#053 南蛮人、那古野大湊に現る!(1)
永禄四年(西暦一五六一年)、四月上旬。
那古野大湊に南蛮船が初めて寄港した。
この出来事は様々な変化を世界に齎した。
また、とあるスペイン人が一人の異邦人に魅入られ、その生き方を変えざるを得なくなった。
その変化はまるで、悪魔に取り憑かれたかの如く。
事実、この日以来、そのスペイン人の背後にはニタリと嗤う、悪魔の如き異邦人が見え隠れしていたのだから。
◇
壮年のスペイン人が自ら指揮する艦隊を率い、那古野を目指していた。
彼の名は、アンドレス・デ・ウルダネータ。
スペイン帝国ヌエバ・エスパーニャ副王領より命じられるがまま、ルイ・ロペス・デ・ビリャロボスが見出した”フェリペナス諸島”に遠征隊を率い、東アジアに赴いた男である。
本来ならばマゼラン提督の切り拓いた航路を確認し、フェリペナス諸島統治の基盤を設けた後、そのままヌエバ・エスパーニャ副王領へ戻る筈であった。
しかし、それは為されなかった。
何故ならば、
「提督、本当にメキシコとハポンの間に島が存在すると思われるのですか?」
「可能性は高かろう。何でもその”アツタサマ”は数々の預言を的中させたらしいからな。聞く所によると、最近ではとあるハポネスの大領主が死期、それをぴたりと言い当てたらしい」
であったからだ。
アンドレスは腕を組み、背を椅子の背にもたれ掛けた。
彼は足をテーブルの下に投げ出し、手にはワインの注がれた杯を握っている。
「無論、鵜呑みにした訳では無い。先ずは”アツタサマ”とやらを目にしてから判断するつもりだ。それに、本国にお伺いを立てた便りの答えがまだ届かぬからな」
アンドレスはそう述べてから、ワインを口に含んだ。
その直後、酒臭い空気が彼の口から音と共に漏れ出た。
「失礼。ただ、今一つの問題は早急に確認せねばならない」
「それは……聖書、にございますか?」
「その通り、件の聖書だ。真新しい紙に活版印刷技術を用いて刷られたと思われる、スペイン語で記された聖書、だ。だが、ハポネスがスペイン語を解するとは思えぬ。考えられるのは……」
「スペイン人が”アツタサマ”に協力している、と?」
「ああ、その通りだ。恐らく、宣教師の一人が、だがな。故に、ハカタからあの者らを乗船させたのだ」
「イエズス会、ですか……」
「ふふ、嫌そうに言う。我らの尖兵様だぞ? 侵略する国に入り込み、その地で内乱を煽り、我らの侵攻を援ける、な」
「しかし、提督はそれがお気に召さない」
「おいおい、滅多なことを口にするな。奴らは何処にでも忍び込むのだぞ? 我らの会話ですら、何処かで聞き耳を立てているやも知れぬ」
「確かにそうですな。尤も、そのお陰で本国とポルトガル海上帝国が栄えているのですがね」
「ふふふ、その通りだ。どうだ、お前も一杯やるか? 少し、カビ臭いがね」
「勿論、頂きます。カビ臭いとはいえ、ワインには違い無いのですから」
そんな二人の乗る、一際大きなガレオン船が艦隊の先頭に立ち、白い軌跡を後に残していた。
艦隊の規模は大きく、三隻のガレオンと同じく三隻ものキャラック。
だが、キャラックの多くは船体の表面に傷みが表れ、疲弊が目立っていた。
ちなみにだが、ガレオンとキャラックではガレオンの方が設計の新しい船種である。
その所為か、二つの船は見た目も大きく異なる。
船首が小さく細身なのがガレオンであり、船首が大きくガレオンに比べてずんぐりとしているのがキャラックであった。
無論、ガレオンの方が船足は速い。
艦隊は途中博多に寄港し、一人の宣教師と彼の従僕でもある盲いたハポネスを一人、船に迎え入れていた。
那古野なる場所にて新たに作られた”聖書”の真贋を確認して貰う為に。
艦隊は白波を切り、那古野へと向かっていた。
それから暫くしたある日。
「ナゴヤが見えただと!?」
アンドレスの率いる艦隊が、那古野大湊の面する伊勢湾の奥深くに進入していた。
「はっ! 間違い無いかと。宣教師らが得た情報通りに”ハカタとは明らかに異質な港町”が広がっておりますので」
