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#041 東三河侵攻

 永禄二年(西暦一五五九年)、元日


 今川義元による尾張侵攻が失敗に終わり、返す刀で行われた織田信行による西三河侵攻。

 それが成功裏に終わってから、早半年が過ぎた。

 今では暦が変わり、永禄二年(西暦一五五九年)である。

 この年、三河国岡崎城を預かっていた将の名は織田信広と言い、尾張国主である織田信行の腹違いの兄であった。


「遂に来たか……」


 彼は今、急造した天守に登り、故郷である尾張に目を向けていた。

 真冬の外気は厳しく、吐く息は瞬く間に白く染まる。

 北風が吹き付け、顔に痛みを生じさせていた。


「信広様、もう間も無くかと」


 織田信広の背後から、彼の近習が声を掛けた。


「その様だな。人馬の列が此処からでも、よう見えるわ。御主も此処にまいれ」


 元々、岡崎城は二つの川に挟まれた丘陵の上に建てられた平山城であった。

 その平山城に望楼型天守を新たに設けたのが織田信広である。

 三重三層の天守。

 これにより、西三河は言うに及ばず、東三河と遠江の国境まで見渡す事が可能となった。


 二人は東三河を一望出来る場所に移った。


「当然ながら、吉田城に動きは見えませぬな」

「今川方も、年明け早々に我らが動くとは、些かも考えてはおらぬのだろう。今頃は駿府で年頭の挨拶を交わすので大忙しよ」

「にしても、此度の手筈を整えるは難しゅう御座いました」

「誠にその通りよ。まさか、岡崎まで無手で来ると言い出すとは思わなんだ」


 そう、織田信行は年明け早々の電撃侵攻作戦を企図し、実行を命じたのだ。

 それも、那古野城から岡崎城までの移動を少しでも早く終える様、得物を持つなと厳命までして。

 その為に、新たに拡張、舗装された東海道を荷馬車で何度も往復し、米等に紛れ武具類を運び込んだのであった。

 尋常でない量の軍需物資の搬入と管理。

 岡崎城は未曾有の混乱に見舞われた。

 だが、それですら序の口。


「さて、そろそろ水とにぎり飯、乾物、汁を並べ始めよ」

「ははっ。では……兵と人夫合わせて二万人分。滞り無く振る舞いに向かいまする」

「うむ。我は西三河国人衆と先手衆を率い吉田城に向かう。信行様との年始の挨拶は吉田城の広間で行う、その様にお伝えしろ」


 岡崎城にいる者の戦争、その本番はこれからなのだから。





  ◇





 永禄二年(西暦一五五九年)、一月二日


 俺は今、織田の旗”織田木瓜”が所狭しと翻った吉田城を背にし、街道を東進している。

 目指すは遠江国曳馬城。

 現代で言う所の、”浜松”である。


 そう、信広兄者は一日も要さずに吉田城を陥したのであった。

 正に、驚くべき快挙。

 いくら城主であった小原鎮実(おはらしずざね)が不在だったとは言え、俺の予想は大きく裏切られてしまった。

 無論、良い意味でだ。

 当初の予定では吉田城を攻囲しつつ、今川氏真を待ち受ける手筈だったのだから。

 それもこれも、信広兄者が中心となって東三河の国人衆を上手く調略し、吉田城に内通者を忍ばせたお陰であった。


 ちなみに、この”遠江”と言う地名、嘗ては”遠淡海(とほつあはうみ)”とも呼ばれていた。

 淡海、つまりは遠い淡水湖のある国が転じて”遠江国(とおとうみのくに)”。

 同じく、近い淡水湖のある国を”近江国(おうみのくに)”と呼んでいた。



 閉話休題。

 さて、一方の俺はと言うと……


(弱ったなぁ……。全くの想定外だよ)


