#004 那古野城の攻防(1)
地球は太古より、気候変動を繰り返していたらしい。
例えばだが、縄文時代の中頃から弥生時代(紀元前数世紀)までは寒冷期が続き、その後西暦五〇〇年頃までは温暖期が続いた。
そこから、大宝律令が制定される西暦七〇〇年頃までは寒冷期となり、次の奈良・平安時代、鎌倉時代と温暖期が続く。
この時の温暖期は想像以上に暖かかったらしく、貴族の屋敷は壁の少ない、簾や几帳(イメージは布製の間仕切り)を多用した寝殿造が流行った程だ。
亜熱帯地方の家屋だよな。
気温が高い故に、長雨も多く、加えて疫病も大いに流行ったらしい。
堪りかねた時の帝が遷都を命じるほどに。
ところが、室町時代に入って様相が一変する。
冷夏とそれによる飢饉。
いわゆる小氷期に入ったらしいのだ。
それは昭和初期まで続いた。
俺が元いた時代”平成”は、絶賛温暖化進行中だったと言うわけだ。
さて、俺が何が言いたいかというと、
(さ、寒む! め、めっちゃくちゃ寒いよ!)
なのだ。
亜熱帯地方と変わりないと言われた近年の日本、そこから俺は小氷期真っ只中の戦国時代の武将に転生? 憑依? した。
(もっとも、これは夢だと切に願っているけどな)
故に、体感する寒さが半端じゃないのだ。
軽く体を動かすだけで、体から湯気が立ち上る程にだ。
にもかかわらず、俺は今、寒空の下、弓を射ったりしている。
時は弘治三年(西暦一五五七年)、一一月二日。
正午を示す鐘の音が響いた後に、半刻を告げる鐘がなった頃合であった。
ちなみにだが、俺こと織田信行は明け六ツ(午前六時)に末森城を出て、五ツ(午前八時)に那古野城の傍を通り過ぎ、五ツ半刻(午前九時)に落馬したらしい。
九ツ刻(正午)には清洲城に到着している予定だったので、あのまま進んだ場合、僅か二時間余りで俺の戦国武将ライフが終わっていた事になる。
(本当に危機一髪だったな。庄内川を渡っていたら清洲城に運ばれていた可能性もあった訳だし。いや、それとも千載一遇の機会を逃したのか? 風の噂によると信長は親族思いだったらしい。そんな彼に対し、清洲城に入った直後に焼き土下座をすれば許されたのかもしれない。……いや、無いな)
俺の体調を案じ、那古野城に着いたのが四ツ半(午前一一時)。
評定を一時解散し、量の少ない昼食を摂ったのはつい先程の事であった。
その俺が何故弓を射っているかというと、先の評定が煮詰まったからだ。
いやね、鉄砲は十丁前後しかない、急遽動員できる兵もあまりいない、で何が出来るのよ!? 、相手はあの”信長”だよ! バカなの? 死ぬの? と。
軽いイラつきを胸に覚えつつ、俺は評定の一時休止を宣言し、広間を後にした訳だ。
そんな俺に、
「信行様、お気を鎮める為、弓など一つ……」
津々木蔵人が勧めてきた。
(えっ、弓!? 生まれてこのかた、射った事ないですけど!?)
と思ったのだが、悲しいかな、断れなかった。
グイグイ来る津々木蔵人の迫力に押され、弓を射る事になったのだ。
が、意外な事に、
「流石です、信行様!」
俺には弓の才能があったらしい。
いや、この体の持ち主である織田信行が名人級の腕前だったのだろうか?
