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#042 掛川の戦

 相模国 小田原城 評定の間


「織田が三河国吉田城を落とし、そのまま東進しただと!? ま、誠か!?」

「はっ! 風間殿乱波衆からの報せに御座いますれば、紛うことなき事実かと!」

「して、婿殿は、氏真殿は如何した?」

「はっ! 手勢を自ら率い、織田を迎え撃つ構えに御座いまする!」

「如何程引き連れるのだ?」

「およそ一万に及ぶ大軍勢に御座いまする。地の利も御座いますれば、負けることはないかと思われまする!」

「たわけ! 誰が御主の見立てを聞いた! 事実だけを申せば良い! 余計なことは申すでない!」

「も、申し訳ございませぬ、氏康様!」


 だが、北条氏康の耳に、その近習の謝罪は届いていなかった。

 彼の頭は、既に別の事が占めていたからだ。


「いかん! 武田が動くぞ! 直ぐに兵を纏め、駿河と伊豆の国境、三枚橋付近に進めよ!」

「はっ! されど、将を何方に命ぜられまするか?」

「氏政だ! 氏政が相手なれば武田晴信と言えど、好き勝手には振る舞えまい! 数は千でも二千でも良い。兎に角、急がせよ!」


 北条氏康は甲斐との同盟など、遊び女の睦言程も信じていない。

 甲相駿三国同盟を結んだのは(ひとえ)に、一度解けた駿河の今川氏との関係を再び強固な物としたかったから。

 ただ、それだけであった。


 北条氏康は評定の間を辞する近習の背を睨みつつ、


「急がねばならぬな……」


 唇を噛み締めたのであった。





  ◇





 永禄二年(西暦一五五九年)、一月三日 申の刻(午後四時頃) 天竜川 今川方の陣


 朝比奈泰朝が陣を構え終えた頃合い、今川氏真の率いし一軍が漸く辿り着いた。

 その数、一万。

 朝比奈泰朝が率いる三千を合わせれば、今川方の兵は一万三千となる。

 対する織田方の兵は輜重を含めて一万五千……の筈であったのだが今や、


「三万を優に上回っていようぞ」


 に見えた。

 いや、駿府に届いた第一報は間違ってはいなかった。

 確かに那古野を発した兵の数は一万五千であったのだから。

 しかし、天竜川を越えた織田方の軍勢が三万を数えるのも事実。


「泰朝、織田の兵が報せより多いのう。そは、如何した?」


 朝比奈泰朝が本陣に顔を出して早々、今川氏真が冷めた声で彼を詰問したのも無理はなかった。


「そ、それは……」


 朝比奈泰朝に、「氏真様が東三河衆に新たな質を要求したり、遠江衆の求める敵討ちの出兵を拒んだり、離反を疑ったから」と言える筈もなく、


「どうやら、織田方の調略にまんまと嵌ったかと思われまする」


 と述べるに止めたのであった。

 すると、今川氏真は眉一つ動かさずに、


「左様か。代々の恩を忘れ、今川を裏切ったと申すか。なれば、今すぐ駿府に使いを送れ。質共を串刺しと致す」


 と申し付けた。

 朝比奈泰朝は僅かに逡巡するも、


「……ははっ!」


 拝命した。

 その上で、


「しかるに、今は騎馬の一つも惜しむが肝要かと思われまする。先の沙汰は織田を追い払ってからに致すべきかと。この泰朝、かように愚考致しまする」


 意見した。

 今川氏真は頷き返した。


「良かろう。先ずは織田が先、そうだな?」

「はっ!」

「織田は我らの数倍の兵を擁する、そうだな?」

「間違い御座いませぬ!」

「戦たるもの、常に先手を取らねばならぬ、そうだな?」

「誠にその通りに御座いまする!」

「なれば……出し惜しみはすまい。”アレ”を使え。織田の度肝を抜くのだ」

「ははっ! 織田の目が白黒する様が目に浮かびまする!」


 朝比奈泰朝のその言葉に、今川氏真は初めて相好(そうごう)を崩した。






  ◇






 天竜川 織田方の陣


 俺の目に、鋭利な目をした武士が映った。

 その武士の体は父親に似て大きく、その体を包む具足は側から見ても今川方の中で最も煌びやかであった。

 その上、しなやかな動きをしている。


(誰だよ……蹴鞠しか能のない、落ちこぼれ大名って言ったのは……。いや、まぁ、ふくよかな顔はしてるよ、確かに。でも、あの鋭い目と軽やかな身のこなしは只者じゃあない。寧ろ、兄信長とかと同じ類だ)


