#036 織田信行による逆襲
山犬こと多田野犬千代なる侍が、足元に落ちた首を拾い上げ、
「今川義元が首! この”多田野犬千代”が討ち取ったなり!」
と叫んだ。
俺はそんな姿を目にし、眉間に皺を深く刻みこむ。
(お前……馬鹿なの? いや、馬鹿なんだろうな。討ち取ったの、誰がどう見ても俺だし……)
俺は男に向けて矢を番えた。
相手は六尺の大男。
俺に背を向け、首を高々と掲げている。
(目を瞑っていても当てられるわ!)
俺は番えた矢を手から離した。
それは一直線に多田野犬千代なる男に向かった。
刹那、
「痛ーっ!!」
多田野犬千代の口からは絶叫が発せられた。
何故ならば、彼の尻から矢が生えたからだ。
彼は大事そうに掲げていた首を放り投げ、尻を抑えた。
そして、矢が飛んで来た方へと顔を巡らせた。
その時、俺と多田野犬千代の視線が交わる。
すると、彼は大音声を発した。
「な、何をするで御座る!?」
「それはこっちの台詞だ! 他人の討った首を拾って名乗り上げるとは一体どういう了見だ!」
「ぐっ……」
「ぐっ……では無いわ! そもそも、その他大勢の者が見ている中、貴様の名乗りがまかり通ると思うておるのか!」
「し、然るに、信行様は今川義元の首を落とさば、拙者の帰参を認めて頂けると……」
「木下藤吉郎には確かにそう申し伝えた! それと、首を譲るのとは訳が違うわ! この、たわけが! 今一度冷静になって周囲を見てみい!」
その時、多田野犬千代こと前田利家は気が付いたらしい。
自身が包囲されている事に。
それも、織田方の兵に。
六人衆の伊藤清蔵らと俺の小姓である毛利新助と服部小平太、加えて足軽大将が槍と弓を構え、前田利家を今にも殺そうとしていた。
そう、俺が射って彼らの機先を制しなければ、前田利家は彼らに討たれていただろう。
主君の功を掠め取った狼藉者と称して。
そもそも、奪首、拾首という行為自体が罰せられるのだから。
無礼者として討たれても仕方の無い事であった。
「も、申し訳御座いませぬ!」
「遅いわ、阿呆!」
平伏する前田利家に対し、俺は拳を振り上げ前田利家を怒鳴るも、足を貫く矢がその存在を訴えかけた。
「痛っ!」
俺は思わず、しゃがみこんでしまった。
すると、
「信行様!」
毛利新助が血相を変え、駆け寄って来た。
彼は俺の足を大地に縫い止める矢を目に止めると、腰に履いた刀を抜き放ち、
(へ?)
「御免!」
一気に振り下ろした。
(がっ!?)
彼は驚愕する俺を余所に矢柄を寸断する。
そして、俺の足を矢から一気に引き抜いた。
「イテーッ!」
刹那、俺の口からは叫び声、俺の足からは赤い液体が零れた。
「信行様、擦り傷に御座いますぞ!」
(擦ってねーよ! 貫かれてるよ! って言うか、本当に痛い! まだ、矢が刺さってたままの方がマシだったぞ!?)
俺は頭に響く痛みに悶えながら、毛利新助になされるがままに従う。
彼は俺の傷ついた足を剥き出し、何処からともなく出した清浄な布を傷口に巻いた。
(良かった、汗や泥水に浸かった布じゃ無くて……)
俺の視線を察したのだろう、
「ご懸念無用に御座いまする。お教え通り、沸かした湯にて洗い、陽に当て干した物に御座いまする」
と毛利新助は述べた。
「よう、覚えておったな」
「信行様の教えは身になります故」
「で、あるか」
「それに此度の戦では大将首を上げるどころか、一番首も信行様に獲られました故に」
(ま、そうなるわな。大将が最前線で槍働きならぬ弓働きしてるんだから。でもな)
「此度の戦の一部始終は後の世にまで語り継がれるであろう。今川義元の首を討つなど、実に仔細な事よ。戦の帰趨を決めた今川義元の首を獲る為、御主らが我を救うた事を含めてな。だがな、その実、御主らは我の命を救うた。故に我は御主らに感じ入っておる。そう思えば、中々な大功であろう?」
俺は毛利新助や服部小平太を宥める。
すると、その言葉を側で耳にした前田利家が目をキラキラさせ、俺を見つめていた。
(……何? 「俺も助けたよ?」そう言いたいのか? まぁ、それも一理ある。だが、こいつの罪は国主の弟である俺を殺そうとした事で、罰は当主の蟄居と当人の国外追放。それらを踏まえると……ふむ、多少罪を軽くしてやっても良いかも知れぬ。さて、そうさなぁ)
「前田利家」
「はっ!」
「御主が今川義元の首を討てなかったのは事実」
「……うぅっ」
「が、御主の助けがあればこそ、今川義元の首を討てた事も事実」
前田利家の一度下がった面がガバッと上がり、俺に熱い眼差しを向ける。
「そこでだ……」
俺が言葉を止めると、前田利家はゴクリと、喉を鳴らした。
「国外追放を解く代りに荒子城において蟄居、もしくは、帰参を認める代りに他国において影働き(諜報活動)を担う。いずれかを選べ」
恐らく、彼にとっては究極の選択だろう。
何故か?
