#046 甲相駿三国同盟足すことの壱
「信行様、参られるのですか?」
「うむ。お鶴、すまぬが支度を頼む」
時は永禄二年(西暦一五五九年)、三月中旬。
俺は駿府にいる。
何故か?
今川氏真、いや今川氏が、俺こと織田信行の軍門に降ったからだ。
その上で、今川氏が武田氏と北条氏(今少し正確に言うならば後北条氏)との約定を改めて結ぶ為であった。
要するに、
「引き続き駿河の国主は氏真のままだから、これまで通りの甲相駿三国同盟で宜しく」
と言うことである。
更には、
「でも、今川は織田に降ったんだから、織田とも同じ同盟関係って事で良いよね?」
とゴリ推しを計る為だ。
無論、付け届け、もとい、贈り物をする事も忘れてはいない。
今冬の豪雪とその雪解け水の所為で川が氾濫し、田畑や家屋が流された甲斐と、度重なる武蔵国への出兵で台所事情が火の車となっている相模に対し、米やら銭やらを振る舞ったのだ。
我ら”織田”がここまでするのには訳があった。
それは両国の民が飢えた事による他国への侵略を、より正確に言うなれば”織田領内”への略奪を防ぐ必要があったからだ。
その証拠に、史実では武田も北条もこの年を境に、他国への侵攻を活発化させている。
いや、その武田や北条だけではない。
越後の上杉謙信、もとい長尾景虎も同様であった。
彼などは、毎年雪で身動きが取れなくなる冬前に坂東(関東)に遠征し、乱獲りを奨励、彼ら自身の食い扶持を略奪で賄わせていた。
そして、得た財物や拉致した人を売捌き、春、雪融けと共に国許へと帰国するのである。
(フッ、毘沙門天の生まれ変わりが聞いてあきれるわ)
その延長線上にあるのが、”第四次川中島の戦”の筈。
……あれ? 違ったかな? 関東管領職に就任したからだったかな? ……まぁ、大体そんな感じだな。
時は確か、一五六一年……だな。
その前年、一五六〇年には中国地方における八ヶ国の太守、尼子晴久が急死する筈。
急死と言えば、美濃の斎藤義龍もだな。
そして、その数年後に……ムフフッ。
この辺りの出来事はゲームのイベントになってたからよく覚えている。
他には毛利隆元の急死に、三好長慶の病死。
更には、足利将軍の謀殺。
いやー、ゲーム画面を見ながら「その時、歴史が動いた」と何度口走った事か。
良い思い出だなぁー。
閉話休題。
兎に角だ。
俺は織田の領国に降りかかる戦火を、災厄を減らす為にわざわざ駿府にまで訪れている。
「お召し物はこちらで宜しゅう御座いますか?」
「うむ、それで構わぬ」
ちなみに、お鶴は側女として付けられた侍女の一人である。
御年十八歳にして、出戻り後家、であった。
何でも実家では色々と立つ瀬が無く、尼御台(寿桂尼)の口添えもあり、ここ今川駿府館にいるのだとか。
それが何故、俺の側女をしているのか?
