一つ……」
俺は一旦言葉を切る。
そして、手にしていた扇で足を強かに打った。
まるで、怒りに任せたかの様に。
「和議に赴いた使者を襲うなど言語道断!!! 武家の風上にも置けぬわ!!」
一色勢は一色龍興を含め、一斉に平伏した。
薄々だが、一部の跳ねっ返りが強行したのだろうと感じ取ってはいる。
が、それはそれ、これはこれ。
一色龍興を含めた美濃国の上層部が抑えきれなかったのは事実。
そして、その跳ねっ返りの中に家老の一人であろう竹中重治が含まれていたのは議論の余地もない、厳然たる事実であった。
俺は更に増した怒気を発し続ける。
今一度扇を打ち付け、乾いた音を鳴らした。
「次に!! 龍興殿!! その白装束は何だ!!」
「……な、な、何だと申さ……」
「大方、腹を召し、この無様な家老共の命乞いを考えたのであろう!!」
俺の予想が当たったのか、一色龍興が再び平伏した。
「この戯けが!! たかだか敵国に組み伏せられたからと言うて、四方を攻囲されたからと言うて、容易く死のうとするな!! 生きていれば報われる事もある!! それに残された家臣共、家族や民の事を考えぬのか!? 御主がそれなりに育つまで、どれほどの者らが腐心したと思うておる!!」
「さ、さ、されど、恥を晒す前に腹を切るは武家の嗜み……」
「武家!? 言うに事欠いて、”武家の嗜み”だと!? ならば、武家の棟梁たる公方様は武家の嗜みを知らぬと申すか!? あの御方は自らの、たった一つの命を拾おうと家族を捨て、それこそ必死に逃げ、難から逃れられた! 時には泥水を啜り、生き永らえようとされた! 捲土重来を喫し、山川の中で久しく雌伏されたのだぞ!」
「そ、それは……」
「龍興殿、公方様が何故そこまでされたか分かるか?」
「お、恐れながら……」
「分からぬのか!? 高貴なる身に生まれたからだ!! 高貴なる身に生まれた者には、それ相応の務めがあるからだ!! 故に、公方様は簡単には死ねぬ。如何なる事が有ろうとも、生き延びようとされるのだ!!」
一色龍興は自らの不明を恥じたのだろう、顔を赤く染め上げた。
俺はそんな彼に、恥を掻いてでも生きる理由を刷り込む。
「それを家来の家来、そのまた家来の御主が出来んで如何する!! 御主も高貴なる生まれ、生まれながらの国主の息子であろうが!!」
一色龍興は自らの不出来を悟った、と俺の目には見えた。
故に、俺の目は次なる獲物、一色龍興の家老衆に向かう。
「一色の家老衆、聞け!」
「は、ははっ!」
「当主だからと言って、十三、四の童に国難を背負わせて如何する!! 御主らは阿呆か!!」
「なっ!?」
「国主が若く頼りないならば身を以て盾になれ! 我が子を慈しむ以上に厳しく接しよ!! 国の主が痴れ者なればいずれ国が滅び、民が路頭に迷うではないか!! その中には間違いなく、御主らの子や孫がおるのだぞ!」
「くっ……」
「それが分からぬなら、家老衆を降りよ!」
大の大人を公衆の面前で罵倒したのであった。
ただ、ここで止めるてしまうと、ゆくゆくは大きな問題になり兼ねない。
そこで俺は、彼らの矜恃をくすぐるのである。
「無論、我は外様であるが故、そうせねばならぬ御主らの詳しい内情は知らぬ。が、外様であるが故、見える事もある。ここ数十年、美濃国は端から見ても難局の連続。心休まる暇もなかったであろう。何せ、国主の簒奪が幾重にも重なり起きたからな」
「……」
「その間、良くぞ国を保たせた! 御主らを含めた国人衆の踏ん張りがあったからである! 我は大いに感じ入っておる!! 嘗ての美濃国主も、御主らの働きをあの世で褒めて下さっておるに違いない!」
「ははっ!」
今度は家老衆の面々が深々と朱に染まった顔を伏せた。
中には在りし日の記憶が蘇り、感極まる者も現れた。
俺を見る目が、明らかに変わった。
(ふふふ、これぞ”ゲインロス効果”!)
現代における、人の心を掴む為の常套手段。
下げてから上げると好印象を醸成する”アレ”である。
人生経験の少ない相手や、され慣れない相手はこれで容易く落ちる。
広く実証済みの手法であった。
束の間、家老らの余韻に浸る時間を設ける為、腰を下ろした。
すると、何処から用意したのか、木下藤吉郎がぬるい茶を勧める。
俺はそれを一口で飲み干した。
直ぐに丁度良い熱さの茶が出るかと思っていたが、それは無かった。
「さて、本題に入ろう」
俺は再び立ち上がった。
「此度我が直々に乗り込んだのには二つの訳がある」
「ふ、二つ?」
一色龍興が首を捻った。
「左様。一つ目は、龍興殿、御主を労うためよ」
「へ?」
「ようこれまで、その若き身空で耐え忍んだのう。義龍殿が身罷られ、突然神輿に担がれ、下からの突き上げ、国主としての振る舞い。さぞかし辛かったであろう」
(俺にはわかるぞ。その辛さが。偉大な男の後を継ぐのは骨が折れるよな。しかも、お前は……)
「ただひたすらに孤独であったろう。胸の内を晒せる者もおらなんだであろう。故に、褒めてつかわす」
敵方の総大将からの意表をつく激賞。
瞳を潤ませ始めた一色龍興がやがて号泣するまで、然程時間を必要とはしなかった。
「わ、我は、我は亡き父上に、す、少しでも認められたくて! ち、父上に! 父上に!!」
俺はそんな彼の肩に優しく手を置き、
「案ずるな。間違いなく義龍殿はこう申されておる、実に大義であったぞ、龍興、とな」
言葉を重ねた。
評定の間に、鼻を啜る音が幾重にも鳴った。
これもまた、ゲインロス効果、である。
最早この場に、俺に抗うものは存在しない。
いや、正確に言うと一色勢の中にはいない。
(今川氏真から冷たい視線を感じるのだがな)
なので、俺はいよいよ最後の一手を打つ。
これは我が人生最大の博打でもあった。
賭け金は俺の命、いや、俺と俺の配下の命に加え、更には領国内で安寧に暮らす民の未来である。
それに対し、配当は美濃一国。
一見して釣り合わない勝負。
だが、これこそが四カ国を統べる太守としての、いや、織田信行として本当にやり遂げたかった事であった。
「それでは、我がここに参った二つ目の理由を告げさせて貰おう」
「ははっ!」
俺は一色龍興の目の前で仁王立ちなり、満を持して、あの台詞を言い放つ。
「斎藤龍興よ、我の軍門に降れ。さすれば美濃は安堵してやろう!」
勝負に勝った俺の顔は、当然破顔していた。
ブックマークや評価を頂けると大変励みになります。
また、誤字脱字に限らず感想を頂けると嬉しいです。
ご贔屓のほど、よろしくお願いします。
--更新履歴
2016/10/28 誤字脱字を修正




