#059 美濃侵攻(3)
稲葉山城へと続く街道、それを覆い被さるかの様に生い茂っていた林が一夜にして焼き尽くされた。
青々としていた景色は様変わりし、今や葉は一つも無く、枝も太いものを残して焼け落ち、木肌は炭と化して黒々としている。
それが幾千本も、幾万本も見渡す限り。
根元へと視線を移せば、大地もまた黒く焦げている。
北風が止んだ瞬間、それらから発する匂いが目と鼻に痛みを覚えさせた。
竹中重治は不快気な気持ちを露わにしていた。
それは、林が見るも無惨な姿に変わり果てたからでは無かった。
何故ならば、
「動ける者は何名おる?」
「はっ、二千七百程かと。されど、無傷な者は少なく、多かれ少なかれ火傷を負うておりまする……」
「それ程までにか……」
自らの主から与えられた兵、その一割強を織田の軍勢と相見える前に失ったからだ。
加えて無数の負傷者。
ほぼ同数の敵を押し返すには些か心許ない、と流石の”今孔明”も頭を抱えていた。
そんな最中、一つの朗報が彼を破顔させる。
「稲葉良通様、安藤守就様ならびに氏家直元様の馬印が見えまする!」
一色龍興に命じられた通り、西美濃三人衆が竹中重治を助勢しに来たのであった。
その稲葉良通らは竹中重治の本陣に入り、開口一番、
「これより軍議を開く!」
と大音声を発した。
軍議が開かれ、まずは互いの情報を交換する。
その上で、
「婿殿の下に二千七百、我らが新たに引き連れし兵が千ずつの三千。合わせて五千七百。対する織田は佐久間信盛が率いし三千……か」
安藤守就が手早く整理をし、
「左様に御座いまする、舅殿。騎馬の姿は少なく、その多くは長柄衆と鉄砲衆との事」
竹中重治が捕捉した。
「それらの大凡の数は判らぬのか?」
「はっ、物見によりますれば、長柄衆が千五百、鉄砲衆が千に届かぬ程度、弓衆が五百ほどに御座いまする」
「……鉄砲衆がちと多い。まっ事、織田は聞きしに勝る鉄砲好きよな」
氏家直元がカラカラと笑った。
しかし、その顔色は青白く、先の笑い声は兵の手前うわべを取り繕った代物である事は明白である。
軍議の場に満ちた重苦しい空気。
それもその筈、彼らは鉄砲の数が戦を左右する、その事実を良く知り得ていたのだ。
竹中重治は場の空気を変えようと、
「時に稲葉殿。戦場はここだけではありますまい」
文字通り場違いな問いを口にした。
「ん? 流石は竹中殿。先代様に愛された”先見の明”よな」
「お戯れを。して、織田の軍勢は……」
「うむ、まずは東美濃は恵那の岩村城に織田の手の者が現れたらしい。次に中美濃の鵜沼城に織田信清の一軍。加えて、加治田城の佐藤忠能が織田に降った。故に、龍興様は関城に長井殿を遣わした」
その答えに竹中重治は黙考する。
そして、
「なるほど……」
と零した。
「織田信行の狙いが分かったのか?」
「恐らくは」
竹中重治は床机に腰を下ろした三名に対し、頷き返した。
「一見して兵を分けての進軍は愚策。されど、相手は僅か二年で東海道四カ国を斬り従えた織田信行。当然、それ相応の目論見が御座いまする」
「して、それは?」
「美濃国の完全なる制圧。それも”瞬く間に”、恐らくは一月と時を掛けずにで御座る」
「……婿殿、流石にそれは難しかろう。美濃国十七郡、数多の国人衆が黙っては居らぬぞ」
「いえ、有り得ぬ話では御座いませぬ。現に東美濃衆の棟梁たる遠山殿は抑えられ、中美濃の旗頭たる長井道利殿は戦場に向かい、西美濃三人衆たる舅殿を含めた御三方はここに居られる。此度で皆様方を討てば、美濃の南半分は落ちたも同然。加えて、美濃は東山道が通りし南部があればこその五十万石。山険しき北部は南部に従うしか御座いませぬ。故に、一色龍興様までがここに出張るとなれば、織田の思う壺に御座いまする」
「まて、龍興様が来られると拙い、お主はそう申すのか?」