それもまた、尼御台の言いつけらしい。
(出戻り後家を俺に付けたと言うことは、俺の手が他の女子に伸びるのを恐れたのだろう。いや、幾ら何でも他国の侍女に手を出したりしない。外交問題に発展するのが怖いからな。それに、お鶴はまだ十八だから……)
と思いつつ、俺の視線はお鶴を捉えて離さない。
薄幸そうな、憂いを帯びた顔。
白くて大層美しかった。
加えて、スラリと伸びた手足。
慣れない側女を言いつかられた所為か、指先があかぎれしている。
時折、
「あっ……」
痛そうにし、指を胸元に寄せるのであった。
その際に、どうしても見てしまうお鶴の胸部。
(でかい……)
俺はその都度、口に出しそうになってしまう。
それが紛い物で無いことは、着付けの際にそれとなく押し付けられる事によって知り得ていた。
(……ふぅー、いかん、いかん! 俺には……)
「急がねばならぬ。今川の、いや、織田の行く末を定める、甲相駿三国同盟を確たる物にせねばならぬ責が有るのだ。故に、わざわざ駿府に来ている。支度を急げ、お鶴」
「はい!」
……と言うのが建前で(同盟の確認なら村井貞勝に任せれば良いのだから)、俺が駿府を訪れた本当の目的は、
「……早雲様の墓に参りたい?」
であった。
いや、甲相駿三国同盟が再確認されたなら、俺が駿府に来る事はもう殆ど無いと思うんだよねぇ。
で有るならば、折角だからこの時代の”早雲寺”を見てから尾張に帰りたい。
何故ならば、何を隠そう、この俺は北条早雲の漫画を読んで以来の、”北条早雲にわかファン”だからだ。
子供心に、それっぽい夢を見たからと言って主家を乗っ取ったり、牛の角に松明を灯して追い立て小田原城を落としたりする、北条早雲の武功は大層格好良く映ったのである。
「駄目であろうか?」
俺は北条氏政の代わりに現れた、北条長綱に問うも、
「フッ、無理であろうな。早雲寺は北条の菩提寺故に、他家の者は元より、他国の国主がおいそれと立ち入られる場所では無い。氏康様はお許しにならぬ」
一笑に付されてしまった。
(チッ! ついでに箱根湯本の温泉に浸かりたかったんだがな。まっ、無理を言っても仕方がないか)
俺が潔く諦めたと察すると、
「全く、噂に違わぬ数寄者よな。織田は確かに伊勢氏と同じ平氏とは聞くが、まさか伊勢宗瑞殿の墓を参りたいと申すとは……この義信、考えもせなんだ」
カラカラと笑い声が上がった。
声の主は武田義信。
甲斐国主、武田晴信の嫡男であった。
彼は穴山信嘉と共に、武田方の全権特使として駿府を訪れていた。
その武田晴信の言葉に、
「ほんに、ほんに。新しい時代の息吹を織田様からは感じまするなぁ」
と合いの手をいれたのが、尼御台。
今は亡き、今川義元の生母である。
齢七十近い。
故に、文字通り海千山千の女性、化け物であった。
一度、そのような目で見たら殴られた。
……と言うのは冗談だが、「オホホホホ、この場で刺し違えても良ろしいのですよ?」と釘を刺された。
その彼女の傍には、俺から駿河国の国主代行に指名された、朝比奈泰朝がカチコチに固まって侍っている。
ちなみにだが、尼御台が今川仮名目録(分国法)を取り纏めたらしい。
で、その影響を受けたのか、武田信玄が定めた分国法が”甲州法度次第”であった。
これはなかなか出来が良く、現代における民法の参考にもなった程だ。
だが、俺は別の視点でこれを気に入っている。
それは、”領国全ての土地は国主の物である(Real Estate。スペイン語で王の土地)”と”宗派間の争い禁止”を定めている点であった。
「では、米やら塩やらの対価は”甲州法度次第”と”馬”で宜しいのですな?」
「うむ、兎に角精強な馬をお願いする。馬体が大きく、力強い馬を」
「されど、尾張にも馬は居りましょうが?」
「いや、それが足りぬ。いや、数はおるが力に欠けるのだ。街道の上を”駅馬車”やら”荷馬車”を走らせ、那古野から駿府、果ては躑躅ヶ崎館や小田原城にまで人や荷を運ばせるにはどうして、未だ未だ……」
「それで武田殿の甲斐と、坂東から馬を」
「左様。米があっても運ぶ馬が居らねば、文字通りの宝の持ち腐れ故にな」
「そして、馬が揃わば、甲府や小田原に糧食の類を運んで頂ける」
「無論、対価と引き換えに、で御座いまするな?」
「左様。約定に基づき、米商人に売るよりも安価に、で御座いまする」
「しかし、それでは織田殿が一方的に損をするのでは?」
「とんでも無い。駿河、遠江、三河、そして尾張と、織田の民は戦を避けられまする。それが何よりの”得”。何といっても、”戦は七飢を上回る”と申しますからな(そのついでに、武田の騎馬隊も弱体化出来るしな)」