実はこの前田利家、二十一歳となった今年、十二歳の少女”まつ”と結婚したばかりなのだ。
実にけしか……いや、おめでたい。
だが、全くの変態だ。
いかなこの時代でも、十二歳の少女と交わるなど恐れおお……いや、恐ろしい変態行為だ。
考えてもみよ、六尺(百八十センチ)の大男が、四尺(百四十センチ)の小学五年生と毎夜毎夜……犯罪だな、犯罪。
俺がまつの親だったら、絶対に嫁ぐ事に反対している。
って言うか、まだ幼い我が娘が股間の痛みで歩き辛そうにしているのを目にしたら、その場で卒倒してしまう自信があるわ……
それに、もし俺が選ぶとなれば嫁と一日中一緒に居られる”蟄居”だろう。
……俺はうらやま……幼妻まつの体を案じた。
(となると……よし、やっぱり斬首で良いか)
俺の中で結論が出た瞬間、
「か、影働きを努めさせて頂きまする!」
予想外の言葉が返ってきた。
「……何故だ?」
自分でも言うのもアレだが、まさかの選択だ。
そもそも、前田利家が影働き? 六尺もあるのに? ぷぷぷぷぷ!
あれか? 「忍びなれども忍ばない」ってやつか?
俺は思わず、口角を上げた。
前田利家は一瞬目を丸くした。
「せ、拙者、嫁を貰うたばかり故に御座いまする!」
なるほど、それもそうか。
今も嫁が居候状態で居心地の悪い思いをしているからだな。
俺が「そうなのか?」と尋ねると、彼は首を横に振り否定した。
「然にあらず。一日も早く信行様の為に働き、拙者と嫁を助けてくれた友らに、信行様との間を取り持ってくれた友らに報いとう御座りまする!」
「で、あるか」
俺は前田利家の言葉を聞き、自らの浅ましき心を恥じた。
「なれば、帰参を認めよう。影働きの次第は追って沙汰する。それまでは、槍働きをもって其方の友らに報いよ!」
「ははっ! 有り難き幸せ!」
前田利家はそう答えるが早いか、槍を携え駆け出していった。
俺はその背中を目を細めて見送りつつ、
「さて、皆の者」
周囲の者に目を向けた。
「はっ!」
そして、俺はあらん限りの声を出し、
「勝鬨を上げよ!」
と叫んだ。
「ははっ!」
「エイ、エイ、オー!」
「声が小さい! 大高道の今川方に届かせよ!」
「エイ! エイ! オー!!」
「まだまだぁ!! 丸根砦の佐久間盛重、鎌倉街道の津々木蔵人には届いておらぬぞ!」
「エイ!! エイ!! オォオオオオーーー!!!」
「よぅし! 鳥笛を吹け! トラ、トラ、トラ!」
「ポ、ポ、ポー、ポ、ポ。ポ、ポ、ポ。ポ、ポ、ポー、ポ、ポ。ポ、ポ、ポ。ポ、ポ、ポー、ポ、ポ。ポ、ポ、ポ。」
いよいよだ。
俺の蒔いた種が実り、刈り取る時が訪れたのだ。
俺は人知れず、興奮していた。
それは今川義元を打った以上の昂りを俺に齎していた。
「三河百姓に伝えよ! 落ち武者の首一つに米一升だ、とな」
米を奪った侍の首が米に変わって戻って来る。
百姓らには堪らないだろう。
早刈りもさせられ、この冬を越せる程も手元に米は残っていないらしいからな。
しかし、それの何が俺の気持ちを、こんなにも昂ぶらせるのだろう?
