#060 美濃侵攻(4)
佐久間信盛と西美濃三人衆が凌ぎを削り合っていた頃合い、竹中重治は行軍中であった一色龍興の許に辿り着いていた。
無論、彼が駆け込む前に早馬が遣わされている。
これより僅かばかり前に、竹中重治が最前線を離れた理由を一色龍興は知り得ていた。
だが、彼は率いる兵を先に進めつつ、
「して、竹中重治如何した?」
敢えて問う。
齟齬が無いかを確認する為に。
それは若くして為政者となった一色龍興の”癖”であった。
「はっ! 龍興様の陣中、その末席に名を連ねさせて頂きたく、勝手ながら稲葉殿に兵を預け、戻った所存に御座いまする!」
竹中重治はそう一息に捲し立てた後、稲葉ら西美濃三人衆と交えた会話を要約して伝えた。
「……なるほど、相分かった」
一色龍興は一通り聞き取ると、竹中重治の下げられた頭部にむかって声を発した。
「して、御主の考えは?」
「はっ! その前に確認させて頂きたく」
「申せ」
「はっ! 北近江の浅井に援軍を求められたと聞き及んでおりまする。恐れながら、誠に御座いまするか?」
「誠よ。それにつけ加えるならば、浅井は新九郎殿直々に来られる。五千の兵を率いられてな」
一色龍興は武井夕庵を介したやり取りを披露する。
その上で、
「知っての通り、我が母上は浅井亮政の娘にして前国主である浅井久政殿の養女。故に、我は浅井の一門も同然よな。此度はその縁を使い、織田を追い払う。あぁ、分かっておる。無論、浅井に幾ばくかの領地は強請り取られよう。が、それは些事よ。その代わりに尾張を食ろうてやるでな」
自らの差配を堂々と語った。
その言葉は、まるで齢を重ねた老獪な王を彷彿とさせる。
竹中重治は自らが想定していなかった事態に目を丸く見開いた。
(これが真の龍興様か……。随分と変わられた。いや、織田信行という危機を前に、龍興様も変わらざるを得なかったのか……。しかし、此度において、それは僥倖!)
「どうした、竹中重治?」
「いえ、何でも御座いませぬ。しからば、申し上げまする! 如何に急ごうとも我らは戦に間に合いませぬ。故に、ここは稲葉殿ら先備え勢には一旦加納口まで下がって頂き、織田の先備えである佐久間信盛を彼の地に引き込み、その背後を浅井に襲わせとう御座いまする」
加納とは東西に走る東山道を稲葉山に向かってやや北上した場所である。
稲葉山城のお膝元、と言っても過言ではない。
が、その場所を敢えて戦場に定めた。
それは、決して意味が無い訳ではなかった。
「……成る程。織田共に道三と織田信秀による”加納口の戦”を想起させるのだな」
”加納口の戦”とは織田信秀が率いる織田方の軍勢が稲葉山城にまで侵攻し、そして、五千の兵を失うと言う大敗を喫しただけでなく、更には織田信清の離反から始まり、当時の主家であった清洲織田家に攻め込まれると言う、負の連鎖の契機となった戦いである。
織田信行の生まれた織田弾正忠家としては鬼門中の鬼門で間違いない。
「しかるに、其の方は忘れておらぬか。織田の佐久間は先備え。後方より更なる増援が現れようぞ」
「無論、存知ておりまする。しかも、現れるは、恐らくは織田の本陣備え。将は津々木蔵人で御座いましょう」
「ほう、あの朝比奈元長を壊走させし、あの戦巧者”津々木蔵人”か。竹中重治、其方は彼奴に勝てるのか?」
「はっ! 愚問に御座いまする!」
「言いおるわ。流石は父が愛でた”智慧者”よのう」
「お、お戯れを……」
一色龍興は何故か戸惑う竹中重治を目にし、ニタリと笑った。
「ふふふ、良い、良い。さて、稲葉らの言う通り、竹中重治、御主に差配を任そうぞ。励むが良い」
「あ、有り難き幸せ!」
史実では酒と女に溺れ、一部の奸臣を溺愛し、代々の忠臣が挙って離反してしまう程に無能な三代目と評された一色龍興。
しかしそれは、織田家による美濃侵攻が史実のそれより五年も早い事から、そうはならなかった。
歴史とは分からない物である。
「よし! まずは稲葉らに使いを出さねばならぬ! 誰かある!」
「はっ!」
「日根野弘就か。誰ぞ、先備えの本陣に走らせよ。竹中重治の策を認めてな」
「御意!」
遣わされた者は一色龍興が馬廻衆の一人、氏家直昌であった。
彼は数刻後、加納口へと退き、設営最中である一色龍興の本陣に戻った。
そして、彼は一つの報せを齎した。
それは、
「御味方先手衆、散々に敗れ、壊走に御座いまする!」
であった。
その夜、竹中重治は憔悴していた。
一色龍興より軍配を預かった事により、様々な問題が彼に持ち込まれたからだ。
その最たる物が軍の再編成。
織田方の鉄砲衆により、足軽大将や組頭を含んだ多くの将兵が失われた所為だった。
米野における戦いにおいては隊列を維持出来なくなり、先手衆は壊走を喫したとのこと。
無論、竹中重治はその原因を突き止めてはいる。
そして、対策も講じたのであった。
しかし、それ故に彼は疲れ切っている。