 内心悩んでいた。

 堅城と名高い吉田城が一日も経たずに陥落した事実に、ほとほと困っていたのだ。

 元旦の夜明け前に陣触れを発し、着の身着のままで岡崎城に駆け込み、翌夜明け前から今度は武具を携え、兵らの痛む足を無理矢理前に進ませ、漸く吉田城に着いたと思ったら……既に戦が終わっていたからだ。

 流石に、先手衆の手で吉田城が早々に陥したと知り、


「織田信行様は熱田大神の化身かお釈迦様の生まれ変わりか!」


 と俺をまるで神か仏かの如く敬い、


「次はいよいよ今川だ! 遠江だ! 積年の恨みを晴らさずにおくものか!」


 と血気逸る将やら兵やらに対し、


「吉田城を得た事で今回の作戦目標は達成された! 帰るぞ!」


 とは言えなかった。

 いや、覇王である兄信長なら言えただろうがな。

 小市民だった俺にはとてもとても……


 で、仕方なく曳馬城を目指している訳だ。

 正直、一国の主としてこれはどうかと思う。

 だが、仕方ないのだ。

 俺は元万年平社員。

 それに、戦国の世に来てまだ二年と経っていない。

 大きな流れにはとてもじゃないが逆らえないのだから。


 それに鳥笛によれば、遅蒔きながら今川氏真が動き出したらしい。

 彼が本気を出せば、明日の昼過ぎには曳馬城にまで辿り着けると思われる。

 どうせ帰るなら、噂の”公家顔”とやらを拝んでからでも悪くはない、そう思い立った所為でもあった。





  ◇




 さて、織田信行の新たな作戦目標となった曳馬城。

 この城は遠江国の西部、より詳しく述べるならば天竜川以西を統治する為の最重要拠点であった。

 城主の名は飯尾連竜(いいおつらたつ)

 彼は先の田楽狭間での戦いの折、父親である飯尾乗連(いいおのりつら)を亡くしていた。

 その所為もあるのであろう、親の敵討ちにも向かおうとしない今川氏真を見限り、遠江の親今川氏の国人衆らと小規模な抗争を連日繰り返している。

 例年駿府で開かれる、年始の挨拶に顔を出さなかったのもその為であった。


之綱(ゆきつな)!」


 飯尾連竜が寄子であり、遠江国頭陀寺城主でもある松下之綱を呼んだ。

 呼ばれた男はススっと前に進み出て、平伏する。


「その方の申す事、誠であろうな!」


 問われた松下之綱は、


「織田方先手衆の将が一人、木下殿の書状が御座いますれ間違いないかと存知まする!」


 と言い切った。

 ちなみにだが、松下之綱の言う”木下藤吉郎”は先手衆の将などではない。

 そもそも、足軽大将ですらないのだ。

 その彼が何故先手衆の将を名乗っているのか。

 それは、


「この戦が終わりゃあ、儂は足軽大将に上げて貰えるわ。間違いあれせん! だで、今から名乗ってもどうもない!」


 と松下之綱に言い張ったからであった。

 故に、松下之綱は内心ドキドキしている。

 寄親である飯尾連竜が、今更今川方の元鞘に納まろうとする筈がない、と頭で理解していてもだ。


「なれば良い! 我らは織田に降る! 井伊谷の井伊直親、二股の松井、犬居の天野も共にな!」


 遠江国西部が織田の物となった瞬間であった。





  ◇





 永禄二年(西暦一五五九年)、一月三日


 俺は今、織田の旗”織田木瓜”が所狭しと翻った曳馬城を背にし、街道を東進している。


(……あれ? これ、何て既視感(デジャヴュ)?)


