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#045 掛川城攻囲(2)


(遠江と三河を手放し、尾張に戻れ!? 公方様は俺にそう申されるか!)


 俺は湧き上がる怒りに呑み込まれぬ様抗いつつ、声を振り絞り問うた。


「そ、それが公方様の、お、御心に、間違いございませぬか?」

「無論じゃ」

「兄信長は公方様に千貫寄進した筈ですが……」

「左様な事、某は与り知らぬ」

「し、しかし……」

「然るに!」


 俺の言葉が、和田惟政により遮られる。


「千貫寄進したのが事実であるならば、それでは公方様の御心に響かなかったのではないかな?」

(せ、千貫って現代の貨幣価値で表すと、およそ一億円だぞ!? それで足りないってどういう事だよ!)


 俺の視界が赤く染まり始める。

 怒りの所為で目が充血したからだ。

 それでも、


(あれか? 織田が平氏で今川が源氏だからか? そんな事言ったら、北条だって平氏だろうが! ……ははぁん、伊勢氏か。幕府政所執事、奉公衆を束ねたる”伊勢貞孝”が一枚噛んでるのか? 北条も元は”伊勢氏”だからな。成る程、それで奉公衆の和田惟政、か)


 俺は思考をフル回転させた。


(そう言えば、村井貞勝の文にも御内書を見せて貰えなかった、とあった。という事は……)

「恐れながら、御内書を見せていただけますかな? 加えて副状も検めたく」

「無論だ」


 和田惟政が恭しく書状を俺に差し出す。

 その中身は正しく、”御内書”であった。


(チッ! 口先だけで謀りに来たか訳では無いのか……)


 俺の見立ては外れた。

 虚偽であれば、”自称幕府の使者”を散々に愚弄し、追い出しす事が出来たのだがな。

 それはさておき、困った、困った。

 が、こんな困った時、取るべき方策は戦国時代と言えども、現代とそう変わりはしない。

 それは、


「いやはや、急にそう申されましても……我ら織田もそれなりに費えが……和田惟政殿には分かって頂けるかと思われまするが……」


 取り敢えずの引き伸ばし作戦。

 からの、


「川口久助、ちこう!」

「はっ!」


 と、俺は侍る小姓に耳打ちし、ある物を持って来させ、


「これは詰まらぬ物ですが、是非とも。あぁ、それから京へのお帰り際、是非とも商家の”那古屋”をお尋ねくだされ」


 賄賂もとい毒まんじゅう作戦であった。

 差し出された和田惟政も満更では無いのか、


「いや、これはこれは……」


 嬉しそうな色が表に出さぬ様に堪えている。

 俺には「ここでもう一押し」と思われた。


「和田惟政殿、公方様は今川氏の存続を願われている。左様で御座ろう?」

「如何にも」

「実は、某も今川氏に残って貰いたいと思うておる」

「そ、それはまた何故に……」

「ふむ、不思議に思われるは道理。されど、我らが行いに目を向けられよ。力押しで落とそうと思えば何時でも落とせる掛川城を、何故包囲したまま落さぬのか。聡明な和田惟政殿なら分かって頂けよう?」

「……確かに」

「故に、公方様にはお伝えくだされ。この織田信行、決して今川氏真を粗略に扱わぬ。天地神明に誓う。万が一言葉を違えたなら”幕府に仇なす者”、”幕敵”との誹りを受けても構わぬ、とな」

「そ、そこまで言われなさるか! されば、不肖この惟政!」


 彼はそこで、胸をドンと叩いた。


「確かに公方様にお伝えさせて頂きまする!」


 その言葉に合わせ、俺は平伏する。

 理由は和田惟政に対し、感謝の気持ちを表す為が一つ。

 そしてもう一つが、


(ふー、危ない、危ない。思わず破顔してしまうところだった)


 であった。




 和田惟政は「無事に務めを果たした。格別なる土産物も頂けた」と意気揚々となりながら、京へと帰っていく。

 俺はそんな男の背に厳しい眼差しを向けつつ、


(北条ともあろう者が随分とまぁ。きっと、早雲も草葉の陰で泣いているぞ。まっ、それだけ追い詰められている、打つ手が無い証拠、か。……それにしても、”公方様”……ねぇ。三好長慶の死後、暗殺される筈だよな?)


