#052 大過なき一年
南蛮人が運ばれたばかりの奴隷を見て、薄ら笑いを浮かべていた。
それらはポルトガル人から買い付けた、生きの良い奴隷であった。
そのポルトガル人が誰から奴隷を買ったかというと、キリスト教を信仰する領主である。
領主は攻め落とした地の領民らを奴隷とし、南蛮人に売り払っていた。
船底に窮屈に押し込められ、連れられてきた奴隷はどれも本国にいる我が子程の背丈ではあった。
だが、既に成人していると聞く。
しかし、奴隷の黄色い肌が彼と同じ”人”ではない、畜生の類である事を示していた。
男は薄ら笑いを浮かべ、奴隷らに視線を送りながら、自らの腹心に問いを投げ掛けた。
「ハポネス(日本人)が世界地図を所持していただと?」
「はい。それもマゼラン提督が発見した泥棒諸島(マリアナ諸島)の他に、我らが未踏の地についても記されているらしく……」
「それが事実であるならば、それらの地はハポン(日本)が先に見出した事になるぞ」
「はい……」
「我が国とポルトガル海上帝国との間で締結された条約は”東洋とブラジルを除く、未発見の地をスペイン領と見なす”という代物だ。だが、既にハポンに発見されていると言う事になれば……」
「ええ、ハポンが既に居ればハポンの地と認められるやもしれません。そして、ポルトガルはハポンの領有を企てております」
「……世界地図所持していたハポネスは?」
「取り逃がしたとの事。ですが……」
「何だ?」
「地図にはアメリカ大陸とハポンの間に”楽園”が存在すると記されていたらしく……」
「記されていた? 我らの言葉で? しかも、アメリカ大陸とハポンの間にか?」
「その様で」
「もしそれがアメリカ大陸に近い位置であるならば、とんでもない発見だぞ?」
「ええ。ですが、その位置を知りたければハポネスの”アツタサマ”を祀る司祭に対し、軍船や大砲を献上せよ、と。それも最も多く寄越した者に誰よりも早く教えると記されていたそうで」
「それも我が国の言葉でか? いよいよ、宣教師共が寝返ったか?」
「そこまでは分かりませぬ。ですが、スペイン人が一枚噛んでいるのは確かかと」
「それと……」
「まだあるのか?」
「はい、そのハポネスが真新しい紙に書かれた”聖書”を所持していたとか……」
「聖書を? ……チッ、些か面倒だな。仕方がない、ポルトガル商人を使ってでも急ぎ本国に伝えよ。如何に対応するかを伺え!」
「ははっ!」
総督の奴隷を見る目が、忌々し気なものに変わっていた。
◇
永禄三年(西暦一五六〇年)、十一月中旬 尾張国 美濃国国境
後の世に”永禄の飢饉”と称された不作が、不破関から東にある国々を襲っていた。
無論、不破関のある美濃国も同じだ。
程度の差こそあれ、酷い米不足、食料不足に皆喘いでいる。
だが、そうなる事を事前に見越していた者が美濃にはいた。
その人物とは美濃国の国主、斎藤義龍である。
彼は病身をおした領地検分の折、見るからに垂れない稲穂に危機を察知したのだ。
そして、慌てて尾張の米商人を美濃に呼び寄せたのである。
「米をくれ、いや米を貸してくれ」と頼むために。
尾張の那古野には米の取引所があり、諸国の米を取り扱い、納屋には米が唸るほどあると耳にしていたからだ。
だが、呼ばれた米商人の対応は素っ気なかった。
美濃の事は美濃の米商人の縄張りであり、自分達尾張の米商人には手を差し伸べられないと言ったのだ。
(そう言わせたのは、俺こと織田信行なんだがな)
そこで、斎藤義龍は美濃の米商人を呼び集めた。
彼らに尾張の米商人と取引を行い、美濃に米を行き渡らせてくれと頼んだ。
だが、彼ら美濃の米商人らもまた、難色を示す。
それは尾張国・那古野から美濃国・大垣を経て、斎藤義龍のお膝元である稲葉山城に至る美濃路と東山道の所為であった。