 それが、俺が見た”今川氏真”の第一印象であった。

 彼は自陣の最前列に突如現れ、


「父祖の代から今川の禄を食みし者が、我を裏切った! そは詰まり、御所様(足利将軍)に刃を向けたのと同義ぞ! ……」


 兵を鼓舞し始めたのだ。

 俺は、


「やれやれ……」


 とため息を一つ吐いた後、


「橋本一巴!」

「はっ! これにおりまする!」

「うむ! アレをここから討てるか?」


 狙撃を命じた。

 今川氏真との距離およそ三町(三百メートル)。

 俺の知る最高の狙撃手なれば、余裕でピンヘッド・シュート出来る距離だ。

 故に俺は「もしや……」と思い尋ねてみたのだ。

 すると、返ってきた答えは、


「……不意を突けばあるいは」


 であった。


(ふむ、確かにあの狙撃手もそうしていたな)


 俺は小さく頷き、戦の最中に今川氏真か、あるいは名のある将を三町程の距離から撃つ様に命じた。

 もしこれが出来る様になれば、戦の有り様が大きく変わるであろうと、思いながら。




 やがて、今川氏真の檄が終わった頃合い、


「蔵人、出るぞ」


 俺も馬上の人となり、自軍の最前列に躍り出た。

 今川氏真を含む、今川方の視線が俺に降り注ぐ。

 俺は夏の日差しの如き視線を感じながら、


「今川氏真は今川義元公の正当な後継者に非ず!」


 と大音声で叫んだ。

 刹那、今川氏真の目が細まる。

 目尻が危険な角度にまで吊り上がった。


「今川義元公は今川仮名目録にてこう記された! ”守護不入”を廃する、と! ”御所様”の命に従わぬと宣布した! 然るに! 今川氏真は”御所様に刃を向けた者を討つ”と言う! それは”今川義元公を討つ”と言ったも同然ぞ!」


 俺の言葉に、今川方の雑兵やら足軽やらが動揺し始めた。

 俺は更に言葉を浴びせ掛けた。


「それ即ち! ”親殺し”に他ならず! たとえ此度の戦に勝とうとも! ”天下に弓引く賊軍”とされるは必定である!」


 親殺しに加担する者は”賊軍”として討たれる。

 そんな事は決してあり得ない。

 が、聞かされた今川方の一割、いや一分でも一厘でも信じれば、いやまさかと思わせられれば良い。

 加えて、俺の率いる兵が大義名分が我らにあると僅かでも思えば良かった。

 案の定、三日間歩き通した、疲れ果てていた兵の瞳に光が再び宿った。

 彼らは兵として蘇ったのだ。


 俺は満足気に微笑むと、太刀を抜き放ち、天に向け掲げ、


「さぁ、織田の兵よ! 賊軍を討ち! 世の乱れを正し! 戦の無い世にしようではないか!」


 次に今川方に切っ先を向け、


「全軍、前進!」


 号令をかけた。

 刹那、三万の人馬が一斉に動き出した。

 その時発した音はまるで山が崩れたかの様であった。

 向かった先の東の空は薄暗く、背負った西の空は僅かに赤く染まり始めていた。




 俺は勢いのまま、全軍を進めた。

 その後始末を、


「両翼の森殿と柴田殿にはその場に止まる様に伝えよ!」

「中央の鉄砲衆を預かる滝川殿、佐久間信盛殿にはゆるりと進まれよと伝えい!」

「良いか! 乱れるな! 隙を作るな! 食い破られては終いぞ!」

「丹羽殿はそのままで進んで良い!」

「遠江衆は左三つ巴だけを見ていれば良い! 無理して当たるな!」


 斯波義銀と津々木蔵人がしていた。


 やがて、鉄砲衆が射程に入ったのだろう、数百の火縄銃が一斉に火を噴き、煙を撒き散らした。

 硝煙の匂い。

 それは戦の香り、であった。


 その直後、今川方からも散発的ながらも破裂音がした。

 それはつまり、


(ふむ、今川方もまとまった数の火縄銃を揃えたか)


 と言う事である。

 だが、俺が驚いたのは更にその後に起こった事であった。

 纏まった量の火薬、それの爆ぜた音が前線から繰り返し発せられたのだ。

 その音は間違いなく、


「信行様! 今川方に木擲弾! お味方の第一備えが崩れまする!」


 現代で言う所の”手榴弾”であった。


(チッ! 早速模倣されたか! まっ、そりゃ、そうだ。相手だって馬鹿じゃない。作りだって難しい訳じゃないからな)


 俺の背筋を冷たいものが流れる。

 が、それに反し、俺の口元は意地の悪い笑みを浮かべていた。

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