 口元を歪ませた。





  ◇





 永禄二年(西暦一五五九年)、二月下旬 掛川城 織田方の陣


「信行様! 津々木蔵人、戻りまして御座いまする!」

「柴田勝家、同じく!」

「前田利益も参上仕った!」


 一時的に那古野に戻っていた将らが、再び俺の前に揃う。

 彼らには那古野にてどうしても疎かに出来ぬ”務め”があり、俺が戻したのだ。

 だからであろう、内二人の頬が痩けてはいるが、身体の内から漲る”何か”を感じる。

 恐らくだが、お務めをしっかりこなしてきた所為だろう。


(そう言えば、そろそろ俺の側室たちも出産する頃合いだった様な……)


 俺は待ち遠しい反面、待ち受ける生活を思い、背筋に冷たいものを感じた。


「(そ、それよりもだ)明日、北条氏政殿が供の者を連れて参られる」


 俺の言葉に、敏感に反応したのは津々木蔵人であった。


「信行様! 供の者は女性(にょしょう)に御座いまするか!? まさか、北条の姫では御座いませぬな!」

(えっ、す、鋭い!)


 俺は焦りの色を隠せなかった。


「そ、そ、その通りだ! 良く分かったな、蔵人! ほ、褒めてつかわす!」

「やはり、そうで御座いまするか! 信行様が二月にも渡り、一人で居られるから”もしや”と考えましたが……」


 津々木蔵人の言葉に、前田利益が察したのだろう、柏手を打った。


「成る程、新たな室を北条から。それはそれは、慶事に御座いまするなぁ!」

「おぉ! 誠に御座いまするか!」


 柴田勝家も騒ぎ出す。

 しかしだ、


「勘違いするな! その類の女性では無い」


 であった。


「はて? でな何故に北条が女子を?」

「蔵人、それを説明しようとしておる」


 俺は事の経緯と、これから行われる事、その”表向きの目的”を伝える。

 すると何故か、


「いや、信行様、恐れながらそれは……」

「なんと申しますか……」

「厭らしい手ですな」


 俺は非難がましい目で見られた。

 内心、納得がいかないものの、


「既に賽は投げられておる。お主らは掛川城の動きを見ておれば良い。不審があれば直ぐに知らせよ」


 とだけ命じた。




 翌日、北条氏政の一行が掛川城に辿り着いた。

 彼らは休む間も無く、俺の設けさせた場所に移動する。

 そこには、


「素晴らしい梅林で御座いますなぁ。これ程風流な場所で野点が楽しめるとは思いませなんだ」


 があった。

 俺は優しく微笑みを返しつつ、


「お気に召して何よりで御座いまする、早川殿」


 女性に答えた。

 そう、彼女は今川氏真の正室である。

 未だ頑なに引き篭る今川氏真らに対し、何とかして城から出て貰いたい。

 その一心で織田と北条が手を携え、計画したのであった。

 これが上手くいけば、今川氏真が掛川城から去れば、織田と北条は”互いの領土を決して侵さない”、所謂ところの不可侵条約を結ぶ。

 そう言う手筈であった。


 板部岡融成が主人となり、手を働かせている。

 そこから少し離れた場所に舞台があった。

 舞台には所謂”琴”が用意され、早川殿が流れる様に指を動かし、雅な音を奏でていた。


 北条氏政と俺は床机に腰を下ろし、待ち人が来るのを今か今かと待ちわびていた。

 やがて、城門が小さく開いた。

 一人が酷く痩せ衰えた顔を覗かせる。

 次に、一旦頭が引っ込められた後、二つの人影が狭い隙間から這い出てきた。

 最初の者程では無いが、痩せこけた顔は変わら無い。

 それどころか、精神的に大層辛そうな表情をしていた。

 それもその筈。

 一人は掛川城の城主、朝比奈泰朝であった。

 そして、今一人が、


「氏真様……」


 駿河国主、今川氏真その人であったからだ。

 いつの間にか心地良い音が止み、早川殿の声だけが辺りに鳴った。


(早川殿が驚くのも無理は無い。随分と酷い顔だ)