彼らは「途中通過する関で通行料を取られる為、十分な益を産みませぬ」と口々に言った。
加えて、
「他の商人共も那古野と稲葉山を結ぶ街道を望んでおりまする。どうか下々の意見に耳を傾けて下さいませぬか」
とまで言ったのだ。
(と吹き込んだのも俺だ。多田野又左衛門を使ってな)
さて、そうなると美濃国主・斎藤義龍の決断は早かった。
家臣の反対を押し切り、新たな街道の整備に着手した。
(特に強く反対したのが竹中重治だったらしいな。竹中重治は美濃の国府・稲葉山が尾張・那古野と街道一本で行き来出来るのが相当に嫌な様だ)
そして、瞬く間に那古野と稲葉山を結ぶ新たな街道が設けられたのである。
尤も、最大の難所である木曽川を渡る橋は尾張が受け持ったがな。
(それにしても、随分早く開通に漕ぎ着けた物だ。あの難工事が僅か五ヶ月弱で竣工を迎えられるとはな。それもこれも、普請奉行の丹羽長秀と陣頭指揮をとった木下藤吉郎のお手柄か。尤も、コンクリートと言う素材のお陰でも有るだろうがな)
俺は開通式に臨席しつつ、その様な思いに馳せていた。
隣には斎藤義龍の名代として参った、竹中重治。
彼は己の婦人の如き顔から一切の表情を消し去り、床机に腰掛けている。
俺はそんな彼にそっと囁いた。
「斎藤義龍殿の御加減は随分とよろしく無いらしいですな」
すると、先程まで能面の如きであった竹中重治の顔が、瞬く間に朱色にそまった。
「なっ! そ、その様な事は決してありませぬ!」
「ふふふ、これはこれは。されど、商人共が心配しておりましたぞ? ”美濃殿が今にも倒れそうな顔色をして御座った”とな」
「斯様な戯言! な、何者が申されたか! 某が手討ちにしてくれる!」
「ふむ? 今のこの時と限るならば、この織田信行ですかな? はてさて、竹中殿は某を手討ちに為されるのか?」
「くっ!? お、御戯れを……」
「ふふふ。まぁ、一旦落ち着きなされ。下々が見ておりまするぞ?」
俺の言葉に竹中重治は素早く辺りを確認する。
彼の目には今にも刀を抜きそうな尾張の侍と、同じく美濃の侍達と、更には急変した雰囲気に泡を喰った尾張と美濃の領民が映った。
「も、申し訳御座いませぬ、織田様。この事は何卒……」
「あぁ、構わぬ。問題にしようとは思わぬよ。此度は目出度い日であるからな。加えて、竹中殿はまだまだお若い。血気に逸る事も御座ろう」
(その延長線上に稲葉山城の占拠が起こる訳だしな)
「か、忝なく……」
竹中重治が申し訳なさそうに首を垂らす。
「良い、良い。それよりも橋を渡ろうぞ。織田家の当主である某と斎藤家の当主名代の竹中殿が渡らねば、その後に続く商人共が”一刻も早く荷を届けねばなりませぬ。早う御渡り下され”と喚きだす故にな」
「は、はは……」
自らの仕出かした事に萎縮したのか、竹中重治はか細い声で答えた。
◇
永禄四年(西暦一五六一年)、一月上旬 尾張国 那古野城 二の丸 書院の間
正月気分が抜けきらぬ中、俺は一人、大過なく過ごせた一年を思い返していた。
昨年はまず初めに、父である織田信秀の十男、俺こと織田信行から見れば十歳離れた腹違いの弟、が元服し織田信照を名乗った。
次にお市が子を孕んだ事が判明した。
暫くは津々木蔵人と二人きりが良いと言ってたのにな。
ま、実に目出度いことだ。
俺は両手を挙げて喜んだ。
慶事はそれだけではなかった。
織田家中に様々な祝い事で溢れ返った。
まず初めに、お市の一つ下の妹であるお雪が、かつての織田三奉行の一つ織田藤左衛門家は織田信直に嫁いだ。
次に、前田利益とお綾の間に男子が生まれた。
更には柴田勝家とお艶の間にもだ。
史実では全くと言って良いほど、子宝に恵まれない柴田勝家であった。
それが夫婦になって僅か一、二年で子を生した。
それもこれも、お艶に流れる織田家の血統、その特性なのだろうか?
