#054 南蛮人、那古野大湊に現る!(2)
筑前国 博多津(博多)
昼下がり。
博多で一、二を争う雅な屋敷のその奥。
寂れた感じの東屋の中で二つの人影が顔を寄せ合い、談笑していた。
「いやー、愉快、愉快! さて、話を変えるが……南蛮人の大船団がここ博多津を素通りして何処かに向かった。神屋、何処だか知っておるか?」
一人は壮年の侍。
彼は見るからに上等そうな衣装を身に纏っていた。
「いえ、寡聞にも存じませぬ」
そう答えたのは初老の男。
「ふふふ、博多津きっての大商人、神屋紹策でも流石に知らぬのか」
彼もまた、豪奢な着物でその身を包んでいる。
「お戯れを。私めの知り得る事は、ほんの僅かに御座いまする」
「毛利と繋がるお主がそれを言うか。商人とは、げに業の深き生き物よのう」
「これはこれは。一本取られましたな。して、何処に……」
「なんだ、誠に知らぬのか? これは驚いたな。対価に何を所望しよう?」
「されば……門司……など如何で御座いましょう」
「ふっ、毛利に繋がる御主がそれを口にするか。が、それは言うても詮なきこと。良かろう、そこまで言うならば、教えて進ぜよう」
「過分なご配慮、有り難き幸せ」
神屋紹策はニヤリと笑った。
「重ね重ね、言うてくれるわ。ま、約したから伝えるが、あの船らはな”那古野”に向かったのよ」
「那古野? あの……尾張の?」
「左様。”東海一の弓取り”、織田勘十郎信行が治めし”那古野”へな! 何でも、南蛮人が欲して止まぬ代物が那古野にあるらしい」
「そ、それは誠で御座いまするか! もしや、それは”銀”では御座いませぬか!?」
神屋にとって銀の商いは死活問題。
それ故に、彼は取り乱した。
「何だ、その事も知らなんだか。対価には今少し、色を付けて貰わねばならぬのう」
「お、お戯れを。臼杵鑑速様もお人が悪う御座いまするなぁ」
「商人ほどでもないがな」
今度は臼杵鑑速がニヤリと笑う番であった。
◇
アンドレス・デ・ウルダネータ提督が織田信行と初めて対面した翌日。
艦隊の船乗りらは十数名で一組となり、順次、那古野大湊への上陸を果たした。
「ここがハポンか! まるで祖国の街並みだな!」
船乗りは検疫における面倒も忘れ、港町に繰り出す。
その手に渡されたばかりの”ナゴヤ観光冊子”を握りしめて。
多くの船乗りが真っ先に向かったのが、
「乾杯!!」
飲み屋であった。
船乗りはナゴヤ観光冊子から千切った”券”を渡し、それと引き換えに酒を手に入れていた。
「美味い! これは祖国のワインに匹敵する美味さだ!」
「この澄んだ水の如き”ショーチュウ”も中々いけるぞ! 一瞬、喉が焼けるかと思ったがな!」
「クッソ! このチーズ、憎たらしい程うめーなぁー!」
「ハムもあるぞ! おいおい、ここは本当に東アジアの果ての島国なのか!?」
「全くだ! ハポネスの奴隷を集めただけの、メキシコの街と言われた方がしっくりする!」
「違いねぇ!」
多少のいざこざは起きたものの、那古野大湊の飲屋街は昼間から大盛況であった。
酒に強く無い者、日の本の地に強い興味を惹かれた者は腹を軽く満たした後、別の区域へと那古野大湊の通りを練り歩いていた。
「おい! あ、あれを見てみろよ!」
「何だよ? ……なっ! お、男と女が交わってる本!? な、何だこれは!?」
「分からん。分からんが……」
男の喉がゴクリと鳴った。
「無性に欲しい……」
「おいおい! 買ってどうするつもりだよ?」
「どうするって……使うに決まってるだろ? やりたくなる度に子供を犯すのは気の毒だからな」
そう、この当時の軍船には一定数の下層階級や原住民の子供が雑用係兼パウダー・モンキー(火薬運び)として雇われ、乗船していた。
当然ながら、その少年らは閉鎖された船内のヒエラルキーでは最下層に位置していた。
故に、船乗りの性処理として力づくで犯されるなど、当たり前の事であった。
「それに、雌山羊とするなんざ、真っ平御免だね」
「確かにな」