「聞いた通りだ! 直ぐ甲板に出るぞ!」
そう口にしたアンドレスが急いで甲板に上がると、そこは船乗り達で溢れかえっていた。
彼らは皆、塩の吹いた臭い身体を肩で組みつつ、ナゴヤが見えるであろう陸地を指して笑っていたのである。
アンドレスはそんな彼らを突き飛ばしつつ、船首へと足早に向かった。
そして、船から身を乗り出す勢いで船首の先を眺めると、
「あ、あれがナゴヤ? 本当にあれがハポネスの作った町なのか? あ、あれではまるで……」
「ええ……、アドリア海の真珠と歌われた、ヴェネチアを彷彿とさせる町並みですな」
海にせり出した、白亜の港町が目に映えた。
それは彼らは初めて目にした、三和土(和製コンクリート)の色合いであった。
同じ色をした灯台が、音に聞くサン・マルコの鐘楼の如く、青い空に伸びている。
遠くに見える緑の山並みを背にし、春の日差しを受けた白い町が輝いていた。
アンドレスは生唾を飲み込み、
「東アジアの、未開の蛮族とは一線を画す民族だな……」
”アツタサマ”との交渉が難しくなる事を悟った。
だが、船乗り達は彼とは逆。
これまで目にしたアジアの蛮族とは明らかに趣の異なる町並みを目にし、期待に胸を躍らせていた。
艦隊に対し、那古野大湊至近の海上にて「錨を下ろせ」とアンドレスが命じる。
すると、その様子を見ていたのだろう、港から一艘の小舟が近づき、書状を差し出してきた。
中には拙いスペイン語で、
「”病気、確認。数名、降りる。検査する。動植物、持ち込み厳禁”。はて? 一体、どういう事だ?」
と記されていた。
しかも、所々スペルが間違っている。
これには、さしものアンドレスが頭を悩ました。
彼は那古野にスペイン語を解する、宣教師らがいると想定していたからだ。
加えて、
「何故、上陸するだけなのに病気を検める? その他の事も含め、意味が分からんぞ」
であった。
「……察するに、初めて目にする我らが恐ろしいのでは?」
「だからと言って、病気の確認とはどういう事だ? そもそも、病人などわざわざ連れて上陸しようなどと思わんぞ?」
「その真意を図るには、彼らに尋ねるしかないでしょう。更に付け加えるならば、我らは”アツタサマ”の真贋を見定めに訪れたのです」
「そうだったな。首尾よく済ます為に、暫くはハポネスにこの身を委ねる……か。気に食わんがな」
「それには私も同意します」
アンドレスはこの時そう口にしたのだが、直ぐ様後悔する事になった。
アンドレスは宣教師とそのお供を引き連れ、自身の護衛を含めた総勢十三名で那古野大湊に上陸した。
彼も流石に、彼を含めた数名での上陸は憚られたのだ。
その上、言葉による遣り取りが出来ぬ事を恐れ、長く日の本において活動をした宣教師とその従者を最初の上陸要員に含めた。
そしてそれは、杞憂でなかった事が直ぐに判明した。
アンドレスら一行が招かれた建物の中で突然身体を検められ、宣教師らが間に入れねば”あわや! ”と思われる事態となったからだ。
「ぶ、無礼者! おのれハポネス、いきなり何をするか!」
激昂した彼は思わず、腰に下げた剣を抜きそうになった。
それもその筈、彼はいきなり衣服を捲り上げられそうになったのだから。
すると、
「お、お待ち下さい! 従者が申すには、彼らは提督の皮膚の病を診る為に仕方なく振る舞ったそうに御座います」
連れて来た宣教師が慌てて言葉を発した。
「なんと! それは誠ですかな、トーレス殿?」
「はい、誠で御座います。何でも、皮膚の病がある者は薬の入った湯に、そうでない者は普通の湯に浸かり、長旅の疲れを落とすとの事」
「なるほど、分かりました」
アンドレスは一人得心すると、彼の引き連れた腹心と護衛らに対し、抗わぬ様手短に指示を出した。
「これで良いのか、トーレス殿?」
「恐らくは……」
「しかし、訳が分からんな。ただ港に上がるだけで、何故この様な事をする?」
「はい。私の従者が申すには、何でも異国からの病が那古野の地に入らぬ様、目を尖らせているとか」
「病に掛かっていると、港に入れぬのか?」