……あながち否定できない。
何せ、俺の側室の一人であるお栄もまた、昨年は姫を産んだのだから。
(養子を入れて既に十四人の子持ち……か。このまま行くと、織田家どころか日の本における最多子記録を樹立しそうだな……)
そうそう、慶事といえば、今年は更に二人の妹が嫁ぐ。
お犬とお玉の二人だ。
お犬は佐治為興と、お玉は織田信成とである。
佐治為興の属する佐治氏は智多郡の西部を領し、昔から佐治水軍を率いていた。
今では、織田家の水軍筆頭として那古野大湊を中心に水運を担っている。
戦の折には兵糧の海上輸送を滞りなく務める等、巧も挙げていた。
一方の織田信成は従兄弟である。
正直、いとこ同士の結婚はどうかと思った。
だが、近親婚の禁止は三親等までと定めたばかりでもあり、また本人達の強い意向もあり、しぶしぶ許可した。
この時、いずれは四親等の近親婚も禁止にしよう、と俺は心の片隅にメモをした。
さて、昨年は別に良い事ばかりが起きた訳ではない。
昨年末には、織田と同盟を結ぶ北条氏、彼らが支配する坂東の上野国に長尾景虎が攻め入ったのだ。
北条は瞬く間に、沼田城、厩橋城(現前橋)を含む幾つかの城を落とされた。
更に、長尾景虎は厩橋城に腰を据え、坂東の大名やら地頭やらに北条討伐の大号令を発したのである。
当然ながら、同盟国である織田と今川は戦いに巻き込まれた。
尤も、後方支援と言う形でだがな。
那古野に集められた米を水軍の操る船に載せ、小田原に運び込んだのだ。
加えて、甲斐の武田からも同様の頼みが出た。
恐らくだが北条と連携し、長尾景虎が武蔵国に侵攻した際に挟撃をするのだろう。
俺は「米不足の所為で上方の米も値が高く、集めるのにも苦労しました」などと言いつつ、恩着せがましく糧食を運んだのであった。
そして……と思った矢先、人の足音が幾つも聞こえてきた。
どうやら、招集をかけた者らが参ったらしい。
俺は慌てて居住まいを正した。
此度は尾張にて新たに開発されつつある品々に関し、現状を確認する為に関係者を呼び集めた。
その一人である橋本一巴は鉄砲奉行。
火縄銃の改良を命じていた。
「信行様のお命じになられた通り、砲身に螺旋状の溝を刻み、所謂”腔施”を行う事で鉄砲玉を回転させる事が出来まして御座いまする。ただし、鉄砲玉の形が些か変わりまする」
と、橋本一巴は述べつつ、変わった形状の弾丸を俺に見せる。
それは形こそ俺のよく知るどんぐり状の弾丸では有ったが、底部が窪んでいた。
「これは?」
俺は窪みを目にし、首を傾げる。
「木栓を詰めまする。発火した際に火薬が木栓を押し広げ、それにより鉛玉が銃身に刻み込まれた腔施に食い込み、回転致しまする」
「で、あるか」
「それだけでは御座りませぬ。鉛玉の底部が広がる事により、火薬の発した力が鉛玉に満遍なく伝わり、より遠き的に当てる事が可能となりまする」
「ほう? 如何程の距離か?」
「的に当てるだけであるならば、十町(およそ一キロメートル)で御座いまする」
「いや、それはまた凄いな……」
俺は余りの事に、開いた口が塞がらなかった。
そんな俺に対し、橋本一巴は改めて平伏する。
その上で、
「恐れながら、この様な鉄砲は他には御座いませぬ。付きましては何卒お名をお付け頂きたく存じまする」
と彼は言った。
(名? 鉄砲の名付け親に俺がなるのか? そんな、何だか恐れ多い……とは言え、折角の機会だから良い名を付けてみたい。であるならば、信行筒? 違うな。織田筒も違う。なれば……)
「……ふむ、那古野筒でどうだ?」
俺は奇をてらう事無く、開発地の名称をもじった。
すると、橋本一巴は嬉しそうに、
「那古野筒! あ、有り難う御座いまする!」
と答えた。
俺は一頻り褒め称えた後、橋本一巴に薬莢の概念を伝え、
「薬莢?」
「左様、薬莢だ。一発分の火薬と鉛玉を纏めた……小さな筒……だな」
弾込めの簡便化を命じたのであった。
次は岡本良勝の番であった。
彼には”大砲”の開発を随分と前から命じてある。
それが漸く出来上がったらしい。
「砲身は三尺(九十センチ)、砲口は半尺。三和土(和製コンクリート)の砲弾であれば三町の遠きにまで届きまする」
岡本良勝は恐る恐る答えた。
俺はそんな彼に対し、
「でかしたぞ、良勝! 誠によう間に合うてくれたわ! お主の働きで戦のしようが大きく変わるであろうよ! いや、良勝! お主は間違いなく歴史を変えたのであるぞ!」
手放しで褒め称えた。
「いや、それ程までの事では……」
「何だ分からんか? なら、その内お主に分からせてやる。如何程の事を仕出かしたのかをな!」
「さ、左様で御座いますか……」
「であるから、もっと喜ばぬか! 何だ? 子供の様にはしゃいでいるのは我だけか?」
皆の目が丸く見開かれていた。
どうやら、国主にあるまじき振る舞いであったらしい。
(何だよ……。誰かこの昂ぶる気持ちを共有してくれよー。あぁ、これがアレか。”リーダーは只管孤独”って奴か……)
俺は心寂しく、居住まいを正した。
(よし、仕切り直しだ!)
