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#049 三河一向一揆

 俺こと織田信行はとある目的の下、幾つかの布石を打った。


 一つは所謂ところの”織田法度之次第”を定めた事。

 一つは幕府に働き掛け、自らの力で領国を治める”戦国大名”である事を世に知らしめた事。

 一つは官製瓦版を有償配布するという、広報活動を始めた事。

 一つは現代で言う所の交番を設け、十字弓を携えた山窩衆、河原衆に那古野城下と清洲城下の警備に当たらせた事。

 一つは山科言継に対して便宜(駅馬車の無賃乗車など)を図り、朝廷に対しては莫大な量の献上品と多額の献金をした事。


 すると、最初に喰い付いて来たのが、


「三河にて一向宗門徒が不穏な動きをしておりまする!」


 であった。

 これは何一つ意外な出来事では無かった。

 史実でも三河一向一揆は有名だ。

 そして、その原因も時の領主、松平氏が一向宗、それも三河三ヶ寺の権益を犯したからであった。


 ところが、所謂”凶報”の類であるこの知らせも、都合四カ国を領有する太守となり、向こう数年間は国力増強に当てると決断した俺にとっては”吉報”となる。

 何故ならば、


「ふむ。時に蔵人」

「はっ!」

「家中の者で、いや三河衆の者で三河一向門徒衆に与する者は出たのか?」

「はっ! 西三河の、ほぼ全ての一向門徒が本證寺に入ったとの事に御座いまする!」

「軍略衆、本多正信もか?」

「はっ! 本多正重も、で御座いまする」

「では……酒井忠尚もか?」

「はっ! 他に渡辺守綱、蜂屋貞次、夏目吉信らもが本證寺に入ったとの事!」

「ふふふ、左様か。予定通りだな」


 であったからだ。


 俺は笑みを顔に浮かべたまま、評定に集う家老衆を見遣る。

 その上で、


「坊主が武家に勝てぬ道理を教えてやらねばならぬ」


 と俺は口にした。

 途端に、辺りの空気が張り詰めだした。


「坊主共、加えて、坊主に唆された門徒らを根切りにするは容易い」


 そう。

 史実でも、信長が比叡山に対して行った様に。


「されどそれでは、織田の名による”天下治平”は望めぬ」


 天下治平、世が良く治り平和である事を表す言葉。

 俺の口から初めて出たその旋律が、評定の間を震撼させた。


「……天下?」

「天下を治める?」


 俺は(おもむろ)に立ち上がった。

 すると、条件反射なのだろうか、家老らが一斉に顔を伏せた。


「左様。血と銭に塗れた坊主と言えども、織田の領内に住まう民なのだ。宗派が、考えが違うからと言い、忌諱するは我の政ではない。だがな……」


 俺はそこで、言葉を止める。

 そして、十分に間を空けた頃合い、続けた。


「織田の領内、織田の定めし”法”には従って貰わねばならぬ。それは如何なる者であっても変わらぬ。武家であれ、商人であれ、職人であれ、百姓であれ。そして……坊主であってもな」


 所謂”法の下の平等”。

 現代の日本ですら、それは成し得てはいない。

 恐らく、俺がこの時代でどんなに頑張っても、その完全なる実現は無理だろう。

 だが、一部だけなら……


 俺は決意し、一気に捲し立てる。


「これより、織田は三河一向宗を完膚なきまでに叩き潰し、門跡共を織田の門前に這い蹲らせる! 寺に篭りし一向門徒を三河三ヶ寺に追い立てよ! 空いた寺は即座に破却せい! 皆の者、これらは全て天下の為と心得よ! そして、存分に励め!」