その様な彼の下に、新たな一報が舞い込んで来た。
「恐れながら申し上げます!」
「……申せ」
「はっ! 織田方の陣地に動きが御座いまする!」
「なっ、何だと!? すわ、夜襲か!」
「いえ、然に非ず。どうやら、後続の軍が合流した模様に御座いまする」
「左様か。して、その数は?」
「はっ! おおよそ”五千”に御座いまする!」
佐久間信盛の軍勢には大した被害を与えられず、ほぼ三千の兵力を維持していた。
そこに、更に五千。
合わせて八千の兵力。
「ふむ……、なれば重ねて問うが、陣容は判明しておるのか?」
「残念ながらそこまでは……」
「であろうな。夜も更けて久しい。それに加え、月明かりも少ないでな」
竹中重治は使番を下がらせると、一人考え込む。
(一方の我ら一色勢は壊走した先手衆の兵を掻き集め、また、付近の国人衆を焚きつかせて何とか七千を維持している。それに加え、浅井勢が五千。都合一万二千。負ける道理が無いわ)
その上で、
「津々木蔵人……か。今一つ胸がはやらぬ。……いやはや、前田利久殿が相手であれば心が躍ったのであろうか? しかし、病により戦場に出られぬ身体と聞く。……これもまた、叶わぬ夢、か」
と零すのであった。
翌早朝、互いの斥候が互いの陣地の合間を行き交う。
そして、一色龍興と竹中重治が控える本陣に最初に齎されたのは、意外な報せであった。
「恐れながら、織田方の陣地に佐久間信盛の旗印が見当たりませぬ」
竹中重治の眉がピクリと上がった。
「ふむ、織田の攻め手は津々木蔵人なる将のみで我の相手が務まる、と思われたか……」
受けての総大将である一色龍興は意外にも冷静に言葉を発する。
その上で、
「いや、浅井の手勢に相対しに回ったのか。成る程、苦肉の策、と言う訳か。竹中重治、其方はどう思う?」
と続けて口にした。
「はっ! 龍興様の申される通りに御座いまする」
「左様か。なればこの戦、勝てるな」
「如何にも! とお答えしたい所ですが、一点気になりまする」
「何だ? 申してみよ」
「はっ!」
軽く頭を下げた後、竹中重治は使番に顔を向け、問いを発した。
「昨夜は暗くて判らぬが、夜も開けた故織田の陣容が判明しておろう。大凡で良い、答えよ」
「はっ! 長柄衆、弓衆の姿が多く見えたに御座いまする。加えて、米野で見受けられた櫓の姿が無く、先に申した通り、佐久間信盛の軍勢と伴にしたと思われまする」
「左様か。今一つ問うが、本陣の旗印は津々木蔵人の物だけか?」
「いえ、津々木蔵人の物以外に”花橘”が翻っておりまする」
刹那、床机を倒す勢いで立ち上がった竹中重治。
彼は使番を罵倒するかの勢いで、
「其の方の見間違いでは無いのか! 今、織田家中で花橘を旗印として掲げられるのは前田利久しか居らぬのだぞ!?」
問い質した。
「見間違いなどでは御座いませぬ! 某は確とこの目で見たで御座る!」
「それが見間違いでは無いかと申しておる! 前田利久は長らく病で戦場には立てぬと聞いておる!」
「し、しかし! 某は見たままを……」
遠い未来において”戦国時代における今孔明”とも評される者らしからぬ物言い。
正に、若気の至り、であった。
主である一色龍興は仕方なく口を挟む。
「ああ、良い。いや、其の方、よう伝えに参った。後で褒美を取らす故、一旦下がっておれ」
「……ははっ!」
其の上で、
「竹中重治、如何した?」
問うた。
返って来た答えは、
「此度の戦、楽には勝てませぬぞ」
であった。
「ふふふ、戦に楽な物など一つも在るまいて。当の相手たる織田信行も言っておろう、”戦は七飢を上回る”とな。此度の戦に勝てるなら、何ら構わぬ」
一色龍興はその年に似合わず、嘯いた。
◇
美濃国 加納口 織田陣中
二人の武将が並んで湯漬けを口に流し込む。
しかも、そこはかとなく上品な仕草で。
一人は稀に見る美丈夫。
今一人は病み上がりとは思えぬ程、血色の良い顔つき。
そう、津々木蔵人と前田利久の二人であった。
二人は侍る小姓に湯を足させ、「フーッ、フーッ」と椀の中の湯を冷ましている。
「時に前田利久殿」
「はい、何で御座りましょう」
「信行様はまだ参られませぬな」
「左様で御座いまするなぁ。まぁ、予想通りですが」
「確かに。致し方ありませぬが、我らだけで戦いましょう」
「はい、仕方がありませぬ。佐久間信盛殿には浅井勢を抑えて貰わねばなりませぬ故」
「然るに……」
「はい?」
「負ける気がせぬ。可笑しいで有ろうか?」
「いえ? 某も負ける気がしませぬ」
よくよく見ると、二人の口角が僅かに釣り上がっていた。
「なれば……気持ちよく勝ちまするか」
「左様、信行様の露払いと行きましょうぞ」
よくよく見ると、二人の口角は大きく釣り上がっていた。
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