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#051 南蛮船

 時は永禄三年(西暦一五六〇年)、正月。

 尾張国那古野は未曾有の喧騒に包まれていた。

 領国となった三河、遠江、そして駿河は勿論の事、相模国や甲斐国、美濃国からも国使が訪れていたからだ。

 無論、尾張織田からもそれぞれの国に対し、使者が出ている。

 それも、多くの貢物と共に。

 百六十万石超を有する大名とは言え、この世は戦国。

 生き残りに向け、抜かりは無かった。


 さて。

 そんな賑わいの中、


「はぁ……。まだ来ないのか……」


 待ち合わせ場所に来ない恋人を只管(ひたすら)待っているが如く溜息を吐いているのが、尾張国の国主、織田信行である。

 彼はここ数ヶ月間、南蛮船の来航を待ち望んでいたのだ。

 だが……一向に来る気配がない。

 それもその筈、南蛮船にとって、いや南蛮人にとって、那古野大湊を訪れる利点が無いからである。


 そもそも、南蛮人が何を目的に日の本と交易を行っているのか、それを考えねばなるまい。

 まず第一に、彼らは日本各地の銀山(この当時は主に西日本)から産出される”日本銀”を目当てに訪れていたのだ。

 そして第二に、粗銅。

 まだ日本には広まっていない南蛮吹きを駆使し、粗銅から金銀を抽出していた。

 それら金銀を大陸の明で生糸や絹織物と交換し、日本に戻り再び銀やら粗銅やらを得る。

 南蛮人はそうして、利鞘を稼いでいたのであった。

 これが所謂ところの”南蛮貿易”である。


 時に、この当時の南蛮人とは何ぞや?

 江戸時代末期における南蛮人とはアメリカ、イギリス、オランダ、フランス、スペイン、そしてポルトガルの総称である。

 日本の南から船で来るから”南蛮人”と名付けたらしい。


 が、永禄三年(西暦一五六〇年)における南蛮人とは殆どがポルトガル人であり、スペイン人は極一部であった。

 何故ならば、ポルトガルは東南アジアの要衝マラッカを支配し、更には中国大陸は明よりマカオの使用権を得て、日本と明そしてポルトガル領間の交易を長きに渡り推し進めていたからだ。

 対するスペイン人が東南アジアに根を張り始めたのは極最近の事である。

 彼らはボルトガルとは逆に、メキシコから太平洋を横断し、西暦一五二一年フィリピンへと辿り着いていた。

 そして、フィリピンを東南アジアの拠点とし、活動し始めたところであった。

 以降、およそ二百五十年に及ぶ期間、スペインはメキシコ・マニラ間をつなぐガレオン交易を続けた。

 メキシコで産出される銀を東南アジアや中国から得られる産物に代え、その利鞘を稼いだのである。


 と長々と述べたが、以上からもわかる通り、南蛮船が那古野にまで来る道理が無いのであった。

 但し、”今はまだ”とだけ付け足させて頂く。





  ◇





 永禄三年(西暦一五六〇年)、一月中旬 尾張国 那古野城 家老詰め所


 昼餉の時間、室内に野趣あふれる葡萄の香りが広がっていた。

 その中に、仄かに匂うアルコール臭。

 以上の組み合わせから分かる通り、


「この様な代物を南蛮人共が?」


 俺は家老らと共に、出来たばかりの”葡萄酒(ワイン)”を試飲していた。

 そう、三河一向一揆の折、献上された葡萄葛(えびかずら)を元に、”造酒奉行”に作らせていたのである。

 ちなみにだが、彼ら造酒奉行が焼酎の蒸留を担っている。

 アルコール濃度の極めて高い、”燃える水”の生成も彼らの仕事であった。


「左様だ」


 俺は顰めっ面した柴田勝家に対し、頷き返した。


(いやいや、これでも飲みやすい方だから。はっきり言って、葡萄ジュースみたいなモンだから)


 と、俺は心の中で呟きつつ、


「南蛮人共にとって、葡萄酒は水より貴重なのだ。何と言っても水は直ぐ傷むが、葡萄酒は木の樽に封じれば何年でも持つ故にな。故に南蛮船には幾つもの葡萄酒の樽が水の代わりに積み込まれる」


 と訳知り顔に口にした。


(しかし、久しぶりに飲むと、これまた美味いのな。無性に生ハムやチーズが欲しくなる。いっその事、畜産奉行に開発を命じるか? どうせなら、チーズのついでにバターも作らせよう。ひょっとしたら帆立のバター焼きが食えるやも知れぬからな)