俺の言葉に、居並ぶ者が目を細める。
織田が北条や武田を盾にし、自らは安寧を享受すると知れたからだ。
忸怩たる思いだろう。
しかし、彼らが俺を、いや織田を羨んだ所でどうしようも無い。
現に北条と武田の周りには、今も矛を交える国が、戦国大名が幾つも存在するのだから。
寧ろ、彼らの背後を抑える織田と盟約を結び、安定して糧食を得られる事が、何よりも大切であった。
俺はニヤリと笑い、話を変えた。
「時に義信殿、武田の姫を娶った織田の彦”於勝丸”を、今川氏真殿の後継とする事をお認め頂けたのであろうか?」
「それよ! 父晴信は当初、大層憤慨した。それでは武田の姫を今川の質に差し出す事になる! とな。されどその意図を察し、大笑いした後、お認めになられたわ!」
「それは有難い」
「しかし、織田殿はようお考えになられましたなぁ。たった一つの縁組で武田と今川、織田を結びつけるなどと。我が主、氏康も感心しておりましたぞ」
「いやいや、それ程の事では。国と国との約定を定める度に質の交換をしていては、いずれは国から姫やら彦やらが居なくなってしまいますからな。一度で済むならそれに越した事はありますまいて」
「オホホ、その考えが如何にも新しく感ぜられまするなぁ」
などと尼御台は笑い声を出すが、瞳の奥の目が笑っていない。
それもこれも、孫であり、今川氏の頭領である今川氏真を俺が那古野に連れて行ったからだ。
国主が人質とか、この時代はまだ無い。
もしくは珍しい部類だろう。
あと数百年もすれば、”参勤交代”と言う名で歴史に残るのだがな。
俺があらぬ考えをしていると、北条長綱が爆弾を放り込んだ。
「それはそうと、北条からも姫を出す。故に、織田殿と縁を結ばせて貰いたい。丁度良い事に千葉親胤に嫁いだ氏康の娘が、婿殿が謀殺された結果、小田原に出戻っておるのだ」
(丁度良いって北条の都合だけだろ、それ。しかも、出戻り後家? 幾ら何でも国主にそれは無いだろ。いや、戦国の世は普通なのか? そういえば徳川家康も大の後家好きだったような……とは言え!)
「いやはや、某には既に……(荒尾に高嶋、吉乃に直子、坂氏の娘於栄、そして帰蝶……)六人もの室がおりますれば、何卒ご容赦を」
「何と! ろ、六人も室が居られるか! 流石は”尾張の虎”の血を継ぎし者よのう!」
武田義信が驚きのあまり、声を張り上げた。
(おい、ちょっと待て! あの”虎”と一緒にすんな! あいつ、美人ってだけで攫って女にする奴だぞ!? いや、確かに虎は一瞬で交尾が終わるよ? だからこそ、一日に何十回とまぐわえるのだろうけどな。はっ! まさか、そういう意味で”尾張の虎”?)
「そ、それは何とも、首肯出来かねるが……」
俺は苦々しく答えつつ、再び話題を変える。
「それはそうと、北条から公方様へ、事の次第をお伝え頂けたのであろうか?」
「既に使者を遣わした。程なく公方様から織田殿に、此度の”和議”を労うお言葉と少なくとも官位の一つ、二つは下賜されるであろう」
「ふっ、それは重畳」
現代感覚からして官位? 何それ美味しいの? って感じだが、この時代では殊の外重要だからな。
その所為か、多くの大名やら武家が名乗っている。
が、殆ど自称・僭称の類だ。
だからこそ、彼らは正式な任官を求め、幕府や朝廷に対し莫大な寄進を行うのだ。
で、俺はというと……頂けるものは頂きます、の精神でいる。
いつまでも、書状に”織田勘十郎信行”では格好が付かない、と言われたからでもある。
配下の将らも、”權六”等と呼ばれるのが些か恥ずかしく思うらしい。
まっ、逆に俺はそれが褒賞となり得ると知り、ホクホクだがな。
(領地を与えるより、給金を上げるより、余程良いわ)
それよりもだ。
「さて、そろそろ甲相駿尾四国同盟の批准の如何を纏めたい所。北条長綱殿、如何か?」
いい加減頃合いでもある。
俺は皆の目を見て問うた。
北条早雲の息子、北条長綱が口元にのみ笑みを浮かべ、答えた。
「無論、断る理由が御座らぬ」
「武田殿は如何か?」
「北条殿に同じく」
「今川殿は?」
「オホホ、聞いて下さるだけでも有難く。勿論、お受け致しまする」
「では、万が一、約定を破りし者が現れた場合は……」
俺の言葉を継いだのは、武田義信であった。
「他の国がその国を討つ。その場合、国主は国府を抑えた者。それで宜しゅう御座いまする」
俺は彼にニコリと微笑んだ。
その夜、何故か今川が「ささやかながら……」と酒宴を設けた。
織田と今川の当事者のみを集めてだ。
その席で、俺はあろう事か尼御台にしこたま飲まされ、酔い潰れてしまった。
そして気が付くと、寝床にいた。
(あれ? 小姓らが運んでくれたのかな?)