ちなみにだが、女が船員として乗る事は滅多にない。
いや、乗員名簿に載る事は稀であった。
その理由は、言わずもがな、である。
「おいおい、見ろよ! 男同士のもあるぞ!?」
「ひぇー! 宣教師共が見たら発狂するな!」
「何でだよ?」
「僕達の秘密を覗くな、てな」
「ぷっ! そりゃ、違いない! 彼奴ら”これは禁忌だ! 禁忌なんだ!”と叫びながら、楽しむらしいからな!」
船乗り達はそう嘯きつつ、気になる錦絵本を幾つも手に抱え始めた。
絵巻物に興味を示さなかった者、または目に入らなかった者は更にその先にある、”那古屋納屋市”の店に居た。
その多くが、何故か船大工を兼ねる船乗りである。
彼らは店先に展示された品を前に、おもちゃを目にした子供の如く目を輝かせていた。
「おい、何だよこれ?」
「分からねぇ。分からねぇが凄い物だって事だけは分かる」
「ああ、俺もだ。俺もそれだけは分かる。だが……」
「……分からねぇ物は分からねぇ」
それは現代で言う”手押しポンプ”。
そんな彼らを見兼ねたのか、店の者が試しに動かせてみせる。
呼び水を注ぎ、暫くハンドルを上下に動かしていると……
「……み、見たか?」
「ああ、俺はしっかりと目にしたぜ」
「水を吸い上げたよな?」
「ああ、間違いなく吸い上げていた」
「なぁ、これって……」
「ああ、船底の水を汲み出すのに最適だ。いや、それどころじゃ無い……気がする」
「お、俺もだ。俺もそれどころじゃ無い気がしていた……」
船乗りは滲み出た額の汗を拭い、
「ほ、他のも見てみるか。ま、これ以上の代物が有るとは思え無いがな」
店の中へと足を運ぶ。
すると、彼らが店内で最初に目にしたのが屋根に乗せる”太陽熱温水器”であった。
「……何だ、この青銅の筒は?」
「まただ。また分からねぇ物が現れた。そして、その分からねぇ事実が、兎に角恐ろしい……」
この後、船乗りらは店の中へ足を進める度に、顔色を白くしていった。
軽く飲んだ後、直ぐ様女を抱きに行く船乗りもいた。
そんな彼らが向かった先が遊郭街。
那古野大湊を訪れる船乗りが決まって訪れる場所、その一つであった。
とある船乗りは遊郭の一つを訪れた。
彼は出された強烈な匂いを醸し出す酒を飲みつつ、女を物色する。
そして、
「良し決めた! 俺はあの女にする!」
”ナゴヤ観光地図”から券を切り取り、選んだ遊び女に手渡した。
遊び女はそれを胸元に挟み、ニコリと微笑み返す。
そして、船乗りの手を取り、遊郭の階段へと誘うのだ。
その後、淫靡な部屋の中、言葉の通じぬ二人は一つとなる。
その前に再びあの臭い酒を飲む必要があったのだが、待ち焦がれた一戦を前にした船乗りにとっては些事であった。
そして、遊郭を訪れた者の多くが病知らずとなったのも、誠に些事であった。
そんな彼らの一部始終を覗く目がある事も、全くの些事であった。
アンドレス・デ・ウルダネータは悩んでいた。
枕元に無造作に置かれた聖書に続き、朝食時に手渡された那古野大湊の地図が差し込まれた冊子の所為で。
彼の瞳には疲れの色が有り有りと浮かび、大きな隈が目元に沁み着いている。
そんな彼に対し、気軽に問い掛ける者がいた。
「どうされました、提督?」
それを許される者は無論、彼の腹心の部下だけである。
「お前か……丁度良い、これを見てくれ」
「港町の地図ですね。それが何か?」
「いや、有難い事に一々スペイン語で様々な注釈が記されている。お陰で、どの店で何が行えるか一目瞭然だ。ただし、一つの店を除いてはな」
「一つの店? それは一体……」
「これだ。Bancoと記されているのだが、何が何やらサッパリ分からぬ。お前、知ってるか?」
「Bancoですか。いえ、寡聞ながら存じませぬ」
「であろう? が、この地図には当たり前の如く記されている。それを、お前はどう見る?」
「どう見るも、何も。ただ、間違えたのでは?」
「何と? 花壇(bancal)とか?」
「または、破産(bancarrota)ですね」