 尚、畜産奉行とは猪やら鴨やらの飼育を百姓らに勧め、支援する奉行所の事である。

 彼らによって、領国内における獣肉の流通は勿論の事、他国への販売も管理・制限されている。


「それにしても、拙者、未だに信じられませぬ」


 そう口にしたのは前田利益であった。


「何がだ?」

「いえ、南蛮人共が船に乗り何ヶ月も、いや時には一年以上も時を掛け船に乗り、旅をしている事に御座いまする。拙者の知る船なれば、那古野大湊から堺湊まで半月も掛かりませぬ」

「ふふふ、それはそうよ。日の本の国など、南蛮人にとっては東の果ての島々。彼奴等は我らが持つ船よりも遥かに大きく、遥かに船足の早い船を操り、唐国の遥か西にある国からわざわざ来ている故にな」


 俺の言葉にますます首を傾げる前田利益。

 すると、彼に代わり、斯波義銀が俺に問うた。


「そもそも、遥か西の国とはどれ程西に在るので御座ろう?」

「ふむ、丁度良い機会だ。家老である御主らには、我らが日の本の国の現状を話してやろう。まずは大雑把な位置関係だが……」


 俺は紙を取り出し、スラスラと一枚の絵を描いた。

 それは現代の者が見ればわかる、大陸と大きな島だけが描かれた”世界地図”である。

 勿論、日本はその中心にあった。

 尚、念の為だが、意図的に北海道は描いてはいない。


「この中心に描いた、小さな弓状の物が日の本である」


 と俺が言っても、誰一人信じない。

 それどころか、マレーシアを指差し、


「こちらが智多郡ではありませぬか?」


 と言う始末であった。

 だか俺は冷静に首を横に振る。

 そして、


「そこは南蛮人が最近攻め落とした”マラッカ王国”のあった場所だ。智多郡はこっちだ」


 と答えた上で、日本地図における知多半島を指差した。

 正直、それは在るか無いかも判らぬほど小さく描かれた”点”でしか無い。

 地図を覗き込む者らの顔がどれ一つとして納得している様には見えなかった。

 いやそれどころか皆、絶句していた。


 俺はそんな彼らに、更なる衝撃を与えるのであった。


「南蛮人共の国はここだ。彼奴等は西の最果ての国から大きく南に回り込みつつ、日の本まで僅か一年程で訪れる」

「馬鹿な……」


 誰かが正直な感想を零す。

 俺は鷹揚に頷くだけに留めておいた。


 それから暫くの間、沈黙が部屋を支配した。

 やがて、次に声を発したのは丹羽長秀であった。


「信行様、南蛮人共は何故、その様にしてまで遠き日の本にまで参るので御座ろう?」

「ふむ。我も良くは知らぬが、唐の絹糸や皿などを買い求めているらしい。日の本と唐との交易など唯のついでよ」

「ついで……」

「左様、”ついで”である。南蛮人共は唐の絹糸や皿……あぁ、肝心な物を忘れておった。そう、香辛料と呼ばれる代物を国許に持ち帰り、同じ重さの金と交換する。それが彼奴等の主な商いなのだ。我には想像だに出来ぬ商売よ」

「香辛……料?」

「あぁ、香辛料だ。中でも日の本では薬と知られる”コショウ”を有り難がり、こうして東の果てまで訪れては探している。訪れる地を征服しながら……だがな」


 そう、南蛮人はここぞと思う地を植民地として支配し、自らの富を増す為にその価値を知らぬ原住民を使役していたのだ。


「支配しながら……それでは、南蛮人共はいずれ日の本をも?」

「そうなるやも知れぬ。何せ奴らは火縄銃を産み出した者達だ。加えて、船足も速く、彼奴等の船に備え付けられた”大砲”は石垣を崩す程強力故にな」

「まさか……」


 俺は一様に青白くなる面々に目を遣りつつ、


(ま、実際は南蛮人共それどころじゃなくなり、日本の植民地化は起き無いがな)


 と一人で史実を思い返していた。




 その後、俺は二の丸に移動し、自らの書院に入った。

 極一部の者らと(はかりごと)をする為に、である。

 そこには今川氏真を含めた国宰らと、歩き巫女らを束ねる千秋季忠、村井貞勝、林秀貞、津々木蔵人らが呼ばれていた。


「早速だが、不要な城や砦の確認をしたい。如何か?」


 俺の言葉に、林秀貞が最初に答えた。


「国境の砦の他、犬山城、岩倉城、清洲城、そして那古野城を残し、他は破却。破却する城に用いられた部材を残す城に運ぶ様、指示いたしまして御座いまする」


 その後に、織田信広、織田信包、最後に今川氏真が順次同じく答える。

 俺は満足げに微笑み返した。

 その上で、


「運んだ資材を用い、城郭と城下町、それに港町を囲う壁を設けよ。当然、それだけでは足りぬであろう。故に、竹を骨組みとし、三和土(たたき)(和製コンクリートの名称)で塗り固めよ」


