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#040 使者(2)

 遠山直廉(とおやまなおかど)

 美濃国の東部、恵那郡は苗木城の城主であり、恵那郡を差配する遠山七家、岩村・明照・明知・飯羽・串原・苗木・安木の一人でもあった。

 特に岩村城主遠山景任、明知城主遠山景行、苗木城主遠山直廉は”三遠山”と言われている。

 尚、これら遠山氏の惣領は岩村城主遠山景任であった。

 史実ではお艶の方を正室として迎え、尾張織田氏と東美濃遠山氏の繋がりを強固な物にしていた。


 その遠山氏の一人である遠山直廉が何故、武田晴信の使者として尾張に参ったのか。

 実はこの遠山氏、信濃国を武田氏が制圧した前後から武田氏による度重なる略奪に悩まされていた。

 弘治元年(西暦一五五五年)には大規模な侵攻を許し、結果、遠山氏は武田氏に臣従することになったのだ。

 更に、弘治二年(西暦一五五六年)、時の岩村遠山家当主遠山景前が死に、遠山景任が後を継いだのだが、まだ若い遠山景任に従わぬ遠山七家が出た。

 これに対し、武田氏は美濃国恵那郡に派兵し、争いを治めた。

 以後、武田氏と遠山氏の主従関係は強固な物となり、遠山氏は武田氏に人質を差し出すことになったのである。


 だが、遠山氏も戦国の世を生きる者。

 武田氏に臣従を誓いつつ、美濃国斎藤氏、尾張国織田氏とも誼を通じていた。

 その最たる動きが、斎藤義龍による明智城攻めに加わった事であり、織田氏の姫を一族の正室に迎え、縁戚関係を結んだ事であった。




  ◇




 武田晴信からの使者、遠山直廉曰く、


「武田晴信様はご子息である四郎様の正室に織田家の姫君を、と申されておりまする」


 らしい。

 それに対する俺の答えは、


(否! 断固反対! 誰が可愛い妹達や娘達をあんな嘘吐きで、人を人とも思わぬ外道の下に嫁がせられるものか! あいつは自分の覇道に邪魔だからといって嫡男とその嫁を殺すような奴だぞ!)


 であった。

 しかし、それを正面切って口にする事は出来ない。

 如何に相手が義弟であっても、である。

 故に俺は、


「この信行の目が黒いうちは、織田の姫を他国には嫁がせぬ。そう、亡き兄上と亡き父上に誓ったのだ。誠に良き話なれど……あいすまぬな」


 こちらの事情で、と断った。


「これは異な事を。尾張国を治め、西三河をもぎとった織田信行様のお言葉とは思えませぬ。いやはや、何故かような事を申されるか?」

(……意外としつこい。だが……武田晴信が信じられぬ……とは言えぬし。はてさて、どうした物か……)


 俺が返す言葉に詰まっていると、


「ふふふ、自らの父親をも追放する男の下に、大切な姫は遣れぬ。で、御座りましょう?」


 義弟が核心を突く。

 俺は思わず、ドキリとした。


「ご安心めされよ。武田には伝えませぬ。我ら遠山もまた”面従腹背”ですからな」

「で、あるか。されど困った。武田は甲斐と信濃の二国を領する。石高で表すなら二十万石と四十万石を合わせて六十万石の大大名だ。だが、問題はそれだけでは無い……」

「三河を、そして行く行くは遠江を、とお考えの信行様にとっては頭の痛い問題。で、御座りましょう?」

「直廉、御主……」


 俺は目を細め、遠山直廉をまじまじと見た。

 彼は俺の視線をしっかりと受け止める。

 その上で、


「某に考えが御座いまする」


 と言ってのけた。


「申せ」

「はっ! 然るべき武家の娘を某の養女と致しまする。更にその娘を信行様が娘と致しまする。その娘を四郎様に娶って頂く。さすれば丸く収まりまする」

(それ、何て家系ロンダリング!? ……だが、確かにこの時代では有効な手だ。この手の話は良く聞くしな。だがな?)

