#006 那古野城の攻防(3)
「余よりも後ろに退く者は許さん! 余自ら斬り捨てん! 押せ! さぁ押せ! 命惜しくば押せ!」
「えーい! 早う、矢束を持って来い! 矢が尽きては、命も尽きるぞ!」
「平城の城門など早々に焼き捨てい!」
「塀に梯子を架けよ!」
「梯子を押し返せ! 塀から内側に、決して入らすな!」
「……様! いい加減お降り下さい! 総大将なのですぞ! 指揮を……」
戦場は喧騒で溢れ返っていた。
いや、戦と言うには人が少ないかもしれない。
信長勢二百名に対して、我ら信行方は百名にも満たない。
末森城から急ぎ呼び寄せる事が出来た手勢は四十名余り。
それに加えて、林秀貞の配下が三十二名。
もっとも、当初は具足どころか、矢にすら事欠く状態であった。
僅か数時間で一戦交える迄になった事の方が、ある意味で驚きである。
「えーい! 誰ぞ搦手門側を早々にこじ開けさせよ! 一度に梯子を十でも二十でも架ければ、一人ぐらいは内に入れようが!」
加えて、平城の構造的問題もある。
つまり、容易に入り込まれやすいのだ。
ただでさえ、攻め易く守り難い城が、廃城の予定もあり櫓の類が壊されている。
その為、大手門を形成する櫓門が数少ない格好の矢を射掛ける場所なのだが……
「いくら場所が無いとはいえ、櫓門にいつ迄も篭り、矢働きされるとは面白、いや、皆が困りまするぞ! それに間もなく城門は破られまする! そうなっては確実に囲まれ、おしまいですぞ!」
先程とはまた違う、若い侍が俺の側にいた。
彼は自らの首を両の手で締め、舌をだらし無く垂らしていた。
「ふふふ、そうさな! そろそろ戻ろうぞ!」
俺は大弓を抱え、若い侍を従えつつ、庭に設えた急造の陣地へと向かった。
「(同い年くらいか? )して、面白き男よ。名を教えて貰えるか?」
「……宗兵衛、そう、ただの宗兵衛でござる!」
「そうか! 宗兵衛というのか! なら、俺について来い!」
戦だからであろうか?
俺の心は酷く高揚していた。
陣地では津々木蔵人が懸命に指揮していた。
現代っ子の俺に戦時指揮など無理だから! と、彼に丸投げしたのだ。
「矢盾を担いで、搦手門に上がれ! 弓方を守るのだ! 独りになるな! 組頭は常に! 最低でも二人で一組と成るようにせよ!」
その津々木蔵人は、今では優しかった面影が完全に消え去り、般若の如くであった。
俺がその豹変ぶりに驚いていると、
「これはこれは信行様。お待ち申し上げておりました」
瞬く間に優しげな顔に戻り、ニッコリと微笑みを返してきた。
「お、おう……も、戻ったぞ……」
「では、軍配をお返ししたく」
しかし、頬が怒りでヒクついている。
「そ、其方が持っていてくれ。今更、代わっては差配が乱れ、間隙が生まれるしな!」
俺はチラリと顔色を伺った。
(……どうだ? んー、駄目か? なら、ここで少し武士の琴線とやらを揺さぶってみるか?)
「寧ろ、私の命を其方に預けたい、そう思っている!」
「な、なんと信行様! あぁ、信行様! 某、一生付き従って参ります!!」
「(なんか違う気もするが……)頼んだぞ!」
「承知!」
ふと横から妙な視線を感じた。
目を向けるとそこには、
「なんだ、宗兵衛? 私の顔に何か付いているのか?」
若い侍が呆れた目をしていた。
「いーえ、津々木様とは大変仲が良いのだなぁと、感心して見ておりました」
「ん? なんだ? 津々木の事を知っているのか?」
「勿論、噂はかねがね。信行様第一の忠臣として、大層ご高名ですからな!」
「そうか! ならばお主も良く励めよ! しっかと働けば取り立ててやるからな!」
「滅相も無い! 某、槍働きしか出来ませぬから!」
(ん? 話が噛み合って……ない? いや、気のせいか?)
「それで構わぬ! 人には得手不得手がある! 実力の有無がある! 能力の高低がある! そのあらん限り、足掻けば良かろう!」
「ははっ! それに違いありませぬな! では、某! 槍働きを盛大に仕ります!」
破顔した後、宗兵衛は駆けた。
最大の激戦地となるであろう、大手門に向かって。
いつの間にか、門は焼け落ちる寸前。
素人眼には丸太を利用した、簡易な破城槌の一突き、ないしは二突きで容易に開きそうである。
(いよいよか……。ここが正念場ぞ!)
俺は大弓を握る手に力を籠めた。
◇
那古野城大手門前 午後四時頃
「えーい! 急がぬか! 日没が迫っておるではないか! (チッ、このままでは信長様が鬼の如く赫怒しようぞ!)」
森可成は焦りを禁じ得ないでいた。
するとその背に、
「サァァァンンンンザァァァァァー! イィィィツゥゥゥマァァァデェェェカァァァカァァァッテェェェオォォォルゥゥゥ……」
地獄の底から、その鬼の声が届いた。
「はっ! ははっ! い、今暫く! もう間もなく開門致しまする!」
(駄目だ! 信長様はこれ以上はお待ち頂けぬ!)