 恐らくだが少ない糧食で耐え忍び、いや、ひょっとしたら食べる物など既に無くなっていたやも知れぬ。

 その結果、痩せ衰えた。

 しかし、それだけでは無い。

 いつ配下の者に寝首を掻かれるか分からぬ恐怖。

 それが彼らを終始悩ませた筈なのだから。


 今川氏真と早川殿の視線が一瞬交わる。

 一方の目元が僅かに下がり、一方の目に溢れる涙が浮かんだ。

 だが、男は直ぐに視線を外し、


「ここに座れば良いのか?」


 俺の目の前に並ぶ、二つの床机を指し示す。

 俺は彼に小さく頷き返した。


 今川氏真が俺の前に腰を下ろす。

 その隣に、朝比奈泰朝。

 二人の体臭が風に漂い、俺の鼻をしこたま痛めつけるも、表には出さなかった。

 否、出せなかったのだ。


 ところが、


「お主ら随分と臭うのう。後で湯浴みの用意をさせる故に、体を清めてから城に戻るが良いぞ」


 と、北条氏政が天真爛漫な言葉を発した。

 俺は思わず、氏政に手を上げそうになった。

 だが、辛うじて思いとどまり、


「氏政殿、余計なことを言うならば下がって貰いたいのだが……」


 と言うに止めた。


「すまぬ、もう喋らぬ」


 北条氏政は自らの口を手で覆った。




 早川殿は毎日、いや時には日に二度、手紙を綴った。

 対して、今川氏真は一度たりとも文を出さなかった。

 いや、出せなかったのだろう。

 共に篭る配下の兵らの手前、国主とはいえ憚られたのだ。


 故に、二度と目にする事も有るまいと諦めていた早川殿に、久方ぶりに会う事が叶った。

 それだけで、長らく城に篭った末に溜まりに溜まった絶望から、どうにもならない無力感から解き放たれたのだろう、


「もう会えぬと思うていた人に会えた。思い残すことは無い。我ら二名が切腹し、城を明け渡す。故に、城内の兵らを助けて貰いたい」


 と、いきなり言葉を発した。

 その傍らで沈痛な表情をする朝比奈泰朝。

 北条氏政が、「馬鹿な事を申すな!」と煩くする。

 俺はそんな北条氏政を「ふぐっ……」素早く黙らせると、


「だが断る」


 端的に答えた。

 すると、今川氏真が俺に問い掛ける。


「何故に? もしや全員に腹を召せと申すか?」


 俺は溜息交じりに答えた。


「まさか。何度も伝えている通り、我は”降伏しろ”と申している。お主らの首など今更望まぬ。逆にお主らが俺の意向に反し、手前勝手に首を差し出して中の者らを助けようとするならば……中の者も殺す」

「そ、そんな。一体どうしたら……」


 困惑する今川氏真。

 北条氏政が絶妙のタイミングで口を挟んできた。


「おいおい、話が違う! 穏便に城を明け渡させる、そのための場を設ける約束であろう。それに、何を迷うておる、氏真? 織田なんぞに降ると言うなれば、お主の”早川殿”の居場所は小田原となろう」


 俺は思わず、ニヤリと笑った。


「失礼ながら、氏政殿。何故、早川殿が小田原に行かれる?」

「無論、同盟破棄故によ」

「はて? それを申すならば、北条は深山城を占拠し御座ろう? 既に同盟なる物を破棄されておらぬか?」


 俺の言葉に、今川氏真が気色ばむ。


「誠に御座るか!?」

「え、いや、その……」


 流石の北条氏政も狼狽えてしまった。

 俺はすかさず、


「では、話の立場を変えさせて頂く。例えばだが、武田が北条を攻める、もしくは、北条が逆に武田を攻めたならば、氏政殿は如何致す?」


 氏政を執拗に問い詰める。


「……そ、その場合、北条は武田との同盟を破棄するであろう。故に、武田から参った室と離縁。甲斐に送り返すであろうな」

「室との間に子はおらぬのか?」

「二人おる。姫と彦だ。しかるに、それが何だと言うのだ?」

(これだよ。これだから戦国時代はこえーよ。さらっと「母親なんてどーでも良いだろ?」って口にするもんなぁ……。でもな?)