「左様に御座いまする。織田にしてみれば、一度の戦で龍興様を仕留める事こそが大事。寧ろ参陣せぬまま戦が終わり、近江に逃げられては後々面倒、と思うておるでしょう」
再び、軍議が重苦しい雰囲気に満たされた。
その理由は無論、
「……龍興様は自ら兵を率いられる所存だ。そして、長井殿が稲葉山城に居られぬ今、諌められる者はおらぬ」
であった。
「……お止め出来ませぬか?」
「此度、龍興様は並々ならぬ覇気を漲らせておられる。更には、援軍を請うた浅井新九郎殿が一昨年大いに活躍されたと聞き、それに自らの姿を重ねられたようじゃ」
「……お待ち下され。浅井新九郎が此度の戦に参られる、それは誠で御座るか?」
「その様に龍興様が武井を遣わされた。十中八九、その様に成るであろう」
その刹那、
「お、おのれ織田信行! 美濃だけでは飽き足らず、北近江まで一息に斬り取る所存か!!」
竹中重治の怒髪が天を突く。
普段は大人し気な男の突然の変わり様に、西美濃三人衆は唖然とした。
そして、その訳を彼らは聞こうとする。
だが、その機会はついぞ訪れなかった。
「申し上げます! 織田の軍勢に動き之あり!」
戦場故の急報が届いたからである。
「舅殿!」
「うむ、婿殿は単身で急ぎ稲葉山に戻り、龍興様に事の次第をお伝え致せ! 稲葉殿、氏家殿もそれで宜しいか?」
「構わぬ。竹中殿の智謀は龍興様の側でこそ有用故に」
「左様。竹中殿の良い様に致せ」
「ははっ!」
「我らはこの場で織田の軍勢を食い止める。可能であれば押し返してくれるわ!」
「ふふふっ、相手は佐久間信盛。守る戦は得てであっても、攻める戦はそうでは有るまい。のう、氏家殿」
「その通りじゃ。それに我らの方が兵数は多い。如何に鉄砲が多くとも、簡単に我らを抜く事は出来ますまい! 織田の兵の多くは銭侍と聞くからな!」
これから半刻後、互いの軍勢が槍を交えた。
場所は美濃国羽栗郡米野村付近。
現代で言うならば、岐阜県羽島郡笠松町である。
この時の互いの兵数は一色勢が五千七百。
対する織田勢は三千。
ほぼ倍の兵を擁する一色勢が、弱兵と蔑まされていた織田の兵を蹂躙する。
一色方の多くの兵はそう信じて疑わなかった。
しかし、その思いは戦の初手から突き崩される事となるのである。
「な、なんだ!? 戦場に櫓!?」
まず最初に彼らが目にしたのは、戦場を睥睨する櫓の数々。
それも大きな車に載って。
実はこれ、那古野に至る街道を疾駆する馬車を基に、竹で出来た”足場”を組上げた代物である。
無論、櫓と言うからには屋根が設けられていた。
その理由は、
「おい! 櫓から何やら筒が突き出ておるぞ!」
「阿呆! あ、あれは鉄砲だ!」
雨風に弱い鉄砲、それを用いる前提に造られていたからだ。
「ええい! 唯の虚仮威しよ!」
「櫓なれば火を点けて、燃やしてみよ!」
「長柄衆! 掛れ! 掛れ! 掛れ!」
西美濃三人衆がそれぞれの兵に対して下知を飛ばす。
それに呼応し、兵が一斉に駆け出した。
轟く怒声。
響き渡る奇声。
地を踏みしめる足音が無数に上がり、土煙が空に舞った。
その直後、乾いた音が幾つも鳴った。
それも織田の軍勢から。
音のした方を良く見ると、車に載せられた櫓の下には数百の鉄砲が並べられていた。
そう、一色勢は櫓に目を奪われた所為で、その下で待ち構えていた織田の鉄砲衆に対して、十分な意識を向けていなかったのだ。
無数の鉛玉が正面から降り注ぎ、あれよと言う間に一色勢の戦線が崩れ始めた。
それも一斉に起こる火薬の破裂音は一度や二度では無い。
まるで、時を告げる鐘の音の如く、何度も何度も響いていた。
「おのれ! 如何に鉄砲衆が多いとは言え、何故これ程までに撃ち続けられるのだ!」
先陣を竹中重治から引き継いだ安藤守就が叫んだ。