「ははっ!!」


 家老らは平伏したまま、一斉に応じた。




  ◇




 永禄二年(西暦一五五九年)、九月 三河国 本證寺


 深く、奥行きのある二重の水堀、大手門を挟む二つの、見張り台を兼ねし鐘楼、が設けられた寺。

 それが本證寺である。

 その堅牢さは最早”城”であった。


 この当時、本證寺程の寺となると、その門前には町が自然と形成される。

 所謂ところの、門前町である。

 本證寺の場合、外堀の内側にそれはあった。


 現在、本證寺の周囲にそれらは影も形もない。

 それどころか、外堀すら見当たらない。

 それもその筈、織田の軍勢により跡形もなく焼き討ち、壊されたからだ。


 その嘗ては外堀のあった場所を、十重二十重に囲む軍勢。

 何時でも矢弾を放てる構えでいる。

 彼らは交代を交えつつ、既に一月近く寺を封じていた。


 それらを本證寺の鐘楼に上がり、涼しげな目で攻囲する軍勢を見つめる男がいた。

 戦場に立つ武士らしく、具足を身に纏いながら。

 そんな彼を、


「本多正信殿!」


 鐘楼の下から呼ぶ声が起きた。

 男は僧兵なのだろう、高下駄を履き、裏頭(かとう)で頭を(つつ)んでいる。

 僧兵は今一度、男の名を叫んだ。


「本多正信殿!」


 名を呼ばれた男は疲れ果てた声音で答えた。


「如何しましたか?」

「空誓様がお呼びに御座いまする!」


 本多正信は困り顔を作った。




 本多正信が僧兵に案内された場所は本堂の脇、書院であった。

 本堂は既に多くの門徒衆が寝起きに使っている。

 この書院の間は寺で唯一の、空誓が一人となれる場所となっていた。


「空誓様、参りました」

「おお、本多正信殿! ささ、中へ早う!」


 誘われるまま、本多正信が書院へと足を踏み入れる。

 刹那、彼の鼻を変わった香りが打った。

 香木を焚いた匂いである。

 本多正信は平伏し、真新しい畳の香りで鼻腔を洗った。


「これこれ、面を上げられよ」


 惜しむ気持ちを露ほども表さず、顔を上げた本多正信。

 瞳には見るからにふくよかな僧体が映る。

 彼は何も言わず、空誓の言葉を待った。


「本多正信殿をお呼びしたのは他でもない。我らと篭る門徒衆の事よ……」


 現状、寺には熱心な門徒衆が攻囲する織田軍と一戦を交えようと篭っている。

 だが、空誓はこのままでは早晩、糧食が尽きる事を心配していた。

 攻囲する軍勢を打ち払うには、味方の兵が少しでも多い方が良い。

 しかし、寺に篭る門徒衆の中には、兵として役に立たぬ者らがいる。

 それが、歩くのも事欠く年寄りと年端もいかぬ幼子達であった。


「なるほど。さすれば、こうするは如何で御座ろうか?」


 本多正信は彼らに対し、形式的は破門とし、再び帰依する事を許す書状を持たせた上で寺から追い出す案を提示した。

 熱心な信者である以上、一度破門されたとはいえ、いずれ戻る。

 一時的な処置である、と。

 加えて、子は親に倣うもの。

 いずれは門徒になる。

 しばしの間、織田に養わせ、彼らの糧食を減らしてやれば良い、と。


 空誓は我が意を得たり、とそれを実行に移した。

 年寄りと幼子が寺から姿を消し、糧食の今暫くの余裕が生まれた。

 年寄りと幼子の身内が、彼らだけを寺の外に出すのは偲びないと、共に連れ立った。

 それがまた、空誓を喜ばした。


「これでまだまだ、本證寺は戦えよう」


 と。




 また暫くすると、空誓はまた本多正信を呼んだ。


「僧兵共が般若湯(酒)やら女やらを、我らにも寄越せと騒いでおる」


 空誓は酒臭い息を吐きつつ、そう述べた。

 本多正信は眉間にしわを寄せ、暫し考えた後、


「……さすれば、余りに酷い輩は破門とし、寺から追い出しましょうぞ」


 と答えた。


「さて、織田の手前、僧兵が減るのは困るのではないか?」

「然にあらず。僧兵とは言えども、兵で御座いまする。一部の兵が身勝手をしては、士気の低下に繋がりまする。その結果、取り返しのつかぬ事になるやも知れず……」