……いや、無論分かっている。
そして、理解している。
この後、何が起こるかを含めて。
今川の雑兵も足軽も、それに武将すらも百姓の群れに狩られる事になるのだ。
それも、三河中のな。
俺はその結末を想像したのだ。
(堪えられぬわ)
俺は、俺の顔が酷く破顔している事を感じ取っていた。
◇
鎌倉街道 織田方本陣
「津々木様! お味方、敵総大将を討ち取ったに御座いまする!」
「なんと、誠か!」
「はっ! 間違い御座いませぬ!」
「よし! なれば米俵の壁を崩し、追撃の準備を致せ! 決して、今川に輜重を燃やさせてはならぬぞ!」
「ははっ!」
「追い首は不要! その事はしっかと厳命せい!」
「心得て御座いまする!」
津々木蔵人は一通りの命を下した後、麾下の者に問うた。
「はてさて、いったい何者が今川義元が首を討ったのであろう?」
「某が思うに、森可成様か前田利益様で御座いましょう」
すると、津々木蔵人は微笑んだ。
「如何なされましたか、津々木様?」
「いや、何。ふと、信行様の顔が思い浮かんでな」
「それはまた、何とも……」
「ふふ、総大将として如何かと思うであろう?」
「如何にも。此度も御身を餌と称し、今川義元を釣り上げると申されたとか……」
「全く、ほとほと困ったお方よ。だが、それが良い方に転ぶから尚更困る」
津々木蔵人の口の端が更に上がった。
◇
下杜城 評定の間
柴田勝家が具足姿のまま、床几に腰を下ろしていた。
彼は足は小刻みに揺すっていた。
「まだか! まだ知らせは届かぬのか!」
柴田勝家の怒声が広間に轟く。
するとそこに、
「勝家様! と、届きまして御座いまする! お、お味方! 大勝利に御座いまする!!」
彼の待ちかねた報せが届けられた。
「よう知らせた! 皆の者、出陣じゃ! 岩崎城を早々に陥し、信行様のご期待に応えねばならぬ! 決して、もたつくで無いぞ!」
柴田勝家が率いる一軍は疾風の如く、下杜城を後にした。
◇
「トラ、トラ、トラ……か。まっこと、我が弟ながら信行の考えは計り知れぬ」
織田信広はそう呟くも、直ぐ様破顔した。
「が、思うて詮なきことは思わず、だな。我が雪辱が果たせる、それだけで十分よ!」
彼は馬に乗り、
「これより、岡崎城を目指す! 先々の国人共に今川義元の死を報せよ! 織田信行様が岡崎城に入られるまでに下れば、本領安堵と伝えよ!」
と先触れに下知した。
◇
大樹寺。
三河松平氏から征夷大将軍が出る事を祈願し、時の当主、松平親忠により創建、松平氏の菩提寺と定められた。
今ここに、大高城から落ち延びて来た侍の一行が篭っていた。
その数、僅か二十足らず。
対する大樹寺を囲む織田方の兵は、来る途中の国人衆を加えた所為もあってか、二千を優に超えていた。
場所は岡崎城の直ぐ近く。
寺を包むかの様に、三河訛りの歌が木霊していた。
「も、元康様……」
「織田様の慈悲にすがり、余の身体は久能山に、位牌はここ大樹寺に安置せよ」
「な、何卒ご再考を! 某を含め、元康様の為、道を切り拓く所存に……」
「言うな!」
松平元康は叱責した後、優しく微笑んだ。
「もう……、もう良いのだ。余はもう……些か疲れた。今川の下に付き従い続け、更にこれから織田の下に付くのにもな……」
「も、元康様!」
「死ぬ時ぐらい、余の好きにさせよ」
「も、元康様……」
松平元康。
史実では大樹寺の和尚に自害を止められ、付き従った十八名の侍と共に乾坤一擲の包囲網突破を行い、その一命を取りとめ、後の世の征夷大将軍となった男。
しかし、織田信行が生き残った今、それは為らない。
何故ならば、
「左様か。元康様と共の侍が自害して果てましたか。尾張様に首尾よくいったと伝えねばなりませんねぇ」
大樹寺は既に、尾張と誼を通じていたからだ。
こうして稀代の英雄がまた一人、この世を去った。
だが、三河において、彼の死に頬を濡らすものは少なかった。
三河の民にとって彼はただ、今川に隷属していたに過ぎなかったのだから。
寧ろ、彼の死を喜んでいた。
新たな盟主、織田信行の誕生と共に。
そして、誰よりも彼の死を喜んだのが、
「そうか! 松平元康が自害したか!」
織田信行その人であった。
この時の、彼の笑顔は人ならざる美しさを見せ、見るものを皆、魅了したらしい。
太田牛一が当時、書き残した書物にはそう記されていた。
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