 と命じた。

 竹筋コンクリートに関しては一部の港湾で実績が在る為、誰も異を挟んだりはしなかった。

 だが、そもそもの目的に対し、懐疑的な声が上がる。


「しかし兄上、誠に城を壊しても宜しゅう御座いますか? 万が一、武田や北条が攻め寄せたならば、瞬く間に残された城に迫りまするが……」


 声の主は織田信包であった。

 俺は齢十八となったばかりの、実の弟に微笑み返す。

 信包は顔の造作が兄信長や俺に、非常に良く似ていると評判であった。


「なればこそよ。城も砦もなく、整えられた街道があるが故に、攻めては一目散に残された城に押し寄せる。乱取りなど、している暇も無くな。その分、我らの民は被害を軽んじられよう」

「ですが……」

「左様、残された城は無傷の攻め手によって攻囲されような。だが、よく考えて見よ。無傷なれば、その分糧食を必要とする。もって数ヶ月で攻め手の糧食は潰えよう」

「成る程! 流石は兄上で御座いまするな!」

「ふふふ、まぁな」

(最も、策はそれだけでは無いがな)


 俺は今一つ単純な織田信包に苦笑いしつつ、


「時に信広兄者、一向宗の僧兵共は如何した?」


 と問うた。


「うむ、信行様の申された通り、金子で雇う事に致した。今の所、三ヶ寺の警護や、帰農した国人衆らの木綿畑の開墾に使うておる」

「それが宜しかろう。あの手合いを放り出すと賊にしか成らぬ故に」

「左様、左様。尤も、見張る者は配しておるがな」


 俺達はそう言い合いながら、笑みを交えた。


 その後、暫くの間は各々の国における施策を論じ合った。

 やがて、一通り話し合った頃合、織田信包が難しい顔を面に浮かべ始める。

 織田信広がそれを拾った。


「如何した、信包?」

「いえ、南蛮人共の事を思うておりました。日の本の国々もいずれは、彼奴等の門前に轡を繋ぐ羽目になりはしないかと……」

「何だ、信包。話だけで怖気づいたか?」

「さ、左様な事は……」


 言葉とは裏腹に、答えた声に力は無い。

 俺はそんな信包に、


「然もありなん。日の本の国々を束ねたるよりも遥かに大きな国々を彼奴等は幾つも支配しておる。恐るは当然よ」


 と同意する。

 すると、信包は安心したのだろう、僅かに胸を撫で下ろした。

 その一方で、


「然るに、万が一の時、南蛮人相手に如何様に戦えば宜しかろう?」


 そう問うたのは、今川氏真であった。

 彼の無表情な面は、心無しか心配げである。


「ふむ、氏真が心配するは道理。だがその前に、我らは誰一人、南蛮人に会うた事がない。如何に戦うかは、先ずは相手をよう知ってからよ」

「されど、堺湊やら、筑前やら肥前やらにまで皆で行く訳にも参りますまい」

「そこよ。やはり南蛮人から那古野大湊に参って貰わねばならぬ。そこでだ……」


 俺はそこで言葉を区切り、津々木蔵人に視線を移す。

 彼は俺の意を汲み、懐から一冊の書物を取り出し、俺に手渡した。


「それは?」


 兄信広の言葉に、俺はただ、


「聖書だ」


 とだけ答えた。


「聖書?」

「左様、聖なる書。南蛮人の崇める神の教えが記されている」


 実はこの当時、聖書は聖職者だけて持つ事が許された、非常に貴重な書物であったらしい。

 史実において、聖書が庶民に行き渡るのは活版印刷が産み出された産業革命以降である。

 ところが、この尾張には、いや那古野には既に活版印刷の技術や浮世絵に用いたれる版画の技術があった。

 そして、偶然? にも俺は聖書を手に入れる事が出来た。

 後はもう、皆まで言うまい。


 ちなみにだが、史実における世界で最も売れた書物が何を隠そう、この”聖書”である。

 著作権など存在しないこの時代、俺による刷り放題であった。


 俺はその結果起こる事を想像し、思わず高揚する。

 その所為か、更なる計画を口走った。


「俺はこの”聖書”と”葡萄酒”、それに加え、この二つの大陸の間に存在する島、”常世の島々”のある大凡の位置を餌に南蛮人共を呼び寄せる!」


 舞い上がった俺は懐から先ほど描いた世界地図を開きく。

 その上で指し示した場所は、中国大陸と北米大陸。

 そう。

 その二つの間にある常世の島々とは……無論、イギリス人のクック船長が見出した、”あの島々”の事であった。


(クックックッ、スペイン辺りは太平洋航路を開拓している。尚更、この情報を高く買ってくれそうだ! 現地の人々? 新たな文明と交わり、急激に発展するなど、良い事尽くめじゃないかー)

