#057 美濃侵攻(1)
永禄五年(西暦一五六二年)、四月中旬。
「斎藤龍興が公方様の御相伴衆に任ぜられ、一色を名乗る!」
春雷が落ち、
「織田信行に美濃侵攻の意図あり!」
「尾張国二郡と三河国をあからさまに狙う一色龍興に対し、織田信行は仕置を決断す!」
「織田信行、陣触れを命ずる!」
その跡の燻った煙の中から炎が立ち昇り、やがては周囲に落ちた枯葉に燃え広がるが如く、尾張織田家の動勢がその周辺国に広まった。
美濃の一色龍興は尾張との国境を固め、甲斐の武田信玄は美濃と信濃の国境に兵を配した。
北近江の浅井新九郎は美濃一色を後方から援けるべく、何時でも兵を出せる様指示を出した。
ところがである。
織田信行は、
「美濃侵攻、その前にやる事がある」
世の意表を突く行動をとる。
それは、
「滝川一益!」
「はっ!」
「伊勢攻めの先陣を任す! 其方に預ける兵の数は五千だ! 本陣として我が五千を率い、後詰として森可成が五千である! 励め!」
「ははっ! 有り難き幸せ!」
伊勢への侵攻であった。
先程も述べた通り、周辺国にとってこの動きは全くの予想外であった。
それもその筈。
織田家の本拠地である尾張と接する美濃一色氏、それが尾張との国境沿いに兵を集めている最中、当の尾張国主が兵を率いて出陣すると言うのだから。
どの国も驚き、咄嗟の対応を取れずに手を拱いた。
その間、織田信行はゆうゆうと伊勢長島の前を横切り、北伊勢に入った。
時は永禄五年(西暦一五六二年)、四月下旬。
春の嵐が納まりを見せぬ時節である。
◇
伊勢は長島。
木曽三川、濃尾三川とも呼ばれる川が伊勢湾に注ぎ込む河口に出来た中洲、その中洲を囲うかの様に設けられた輪中、つまりは堤で囲まれた集落を島に見立て、それが七つ集まって見える事から七島とも呼ばれていた。
嘗ては、ここに藤原氏が館を構え、周辺を統治していたらしい。
今はその後を継いだのだろう、館の跡に城を築き、北勢四十八家の一つでもある伊藤氏が治めている。
ちなみにだがこの”伊藤”には、伊勢の藤原氏、と言う意味が含まれているらしい。
同じ様な苗字として、加藤、近藤、尾藤、遠藤などがある。
それぞれが住まう地、加賀、近江、尾張、遠江に擬え、名乗り始めたと言う事であった。
その長島、木曽川西岸にある桑名と共に古くから交通の要衝として栄えている。
特に桑名は”十楽の津”(”楽”は自由の意)とも呼ばれる程、自由に商売ができる港町として賑わっていた。
そして、当の長島は一向宗における東海地方の一大中心地でもある。
何故ならば願證寺と言う、伊勢、美濃、尾張の本願寺門末を束ねる寺が存在していたからだ。
永禄三年(西暦一五六〇年)には院家を勅許されている。
俺はその長島と桑名を左手に見つつ、馬の背に揺られていた。
それぞれに建つ城には織田木瓜の旗が風に靡いている。
「いやはや、流石で御座いまするな」
此度の軍監、平手久秀が俺に話し掛けてくる。
俺はその言葉に頷き、
「確かに。滝川一益はまっ事、働き者よな」
と返した。
事実、滝川一益は伊勢侵攻を俺に度々進言し、その準備を進めていた。
彼は北伊勢の国人衆らに対し、織田家へ服属する利を説き、時には脅し、硬軟織り交ぜ懐柔して周ったらしい。
その成果は凄まじく、長島と桑名は早々に城を明け渡し、織田に降った。
それどころか、尾張国と接する伊勢国桑名郡に住まう国人衆の殆どが言われる前から質を差し出し、織田家に臣従を誓いに来たのであった。
それも俺が桑名城を通り過ぎる前に、である。
俺は今一度、周りにいる者らに聞こえる様、滝川一益を誉めそやした。
「左様で御座いまするな。されど、長島は信行様では御座いませぬか」
俺はその言葉に、ニヤリと口元を歪めた。
(確かに、俺が三河本證寺の住持である空誓を長島の願證寺に送った。織田に協力する利”織田家による堤防の強化および河川の改修工事等”を伝えて貰う為にな。そして、それが上手く行ったのは結果からして一目瞭然。だがな、それを俺自ら誇ってどうする?)