その上で、
「岡本良勝……」
「はっ!」
「大義であった!」
「ははっ!」
「その上で申し渡す」
「何なりと!」
「先の大砲を”那古野砲”と命名する!」
「有り難き幸せ!」
何事も無かったかの様に、命名する。
そしてその後、直ぐ様他の開発報告へと移った。
(ふむ、バターにチーズ、それに猪肉の生ハムも上手くいったか。これなれば、南蛮人の歓待もそつ無く終えよう。彼奴等が度肝を抜く光景が目に浮かぶわ)
この日の開発報告会は滞り無く終わった。
次の日、村井貞勝、林秀貞、津々木蔵人ら織田家家老に加え、織田信広ら国宰、熱田神社の大宮司|千秋季忠、沢彦宗恩を呼び集めた。
俺からの議題はただ一つ、
「那古野銀行……に御座いまするか?」
であった。
「左様、”銀行”だ。銭が我らが領国内をあまねく行き渡った。だが、その所為で近頃は銭を狙う盗賊が多いらしい。特に大店の蔵に眠る金を狙ってな。そこで僅かな口銭と引き換えに銭を預かってやろうと思う。更には、必要とあれば裏付書を配布する」
「……はぁ?」
当然、誰も話に着いて来れない。
そもそも、銭を他家が預かる、と言う事が意味不明なのだ。
(あれ? まだ無理かな?)
俺は密かに、胸の内が不安で一杯となった。
そこで、別の切り口で攻めてみる事にした。
「粗悪な銭、ビタ銭、悪銭の類を数枚と引き換えに、精銭一文と交換も行う」
「ははぁ、両替商を我らで行う、左様に御座いまするな」
ここで林秀貞が理解に追いつく。
「左様。で、実はだ。蔵人、ここからはお主に頼む」
俺は津々木蔵人に説明を任せた。
その内容とは、
「はっ! 実は悪銭等銅銭の中には金やら銀が少量含まれておる事が分かり、また、それらを取り出する方も我らは有する機会が御座い申した。そこで信行様は市井からそれらを吸い上げ、金やら銀を取り出し、鋳直してしまおう、そうお考えになられたに御座いまする」
であった。
「そ、それは……」
皆、絶句した。
俺を見る目が「何て阿漕な事を……」と物語っている。
だがな?
「ふむ、皆反対か? されどこれは必ずや織田家が中心となってやらねばならぬ。我はそう確信しておる。故にまずは那古野で行い、順次、岩倉、犬山、岡崎、と言う具合に広げて参る所存だ」
俺は不退転の決意を表した。
こうなると、誰も異を唱える事など出来はしない。
強力なリーダーの役得である。
様々な課題を露わにし、次の議題へと移る。
それは、
「実は、公方様より御内書が届いた。内容は上洛を要請する物だが……実質は命令、だな」
であった。
俺の物言いに、真っ先に反応したのが村井貞勝。
彼は不安気に俺に問うた。
「恐れながら……信行様のお考えや如何に御座いまするか?」
「うむ! よう聞いてくれた! 俺は断ろうと考えておる!」
「そ、それは……」
村井貞勝は明らかに狼狽し始めた。
それもその筈、彼は織田家の外交を担っていたからだ。
すると、林秀貞が俺の言葉足らずを補うかの様に考えを述べる。
「恐れながら、表向きは飢饉などへの対応に忙しい、と言う事で御座いまするな?」
「あぁ、その通りである。公方様の頼みをあからさまに断ると角が立つでな」
それでも村井貞勝は蒼白となりながら、
「できれば、今少し穏便に……」
と言ってきた。
俺はそんな彼に対して、
「ふふふ、なれば……そうだな、”公方様と違い、織田信行は四カ国を営む故に些か忙しい”、と申し伝えよ」
「そ、それだけは!」
「戯け! 流石に冗談だ!」
「冗談が過ぎまするぞ!」
「いや、悪い、悪い。されば、貞勝。お主が上手い言い訳を考えておけ」
と命じた。
村井貞勝は、
「……ははっ!」
と恨みがましい目で俺を見るも、俺はそんな彼に対し、
「時には公方様にも一泡吹かせたい。お主もそう思うておったであろう?」
と笑みを返した。
すると、村井貞勝もまた、
「御意に御座いまするな」
俺に薄く笑い返す。
刹那、その時の様子を思い描いたのであろう、書院が皆の笑い声に包まれた。
そして、その日の最後、俺は千秋季忠の耳元に口を寄せ、
「斎藤義龍が死ぬ、と触れを出せ」
とだけ囁いたのであった。
ブックマークや評価を頂けると大変励みになります。
また、誤字脱字に限らず感想を頂けると嬉しいです。
ご贔屓のほど、よろしくお願いします。
--更新履歴
2016/12/02 田中良勝を岡本良勝に修正