「それでは”織田の姫を他国に嫁がせぬ”という前提を破っておる。養女とはいえ、織田の姫には変わりが無い故にな」

「し、しかし、それでは!」

「左様、武田の申し出は有難い。が、断るしかあるまい」

(それに、養女とは言え、姫を嫁がせると俺の手が狭められる故にな。加えて、武田においては他家を裏切るなど常套手段。信じた此方が馬鹿を見る。なれば……最初から手を結ばねば良い。ただそれだけの事よ)


 俺の言葉は、使者を務めた遠山直廉にとって殊の外意外だったようだ。

 みるからに唖然としている。

 それどころか、顔色も悪く、今にも引きつけを起こしそうであった。

 それは然もありなん。

 恐らくだが武田晴信に対し、「義理の兄にあたるので良い返事を必ずや!」と述べ、大任を買って出たのだろう。

 その分、失敗すればどうなることやら。

 あの武田晴信の事だ、下手したら族滅させられるやも知れぬ……


 俺はそんな義弟を哀れに思い、思わず、


「逆に武田の姫を織田に嫁がせるのはどうであろう? 織田には彦も沢山いる。武田の姫であれば皆歓迎しようぞ」


 と言ってしまった。


「ま、誠に御座りまするか!」

(あっ、嘘! 急に止めたくなった……)

「いや、その……(わたくし、)嘘をつきま……」

「成る程! 武士に二言は無い! そう申されまするか!」

「ま、まぁ待て! 兎に角落ち着け!」

「何をおっしゃられる、信行様! 某、明日の日の出と共に尾張を発ち、この吉報を武田晴……」


 俺は手柄を立てたと興奮し、今にも広間を辞する勢いの遠山直廉の首根っこを捕まえ、


「我が待てと言っておる! その方、耳が聞こえぬのか?」


 威圧した。

 その上で、


「そう、急ぐでない。まぁ、ゆるりと。そう、今後の織田と遠山の在り方でもゆるりと語り合おうでは無いか。のう、義弟殿」


 と耳元で囁く。

 彼は借りてきた猫の如く、


「さ、左様に御座いまするか……」


 おとなしくなった。




 その夜、俺は義弟を二の丸は奥の書院に誘った。

 酒を酌み交わし、語り合う為にだ。

 最初は妹との夫婦仲を聞いたりした。

 やがて、興が乗ってきた所で、


「那古屋は如何か?」


 久方ぶりに訪れ、目にしたであろう、那古野の町並みをどう見たかを問うてみた。

 すると、帰ってきた答えは、


「人も物も溢れておりまする。まるで話に聞く京の都や境(堺)を彷彿致しまする」


 であった。


「特に那古野大路。幅が二十間(三十六メートル)は御座いました。驚くべき広さに御座いまする」

「左様、左様」

「然るに、一部のみに砕石を敷くのは何故に御座りましょうか?」

「おぉ、よう気が付いたな。あれはな、あの上に馬車を走らすためよ」

「牛車ではなく、馬車……に御座いますか」

「左様、”馬車”だ。数頭の馬に車を曳かせ、物は言うに及ばず、何人もの人を一度に運ぶのよ」

「何人もの人を? はて、馬に曳けますかな? 牛に比べ、随分と小そうございますが……」

「ふむ、その懸念は当然よ。故に、馬体の大きな馬を中心に、子を増やさせている」

「そこまでしなさるか……」


 遠山直廉は言葉が無い、といった感じだ。

 俺はニコリと笑い、更に話続けた。


「馬だけでは無いぞ? 人の体もまた、大きくなるよう工夫している。具体的には猪肉や鴨肉を食わせたりしてな。我も背が高い方ではあるが、いずれ那古野は、六尺を越す者で溢れかえるであろう」

