#034 今川義元による尾張侵攻(5)
永禄元年(西暦一五五八年)、八月二九日 巳の刻(午前十時)前後 田楽狭間
「や、宇度浜に、駿河なる宇度浜に、打ち寄する波は、七種の妹、言こそ佳し、言こそ佳し……」
山間の狭間で、巫女が”舞”を舞っている。
その舞は”駿河舞”と言い、奈良時代から平安時代にかけて”東遊”などと称し、公家に愛された雅楽の一つであった。
清少納言なども”枕草子”の中にて、「舞は駿河舞」と書くほど、当時の公家・貴族に好まれていた。
現代においても神事舞として奏し、用いられている。
舞の内容は”駿河は宇度浜に天女が降り、舞を舞った”というものである。
それを恰幅の良い大柄な男が床几に腰を下ろし、目を細めて見ていた。
そこに、一廉の武将と思われる男が、
「義元様……」
大男に対して、声を掛けた。
そう、この床几に腰掛けた、熊の如き大男こそが”今川治部大輔義元”。
駿河、遠江、三河の三国を統べる戦国大名であった。
今川義元は視線を巫女から外さず、その武将に問い返した。
「……飯尾乗連か。如何した?」
飯尾乗連は松下之綱の寄親にあたる、飯尾氏の者であった。
ちなみにだが寄親・寄子とは戦国時代における主従関係の一種である。
寄親が寄子に軍役を課し、軍団を編成していた。
侍の城下集住により、やがて廃れた制度であった。
「誠に……宜しいので御座いましょうか?」
今川義元は顔を動かさず、一瞥した。
「余の命が不服か?」
「め、滅相も御座いませぬ!」
「ふっ、お主の顔が面白うて思わず戯れた。許せ」
今川義元は再び視線の先を巫女に戻す。
彼は舞を瞳に捉えつつ、言葉を続けた。
「が、懸念は無用である」
「しかるに……」
「分かっておる。織田信行めは我らを大高城、鎌倉街道、鳴海道などに兵を散じさせた上で、余と余の兵を酒と肴を餌に罠に嵌め、余を討とうとしておる」
「そ、そこまでお読みならば!」
「ふっ、良いではないか。奴の思惑通りに余が動けば、余の前に労せずして奴が現れる。であるからこそ、松下某が齎した”偽計”に乗ったのよ」
「そ、それはまた何故に……」
「御主には分からぬか? 余が何故、三河者を先陣に配したか。余が何故、駿河勢や遠江勢を本陣や後詰に当てたか」
「よもや、織田信行の策に乗り、その策を逆に利用し、三河侍を使い潰すお積りに御座いまするか!?」
「左様。松平元康はいずれ、岡崎に戻りたいと願うであろう。それは許す。今川による三河の統治に資する故にな。だが、三河の統治に元康は必要であろうとも、松平宗家のみに忠節を誓う”三河侍”は必要無いでな」
語り終えた今川義元の口元が、大きく釣り上がった。
それはまるで血肉に飢えた、鬼の如き形相。
飯尾乗連はその凄惨な笑みを見る事はなかった。
それ以前に、彼は平伏していたからだ。
「義元様! この飯尾乗連! 感服致しまして御座いまする!」
「ふっ、大袈裟な。まだまだこれからよ。織田信行めは余が奴の策を見破り、敢えてその策に乗ったとも知らず、鳴海道を下り、ここ田楽狭間に現れる。如何なる手を使うかは分からぬが、鳴海道を上った三河侍の先手衆を打ち破ってな。その時こそが余が奴を葬る時、岡部元信の仇を討つ時なのだ。輜重に見せ掛けた後詰めも、直に追い付く。本陣の兵と後詰めを合わせれば都合八千。対する織田方はいても四千であろう。各個撃破のつもりが、いつの間にか逆になる。奴の慌てふためく顔が見ものよ。しかも、奴の兵は余の先手衆と一戦交えた後だ。一方の余の兵は今まさに小休止の最中。その差は歴然。加えて、彼奴等は細い山間の鳴海道から馬を駆り現れる。隘路の口は狭い。一度に出てくる兵や馬は高々知れておる。余はそれらに矢玉を馳走してやれば良い。此度は余も自ら弓を射ようぞ」