「そんな店があると思うか?」
「……いえ、思いません。ただ……」
「ただなんだ?」
「ジェノバでは長机の事をbancoと言うと、耳にした事が有ります」
「だから?」
「さあ?」
アンドレス・デ・ウルダネータは「だろう?」と身振りで示す。
結局、彼には”banco”が何であるか、皆目見当がつかぬまま、那古野での時は過ぎるのだ。
その間、彼の心には去来する幾つもの思い。
その一つは「我々の知らぬ言葉を、何故か尾張の王が知っている……」であった。
◇
南蛮人が那古野大湊を訪れた三日目の午前。
俺達は二度目の商談に臨んだ。
「船乗りの多くは那古野大湊を満喫された様だな。我は嬉しく思う。だが、アンドレス殿。其の方は何やら体を壊したのか? 顔色がちと優れぬようだが……」
『いえ、そのような事では御座いませぬ。お気遣いなく……』
「で、あるか。なれば早速だが、対価として頂くであろう船の諸元を知りたいと思う。特にガレオンとキャラック、および大砲の違いだな。それに最新の大砲であるか否かも大切である」
『さ、最新の大砲!? 恐れながら、貴方様は我らにおける最も新しい砲の名称をご存知なのですか?』
「ん? 確か、カノン砲やカルバリン砲と申すのでは無かったか?」
『うっ……そ、その通りで御座います』
そして、俺は商談の冒頭から勝利を確信した。
何故ならば、アンドレスが胃の辺りを仕切りに摩っているからだ。
恐らくは心労による胃痛。
彼は元々修道士であったと聞く。
腹を探り合う商いなど彼には不得手であり、重荷でしかない。
その為、体調を著しく崩したのだろう。
俺はそんな彼を慮る事なく、
「では早速見せては貰えぬか? ポルトガル人共が明日にもやって来るやも知れぬからな」
言葉で尻を叩いた。
ガレオン船を初めて至近距離で見た俺の感想は、
(宮城で見た”サン・ファン・バウティスタ号”に似ている!)
であった。
そして、肝心の大砲だが、
『カノン砲が十四門。カルバリン砲が船首と船尾に四門ずつの計八門で御座います』
も配備されていた。
そして、試射して貰った結果判明したそれらの最大射程は、
「林弥七郎、カノン砲は如何程であったか?」
「はっ、およそ十町程かと」
「……一キロメートルかぁ」
『キロメートル? なんだ”キロメートル”とは?』
『いや、このトーレスもハポンに参って長いのですが、初めて耳にする度量で御座います。日の本では”リ(里)”や”チョウ(町)”を用いるのが普通で御座います』
「カルバリン砲は?」
「少なくとも一里は優に飛びまして御座いまする」
「つまり、四キロメートルから五キロメートル? 凄いな!」
であった。
『ま、またキロメートル……。何なんだ、一体……。そして、何故一々置き換える?』
「だが、戦に用いるなれば、その半分以下と考えた方が良かろうな」
「はっ! ましてや海の上では揺れが酷く、距離が有れば有る程当たりにくう御ざりますからな」
「しかし、それでも我には十分よ」
俺は「ガレオン船が引き渡されなくとも、大砲だけは頂きたいものよ」、”商談の落とし所”を匂わせた。
そして、俺達は伊勢湾を回遊するガレオン船の上で半日を過ごした後、再び商談の席に着く。
しかし、実際のところ、回遊する間の会話で大凡の条件は詰められていた。
後は細部を突き詰めるだけ、である。
「ふむ、どうしてもガレオンを引き渡して貰えぬのか?」
『はっ! スペイン副王より借り受けた最新式の軍船。故に……』
俺はアンドレスの言葉を遮った。
「沈んだ事にすれば良かろう?」
『そ、それでは乗っていた船乗りの多くが祖国に帰国出来ませぬ!』
「いや、那古野を随分と気に入った船乗りらがいると聞く。その者らを船と共に沈んだ、と言う事にすれば良かろう?」
『それだけは平にご容赦を!』
「だが、それでは話にならぬのう」
俺は大きくため息を吐き、難しい顔を形作る。
押してもダメなら引いてみる、を意識しながら。