「そ、そのような事は……」

「信じられぬか? まぁ、それはそれで良いがな」


 俺の言葉がそこで途切れると、今度は遠山直廉が幾つも問うてきた。


「時に、那古野大路の如き道は何処まで伸ばす積りに御座いまするか?」

「当面の予定では、まずは岡崎城までとなる。それが終わり次第、美濃は稲葉山城へと伸ばす積りだ。尤も、これは斎藤義龍が許せば、ではあるがな」

「し、しからば……岩村城にまで道を伸ばせては貰えませぬでしょうか?」


 俺は彼のその頼み、ニヤリと笑いつつ、


「何の為に?」


 と問う。

 帰ってきた答えは、


「む、無論、那古屋への道が整いますれば、我ら遠山はその道が有るが故に富みまする。そして、その道が織田様の手による物となれば必然的に……」


 であった。

 俺は小さく頷き返した。


「では、直廉殿に改めて問おう。岩村城主遠山景任殿は何時まで武田に臣従する積りか?」

「岩村城までの道が出来次第、必ずや織田様に降るよう説き伏せまする!」

「で、あるか。なればその様に。だが、急げ。我が道普請を命じた者はなかなか遣り手であるからな」

「さ、左様に御座いまするか……」

「うむ。先の戦の手柄で足軽にしてやったのだが、”嫁にしたい女子が足軽小頭でないと嫁に行かぬ”と言われたらしくてな。岡崎までの道普請を三月以内に仕上げたら足軽小頭にしてやると約束したら、それはもう、目を見張る早さで遣り遂げようとしておるらしい」

「そ、それ程に御座いまするか……」

「左様。故に……」

「はっ! 遠山七家! 直ぐにでも纏めてご覧にいれまする!」

「頼んだぞ」

(やった! これで、妹達や娘達を武田に嫁がせずに済む!)


