#066 竹中半兵衛重治、死す!
稲葉山城 評定の間
織田信行が稲葉山城本丸の城門前に辿り着く、僅かばかり前。
一色龍興を前にして、家老らは互いに声を荒げていた。
「敵の総大将がのこのこと城まで来るのだ。この機を逃さず討つべし!」
「だから何度も言っておろうが! 決して討ってはならぬ! 我らは美濃国人の総意として、公方様に和議の仲立ちを求めた後なのだぞ!?」
「どうせ届いてなどおらぬわ!」
「だから、万が一届いておったら如何するか!」
「その時はその時よ! ワシが腹を切ってくれるわ!」
「何度も言うが、お主一人の腹で済むと思うてか!」
「ぐっ!」
「そもそも、使者を遇するのは武家の嗜み! 斬り捨てるなどは以ての外! 犬畜生のする類である! それはつまり、御主らの行いは龍興様を犬畜生に落としめる事ぞ!」
意見が纏まらぬのだ。
その様子を前に竹中重治は顔をしかめ、唇をただただ噛み締めていた。
やがて、
「えーい! 御主らの物言いには勘忍袋の緒が切れた! そこになおれ! 斬り捨ててくれるわ!」
頭に血が上り刃を抜く者が現れた。
更にはその者に対峙する者も。
正に一色触発。
誰もが、美濃国人同士による血の雨が降るかと思った。
刹那、竹中重治が大音を立てて立ち上がる。
その顔は苦渋に塗れていた。
「龍興様!!! 某にお命じあれ!!!!」
婦人の如き細身から発せられた大音声。
一色龍興は驚きのあまり、返答が遅れた。
「…………な、何をだ? 我に何を命じさせたい?」
「織田信行を討たば、織田との和議など不要! たちまち織田領内で内訌が始まります故に!」
「そうかも知れぬ。が、この場を切り抜けられぬ。四方は敵に封じられ、それどころか、川も塞がれておるのだぞ。城に籠る者どころか、川を渡った井口の民まで見せしめに殺されてしまうが落ちよ……」
「な、な、何たる弱腰!! それでも義龍様のお子か! 見損ない申した! あの世で義龍様はお嘆きであらせられるぞ!!!」
「なっ!? この無礼者が! 父の恩を忘れたか! 其の方が先に申したことぞ!」
「ふっ! 先程の言葉は武家として当然のことを申したまで! 龍興様に美濃武士の誉れを思い出して頂き、決戦に向け迷いを晴らす為で御座る!」
竹中重治のその言葉に、一色龍興は思わず唖然とした。
「この竹中半兵衛重治!!! 美濃武士として本懐を遂げさせて頂く!!! 某と思いを一つにする者は某に続かれよ!! 必ずや織田信行を討ち滅ぼしてくれるわ!!! 弓、長物は不要ぞ! 腰に履いた刀だけで十分ぞ!」
「よっしゃ! 某は竹中殿に乗った!」
「美濃侍としての生き様を見せてくれるわ! 使者なぞ皆殺しにすれば、死人に口無しよ!」
竹中に同調した侍が数名、評定の間より走り去った。
その後をゆったりとした足取りで追う竹中重治。
一色龍興は言葉を失くし、開いた口が塞がらないまま。
彼には去りゆく背中を見つめるしか出来ないでいた。
やがて部屋の端に辿り着いた竹中重治。
彼は最後、振り返った。
そして、眉間に皺を寄せ、
「迷ってはなりませぬぞ?」
と口にした。
「ん? あ、ああ……」
気圧され、力なく答える一色龍興。
すると、竹中重治は実に晴れ晴れとした顔で、
「龍興様、さらばでござる」
と微笑みを浮かべた。
稲葉山城評定の間は僅かな時間、お通夜の如く暗い雰囲気に覆われた。
そこに一人の使番が飛び込む。
その手には門兵に渡された織田信行からの書状。
だが、近くにいる者は誰一人として動こうとはしなかった。
「……寄越せ!」
仕方なく一人の家老、日根野弘就が使番から書状を引っ手繰り、中身を検める。
「な、何と!?」
彼の既に土気色の顔色がますます悪くなっていった。
「た、龍興様……」
日根野弘就は慌てて一色龍興にその書状を渡す。
一色龍興は日根野弘就のただならぬ気配を受けて、急いで目を通した。
それは織田から参った和議の使者、その一行の名が書き連ねられた紙と、織田と一色が和議に及ぶに至る迄の仔細が記された瓦版であった。
直後、
「誰かある! 我が槍を持て!」
一色龍興は立ち上がり、自らの愛槍を持って来させる。
万が一を考え、用意していたのだろう、
「これに!」
小姓の一人が一色龍興に槍を手渡した。
今にも駆け出さんばかりの一色龍興。
家老らはその彼に縋り付き、訳を問うた。
「龍興様! 如何なされましたか!?」
「えーい、邪魔をするな!」
「訳を! どうか訳を言ってくだされ!」