刹那、大柄な体が小刻みに揺れだした。
やがて、
「しかるに、”策士、策に溺れる”とはこのことよ。くははははっ!」
今川義元は呵呵と笑い始めた。
一方の飯尾乗連は自らの主の一連の言葉に興奮し、顔を真っ赤に染め上げていた。
ふと、今川義元が視線を移した。
その視線の先には、雑兵相手に酒や肴を振る舞う三河百姓がいた。
「兵らには”呑むふりをしろ”、と厳命しておろうな?」
「はっ! 間違いなく、行き届いておりまする!」
「見張りを四方に放っておろうな!」
「勿論にございまする! 桶狭間山を含め、隈なく出しておりまする!」
「なれば……彼奴らは頃合いをみて討て。余の領国には不要故にな」
「さすれば、巫女らも……」
「巫女らは殺めるな。仮にも神に仕えし者、祟られては叶わぬからな」
「は、ははっ!」
視線を再び舞へと戻した今川義元。
しかし、彼の瞳に駿河舞は映ってはいても、見てはいなかった。
今川治部大輔義元は既に、
「那古野は元は今川の城。余が住むに相応しかろう」
尾張統治に思いを馳せていたのであった。
◇
「へ、へ、へっくしょん!」
(あれ、何だ? 誰かが俺の噂話をしてる?)
鳴海道に、俺のくしゃみが轟いた。
しかも、田楽狭間に向かって、音を立てずに行軍している最中にだ。
故に、くしゃみをした俺を見る、皆の視線が痛い。
俺が、物音一つ立てるな、と命じた後だから尚更であった。
もっとも、総数三千の人馬が移動するのだ。
音が立たぬ筈もなかった。
さて、俺達は既に、今川義元が率いる本陣が田楽狭間にて休んでいる事を把握している。
無論、酒を呑み、肴である昆布や餅、芋の煮付け、塩を喰らっている事もだ。
巫女の舞う駿河舞に、今川義元が釘付けになっている事も。
いずれそのうち、彼も踊り始めるのだろう。
史実通りならばな。
(……にしても、順調だな!)
俺は思わずニンマリと笑った。
すると、
「信行様、如何為されましたか!?」
一人の近習が俺の側に馬を寄せてきた。
この近習は兄である織田信長により”六人衆”と名付けられた者らの一人であった。
いつ如何なる時も信長の側に侍る事を許された、武芸に秀でたる者だ。
彼は特に弓に優れ、その所為かそこそこ弓の達者な俺に親しみを感じるのだろう、良く話し掛けて来た。
たまに度が過ぎ、家老らに叱られている。
俺はその度に、ニヤリと笑っていた。
「牛一か。なに、上手く行き過ぎ、この後一波乱あるやも知れぬと思うてな」
そう、この近習は名を”太田牛一”と言い、あの”信長公記”を記した事で、自らの名も後世に残した人物であった。
現代においては、そこいらの大名より余程有名である。
おそらくだが、古河公方の足利藤氏などよりもだ。
そもそも、俺は古河公方なぞ、この時代に来て初めて知った。
公方様って足利義満だけかと思ってた。
この時代では何たら公方様って彼方此方にいるのな。
先の古河公方に加え、小弓公方やら、鎌倉公方やら、喜連川公方やら、平島公方やら。
某ゲームに一切出てこないし、イベントにも絡まないから全く知らなかったよ。
……だが、そんな事はどうでも良い事だ。
今大切なのは今川義元が俺の罠に嵌り、田楽狭間にいる事なのだ。
そして、この戦において最も戦局を左右する要因が、高速伝達手段として採用した鳥笛なのであった。
そんな俺の思いを知ってか知らずか、太田牛一が、
「時に信行様、鳥笛に使われし符号は何と申されましょうや?」
と問うてきた。
俺は物思いに耽っていた所為もあり、何も考えずに答えた。
「モールス符号、だ」