起き上がり、薄明かりの下、室内を見回す。
すると、部屋の隅に侍女が控えていた。
それは、尼御台に宛てがわれた側女の一人、
「お鶴か……」
であった。
酔い潰れた俺が吐かぬ様、見張っていたのだろう。
恐らくだが室外にも俺の小姓が控えている。
ならば、これ以上彼女がいる理由もない。
俺はお鶴に「部屋から下がるように」と申し付けた。
しかし、彼女は立ち上がろうとしない。
俺はその理由を瞬時に察した。
(尼御台だな。お鶴に対し、俺の伽の相手を命じたのは……。だが、何故彼女なのだ? 後家ではない、武家の娘など幾らでも居るだろうに……)
答えの見出せぬ俺は、彼女に直接問う事にした。
「お鶴……」
「はい」
「何故、尼御台はお主を?」
「はい。私めは、遠くは今川貞世に繋がりし系譜に御座いますれば、今川の一門衆と言えなくは有りませぬ」
「ふむ、それだけか?」
「無論、それだけには御座いませぬ。先の戦いの末、わたくしと別れた夫は”松平宗家”で御座いまする」
(えっ? まさかの、仇討ち!?)
俺は動揺するも、平静を装った。
「ほう、それはそれは……。だが、それが何だと言うのだ? 既に絶えて久しい家では無いか?」
「いえ、決して絶えてはおりませぬ」
「もしや……」
(チッ! 狸の血が残っていたか! 「名古屋と日本の発展を阻害した徳川幕府の祖を討てた!」と、内心喜んでいたと言うのに!)
「はい。わたくしめの子が居りまする」
「で、あるか」
さて、どうする?
尼御台の目的は一つ、単純に織田と今川との関係をより強固にする事だ。
今川氏真の後継に織田の彦を入れるだけでは、甚だ心許ないのだろう。
氏真と早川殿との間に男子が生まれれば、それを後継にしても良いと俺が言ったから尚更だ。
そこで、一門衆とも言える”お鶴”だ。
聞く所によると、松平元康は今川義元の娘(養女)を娶った。
その娘を俺こと織田信行の室に入れられれば、今川としては万々歳だろう。
一方の当事者、お鶴の目的は何故だ?
彼女は史実で言う所の”築山御前”だ。
傲慢で嫉妬深い、現代ではそう伝わっていた。
しかし、俺の見た所、その様な素振りは欠片も無い。
寧ろ、強かではあるが、健気な印象の方が強い。
今もそう。
彼女は我が子を松平宗家の血筋である事をわざわざ明かして……
「なるほど。そうまでして、俺に体を開いてまで、夫の仇に抱かれてまで、松平元康の子を、”竹千代”の命を救いたいか。今川に居続けては、いずれ消されるやも知れぬからな」
俺の言葉に、お鶴は顔面蒼白となった。
「な、何故、我が子が男の子であると。そ、その上、幼名まで……」
(史実を知ってるからだ! とは流石に言えない)
「ふっ、分からいでか! 女子であれば、何処ぞに嫁がせれば、養女に出せばしまいだ! しかし、松平宗家の男子ともなればそうは行かぬ。特に”竹千代”ともなればな!」
思わずだろう、お鶴は後退りした。
俺はそんな彼女を、
「逃げるでない」
壁際に追い詰める。
両の腕の間にお鶴を挟み込む形となる様に強く押し当てた。
壁が高らかな音を発する。
女は縮こまり、
「ヒィッ……」
と息をのんだ。
その上で、俺はお鶴の耳元で、
「お主の、松平を思う気持ちはその程度か?」
と囁く。
すると彼女は、鋭く見返した。
今にも倒れそうなほど、顔色が悪く見えた。
「その気持ち、忘れるなよ? されど、今の如く決して面に表してはならぬ。出せば、松平などいとも容易く絶えるでな」
「も、もしや……」
お鶴の目が、満月の如く見開かれた。
俺はそんな彼女に、微笑みを返す。
「ああ、お鶴、お主を娶ってやる。お主の中にある”松平元康への思い”と”竹千代”ごとな」
真っさらな白い磁器に蓮の花が二つ、鮮やかに描かれたのを俺の目が拾った。
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