「成る程、相分かった! されど、力づくに追い出すのは危うい。暴れるやも知れぬからのう。何か良い手はあるまいか?」


 その翌日、多くの酔い潰れた僧兵が本證寺裏門前に転がされていた。

 織田の兵は素早く事態を察したのか、僧兵らが酩酊する間に連れ去って行った。




 いつの間にか、本證寺内は険悪な空気で溢れていた。

 それもその筈。

 僧の都合により、門徒衆の一部と僧兵の一部が破門となり、寺を追い出されたからだ。

 今ではそれぞれが纏りを作り、互いを牽制しあっている。

 その間を取り持つのが、本多正信が率いる三河侍達であった。


「本多正信殿、空誓様ら僧は如何か?」

「おお、酒井忠尚殿か。芳しくはありませぬな。いつ寝首を掻かれるか、と疑心暗鬼になっておりまする。そちらは?」

「僧兵どもも同じく。それどころか、酒も女子もおらぬと嘆き、皆、今宵にも寺を抜け出しそうよ」


 そこに一人の男が加わる。

 酒井忠尚が早速、話を振った。


「これはちょど良い。夏目吉信殿にも伺いたかった所よ」

「門徒衆らの事であろう? 今や本堂で一心不乱に経をあげているのはあの者らだけよ。某も三河衆の間では熱心な門徒を自負していたが、あそこ迄はとてもとても……」

「寧ろ、今では気の毒に感ぜられる。那古野を目にし、そこに生きた者としてはな。そうであろう、酒井忠尚殿」

「全くよ」


 そう。

 彼らにとって、命より大切な物が二つあった。

 一つは主家である松平宗家。

 そして、今一つが信仰の対象であった一向宗だ。

 しかし、その何れもが新たな盟主であり、主君である織田信行によって覆されたのである。

 古くから伝えられる都よりも遥かに大きく、普請の行き届いた那古野の町並みを目にして。

 子らが楽しげに笑う、その輝く笑顔を目にして。

 女子らが夜の一人歩きをしても困らぬ、治安の良さを感じて。

 誰かが口にした、


「全く苦しみのない……極楽浄土とは那古野の事ではなかろうか?」


 という言葉を耳にして。

 念仏を唱えずとも、人の考えにより、人の手により生み出されたそれは、彼らにはとてつもなく眩しく感ぜられたであった。


 更には松平宗家の血を引きし者が、主君織田信行の養子となり、那古野にいる。

 彼らが命を掛けるには、それで十分だった。


「さて、我らが主は法度に基づく処罰を求めている。であろう、本多正信殿」

「その通りだ、夏目殿。加えて、いたずらに血を流すのを望んでおられぬ」

「罪は……檄文を撒き、煽動したるが罪。罰は国外追放か島流し。はてさて、いずれとなるやら」


 夏目吉信の言葉に、集まった三河侍らはニヤリと笑った。




  ◇




 永禄二年(西暦一五五九年)、九月下旬 三河国 本證寺 織田本陣内


 俺は久方振りに、本證寺を攻囲する織田本陣に出向いていた。

 当然だろう。

 たかが三つ、四つの寺を攻囲し続けているだけだ。

 俺が常に出張る必要もない。


 その俺が現場に現れたという事は、そろそろ事態に動きがあると思われるからだ。

 不穏な知らせが齎されて、早数ヶ月。

 漸く、待ち望んだ時が訪れた。


 西の長島一向宗もが不穏な動きを見せるも、木曽川の東岸に築かれた”総構え”を前に矛を収めた。

 無論、三河一向一揆が瞬く間に封じられた所為でもあった。

 三河一向一揆を陽動とし、豊かな尾張から略奪しようとしたら、逆に長島一向宗が囮となると気付いたのだろう。

 残念な事だ。

 それを大義名分に長島を潰せるかも知れなかったからな。


 尤も、長島の背後には伊勢本願寺が存在する。

 今はまだ、あれらと相対する時ではない。

 史実でも、織田信長は豊かな美濃を切り取った後、本格的な侵攻を始めたのだから。


 でだ、俺が今、本陣の中で何をしているかと言うと……


「蔵人。これは葡萄ではないか?」

「ぶどう? いえ、葡萄葛(えびかずら)と申す、この辺りに自生する植物の実に御座いまする」

(いや、どう見ても葡萄なんだが……)


 近くの村から頂戴した、贈り物を前にしていた。


(メインは酒と新米の様だが……俺は寧ろ葡萄が気になる)


