#056 畿内の動乱
永禄五年(西暦一五六二年)、四月某日 那古野城 評定の間
「南蛮船が那古野大湊に入ったとの事に御座いまする!」
「して、何処の国だ?」
「ポルトガルに御座いまする!」
「ほう、約束通りだな!」
実は、アンドレス・デ・ウルダネータが率いたスペインの船団が初めて那古野大湊を訪れた後、ポルトガル人の船団もまた那古野大湊に入港していたのだ。
以来、一年ぶりに那古野大湊を訪れたポルトガルの船団。
その報せは、俺を大いに喜ばせた。
何故ならば、
「Terra AustralisIncognita(未知の南方大陸)」
『ラ、ラテン語!? やはり本物の預言者だと言うのか!』
「ん? (発音間違えたか?)」
俺はオーストラリア大陸を対価に、船と大砲、および少なくとも年に一度の寄港を要望したからであった。
その度に俺は旧式ではあるが南蛮船を、それに加え唐国の絹、火薬、鉄、家畜類(主に馬)、黒人奴隷(視力の良い者)、西日本で彼らが仕入れた銅を得、代わりにワイン、聖書、羽毛製品、手押しポンプ、薄い錦絵本(西洋人バージョン)、金と銀の延べ棒、エリクサー(くさや汁)を輸出していた。
尤も、彼らを一番喜ばせたの代物は、
「近々フランスのヴァシーでプロテスタントがカソリックによって虐殺される。その結果、フランスは内戦に突入する。ル・アーブルにはイングランド軍が上陸するであろう」
『おぉ、アツタサマのお告げが!』
であった。
(ほんと、世界史の授業様様だな)
しかも、俺は彼らの去り際に、
「次回はポルトガル王家に関するお告げが伝えられるであろう」
と囁いたのである。
『……またまた、ご冗談を』
「ふっ、信じるか信じぬかは、お主次第だがな。だが……」
『だが?』
「スペインに知れれると些か拙いかも知れぬ。事が事だけにな」
『……か、必ず伺わせて頂く』
その答えに、俺はニヤリと笑い、
「目の良い黒人奴隷と馬体の良い馬を多めに頼む。それと大砲と火薬だ。頼んだぞ。あ、それと船大工もだ」
と付け加えたのであった。
そして、今回のポルトガル船団の来航。
そんな彼らに対し、俺が”熱田様のお告げ”として伝えたのは、
「遠い未来において、ポルトガル海上帝国の王セバスティアンがモロッコで戦死する。スペイン帝国は婚姻の約定を果たさず、その系譜は断絶するだろう」
所謂、スペインによるポルトガル併合、その発端であった。
『な、何だと!?』
『スペイン王の妹君、カタリーナ王妃が祖母であらせられるのにか!?』
『本当なので御座いましょうな!?』
「誠だ。因みにだが、近親交配を繰り返すと身体や精神に異常が表れ、短命である事が多い。ポルトガルの王家とスペインの王家は血が濃いのではないか?」
『そ、それは……』
(ま、言えぬだろうがな。だが、歴史は物語っている。セパスティアン王の祖母も母も出自はスペイン王家。おそらくは曾祖母も。ヨーロッパの王家は血が濃過ぎると有名だからな)
「ここで考えても仕方があるまい。国許に急ぎ伝え、対策を練らせれば良かろう」
『た、確かにそうですな』
そもそも、俺にとってはポルトガルがスペインに併合されない事が大事。
何故ならば、”太陽の沈まぬ国”など誕生されては困るのだ。
世界が混沌としているからこそ、俺の目指す”天下治平”が成るのだから。
さて。
ポルトガルの船団が那古野大湊を去ったあくる日。
現代人の俺からして不可思議な報せが齎された。
それは、
「なに? 美濃の斉藤が一色を名乗っている、だと?」
であった。
(この時代では稀に良くあるらしい。が、未だ現代の感覚が残る俺からすると、家名を変えるとか……本当に訳が分からん。ゲームでもそんなイベント無かったよな? 尤も、最新のゲームまでは知らんが……。だが、一色ってまさか……)
すると、
「信行様! これは一大事に御座いまするぞ!」
「左様! 大事じゃ、大事!」
途端に、家老らが揃って色めき立つ。
それもその筈、一色氏は嘗ての三河国や尾張国二郡の他四カ国、計五カ国二郡を統べる大守護。
加えて足利氏の氏族であり、室町時代から続く”名家”であったからだ。
やがて、前田利久が俺の前にスッと進み出る。
彼の役目は軍略衆筆頭。
加えて、美濃に派遣した間者の一人、多田野又左衛門(前田利家)の実兄であった。
「信行様!」
「申せ」
「はっ! 覚えておいでかと存じまするが、公方様の使者が稲葉山に度々現れておりまする」
「うむ、間者の一人が申しておったそうだな」
「ははっ! 加えて、更には浅井の手の者も見られるようになったとの事で御座いまする」
「何と! それは誠か!?」
「左様に御座いまする!」
当初は織田家にも参っていた、上洛要請の類かと考えていたのだが……如何やら違うらしい。
更に、長年美濃斉藤氏との小競り合いを繰り返してきた浅井の動勢がそこに加わる。
美濃の斉藤と北近江の浅井が使者を交換しているのだ。
その意味するところは、”講話”?
