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#064 書状


「太田牛一!」

「はっ!」

「これより首桶と共に送る書状を認める! 口述するゆえ、書き取れ!」

「ははっ!」




  ◇




 申の刻(午後四時頃)。

 一色龍興が評定の間に現れた。

 これは、籠城後初めての事であった。

 しかも、彼の顔は見るからに青白い。

 だが、家老衆の目を引いたのは首から下を覆った、更に白い色をした着物。

 そう、白装束であった。


 一色龍興は普段自らが腰を下ろす場所を通り過ぎ、一段降りた。

 そして、家老らの前で正座したのである。

 彼はニコリと微笑むと、


「皆の者、これまでの忠勤、実に大儀であった。が、潮時だ。我はこれより腹を切る。故に、我の首と引き換えに、命乞いするが良い」


 清々しい顔を皆に見せた。

 正に悟りを開いた者の、実にすっきりとした面構えであった。

 一方、家老らは余りの事に声を無くしていた。

 やがて、振り絞り声を発したのは誰あろう、今では一色龍興の第一の忠臣、竹中重治である。


「そ、それは……」

「ふふふ、仕方があるまい。このまま抗えば我はもとより、御主らも死ぬであろう。それは流石に忍びないでな」


 その言葉を耳にした瞬間、竹中重治を除いた家老らが一斉に俯いた。

 拳が強く握りしめられ、歯を強く噛みる音が幾重にも響く。

 家老らのその振る舞いを目にし、一色龍興は嬉しそうに目を細めた。


 しかし、逆に我慢ならぬ者もいる。

 それは唯一顔を下げなかった竹中重治であった。

 彼は唇を噛み締めた後、


「……お、お待ちくだされ!」


 荒い声を発した。


「……何?」

「この竹中重治! 承服出来かねまする!」

「何故に? 最早美濃の一色はこれまで。武家として腹を召さねば示しがつくまい」

「いや、まだで御座いまする! 公方様に和議の仲立ちを頼む使者を遣わしたで御座いまする!」

「何と! 我は聞いておらぬぞ!」

「先程まで龍興様はお身体が優れぬご様子。僭越なれど、ここにいる家老の合議の上で御座いまする」

「くっ……」


 一色龍興は思わず気色ばんだ。

 しかし、それは束の間。

 瞬く間に顔色を元に戻すと、


「……公方様は都を追われておられる。まず、無理であろうよ」


 と零した。


「されど!」

「もう良い! そう、もう良いのだ。全ては我の力不足、見識不足が招いた故にな……」


 観念したかの様に振る舞う一色龍興。

 だが、竹中重治はその様を、指を咥えて見ていられない。

 突然立ち上がると、


「それで、龍興様は誠にそれで宜しいので御座いましょうや!? あの世で義龍に顔向け出来ましょうや!?」


 一息に問い質した。


「し、重治?」


 問われた一色龍興は戸惑うばかりであった。

 しかし、彼は若く、未熟ではあるが一国の主。

 (たちま)ち居住まいを正し、竹中重治に対して問い返すのである。


「いやさ、重治。そちは何故、それ程まで物言うのだ?」

「それは……」

「なに、口にし辛いのであれば、話さぬで良い」

「いえ、そのような事は決して……。されば、龍興様はこの重治が如何なる理由で稲葉山城に足を踏み入れたか、存知ておられまするか?」

「うむ、竹中家からの”質”であったそうだな」

「左様でございまする。されど、龍興様には良くして頂き申した。女子の如き某を小姓に取り立てて頂いた。それどころか、過分な配慮まで……。小姓からから奉行衆に移ってもそれは変わらず、寵臣の一人として側に置いて頂き申した。正に大恩。故に! 某は義龍様にこの命を捧げると誓い申した! 無論、義龍様亡き後は龍興様に対してもで御座いまする! 龍興様が名君なれば身命を賭して仕え、暗君なれば自らの名誉を汚し、家を捨ててでもお諌めするつもりで御座い申した!」

「そ、それ程迄に父上を……」

「如何にも! それが某が使命、某が望み! 美濃国国主への命懸けのご奉公なれば!」


 一色龍興は不覚にも、目に熱い物を感じた。

 彼は思わず天井を見上げる。

 やがて堪え切り、顔を下ろした。

 視線の先は竹中重治を除く家老衆。

 その瞳の色は僅かに赤い。


「その方らもか?」


 一色龍興の口から発せられた、思いも寄らぬその問い。

 思わず、家老らは目を逸らした。

 それもその筈、彼らは国人衆なのだから。

 土地に縛られ、その土地に生きる者達なのだから。

 彼らの土地を守る者、力強き者が彼らの主であれば良い。

 もしくは、操れる軽い御輿であれば良い。

 それが戦国時代を生きる国人衆達の嘘偽りない本心であった。

 竹中重治の様に、主君を心から敬い、命懸けで守ろうなどと思う酔狂は一家の主に相応しくない。

 だが、竹中重治はそれを理解した上で、


「龍興様。敢えて言わせて貰いまするが……美濃はここ数代に渡り、国主の簒奪が相次いでおりまする。土岐頼芸様然り、道三入道然り、義龍様然り。国人衆はその度に美濃国人と血で血を洗う争いに身を投じて来ておりまする。故に、某とは考えが異なりまする」


 と明言した。

 にも関わらず、彼は、


「国主が変われどもその国主が国をより豊かにし、国を他国の侵略から守って頂ける限り、国人衆はその国主を崇め、仕えましょう」


 と言葉を続ける。


「……で、あるか」

「故に! 龍興様が美濃に居られる限り! 龍興様が美濃を守る意思を持ち続けられる限り! 我らは龍興様に従いまする! だからこそ、生きて下され! 落ち延びて下され! この竹中重治! 雑兵に首を与えてでも、必ずや道を切り拓いて見せまする故に!!」