 三方ヶ原はとうに過ぎた。

 そこで今川氏真を待ち受ける積もりであったにも拘わらず。

 ”予定は未定”と言う言葉を、俺は図らずも実感した。


 軍勢もまた、予定には無いほど変化した。

 那古野を発った当初より、些か膨らんだのだ。

 荷駄を引く人夫を含め、総数二万の筈が今や三河と遠江西部の国人衆らを加え、三万に達するらしい。

 無論、行軍に加われば飯が食えるから、褒賞に米が渡されるから、銭が欲しい物には銭が与えられるから、と領国内に触れを出した所為に他ならない。

 なんせ、三河と遠江の領民は随分と腹を空かせている。

 それもこれも、今川義元が糧食の無い中、尾張侵攻を強行したからであった。


 でだ、俺は新たな軍事目標を遠江東部、掛川城とした訳なのだが……そこに問題が発生した。


「だれぞ、天竜川の渡り方を知らぬか?」


 どう見ても、目の前の川が渡れそうにないのだ。


(チッ! 今川義元の奴、橋を架ける手間を惜しみがったな!)


 俺は死んだ者に毒づきつつ、知ってそうな奴を探した。

 すると、


「恐れながら……」


 遠江衆と便宜上呼ぶ事にした、


「飯尾連竜か。申せ」


 が俺の前に進み出た。


「ここから少しばかり北に向かった場所に池田の渡しが御座いまする」


 彼は曰く、そこから小舟や筏に乗って渡れると言う。

 俺は直ぐ様、北進を命じた。




 凍てつく一歩手前の川を、足軽や雑兵らを徒歩で渡らせつつ、俺達は何とか天竜川を渡り終えた。

 すると、間の良い事に、


「今川が街道を西進! 先陣が間も無く見えまする!」


 敵である今川方の兵が現れた。


(危ね! 渡河中に攻撃されてたら確実に負けてたぞ! 尤も、斥候を出し、渡り終えるまで敵が来ないと分かってた上で渡ったんだけどな)


 で、現れた今川方の旗印を確認する。

 見えた印は”左三つ巴”。

 掛川城主、朝比奈泰朝が率いる一軍で間違いなかった。


(さて、先ずは陣地構築を命じるのだが、問題はその後の先手を誰に任すか……だな)


 俺な何気無く、井伊直親に視線を向けた。


(許嫁である井伊直虎がいながら、他の女子を正室に娶った男……か。たしか、直虎はその失意のあまり出家した筈。もしくは、恨み骨髄で? なれば、直親が死ねば還俗するか。つまり……こいつで良いか?)


 井伊直親の顔色が見る間に悪くなった。


(いや、私怨? を晴らす為の人事は良くないな。となると……)


 そう考えていた刹那、


「信行様! 先手は某にお任せ下され!」


 滝川一益が名乗り出た。

 彼の言葉は勢いに溢れていた。


「某に鉄砲衆を預けて下されば、必ずやあの者を討ち果たしてご覧に入れまする!」


 それもその筈、彼と彼の指揮した鉄砲衆は先の戦いで並外れた戦果を出していたからだ。

 と言っても、その殆どが橋本一巴の手による物だった気もするがな。


 俺は暫し考えた後、


「良いだろう、先手は滝川一益と貸し与える鉄砲衆五百に任せる」


 と決断した。

 その上で、


「軍監、斯波義銀!」

「はっ!」

「聞いての通りだ。先のを踏まえた上で、差配を任す。三万の兵馬を上手く舞わせてみよ」

「ははっ! 必ずやご期待に添うて見せまする!」


 差配を丸投げした。

 俺に、


「信行様……」

「ん? 何だ、蔵人?」

「また面倒な事を人に放り投げられましたな」

「……な訳があるまい。これも今後を見据えての事よ。一軍に付き、一軍監を配する。その効果を皆の目に知らしめる為よ」

(チッ! 相変わらず鋭い奴! これだから蔵人は困る……)


 全軍の指揮とか、どだい無理なのだから。


 織田の東三河侵攻軍改め、遠江侵攻軍三万は天竜川を背に陣を敷いた。

 陣形は鶴翼。

 今川方の魚鱗を包み込むが如く、羽を広く伸ばしている。


 永禄二年(西暦一五五九年)、一月三日 未の刻から半刻程過ぎたばかりの事であった。

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