「ふむ、埒が明かぬな。また、幾日か開けて……」
『お、お待ちください! ガレオンは渡せません! が、大砲は引き渡せます! 大砲を外したキャラック三隻とガレオン三隻分の大砲! それらを対価として、受け取り願えませんか!?』
(キャラックから大砲を外す? 成る程、ガレオンに積み替えるのか。それは良い。キャラックの大砲は随分と旧式の様であったからな)
俺は内心ニヤリと笑うも、裏腹に困惑した風に装った。
「しかし……アレらは随分と疲弊した船。直ぐに沈んでしまうのではないか?」
『懸念は承知しております。そこで、那古野に幾名かの船員に降りて貰います。無論、その者らの中には操船に詳しき者もおります』
「それらは対価としてか?」
『勿論です!』
アンドレスは懐から新たな手札を切った。
だが俺は、更なるカードを要求する。
「ふむ……」
『何か?』
「いや、何。船乗りらが那古野に留まるのは良いのだが……」
『お困りごとが?』
「左様。お主らの言葉を介する者がおらぬ。故に……のう?」
『御懸念は無用。ここにおられる宣教師は日の本に残る事を望んでおります。彼らならば必ずや貴方様のお力になる筈』
「それはつまり……デウスを教えを伝えし宣教師らも、船乗り同様那古野に残る、そう申されるのか?」
『如何にも!』
俺はその言葉を受け、今度は宣教師に顔を向けた。
宣教師の名はコスメ・デ・トーレス。
現地の文化に溶け込みつつ布教する、所謂”適応主義”に基づき活動してきたらしい。
「筑前に戻れぬやも知れぬが、良いのか?」
『そ、それが主の思し召なれば……』
「そうか! お主も対価として我の物となるか!」
『……えっ?』
俺は戸惑うトーレスを余所に、アンドレスと再び向き合った。
「良かろう! 太平洋航路の中継地となり得る島々と引き換えに、キャラック三隻、ガレオンに積みし全砲門、加えて船乗りと宣教師を頂こう! これで商談はしまいじゃ!」
『有難う御座います!』
こうして、スペイン人との初めての商談は円満にまとまった。
だが、真に大変なのはこれからである。
ガレオンの砲門を僅かな期間で降ろし、キャラックに積まれた砲門の半分をガレオンに積み変えねばならなかったからだ。
そして、その作業には随分と手古摺り、都合十日程要したのであった。
◇
那古野大湊を去る三隻のガレオン船。
船内はさながら鮨詰め状態、であった。
それもその筈、五隻分の船員が三隻の船に振り分けられ、乗船しているのだから。
その最中、とある男が自らの個室で書を認めていた。
「あれは書いたな? おぉ! あの事も書かなくては!」
この者の名はアンドレス・デ・ウルダネータ。
那古野大湊を訪れし艦隊の提督であった。
彼の瞳は黄色く濁り、大きな隈で縁取られ、整えられたばかりの筈の髪が乱れ、唇は見るからに荒れ、ピクピクと痙攣している。
そんな彼に対し、
「何を書かれているのですか?」
アンドレスの腹心の部下が問た。
すると、彼は書き進める書状から目を離す事なく、手を休める事なく、答えた。
「分からんのか! 副王閣下への上申書だ!」
「そ、それはもしや……」
「あぁ、”ハワイ”なる島々の発見に関わらず、アレを討つ! 俺はそう進言しておるのだ! その様な思いに至った経緯を事細かに羅列してな!」
「やはり、危険だとお考えですか!」
「当たり前だ! アレは化け物だ! 俺は那古野大湊やその外に出た船員の全てから聞き取り、そう確信した! あんな者が居てはならん! アレは”天才”などでは決してない! そして神の恩寵を受ける者、それが未開の蛮族であって良い理由等、異教徒で良い理由等何一つ無いのだからな! そう! アレは悪魔だ! アレは悪魔なんだ! 悪魔! 悪魔! 悪魔!!」
その間、アンドレスの手が休まることは、アンドレスの目が書面から離れる事は一度もなかった。
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