 俺は心の中で祝杯を挙げた。

 だがこの時、俺は己の口から発した失言に気が付いていなかったのだ。

 何故”姫が欲しい”と口走ってしまったのか。

 この後、俺は深い後悔をする事となった。





  ◇






 甲斐国 躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた) 評定の間


 上座に佇む武田晴信を前に、武田家中において美濃方面の旗頭、秋山信友が平伏していた。

 二人の顔色は好対照である。

 一人は顔を朱色に染め、一人は蒼白している。

 赤い方の男が、地鳴りの如き声を発した。


「断られた……と、そちは今、そう申したのか?」


 甲斐の十月ともなれば、時折雪が降る。

 しかし、この広間の中は、既に豪雪地帯の如き寒さを覚えた。


 居並ぶ家臣がブルリと身を震わせる。

 それは、秋山信友も同じであった。

 しかし彼は、身震いする間も無く、


「はっ! 左様に御座いまする! 然るに! 織田信行は姫なれば娶らして欲しいと! そこで遠山直廉が娘を晴信様の姫とし、織田信行が息に娶らせては如何でしょうや!」


 一息に言葉を発した。

 ただ、「はい」と答えただけでは問われた意味が無い。

 逆に言えば、武田晴信もただそれだけを期待して問うた訳でも無い。

 当然の様に、断られた事実に対する”案”を期待していたのだ。

 そして、それが出来ぬ者は躑躅ヶ崎館に入る事は叶わなかった。


「ふむ……それでも良い……か。されど……」


 武田晴信は暫し考えに耽った後、一つの問いを発した。


「織田信行の歳は幾つか?」


 時代が大きくうねり始めた。






  ◇





 美濃国 稲葉山城


 床に伏せりがちな国主を前に、婦人の如き侍が(はべ)っていた。

 その歳若き侍の顔色は、床から起き上がった自らの主以上に優れていない。

 もっと言えば、土気色していたのだ。

 主が歳若き侍を気遣うかの様に、優しげに声を発した。


「如何であった……と問うまでも無い……か」


 歳若き侍は小さく頷きを返した。


「半兵衛、お主ともあろう者が、それほどまでに……。美濃は危ういか?」


 歳若き侍は大きく頷きを返した。

 声を発しぬ歳若き侍の姿に心を痛めた主。

 彼は、


「……何を見てきた? 包み隠さずに申せ」


 声の弱さとは裏腹に、強く命じた。


「巨大な……得体の知れぬ”何か”……に御座いまする」

「何だ? もそっと分かり易く申せ。いや、見てきた物を順に申してみよ」

「はっ! 都の朱雀大路を思わせる真っ直ぐな道。されど砕石にて見目麗しく誂えられておりました。それだけには御座いませぬ」


 歳若き侍は見てきた物を全て語った。


 町の所々に設けられた”公園”。

 童が見た事も無い道具で遊び、駆けずり回っていた。

 聞けばそこは、城下町に住む者らが”気軽に体を動かせる場”として設けた他、町を覆うほどの大火が起きる事を見越してもいるとか。


 町の所々にある雨水貯水槽と砂山。

 火が出た際、それらを桶の中で混ぜ、火元に被せる為にあるとか。


 大湊に立つ巨大な石造りの”灯台”。

 遥か彼方の海上からも見渡せる程だとか。


 そして何よりも恐ろしいと思われたのが、


「義龍様の一近習にすぎぬ某を、何故か知っている……その様な考えに行き着いた故に御座いまする」


 であった。


「……ば、馬鹿な。年初の、岩手弾正を討った際の、初陣での働きが伝わったか?」

「左様な様子は御座いませぬ。されど……」

「御主の事を知っている……そう感ぜられたのだな」

「はっ! 故に、恐ろしく感じてしまい……」

「あぁ、聞いておる。らしくもなく取り乱したそうだな」

「はっ……」


 二人は暫くの間、見つめ合った。


「半兵衛……」

「……はっ」

「織田信行から目を離すで無い。必要とあらば、時折那古野に行くことを許す」

「ははっ!」


 二人の目が再び、見つめ合った。






  ◇






 尾張国 那古野城 家老詰所


 俺は机を前に、何時も通り執務に励んでいた。

 少し離れた場所に、少しやつれ気味の津々木蔵人もいる。

 更に離れた場所には、村井貞勝や林秀貞、織田信清や織田信家、随分とやつれた柴田勝家の姿もあった。

 基本、多くの家老がこの部屋に集まり、執務に励む。

 この部屋に居らぬ者は、普請奉行を命じられたり、何かしらの仕事を任され、外に出ているかだ。


 俺は幾つかの紙に花押を書きつつ、


「順調だな……」


 と呟いた。

 すると、


「左様で御座いますなぁ」


 頬が少し痩けた、津々木蔵人が応じた。


「時に、軍監衆の面々は如何した?」


 俺が何気なく、家老詰所にいる”誰か”に問う。

 その刹那、


「はっ! 前田利久殿を筆頭に、斯波義銀、本多正信、蜂須賀正勝、長谷川与次とその者らの小姓とし、十名の賢き若者にて発足致しまする」


 林秀貞が答えた。

 俺は満足気に、


「で、あるか」


 とだけ口にするのであった。


「よし、次は他国との繋ぎを担う者を厳選せねばならぬ。外交衆を設ける」

「はっ! 国境を自由に行き来できる様、僧を中心に集めまする!」

「頼んだぞ、村井貞勝」

「ははっ!」

「兵は如何程迄に回復した?」

「はっ! 長柄衆が四千」


 木全忠澄が答えた。

 彼は長柄奉行として長柄を扱う足軽や雑兵に加え、槍の管理も任されていた。

 続いて、


「弓衆が四千!」


 林弥七郎が述べた。


「鉄砲衆が五百!」


 橋本一巴が挙げた。


「馬廻衆が二千!」


 森可成が叫んだ。


「旗衆が千」


 前田利益がほくそ笑んだ。


「山窩衆が二千! 河原衆が一千!」


 津々木蔵人が最後に締めた。

 俺は鷹揚に頷き、


「信広兄者には岡崎への道が出来次第と伝えてある。ゆめゆめ準備を怠るでないぞ」

「ははっ!」


 三河制圧に向かう旨を宣言する。

 俺は逸る心を抑えながら、顔を大きく歪め、笑った。

感想を書いて頂いた皆様。

感想返しが滞り、誠に申し訳有りません。

一話を書き上げるので精一杯で、目を通すのですが返信まではなかなか。。

何とか話を早く書き上げる事が出来たなら、返信させて頂きます。

どうか、ご容赦ください。


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