(あれ? 俺、何か忘れてる? 浅井って……当主は浅井長政……もとい、新九郎だよな……。噂によると超肥満児らしい。それもあって、史実とは異なり、於市との縁談も進めなかったんだよなぁ……。美濃を攻める時には協力しあうだけに止めて。あれれ? まさか……その所為?)
と言う事は……
「美濃が後背を固め、尾張と事を構えようとしているのか?」
「その恐れが御座いまする」
「うーむ……、これは……」
(予定外、だな)
俺は脇息に身体を預け、暫しの間考え込んだ。
(当初の予定では竹中重治が稲葉山城を乗っ取ったのを確認した上で美濃に電撃侵攻、稲葉山城に乗り込み、「もし我の軍門に降るならば、美濃の半分を御主に呉れてやろう」と言う積りだったのだがなぁ……)
「ふむ……」
(いや、よくよく考えれば、織田家が四カ国を斬り従えた時点でそれは有り得ないのか。史実では”今孔明”と持て囃される智謀、その様な愚策を取る筈が無い。……チッ、その流れは史実を知る俺が思い付いて然るべきだったな)
「となると……」
(相手の準備が整わぬ間に、美濃に侵攻すべきか? だが、そもそも、こちらも準備不足。いや、戦は可能だし、稲葉山を陥すのも容易い。が、兵の損耗と後の統治がなぁ……)
俺の頭に良い知恵は浮かばなかった。
そこで俺が縋ったのは、
「誰ぞ妙案は無いか?」
家臣らの知恵。
当たり前といえば当たり前の事であった。
刹那、
「されば、某から」
村井貞勝が声を挙げた。
彼は織田家の外交を担っている者の一人。
戦国時代における武家の諸事情、所謂ところの地政学に長けた人物である。
その彼が提示した案は、
「北近江の浅井が美濃に近づいたのであれば、信行様は南近江を治める六角と誼を通じるべきかと思われまする」
であった。
「ほう? 浅井の兵が美濃を援け様とする動きを抑える為にか?」
「それだけでは御座いませぬ。六角は近淡海(琵琶湖)の水運を抑えておりまする。即ち、信行様と六角が通じますれば、那古野と大坂からの物の流れを止め、浅井と斎藤を締め上げる事が叶いまする」
(成る程な。それに、浅井は元々六角の家臣から嫁御を迎えさせられるなど、臣従関係にあった。が、先の野良田における戦いで浅井が完勝。六角から迎えた娘を送り返すなどし、既に関係は崩れている。更には、浅井は越前の朝倉と臣従する形を取り、六角を脅かす構え。南近江の六角氏としては到底浅井を許す事は出来ぬ筈だ。それに加え……)
「思うに、此度の裏には公方様の影がチラつく。が、公方様と六角は嘗ては昵懇の間柄ではあったが、今現在問題を抱えている様子。手を組む相手としては丁度良い、という事か」
「左様でございまする」
そう、六角氏は仇敵である畿内の三好氏に働き掛け、公方様こと足利義輝の入洛を援けた。
が、足利義輝はそれに報いなかった。
それどころか、彼は三好長慶を重用した。
その結果、一月程前に公方様と六角氏との間で戦が起き、今や京の都は六角氏の支配下にある。
要するに、足利義輝はまた、戻ったばかりの居城を追われたのだ。
「公方様は都の南西を守護する”石清水八幡宮護国寺”に居を移したらしいな」
正直、俺は足利義輝の慌ただしい人生に同情を禁じ得なかった。
だが、それはそれ、これはこれ、だ。
今は新たに誼を通じるべき相手、六角氏が大事である。
「六角氏と与する利は理解した。しかし、三好は畿内を支配する、言うなればこの日の本の新たな覇王。如何に六角とは言え、公方様とその三好を敵に回しては危うかろうて」
俺は当たり前の事を指摘した。
すると、村井貞勝が訳知り顔で、