この時代の戦において、初撃を放った鉄砲衆は長柄衆の後背に身を隠すのが一般的であったからだ。
「恐れながら申し上げまする!」
「申せ!」
「はっ! 織田の鉄砲衆は撃ち手三名とそれを援ける二名、都合五名を一組とし、三名の撃ち手が代わる代わる鉄砲を放ちながら前に進んでおりまする!」
そう、この動きは現代で言うところの”多段撃ち”。
織田信行は自領内における火縄銃と火薬の製造が確たる物となった際、その訓練を始めていた。
それが今まさに、日の目を見たのであった。
「なれば横合いから突かせよ!」
「そ、それが、敵方の弓衆が鉄砲衆を囲むかの様におり、容易には近づけませぬ!」
「な、何と! 弓衆を前に出さず、鉄砲衆の守りに使うておるのか!」
「はっ! 左様に御座いまする! 加えて、長柄衆は鉄砲衆の背後に控えているとの事!」
「チッ! 守り上手は佐久間信盛らしい、堅牢な陣形を執りよるわ!」
更には、現代において”テルシオ”または”スペイン方陣”とも呼ばれ、防御力偏重な陣形。
南蛮人が幾度も訪れる那古野らしい、ハイカラな戦術である。
「何処から攻める? クッ……穴が見つからぬわ!」
しかし、真に彼ら一色勢の肝を寒からしめたのは、
「お、恐れながら申し上げまする!」
「此度は何ぞ!」
「はっ! そ、それが足軽大将衆ならびに足軽組頭衆が……」
「申し上げまする! 三輪新八郎様討ち死!」
「同じく! 小野喜六様討ち死にされ申した!」
「木曽屋太平様、織田方の鉄砲により……」
次から次へと届けられた、手勢の、それも足軽大将や足軽組頭を任せた者らの訃報であった。
そして、彼らの死は次なる問題を引き起こした。
「三輪新八郎様が手勢の隊列に乱れが!」
「小野喜六様の組が織田方の軍勢に囲まれたよしに御座いまする!」
「木曽屋太平様麾下の軍勢が戦場を離脱された模様!」
それは、指揮官不在による”混乱”、”遅滞からの孤立”、”敵前逃亡”であった。
「えぇい! 直ぐ様代わりの者を立てよ!」
「そ、それがその者も直ぐに討ち取られ……」
「何じゃと! それではまるで、織田方が足軽大将やら組頭やらを狙っている、とその方は申すのか!?」
一介の使番に答えられよう筈もない。
しかしその問いは、まさに正答であった。
織田方佐久間信盛が陣中にて、佐久間信盛は床机に腰掛け、戦況を具に検めていた。
「櫓に上がった、根黒(黒人)ら鷹之目衆の働きは如何か?」
「はっ! 橋本一巴様曰く、敵将を瞬く間に見出すそうに御座いまする!」
「左様か。では、かなりの成果が期待出来ような」
「はっ! 既に十を超す兜首を落したとの事!」
「ふむ……。各組頭、足軽大将らに伝えよ。長柄衆を前に出す合図を見落とすな、とな」
「承知仕りました!」
使番が走り去る背を見つつ、佐久間信盛は冷静に戦況を見極めようとしていた。
しかし、中々それが出来ないでもいた。
何故ならば、
「流石は信行様。我らの思いもよらぬ策を講じられる。目の良い異国の者らを使い、櫓上から敵方の将や頭を探させ、腕に覚えのある鉄砲衆に那古野筒を持たせ撃たせるなど……」
言葉に出来ぬ”何か”を感じていたからだ。
ちなみにだが”那古野筒”とは、ライフリングの施された火縄銃の事である。
その最大射程は十町(およそ一キロメートル)に及ぶ。
やがて、
「……いや、余計な事は考えぬ方が良い。我らは信行様の手足となって天下を取る。それだけの事よ」
いずれこの場に来るであろう、自らの主君の大願を思い出す。
そして、その中に有るであろう佐久間家の悲願も。
それを成就する為に、彼は再び戦況へと思いを巡らせたのであった。
ブックマークや評価を頂けると大変励みになります。
また、誤字脱字に限らず感想を頂けると嬉しいです。
ご贔屓のほど、よろしくお願いします。
--更新履歴
2016/09/12 誤字を修正