「常世の島々?」

「左様、常世の島々だ。常に穏やかな光に溢れ、冬の如き寒さとは無縁の世界。極楽浄土を体現したと言えなくも無い島々だ」

「それが……この大陸? と大陸の狭間の何処かにある?」

「ああ。それを対価に、可能であれば南蛮船をせしめたいと思うておる。故に……」


 俺は声を潜めた。

 その上で、


「千秋季忠……」


 の名を小声で呼ぶ。


「はっ!」

「これに今少し文言を付け足す。それを歩き巫女に託し、南蛮人共にだけ見せよ。古くても構わぬ、船と大砲が少しでも多く融通してくれる者に、その場所を熱海大神が最初に伝える、と一緒に言付けてな。そう、期限は来年の四月じゃ」

「ははっ!」


 俺の言葉に命じられた千秋季忠が平伏する。

 その傍で、今川氏真が、


「然るに……信行様は何故、斯様な事を存じておられるのか?」


 と無表情に零したので、俺はニヤリと笑い、


「ふふふ、これもまた”天啓”よ」


 と適当にはぐらかしておいた。






  ◇






 美濃国 稲葉山城 城下町 竹中屋敷


「おお! 尾張からで御座るか!?」

「左様。尾張の兄上からで御座る。こちらが竹中殿が欲する、那古野で配られた”瓦版”の紙束。と、後は兄上からの軍略指示書で御座る」

「では、早速拝見致しても?」

「構いませぬ」

「成る程、次の手はこう来られましたか……」

「瓦版は後で宜しいので?」

「構いませぬ。瓦版は既に刷られし代物ゆえ」

「はぁ……」

「時に多田野又左衛門殿」

「何で御座ろう?」

「他国の家臣と通じるは重罪では御座らんのか?」

「重罪で御座る。されど、拙者の役目の一つに斎藤義龍が家臣の調略が含まれておりまする。それに最も相応しき場所が竹中殿。我が兄はそう申しておりまするゆえ」

「左様で御座るか。なれば心置きなく、某の屋敷に留まりあれ」

「夫婦共々、誠に忝ない」


 六尺を超す巨体が叩頭(こうとう)した。


「されど今一つ、某には役割が御座る」

「ほう? それは伺っても?」

「構いませぬ。やっている事は美濃の商人らに働きかけるだけ、で御座るから」

「ははぁ、例の”道路”と”橋”で御座るな?」

「左様で」

「織田信行様もなかなか……。我が主君は度々断りを出している筈で御座ろう?」

「如何にも。故に商人らに某が働きかけておりまする」


 その明け透けな物言いに屋敷の主人は思わず微笑んだ。


「やれやれ、御仁も困ったお方だ。人の懐に入るのが巧う御座る」

「何の、拙者の友にはまだまだ叶いませぬ」

「ほう? ちなみにその方の名は何と?」

「ふふふ、気になりまするか?」

「如何にも」

「されば名だけ。木下藤吉郎と申しまする」

「ほう? 聞いた事の無い名で御座るな……」


 屋敷の主人は思わず、首を傾げた。






  ◇





 山城国 本覚寺 将軍仮御所


 時の征夷大将軍、足利義輝は新御所の竣工を今か今かと心待ちにしていた。

 そんな最中に届いたのが、尾張の戦国大名織田信行の事が記された瓦版である。

 彼の家臣らが中に記された物を検め、その幾つかを彼の耳に入れた。


「惟政、”天下治平”とは何じゃ?」

「はっ! 世を良く治り、穏やかなる事を願った言葉に御座いまする……」

「戯けが! その様な物言いで余が誤魔化されると思うてか! 彼奴は明らかに、自らの力で天下を治めると申しておるのだろうが!」

「そ、その様な事は決して……」


 和田惟政には口ごもるしか術はなかった。


「ふん! 御主に聞いたのが間違いであったわ! 誰か! 誰か居らぬか!」


 怒気に溢れた声が暫くの間、本覚寺に響き渡った。

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