 竹中重治の言葉に戸惑い、その気迫の前に気押され、年若い一色龍興は返す言葉を見出せなかった。

 すると、評定の間が落ち着きを取り戻す。

 その時を見計らったのか、たまたまなのか、若武者が一人駆け込んで来た。


「申し上げまする!」


 家老の一人が頷き、若武者に発言を許した。


「織田方の使いが首を引き渡しに現れたで御座いまする! また、それと共に龍興様への書状も御座いまする!」

「何! 直ぐに持って参れ!」

「ははっ!」


 無論、渡された首の中には西美濃三人衆が含まれていた。

 評定の間は更に静けさに満ちた。

 それは共に戦った者達の無念を慮ったからであった。

 それは共に歩んだ仲間を失った事による沈痛からであった。

 それはたった一度の戦で、これほど多くの知己を失った事実を知った事による絶望からであった。


 やがて暫くすると、誰彼となく語り始めた。


「何とまぁ……嘗てこれ程の死者を出した戦が美濃国内であっただろうか?」

「あるとするならば、尾張の虎と交えた、加納口の戦いかのう……」

「されど、あの時死んだのは、殆ど尾張の者」

「左様、美濃の者で死ぬ者は少なかった」


 昔を思い出して。


「道三様と義龍様の時もそうよ。土地を追われた者はいたが、殺される者は少なかった」

「そらぁ、そうよ。儂等は美濃国人同士。捕まえても銭を貰えば、土地を貰えばしまい。そもそも、国人同士の争いはそんなもんよ」

「道三様も義龍様も、命を取ろうとしたのは余程の理由があった時だけじゃ」

「頼芸様にしても……」

「あの時は参ったのう……」


 家老らは次第に熱を帯び始め、声高くなる。

 一方、年若い一色龍興は家老らの思い出話しに交じらない、交じる気もない。

 年と立場が違いすぎるからだ。

 彼は家老らの様子を横目に見ながら、織田方から届いた書状をそっと開いた。

 中には同じ大きさの紙切れが数枚。

 この時代には珍しく、縦に長く記されている。

 そこには、


「……なっ!?」


 予想外の事が記されていた。

 異変を察した竹中重治が近づく。

 彼もまた年若い部類であるが故に、家老らの会話に加われないでいた。


「龍興様、中には何と?」


 一色龍興は一枚目の紙切れを渡しつつ、書かれた事を伝えた。


「知っての通り、長井道利は討ち死にしたが、その時の事が克明に記されておるわ。実に勇ましい最後であったと一文添えてな」

「なっ! 何と!?」

「それだけで無く、堂洞城が落ちた仔細も、稲葉山における登り口、その全てが抑えられた事も! 父上に口伝された隠し口までもだ!」

「そ、そんな……」

「しかも、稲葉山を中心とする山々には山窩が入り込んでおるとある。これが誠なればは鼠一匹抜け出せまいて」

「くっ!」

「重治、そちの言う通りに落ち延びるのは難しくなったのう……。やはり、腹を召すしか道はあるまいて」


 言葉を失った竹中重治をよそに、一色龍興は二枚目を読み進める。

 彼の視線が紙面のある位置に達すると、途端に目の動きが激しくなった。

 まるで、幾度も読み返すかの様に。

 事実、彼は書かれている事が間違いではないかと、数度読み返していた。

 当然ながら、傍に侍る竹中重治はその様子を目にしている。

 彼は恐る恐る、


「……して、織田方は何と」


 と尋ねた。

 それに答える一色龍興の声は、実に弱々しかった。

 しかし、評定の間はいつの間にか静けさを取り戻していた。


「……和議を進めるにあたり、頃合いを見計らって使者を送る。但し、我や家老衆の血が流れた場合、その限りに有らず、とな」


 彼の声は部屋によく響いた。

 その刹那、評定の間は一変した。


「はぁ!?」

「なんだそれは!?」

「我らを馬鹿にしておるのか!?」

「実に巫山戯ておる!」

「まてまて! 使者の名を聞いてからでも良いであろう!?」

「まさか、森可成ではないか!?」

「それは美濃を追い出された者では無いか!」

「これはいよいよ和議とは名ばかり! 無理難題を述べ、和議不調を口実に憂いなく攻め落とす腹積もりでは!?」

「そ、そのような事をして織田に何の得が!?」

「ま、待たぬか……」

「だが、それ以外に考えられぬ! 今更和議など可笑しいではないか! 大将首を差し出し、城を明け渡せと申すのが普通じゃ!」

「なれば使者の首を落とし、我らの武者振りを示してくれるわ!」

「そうよ! その通りよ!」

「ええい! 待てと言うておる! して、龍興様、使者はだれでござるか?」

「織田……」

「織田!? 連技衆か!?」

「まさか! せいぜい一門衆であろう!」

「なれば、儂が思うに、使者は織田信成であろう! 確か、織田信秀の娘を娶っておる筈だ! 格を考えるならばな、それが当然よ!」

「左様、左様! 左様でありましょう、龍興様!?」


 いつの間にか、皆の視線が一人の若者に注がれている。

 浴びた視線の鋭さに、思わず唾を飲み込む一色龍興。

 彼は周りからの熱い視線から逃れるかの様に紙面に目を移し、


「織田勘十郎信行……とある」


 書かれている使者の名を読んだ。

 その刹那、室内の時が完全に止まった。

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