「あー、面倒な! 良いか、書状には織田信行だけではなく、今川氏真、斯波義銀らも共に参られると書いておった。しかも、ご丁寧にその事実を記された瓦版も添えてだ!」
「そ、それが何か?」
「判らんのか!? 那古野瓦版なる代物は我ら美濃は元より、諸国が織田の動勢知る為に集めておるのだぞ! それだけでは無い! 都のかしこき御方もだと耳にした事がある!」
「ま、まさか……」
「そうよ! 既に諸国は元より、京の都までにも我らと織田の和議の話が及んでいるやも知れぬ! その状況で織田からの一行を討ってみよ! 美濃国人は末代まで蔑まれよう! だが、我らが手を拱いた所為で、このままでは竹中重治に織田信行を含む使者が討たれるやも知れぬ! いや、竹中重治に襲わせる事すらも罷りならんのだ!!」
「ぐっ!? あぁ! い、息が……、息が……」
家老の一人が苦しげに倒れた。
「くっ! こんな時に! 誰かある! 城内におる一族郎等にも支度させよ!!」
「竹中重治一派を止めよ! いや、討てぇい!」
動ける家老らは蜘蛛の子を散らすかのように駆けていった。
◇
稲葉山城本丸の城門を潜った俺達は、
「龍興様は評定の間におりまする」
一人の若侍に誘われていた。
その侍の頬は時折ピクピクと動き、うなじからは幾筋もの汗が流れている。
数人挟んだ後から続く俺からも、酷く緊張しているのが見て取れた。
(致し方ない。使者とその護衛として付き従う者が多いからな)
だが、果たして本当にそれだけであろうか?
いや、そうではないだろう。
大弓を含めた武装の解除に同意しなかった所為もある筈だ。
また、これ程多くの貴種を前にして気負ってもいるのだろう。
年若い侍には過ぎたる任だ。
(それが……この違和感の原因か?)
……そう、俺が龍興の立場なら、大名の案内役には宿将を当てる。
それが礼儀だ。
にも拘らず、緊張が面に現れる程の若輩者を差し向けてきた。
何故だ?
俺達は侮られているのか?
それとも……使者の名簿や瓦版では意図が通じなかったか?
……それは流石にないと信じたい。
何故ならば、あの竹中重治が龍興の側にいるのだから。
今孔明とも評される男、必ずや俺の言いたいことを理解してくれるだろう。
そして、龍興の取るべき選択肢が残されていないこともだ。
(それなのに……解せぬ)
俺達一行を評定の間とは明後日の方向に導く、若侍の意図が。
そう、俺は稲葉山城の間取りを熟知している。
時には城の奥深くにも踏み入れる事が許される、歩き巫女らによって齎されていたからだ。
(……どうやら、合わせコインの糊が剥がれたか?)
俺が作戦の失敗を懸念するのも当然であった。
その直後、本丸の北側に設けられた庭に差し掛かった。
鍛錬に使われているのだろう、地は平らにならされている。
奥には見るも見事の松の並木。
北風を避ける為に植えられた代物だろう。
実に見事な景色が広がっていた。
惜しむらくは、
「信行様……」
「……うむ」
松の大樹の影に幾人もの侍が隠れている事か。
その手には抜き身の刀が光る。
折角の風情が台無しであった。
「伏兵……。竹中重治がなぁ……」
俺は一抹の寂しさを味わった。
あの男であれば俺自らが使者として赴く意を汲むと信じていたからだ。
あの男であれば俺の掲げた”天下治平”の意味を解すると願っていたからだ。
それなのに……いや、今はこれ以上考えても仕方がない。
「……殺れ」
俺は自らの考えの甘さを嗤いながら命じた。
刹那、血飛沫が舞う。
前田利家の一刀が刀を上段に構えた案内役の胴を薙いだからであった。
「ぎゃぁああああ!」
断末魔が辺りに響いた。
それがまるで合戦の号砲であったかの様に、美濃侍が至る所から現れた。
庭に面した三方の広間から、廊下の先から、そして、俺達が通ってきた廊下からも。
その示すところは、四方を敵に囲まれ、退路すらも断たれたという事である。
(まさかこんな事になるとは……。思いの外上手く事が運び、余計な欲をかいた所為か……)
俺は自らの考えの甘さに再度悔いた。
すると、あろう事か兄信長の今際の際が脳裏を過ぎった。
(下天の夢、継ぐと約したのにこのザマだ……)
次に弱気な俺に対し、破顔する信長が目に浮かぶ。
(ああ、そうだろうよ。信長であれば、この様な羽目には陥らなかっただろうよ)
そして、最後に現れたのは、さもつまらない者を見たかの様な、人を蔑む冷たい瞳を浮かべた信長であった。
(クソッ! 為すべき事を為さず、つまらぬ欲をかいた俺を”俗物”と見下げ果てるか! だがな! 俺は信長とは違う! どれ程の敵に囲まれようとも、決して生きるのを諦めたりはしない!)