「平手久秀」
「はっ!」
「お主の働きにも期待しておるぞ」
俺はそれだけを口にし、再び前を見る。
視線の先には雲霞の如く、織田の兵がひしめいていた。
伊勢侵攻が始まってから四日目。
俺は伊勢国は朝明郡(尾張国境から三つ目の郡。現代で言う所の四日市周辺)にある、伊坂城に入っていた。
今のところ、織田家の戦果は上々である。
北勢三家衆の筆頭、春日部俊家との緒戦を制し、相手を萱生城に追い詰めている。
その攻城戦は平手久秀に預けた本陣に任せ、俺は後詰の森可成と共にいた。
先手の滝川一益は一足早く三重郡に入り、辺りを蹂躙している。
織田に降った北伊勢の国人衆らを率いて。
北伊勢四郡が織田家の所領となるのも、もう間も無くの事であろう。
さて。
俺は配下の者らに北伊勢の平定を任せ、ある報せを待ち侘びていた。
それは、
「どうだ、可成?」
「残念ながら、まだ届いておりませぬ。今暫く掛かるやも知れませぬなぁ。何せ、信濃勢の指揮を執るのは美濃守を名乗る馬場信春で御座いまする故に」
「武田は発した陣触れを未だ解かぬか」
であった。
俺は苦笑いを浮かべる。
「フッ、致し方ないか。我でも同じ様に考えたであろうからな。他者が稲葉山城を攻める隙を突き、東美濃を攻め取ろう、とな」
「ですが、宜しいのですか? 武田殿を謀ると約定に瑕疵が付くのでは……」
「なぁに、その恐れはあるまい。四カ国の交わしたは相互不可侵。故に我を責めるのはお門違いよ」
「であるならば、宜しいのですが……」
森可成が心配げに零した。
その上で、俺に対し改めて問う。
「信行様、一色龍興の動きは気になりませぬので?」
「あぁ、気にならぬな。龍興が美濃を継いでまだ一年余り。未だ国人衆共を掌握してはおらぬ。その様な有様で他国になど攻め入る事など、どだい無理と言うものよ」
「成る程、流石で御座いまするな!」
俺と森可成は互いの顔を歪ませた。
それから更に数日後、
「萱生城、春日部俊家が降伏!」
の報せが齎された。
その数刻後にも、「滝川一益殿が三重郡を粗方平定した、との事に御座いまする!」、と使番が飛び込んで来た。
「でかしたぞ、滝川一益!」
俺は思わず、大音声を発した。
そして、次の日の昼下がり、
「武田が陣触れを解いた、との事に御座いまする!」
待ち焦がれた報せが、俺の許に届いた。
刹那、俺は勢い良く立ち上がった。
続いて、
「柴田勝家に五千の兵を預ける! 手筈通り東美濃は岩村城に入り、遠山らと共に武田の美濃入りを阻め!」
「犬山の織田信清にも五千! 内応を訳した加治田城の佐藤忠能と合力し、堂洞城を落とさせよ!」
「佐久間信盛と岩倉の織田信次にも二千ずつ率いさせよ! 先方は佐久間信盛! 稲葉山城に至る道を丹念に掃き清めさせよ!」
「津々木蔵人、前田利益、林弥七郎および岡本良勝らに手抜かり無き様伝えよ!」
と立て続けに下知を出す。
その上で、
「可成! 我らも参るぞ! 向かう先は稲葉山城である!」
「承知!」
自らの戦支度に取り掛かった。
そう、俺は北伊勢を落とした、その返す刀で美濃を落とす。
美濃を制す者が天下を制す、その言葉を真にする為に。
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--更新履歴
2016/12/02 田中良勝を岡本良勝に修正