「いえ、そうではない様です。最低限の治療代わりに薬湯と薬を飲めば許されると申していたらしく」
「そうすれば病が治ると? ふむ。やはり、訳が分からんな」
アンドレスは幾度も首を傾げた。
そしてこの後、彼は”薬”のこの世の物とは思えぬ臭さに悶絶するのであった。
「酷い目にあった。お前はどうだった?」
アンドレスは自身の腹心に問うた。
すると、彼の腹心の部下は、
「何故か髪を整えられ、顔も当てられました」
とさっぱりした顎を摩りながら答える。
随分と久しぶりに目にする、年相応の若々しい顔がアンドレスの目に映った。
「お前もか? 私も湯浴み後、横になった寝台でいつの間にか、な。宣教師曰く、虱を取り除く為らしい。お陰で着て来た服も取り上げられ、その代わりに妙な服を着させられた」
二人は現代風に言うならば長ズボンに、木綿の長シャツ、その上にダウンベストと言う出で立ちである。
これらの品は南蛮人を迎えるにあたり、織田信行が直々に作らせた代物であった。
「はい。確かに妙な服ですな。しかし……」
「あぁ、悪くはない。特にこれは軽いにもかかわらず、暖かい。是非、本国に持ち帰りたい物だな」
困惑しつつも久方ぶりに人心地のついた彼らは、続いて案内された部屋で更なる混乱に見舞われた。
何故ならば、彼らの通された部屋には椅子とテーブルが並べられた、有体に申せば”食堂”であったのだが、その上に並べられた品々が、
「こ、これはまさか……”ワイン”か!?」
「そ、それにこちらには”チーズ”までもが!」
「いや、そもそもハポンの食卓で”パン”が並ぶとはな!」
「これは豚肉を焼いた物か? あぁ、生ハムもあるぞ!」
「この瑞々しい果物と野菜を見ろ! 久しぶりに新鮮な食い物を口に入れられるぞ!」
であったからだ。
しかも、これらは唯の、
「どうやら、これらは昼食代わりの軽食との事」
でしかない。
加えて、続けてトーレスの口から発せられた、
「皆様を歓待する晩餐会は会談の後、今宵に設けられる、とハポンが申しております。ですから、今は余人の人目を気にせず、好きに召し上がって良いそうです」
の言葉がアンドレスらを喜ばせる。
彼らは勢い良く、食卓に飛びついた。
◇
那古野城 二の丸 書院の間
俺は事細かに伝わえられる報せに、相好を崩していた。
「そうか! 南蛮人共が風呂を気に入ったか!」
「なんと! くさや汁を飲んだか! 何? 吐きそうだった? まっ、それは仕方なかろう!」
「何? 水鳥の羽が入った陣羽織を殊の外気に入った様子だと? 良し! 布団も羽毛の物にしてある。彼奴等の反応が楽しみよのう! そして、枕元には聖書。間違いなかろう!」
「やはり、用意した料理に喰らい付いたか! ワインを浴びる様に呑んでいるだと! 結構、結構! この後の会談が楽しみである!」
何故ならば、南蛮人の度肝を抜く事に成功したからだ。
何せ、彼らはスペイン人。
それも、相手が弱い存在だと知った途端、瞬く間に侵略する、文字通りの征服者だと思われた。
そんな彼らに力無き蛮族と侮られてしまう、それは尾張織田家の危機どころか、この日の本の危機でもあったからだ。
(尤も、今の俺に日の本の行く末など、積極的に考える余裕は無いけどな。精々、外国産の病気やら農作物やらを持ち込ませないようにするだけだ)
さて、問題はこれからだ。
如何にして南蛮人の身包みを剥ぐか、もとい、商談を成功させるかが重要なのだ。
その為の布石は打った。
後は直接顔を合わせ、言葉を交わすだけである。
そして、その時は直ぐに訪れた。
時刻にして、酉の刻(午後六時頃)。
西空に宵の明星、一際明るく輝いている。
会談の取り行われる”那古野大湊一望茶屋”は星明かりの下、静かに港の灯りを見下ろしていた。
『”アツタサマ”。この度はお招き預かり、誠に有難うございます。私の名はアンドレス・デ・ウルダネータ。遥か西方の地に御座います”スペイン帝国”から参り、今はハポンの遥か南方の地に拠点を設けている最中に御座います』