「氏政殿、口にし辛い。なれど敢えて言わせて貰うが……それは如何であろう?」

「ん? 何故織田殿はかように拘るのだ?」

「いや、良く良く考えてご覧なされ。そも、武家は女を(まつりごと)の道具として扱うであろう?」

「当たり前だ」

「なら、例えばだが、頭のおかしい者が名刀を手にし、暴れ人を殺したとして、その名刀に罪が御座ろうか? 尚、名刀とは道具にされた女子の事ぞ?(頭のおかしい者はお前らだがな)」

「ぐ、ぐぬぬ……」

「(頭のおかしい者の一人だった)氏真、御主は如何か? その様な理で、一々惚れた女子と別れられるか?」

「そ、それは……」

「我はその様な事は言わぬぞ。故に、今川氏真。その方は織田に降れ」

「ちょっ、お前、何を! ち、違うのだ! 氏真殿、これは何かの間違いなのだ! 信じてくれ! 北条は決して、今川を……」

(お前は不倫が亭主にバレた女か……)

「……」


 ふと前にめをやると、今川氏真は言葉を出せないでいた。

 後一押しか? なれば……


「この戦国の世、家名が残せれば良しと思い、力無き者は力ある武家の男子を後継として受け入れる事も多い。されど、俺はそうは思わぬ。家名も残し、血も残さねばならぬと考える。故に、だ」


 俺はここで、言葉を途切る。

 今川氏真に俺の言葉を十分に考える、その猶予を与える為にだ。

 そして頃合いをみはかり、言葉を紡ぎだした。

 それは、


「今一度言う、織田に降れ。その代わり、氏真と早川殿の身と駿河国は保障しよう。ただし、織田の彦を後継に入れさせて貰うがな。これは北条でも変わらぬと思う。が、我はお主ら二人に男子が出来たら養子に入れた者を織田に戻す。つまり、今川の血を引いた者が現れたならば、その者が今川を継げる事を約束する。もっとも、二人の身柄は暫く那古野で預かる事、国主代行にお主が最も信頼しているであろう、朝比奈を指名させて貰うがな。以上が織田からの条件だ」


 今川氏真にだけ響く言葉であった。

 案の定、今川氏真は困惑した。


(迷うか? 迷うであろうな。 何と言っても”今川”だからな。矜持もあろう。だがな、俺は知っているぞ。お前なら、今川氏真なればこそ、俺に降る事が可能だと言う事をな)


 俺は自信に満ちた視線を彼に注ぐ。

 すると彼はしっかと受け止め、問い返してきた。


「何故……かように我らに気を掛けて下さるのか?」

(それに、俺には分かっているぞ)

「ふふふ、こう見えて”人が死ぬ”のが嫌でな。特に見知った者が死ぬのがな。御主らの文を見て、御主らに身内同然の情が湧いた。それだけだ」

(若い身空で、国主となったお前の”孤独”をな)


 俺の答えに、今川氏真の、能面の如き顔に一つの雫が零れ落ちる。

 やがてその雫の流れた跡に、新たな流れが生まれた。

 堪えきれなかった、嗚咽も生まれた。

 今川氏真は顔を伏した。


 やがて、すっきりとした面を上げ、今川氏真は答えた。


「今川は織田に降りまする」


 俺は大きく頷き返し、それを受諾する。

 野点の席が、大団円を迎えた雰囲気に溢れた。


「う、氏真! その様な世迷言を申すでない!」


 とある一名を除いて。

 俺はその、空気を読めぬ者に対し、破顔してみせる。


「あぁ、そうだ、氏政殿」

「な、なんだ? そ、その様な、お、恐ろしい……」

「かような次第で、駿河も織田の領国と相成った。故に、不可侵の盟約に従い、深山城から退いて下さらぬか?」

「うっ、そ、それは……」


 そんな俺達をよそに、今川氏真と早川殿はいつまでも、互いに見つめ合っていた。

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