面白いように射った矢が的に当たるのだ。
俺は先程までの感情を忘れ、一心不乱に射ち続けていた。
そこに、この後の状況が大きく変わるであろう、情報が寄せられた。
側仕えの小姓によって。
それは、
「柴田勝家殿、佐久間盛重殿が信行様へのお目通りを願い、罷り越してございます!」
であった。
「苦しゅうない、面を上げよ」
その言葉が、平伏していた二人の侍を起こした。
共に一角の武将らしく、筋骨逞しい体つきをしている。
顔つきも共に髭を生やし、似通っていた。
しかし、どちらが柴田勝家かは直ぐに分かった。
「(でかい……これが)柴田勝家……か……」
一方の身の丈が百八十を優に超えていたからだ。
「はっ! 信行様におかれましては、落馬されたと伺いましたが、まずは御健勝のご様子! この權六、胸を撫で下ろした次第にございます!」
(よく言うわ! 史実では信行に謀反を焚き付け、その上で信長に取り入る為に売ったと聞いたぞ!)
「して……佐久間盛重か」
「はっ! お久しゅうございます」
「うむ……」
(信行の家老ではあったが、今では信長の重臣。もっとも、こいつは桶狭間の戦の折り、信長に囮にされ、見捨てられて討ち死にしたんだよなぁ)
さて、今居る上の間には俺と二人の武士の他に、林秀貞、津々木蔵人と数名の侍と小姓達がいる。
その内の数名は今にも二人に斬り掛らんばかりに殺気を放っていた。
それでも柴田勝家と佐久間盛重の二人は、堂々としている。
さずがは歴戦の勇将といったところであった。
「で、私に何用か?」
俺の問いに答えたのは柴田勝家だった。
「しからば、某から! 信長様は直ぐに清洲に参られることをお望みあそばされております! 信行様には是非とも直ぐに向かわれることが肝要かと存じ奉ります!」
「ほう、兄上が私に対して一刻も早い清洲への登城をな。先日、その方の口からは言葉を発するのも困難となり、今では明日をも知れぬ容態だと聞いておったが……そうか! 快方に向ったか! であれば……清洲に入る道理はあまりあるまいて。そうじゃな?」
「ううっ……」
柴田勝家が二の句を継げなくなった。
いとも簡単に。
正に、”猪武者”だな。
俺を清洲城に向かわせたいのならば、もっと上手い言いようがあった筈だ。
その証拠に、隣に座る佐久間盛重は柴田勝家の顔を呆れた目をして見ている。
が、このままでは主人である信長の命を遂行することが叶わなくなるのを恐れたのだろうか、
「あいや、お持ち下され、信行様」
佐久間盛重が口を開いた。
「何だ、佐久間盛重? 兄上とこの柴田勝家が謀り、清洲で私を謀殺すると知った上での言葉であろうな?」
「い、いや、そ、それは……」
しかし、佐久間盛重も目を見開き口ごもる。
柴田勝家に至っては顔面を蒼白にしている。
彼らは俺に、暗殺計画が露見していたとは考えてもいなかったのだろうか?
「ふふふ、否定しても無駄ぞ? 既に兄上が健勝なのは分かっておるからな(史実通りのようだからな)。その上で問う? お主らは兄上に、他に何を命じられて来たのだ?」
「い、いえ、某はただ信行様を清洲にお連れせよ、と。それだけに御座います、のう、佐久間殿」
佐久間盛重は小さく頷いた。
俺はそれを目にし、大きなため息を吐く振りをした。
そして俺は、
「全く、お主らも可哀想な者らよな……」
意味深な言葉を投げ掛けた。
「そ、それは一体……」
「分からぬか、佐久間盛重? お主も分からぬか、柴田勝家?」
分からぬと答える二人。
無論、彼ら以外の広間にいる者達も分かってはいない。
その証拠に、不思議そうな顔をして俺達の問答を聞いていたからだ。
俺は今一度、
「そうか、分からぬか……」
と呟いた後、
「お主ら二人は私の足止めとして生贄にされたのよ。今頃兄上は戦支度をしておるわ!」
言い放った。
すると、
「なっ! ま、誠ですが信行様!」
俺を除く侍達の声が揃った。
ところで、俺が何故信長が戦支度をしていると知っているのか?
答えは簡単、嘘だから。
単純に二人に難癖をつけ、お縄にしたかっただけなのだ。
だって、こいつら信長方な訳だし、一人でも敵将を減らしておいた方が俺こと信行には有利な訳だろ?