森可成は馬を降りると、
「我はこれより大手門に上がる! 自らを真の武士と思いし者は我に続け! この”攻めの三左”に続け! 次に破城隊! 我が塀を乗り越えしを合図とし、破城槌を繰り返し見舞うが良い! 命を惜しむな!」
「ははっ!」
配下の声に大きく頷くと、彼は大槍を携え、大手門のある塀へと目指した。
彼の近衆か小姓なのか、若い侍が十数名、梯子や矢盾を担いで後に続いた。
森可成は重い矢盾を片手に持ち、新たに架けられた梯子を手も添えずに駆け登った。
その彼に対して、
「あの猪武者を射て!」
と叫ぶ者がいた。
「何だと下郎風情が! 我を勝家如きの同列に並べるな!」
森可成はキッと睨みつけた瞬間、片手で大槍を投げつけた。
大槍は寸分違わず、彼を愚弄した侍の急所を貫き、そのまま塀の中へと落とした。
が、それは周囲には悪手に見えた。
「よ、可成様危ない!」
「今だ! 奴は丸腰ぞ!」
「大将首だ! 俺が貰う!」
「(くっ、下手を打ったか)…………とでも思うてか!」
森可成にとっては計算尽くであった。
彼は、丸腰だと考え、組み易い相手だと油断して前に現れた敵方に対し、
「それ!!」
矢盾ごと体当たりしたのであった。
「ぎゃーーーっ!」
直後、森可成は地面に勢い良く落着した。
強かに体を打つも、
「首尾よく中に入れたわ」
彼はニヤリと笑った。
そして、先に落ちていた大槍を拾い上げ、
「我こそは”攻めの三左”なり! 我こそはと思いし勇の者よ! 我が前に参られよ!」
大音声で名乗り上げた。
森可成が大槍を幾度かふるっていると、やがて、後から続いた者達が居並んだ。
それは、数にして僅か五名からなる、塀を背にした半円の陣形。
信行方は手を出しあぐねた。
ただでさえたった一人の武者、”攻めの三左”こと森可成に圧倒されていたのに、強固な陣形が作られたのだから。
そこに、局面の異常を察知した津々木蔵人が、急遽増援に回した、
「ん!? 退け、童子共が! 勇と無謀を履き違えたまま、殺されたいか!」
信行の小姓らが加わった。
が、大勢は変わらない。
それどころか、
「ひっ、ひぃぃぃぃ! あっ、こ、腰が……」
腰を抜かし、無様な姿を晒し、足手まといになっていた。
「わーっはっはっはっはー! 腰を抜かすなど、それで戦場に出るなど百年早いわ! さぁ、退け! 我を通せ! 城門を開け放った後、貴様らをたぁっぷりと可愛がってやるからのう!」
森可成は片手で大槍をブウン、ブウンと繰り返し横薙ぎしつつ城門へと向かう。
しかし、その前に悠然と立ちはだかる者が現れた。
その者は、
「やぁやぁ! 我こそは織田信行様が家臣! ただの宗兵衛でござる! 森可成殿と見受けられる! いざ、尋常に勝負!」
であった。
「き、貴様、ここで何をしておる! えぇ! まえ……」
「ただの宗兵衛でござる!」
宗兵衛が平然と言い切るも、森可成は顔を真っ赤にしていた。
「何を戯けた事を! 荒子のお父上はご存知なのか!?」
「ただの宗兵衛の父は既に涅槃に旅立ってござる! ささ! 勝負、勝負!」
「くっ! 馬鹿者が! どうなっても知らんぞ!」
城内の一角で、武者の一騎打ちが始まった。
それは見ている者の背筋を凍らせるほど、激しい戦いであった。
◇
空が赤い。
戦場に流れ落ちた数多の血、それによって彩られたのだろう。
「ドォーーーン!」
「よいさ!」
「ドォーーーン!」
「もう一丁!」
破城槌が打ち付けられる度に、城門は崩れ落ちそうな音を立てていた。
俺はそれを陣地から眺めていた。
今か今かと、その時を待ちわびながら。
そこに、林秀貞が現れた。
彼は自身が戦働きが不得手であると言うので、俺は別の任を授けていたのだ。
それは、俺の家老であったにもかかわらず、俺を裏切った二人に対する、
「柴田勝家殿、佐久間重盛殿、共に信行様の門外に馬を繋げる所存です」
切腹ならぬ説伏あった。
林秀貞は二人の誓紙なのだろう、幾重にも折られた紙を俺に渡す。
俺はその中身を検め、鷹揚に頷いてから、林秀貞の後ろで平伏する二人に尋ねた。
二人は城に余っていた具足を適当に見繕ってきたのだろう、てんでばらばらな武者姿をしていた。
「今は火急の時である。早速だが津々木蔵人の下に入ってもらうが……良いな?」
「はっ!」
「では励め!」
「ははっ!」
俺は彼らの後ろ姿を暫し眺めた後、再び城門へと目を向けた。
門の扉は、いよいよ崩れ落ちそうであった。
「……信行様、そろそろでございまする」
津々木蔵人が疲れ果てた声で俺に囁く。
俺は城門を凝視したまま、小さく頷いた。
大きな音と共に、門が激しく軋む。
大きな音と共に、横木の閂が折れそうになる。
やがて、その時は来た。
「開いた!」
「城門が開いたぞ!」
「扉を固定しろ!」
那古野城の城門が敵方の手に落ちたのだ。
刹那、
「馬廻り衆!!! 城内を駆けよ!! 彼奴等の形を残さぬ程に蹂躙せい!! 生き残りなど不要じゃ!!」
信長の嬉々とした叫び声が、大音声が、一帯の空気を震わせた。
それはまるで、幾重にも重なり落ちた落雷。
その最後に落ちた雷は
「皆殺しにせよ!!!!」
天を真っ二つに裂く程の大豪雷であった。
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