俺は突如頭に沸いた信長を振り払うかの様に激しく頭を振る。
続いて、この状況を改めて確認した。
(北庭に面した廊下と、北以外の三方を囲む広間。味方は旗衆等と俺の近習を含めた三十名に加え、今川氏真ら一行の五名。敵の……数は今のところ三十から四十名前後、得物は刀のみ……か。以外と少ない。だが、当然ながらこの限りではない。ここは敵城内。増援が無い筈も無し。故に先ずは……)
「我を中心に円陣を組め! 旗衆が最前列ぞ! 旗衆は守りを固め、打って出るで無い!」
「ははっ!」
各個撃破されぬ様、守りを固める。
その上で、
「旗衆以外の腕に覚えがある者は陣を打って出よ! 時勢を見誤る美濃侍を冥府に送ってやるが良い!」
「おう!」
遊撃を指示した。
刹那、円陣から飛び出した五つの人影。
六尺を優に超える旗衆を前にして攻めあぐねていた美濃侍共を、
「一番槍はこの前田利益が頂戴したで御座る!」
屠り始める。
「今川流開祖今川氏真、推して参る!」
「我こそは”攻めの三左”こと森可成である! 槍は無し! されど、騙し討ちする御主らにはこの刀で十分よ!」
「前田利家、ここに見参! 我が豪剣を受けし勇ある者よ! さぁさぁ、我が前に参られい!」
ある者は自らの名を名乗り上げ斬り掛かり、
「さぁ、名を名乗れ! 奸計を巡らす匹夫とは言え、名を知らぬば墓に名を刻めぬでな!」
またある者は、名乗りを求めた。
斯波義銀もまた、陣を出て斬り結び始める。
その相手の首を鬼の形相をした丹羽長秀が横合いから斬り飛ばした。
俺はそんな彼らの活躍を目にしつつ、
(妙だな、後詰が少ない。しかも、統率が取れていない。いや、誰一人として、全体指揮を取っていない。これはもしかして……内紛?)
感じた疑問の答えを探す。
しかし、それはどこにも見当たら無かった。
(誰だ? 誰が龍興を裏切った? この拙いやり様は決して竹中重治では無い。それどころか、名のある武人ですら無いだろう。となると……信長公記にも記されていた、龍興を誑かしていた斎藤飛騨守か?)
だが、俺の予想は覆される。
廊下の先から数名の供を引き連れた、竹中重治が現れたからだ。
(ば、馬鹿な……。お前ほどの男がこれを?)
束の間、互いの目が合うも言葉は無い。
すると、彼は血の海の中をゆったりと歩き、そして静かに抜刀した。
その所作は流麗。
纏う気配は一流。
下段に構えた立ち姿は”見事”の一言につきた。
その竹中重治の前に立ち塞がるのは、
「奇縁で御座る。拙者が参らせて頂く」
前田利家。
彼が竹中重治の屋敷にて、家族共々暮らしていたのは織田においては周知の事実であった。
「良いか、皆の衆! この勝負、誰一人として水を差してはならんぞ!」
俺の言葉に、対峙する二人だけの空間が設けられる。
狭間には幾つもの屍が横たわり、その側には今も血溜まり生み出されていた。
中で動く影は二つ。
血塗れの刃を掲げ、間合いを計る前田利家。
彼の巨躯が更に大きく映え、影もそれに比して長く伸びた。
対する竹中重治は線の細さも相まってか、まるで昔話の牛若丸か女剣士。
互いの距離が僅かずつ縮まり、互いの影が交わる。
刹那、
「っ!?」
あろう事か夕日が前田利家の顔に差した。
その隙を逃す竹中重治ではなかった。
彼は一気に踏み込み、その両手が下段から振り上げられる。
この瞬間、傍から見ても前田利家の目は物の役には立っている様には見えない。
にも拘らず、彼は一瞬手首をピクリと動かしたかと思うと、
「ふん!」
風を切る音を轟かせながら刃を振り下ろした。
竹中重治の剣閃が前田利家の鎧を切り裂き、鮮血を纏うのが見えた。
直後、痛みに顔を顰めた前田利家の豪剣が竹中重治の体を捉えた。
袈裟斬りを受けた身体がその場に崩れ落ち、そして、血溜まりに沈んだ。
と同時に、夕焼けが辺り一面を赤く焼き染めた。
まるで、湧き出る血をその色で隠すかの様に。
「うっ……」
そんな中、皆の視線を一身に集めた前田利家が膝を付いた。
竹中重治による傷が深いのか?
いや、そうでは無い。
自らの行い、その結果を知り得る為にである。
彼は竹中重治の首に手を当てると、
「竹中半兵衛重治! この前田又左衞門利家が討ち取ったり!」
勝ち名乗りを挙げた。
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