南蛮人との会談は、和やかな雰囲気の中で始まった。
それもその筈、彼らの心の渇きは癒されたばかり、飢えは満たされたばかりであったからだ。
俺が引き連れた家臣を前にしても、にこやかに微笑んでいる。
その様な空気の中、俺は冒頭から爆弾を放り込んだ。
「アツタサマ? はて、何やら勘違いしておるようだが、我の名は織田勘十郎信行。尾張織田家の棟梁であるぞ?」
案の定、会談相手を”アツタサマと名乗る司祭”と耳にしていたであろうアンドレスは顔を強張らせた。
彼の想定外であった所為だ。
『尾張国の国王!? これは失礼致しました! 平にご容赦を!』
彼は俺に頭を下げた後、彼の腹心であろう男に、
『一体これはどういう事だ!? 我らを呼んだ”アツタサマ”は何処にいるのだ!?』
怒りを含んだ声を静かに発した。
言われなき怒りをぶつけられた男も、
『いや、私に申されても……』
と困惑を口にする。
俺はそんな彼らに対し、
「ふふふ、許せ。我の遊びが過ぎた」
目を細め、
『では!』
「左様。我こそが”アツタサマ”の御名を借り、お主らを呼び寄せた者である。大洋に浮かぶ島々と引き換えに”軍船”と”大砲”等を得る為にな」
頷き返した。
『そ、そうで御座いましたか!』
「左様」
『失礼ながら……お伺いしても?』
「許す!」
『な、何故、斯様な面倒を?』
「何、神の使いを名乗れば信憑性が増すであろう? それに付け加えるならば、拙いスペイン語で書いたとはいえ、結果スペインが参るか、ポルトガルが参るか、はたまたイングランドが参るか、フランスが参るか、我には分からぬ。中には問答無用で攻め始める国もあると聞く故に、な」
(それに、それらの国が合同で参れば、計画が大いに狂う。ま、それは言う必要が良かろう)
だが、アンドレスは違う意味で俺の言葉に驚きを表した。
『なっ、何故それら国々の名を!?』
世界の片隅に存在する国、それも一領主でしかない者の口から、大陸を隔てた国々の国名が列挙されたのだ。
当然と言えば、当然の反応であった。
「ん? 何か違うたか?」
『い、いえ! た、確かに、そ、その懸念は理解出来ます……』
しぶしぶ同意して見せたアンドレスに、俺はニヤリと笑い返した。
「さて、お主らをポルトガル海上帝国から参ったポルトガル人でなく、スペイン帝国から参ったスペイン人と理解した上で問う。幾らで買うのだ、大洋に浮かぶ島々の位置を?」
そして、本題を唐突にぶつける。
問われたアンドレスは乱れた心を必死に落ち着けつつ、更には正確な値段を計る為に、俺に対して問いを繰り返し始めた。
『その島々は誠に存在するのでしょうな』
「無論だ。お主らスペイン人のみしか知らぬ筈の、泥棒諸島(マリアナ諸島)の位置を示しただけでは証明にはならぬか?」
『その島々の位置を売るのは我々のみで間違いありませんな?』
「左様。我が満足する対価を頂けるなれば、な。引き渡しに時間が掛るようであるならばその限りにあらず。十数日後に訪れるポルトガル人が先に知り得るであろう」
『ポ、ポルトガルが!?』
「ふふふ、何も可笑しくはあるまい。日の本にはポルトガル商人の方が多く訪れておるのだ」
『た、確かに……。で、では……その島々には何があるのですか?』
「楽園と呼ぶに相応しい景色、目にした事のない動植物、温厚な性格をした原住民。そして何よりも貴重な、船乗りがあらゆる宝を持ってしても変えがたき宝! 清浄な水が豊富にあり、然も容易く得られる。長き航海をする上で、これ以上ない代物であろう?」
『え、ええ……本当に……驚きました。加えて、まるで見て来たかの様におっしゃられる貴方様に……』
その言葉に、俺は思わず含み笑いを立ててしまった。
(見て来たも何も、実際訪れた事がある。遠い未来の、アメリカ合衆国の”ハワイ州”としてだがな)
俺のその振る舞いに、アンドレスが不快に感じたのだろう、
『な、何事ですかな?』
彼の眉間に溝が刻まれた。
「すまぬ、すまぬ。可笑しくて思わず、な」
『お、可笑しい? わ、我らを愚弄するお積りか?』