 俺は早速、一口頂いてみた。


「……意外と甘いな」


 囁き程度の俺の声に、一早く反応したのが前田利益であった。


「ほう? 何やら美味そうな香りが致しますな。それでは一つ失敬して……うむ、美味い! 拙者が童だった頃を思い出しまするなぁ」

「確かに。この季節、美濃の野山に入ると、時折見つけたもので御座る。……あぁ、懐かしい味がする」


 森可成も追従する。

 俺も何だか子供に戻った気がして、頂き物の葡萄を皆に振る舞った。

 子供は身分や上下に関係なく、皆に分け与えるからだ。


(それにしても……葡萄が日本にあるならば、ワインも作れたりするのか? 確か……足で潰して放置すると発酵してアルコールが生まれるとか、生まれないとか……)


 俺は心のメモ帳に記しつつ、葡萄を口に放り込み続けた。




 それから暫くした後、本證寺の山門から二つの人影が這い出て来た。

 一つは俺の見知った者、軍略衆、本多正信。

 今一つは僧体の男。

 頬が皮だけとなり、随分と垂れ下がっている。

 何故か白装束を身に纏い、俺のいる本陣へと、覚束ない足取りで向かっていた。


「来たか……蔵人、もてなして差し上げろ」

「ははっ!」


 それが、蓮如上人の数多いる孫の一人、空誓との初の顔合わせであった。


 四半刻(三十分)後、俺の前に空誓が平伏していた。


「空誓殿、面を上げられよ」


 俺の目に、恐れおののく、僧の痩けた顔が映る。

 大きな隈が、目の下を大きく占めていた。


「その方の行い、後の世においては”三河一向一揆”と呼ばれるか否か、定かではない」

「は、はぁ?」

「ふふふ、失礼。詮無きことを申した。さて、空誓殿。何故、一揆をしくじったと思われる?」

「そ、それは……」

「空誓殿が思うた程、門徒衆が集まらなんだ、であろう?」

「さ、左様で……」


 空誓は明らかに戸惑っていた。

 何故、この様な問答が行われるのか、と。

 だが、俺にはそれ相応の理由があった。


「然もありなん。我が随分と以前から、一向門徒衆の力を弱めようと働きかけておったからよ」

「そ、それは!」

「左様。此度の一揆、起こすべくして起こした。御主らが守護不入の権を犯されると一揆を働くと考えた上でな」

「な、なんと……」


 痩せこけた顔が、ますます痩け、青白く変わっていく。

 俺はその急激な変化に気を揉みつつ、


「分かったか? 我ら武家に対し、御主らの企てが如何に無謀であったか。分かったか? 我ら武家に対し、御主らの”教え”が如何に無力であったかを」


 言葉を連ねた。


 更に幾つかの遣り取りを続けた後、


「沙汰を下す。が、その前に……その身なりだ、何か申し開きたき事があるのであろう?」


 俺は改めて問うた。


「……お、恐れながら……拙僧が切腹致しますれば、寺に篭りし者らを何卒……」

「それはならぬ。罪を犯した以上、それ相応の罰を与えねばならぬ。それが我の政ゆえにな。それにあの者らが何らかの方法で罪を償ったとして、再び一揆を起こさぬ補償もあるまい?」

「そ、それは……さ、差し出がましいのですが、この空誓の名に掛けて! な、何卒!」

「ふむ……」


 俺はここで一旦、間を空けた。

 空誓を支える形で付き従った、本多正信と視線を交える。

 彼は小さく、頷き返した。


「良かろう。空誓殿がそこまで申されるなら、それに免じ、多少の罰をもって放免を約束しよう。が、その代わり……」

「そ、その代わり?」

「空誓殿とその他数名の身柄を、しばし那古野で預からせて頂く。それで宜しいかな?」


 空誓に断れる筈がない。

 俺は僅かに口角を釣り上げた後、


「空誓殿、事の次第を本證寺に残る者らに、十二分に伝えられよ。それが整い次第、那古野に参る!」


 と言い放った。


(この者を那古野に暫く置いた後、長島にでも放ったら面白いやも知れぬ)


 そう考えた途端、湧き上がるアドレナリン。

 それはいずれ起こるであろう、大勝負を予感させた。

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