ならば、見敵必殺!
見敵必殺だ!
俺は俺が生き延びる為なら、何だってしてやる!
……それよりもだ。
思った以上に二人の心をへし折ってしまったようだ。
まるで燃え尽きたかのように惚け、あらぬ方向に目を向けている。
時折、
「これまでの我慢は一体何だったのか……」
などと零していた。
俺はそんな二人を顎で指しつつ、
「引っ立てい!」
と言い放った。
「ははっ!!」
俺の家臣の声が揃い、広間の壁を揺るがした。
彼らの目は一様にキラキラ輝き、俺を見つめている。
その中には、俺を尊敬や敬意、新たに形作られつつ信頼などがない混ぜになった、眩いばかりの光が宿っていた。
(うはっ! 何これ気持ちいいー! これなら出世したがる人の気持ちも分かるわ! いやー、最高!)
俺は胸が熱くなるのを感じながら、その余韻に浸っていた。
しかし、その直後、広間の空気は一変した。
「ご注進! ご注進! 信行様に火急のご用件にてご注進に御座いまする!」
侍姿では無い者の突然の登場によって。
「おお、お主は! 信行様! この者は某が清洲城下に放っていた者に御座いまする! して、何があった!?」
「はっ、秀貞様! 柴田勝家殿と佐久間盛重殿が出られた直後から、信長様方馬廻り衆並びに鉄砲衆が清洲城に詰め始めましたよしに御座います!」
「な、何! して、その数は!?」
「はっ、馬廻り衆は森可成様を筆頭に二十余り! そのご家来衆として八十! 足軽衆百! 鉄砲衆は二百余りに御座いまする!」
刹那、俺は驚きの余り、飛び上がってしまった。
「そ、それは誠か!?」
それは俺の口から思わず出た言葉。
並み居る家臣の目から先ほどまでの輝きが消え、点に変わっていた。
(い、いかん! 折角の敬意が! 信頼が!)
「……お、思ったよりも早い! ぐぬぬ、こうしてはおれぬ! 林秀貞!」
「はっ!」
「お主は……そうだ! 手の者を使い、岩倉城に救援を求めよ! いや、挟撃を頼むのだ! 清洲勢に捕まっても良い様に、数名出せ!」
(一人が捕まれば良し。例え全員が捕まっても信長は挟撃を気にするだろうからな!)
「ははっ!」
ふぅ、大丈夫か? 皆の目に光は戻ったか?
……ん、戻ったな。
ならば、もう一つ。
ちょっと良いとこ見せてみたい!
「津々木蔵人!」
「はっ!」
「お主にも頼みたいことがある! 手の者を使い、末森城に救援を出させよ! 加えて近隣の村落を訪れよ! 村人に頼みたいことがある」
俺は彼を手招きして、耳元に囁いた。
「あっ……」
(んだよ、気持ち悪い声出すなよ……。話辛いなぁ)
「……と言う訳だ。出来るな?」
「はっ! 天地神明に掛けて! 信行様にこの身の全てを捧げる所存で御座います!」
「お、おう……」
(重いなぁ……。こいつを重用するの止めようかな? 名前を知っている数少ない侍だし、年が近そうだから頼み易いんだけどなぁ)
それとだ、
「柴田勝家と佐久間盛重は……」
の処遇を決っしておかないとな。
「未だ残る、空いた蔵にでも閉じ込めておきまする」
「頼めるか、林秀貞?」
林秀貞が力強く頷いた。
後は、信長を迎え撃つのみ。
しかし……なんでこうなったんだ?
「籠城の準備を急がせよ!」
俺の声が那古野城内に響く。
篭るなら、末森城の方が良い筈なのに。
「城内にも火薬もしくは油はあるのか? なに!? 少しならある? なら持って来させよ! それから……」
なのに、気持ちが徐々に昂ぶっていく。
まるで、織田信行が兄信長と雌雄を決するのを楽しみにしているかの様に。
心が体に引かれる、そういう事が起きているのかもしれない。
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