「いや、誠に相済まぬ。だが、その方らも悪いのだぞ?」
『何を!?』
「我が島々を訪れたかの様に、言うたたからだ」
『で、では、何故あの様に申された!』
「だから、その方らを呼んだ際に伝えたであろう」
『何をだ!』
「”アツタサマ”が島々の位置を御告げあそばされる、とな」
『そ、それは……』
「さて、次は我らの要求をお伝えしようかのう?」
『え、いや……』
「何だ? 信じられぬなら、今すぐこの場を去るがよい。先ほども申したが、”商い”はポルトガル人とも出来る故にな」
『それは……』
アンドレスは束の間考え込んだ。
彼の傍にいた副官然とした男が何事かを耳打ちした。
刹那、ハッとした顔を見せたアンドレス。
彼は瞬く間に落ち着きを取り戻し、
『分かりました。まずは、条件を伺いましょう』
と述べるにとどめた。
そんな彼に対し、俺は居住まいを正し、
「対価として、その方らが乗って参った船、その内ガレオン級軍船三隻貰い受けたい。無論、積まれた大砲ごとな」
さらりと伝える。
俺の口から出た言葉を、通訳を介し知り得たアンドレス。
彼は目を丸く見開き、続いて、
『ガレオン? 彼は確かに”ガレオン”と言ったのか?』
と通訳と腹心の部下に確認する。
その腹心の部下もまた、悪い夢を見ているかの様に顔を青ざめさせていた。
アンドレスはそんな状態に落ち入った自らの部下に対し、
『ガ、ガレオンは新造の軍船だ。引き渡せる訳が無かろう……』
自身に言い聞かせるかの様に話し掛ける。
言葉を掛けられた部下は、心ここに在らずと言った体を見せつつ、
『な、何故ハポネスがガレオンの名を……、はっ! いえ、無論ガレオンの引き渡しなど論外で御座います』
慌てて意識を正し、アンドレスの言葉を肯定した。
「困ったのう、それでは”軍船と大砲”を対価と決めた我らの意に沿わぬ」
『キャ、キャラックでは満足頂けぬのですか?』
「キャラックは、元は商船であろう? その証拠に砲門の数がちと少ない」
『そ、その様な事まで知っておいでか! し、しかし、心配は無用に御座います! 我らのキャラックはポルトガルがマラッカにて建造した船。それ程長くは航海しておらず、傷みも……表面には多々有りますが船の寿命に及ぼす損傷は有りません。対するガレオンは大洋を渡りし船。見えぬところが疲弊しているやも知れず、整備する技術が無ければ甚だ運用が難しいかと……』
(おいおい、見た感じキャラックは明らかに古いぞ。どうせ、廃船間際の船を買い叩いたんじゃないの?)
「ふむ、それは”見解の相違”だな。なればポルトガル人を待ち、その者らにも話を持ち掛けてみるか……」
『そ、それだけは何卒ご容赦を!』
俺は慌てふためくアンドレスに対し、優しげな眼差しを向けた。
『ヒィィ!』
(んだよ、化け物を目にした様な顔をして……)
「……ふっ、ちと戯れが過ぎた様だな。まぁ、今宵の商談は見事に物別れとなったのは事実。明後日の朝、今一度商談を交わそうぞ?」
俺の言葉に、アンドレスらがホッとした表情を見せる。
そして、
「では、晩餐へと向かおうではないか。ん? 船に残った船員に対して、上陸の許しを? その者らには明朝、お主らの口から”検疫”の事を含め、那古野における作法を伝えて貰わねば上陸させられぬ。我の治める”那古野”はちと”作法にうるさい地”故にな。さっ、呑みに参ろうぞ!」
南蛮人にとっての、那古野における初めて夜が更けていったのであった。
彼らは酒に酔うも、就寝するその直前まで驚きを禁じ得なかったのである。
◇
一方、
「主よ……我が主よ。どうか我らをあの”悪魔”からお救い下さい。どうかあの、オダノブユキなる者から我が信仰を、主への思いをお守り下さい。あれは……あれは……あぁあああ……」
「そんな、コスメ・デ・トーレス様が……」
宣教師と従僕だけは言葉に出来ぬ恐怖を胸に抱いていた。
彼らは夜の帳が明けるのを、今か今かと待ちわびたのであった。
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