「ところが此度の六角氏の動き、河内国と紀伊国の守護を務めまする畠山氏と計りし物で御座いもうした」
と答えた。
「それはつまり、三好が南と東から挟撃されたと言う事か?」
「左様に御座いまする」
俺はそこまで聞き、とある史実に思い至る。
(あれ? これはひょっとして六角が三好に降る契機となった戦いの前哨戦か? だとしたら、六角と手を結ぶのは拙いな。まぁ、一応確認しておくか)
「貞勝、一つ確認だ」
「何なりと」
「一連の戦いで三好長慶の実弟、三好実休が討ち死にしてはおらぬか?」
「その通りに御座いまする」
(確定か。となると、この後に起こるのは教興寺の戦……か……)
教興寺の戦い、それは畠山氏が三好氏に敗れ、畿内の覇権が名実ともに三好氏に移る一連の出来事の”天王山”である。
確か、六角勢が参戦せず、畠山勢がボロ負けした筈。
そして、その戦いが起きるのは一月後の五月中頃。
尤も、史実通りであるならば、ではあるがな。
それらを踏まえてだ。
織田家がどう振る舞うか、なのだが……畿内の戦に参戦する訳にはいかない。
何故ならば、遠いからだ。
それに加え、直接的には何のメリットも無いからだ。
有ったとしても、大した物では無いだろう。
それに、史実を大きく変えたくは無い。
俺の知る歴史と大きく異なると、”熱田様のお告げ”の効力が著しく落ちるだろうからな。
ならば……
「ではこうする。六角氏と誼を通じるのは畿内の争いが落ち着いてからとする。具体的には五月下旬だ」
「そ、それはつまり、三好氏と畠山氏、六角氏の戦が止むと言う事で御座いまするか?」
「その積りで言うておる」
俄かに騒がしくなる評定の間。
「ま、まただ……」
「やはり先を見る目は確か!」
「流石は信行様!」
俺はそれに気づかぬ振りをして、言葉を続けた。
「窮状に喘ぐ六角氏に手を差し伸べる。それまでは美濃との国境をしかと守れ!」
「ははっ!」
俺の家老らが一斉に平伏した。
◇
美濃国 稲葉山城 城下 竹中屋敷
婦人の如き男が、六尺もある武士を前にして、
「はぁ……」
深い溜息をついていた。
「如何した、重治殿。嫁御の事でお悩みか? 彦を為すには、重治殿が堪えねばならぬらしいですぞ?」
「いや、その事では御座らぬ。が、堪える?」
「左様、堪えるので御座る。拙者、生来より堪える事が得意では御座らぬが故に、初めての子は娘で御座る。して、本題は?」
「松殿は数えで十三歳……いや、その事では御座らぬ。時に利久殿は壮健ですかな?」
「最近はとみに忙しいらしく、手紙も書いて寄こしませぬ」
「左様で御座るか」
この時、竹中重治は大きな悩みを抱えていた。
それは自らの主君が一色氏を名乗り出した事と関わる事柄であった。
「あれ程、お諌め致したのに……」
そう、彼は自らの主君である斎藤龍興が公方様こと足利義輝の御相伴衆に任ぜられる事に対して、反対したのだ。
嘗ての主君であった斎藤義龍に対するかの様に。
しかしそれは、過ちであった。
何故ならば、彼はそもそもだが嘗ての主であった斎藤義龍、その後を継いだ斎藤龍興とは親しくなかった。
もっと言えば、信頼を勝ち得てなかった。
にも拘わらず、彼は正面切って反対をした。
しかも、居並ぶ家老らの前で。
斎藤龍興が俄かに色めき立ったのは当然と言えば、当然であった。
「ははぁ、”一色龍興”様、の事で御座いまするな?」
竹中重治がその問いに答える事はなかった。
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--更新履歴
2016/08/24 輸出品目にエリクサー追加。信行の一部文言(畿内の情勢に関して)等を修正