「もうるす? はて、その意味は何で御座いましょうか?」
「モールス、だ。考案した南蛮人の名前だな」
「左様で御座いまするか。もうるす、もうるす、と……」
太田牛一はその名を覚えようと、繰り返し小声で口にした。
(おいおい、まさか……俺の伝記を書こうとしている? いや、既に書かれている? 不味いなぁ。モールスって生まれてる筈ないよなぁ。如何する? 戦のどさくさに紛れて牛一を殺るか? いや、そこまでは流石に……。なら検閲して黒塗りにするか。もしくは……寧ろ大々的に喧伝するか? 俺の偉業として、俺の英雄譚の一部として)
俺はニヤリと笑った。
するとまた、
「信行様、如何為されましたか!?」
太田牛一が俺に尋ねる。
しかし俺は、首を振るだけで答えた。
「なに、大した事ではない」と。
そう、いずれはこの鳥笛による通信は世に広まるだろう。
”桶狭間の戦”の戦局を左右した要因の一つとして。
いや、そもそも既に使われている可能性も高い。
実在するかは知らないが、後世において”忍”もしくは”乱波”、”透波”と呼ばれる者達は鳥やネズミの鳴き真似をし、言葉のやり取りをしていたとも伝えられていたのだから。
しかし、今この瞬間、ここ桶狭間とその周辺において、この技術を使っているのは俺達だけだ。
それは間違いなく事実であった。
何故ならば、ここ桶狭間の森の中は、完全に俺達の、織田の掌中にあったからだ。
今川方が桶狭間に放った透波はおよそ五十。
俺が用意した数はその遥か上なのだから。
そしてその事実を、今川方はまだ知らないでいた。
◇
木下藤吉郎は三河百姓の振りをしていた。
田楽狭間に腰を下ろした、今川方の兵に酒と肴を振る舞うために。
いや彼らだけでなく、斥候に向かう足軽らにも別け隔てなく振る舞った。
酒は皮や竹、ひょうたんで作られた水筒に入れて手渡した。
それも那古野でも極上の酒を。
匂いを嗅げば思わず呑みたくなるほどの酒を。
肴は味噌や握り飯、味噌に漬けた猪肉を焼いた物を笹皮で包んだ物を渡した。
いずれも塩辛い、食えば水分を摂りたくなる、そう言う代物であった。
やがて、巫女の舞が始まり、今川方の兵が酒を呑み始め、肴を口にし始めた頃合い、藤吉郎は、
「お侍様、お侍様。お馬様にも水を馳走した方がええだがや?」
と申し出て、馬の水遣りに出た。
無論、一人ででは無く、十数名の百姓らと共にだ。
一人につき一頭、中には二頭の馬を曳く者もいた。
木下藤吉郎が暫くその様な事を繰り返していると、
「日吉、久しいな」
親しげに話しかける武者が現れた。
その武者は名を、
「これはこれは、松下之綱様に御座いませぬか」
と言い、木下藤吉郎とは旧知の間柄である。
何を隠そう、流れ者ではあったが年の近しい木下藤吉郎に、字や算術、槍術の手解きをしたのは彼であった。
当時は互いを、日吉、左助様と呼び合っていたのだ。
「これ、日吉。他人行儀にいたすな」
松下之綱は平伏する木下藤吉郎に優しげな声を掛けた。
「左様に申されても、某は未だに足軽ですら御座いませぬ故」
「らしくないのう。兎も角、面を上げよ。話し辛いわ」
「しからば失礼を。して、何様に御座いまするか?」
「あぁ、それよ。日吉に告げねばならぬ事があってな。ええか、今すぐここから逃げよ。義元様は御主が織田の間者として働いていると存じておるでな」
「おや? 之綱様は御身を謀った、某の如き身を案じて頂けるので御座いまするか?」
「当たり前であろう、御主とは身分が違えど兄弟のように遊んだ仲だ。それに義元様も儂も存知ておる。それでは謀られたと言えまい。加えて、御主をここで死なせるには偲びない。御主の烏帽子親である我が父も、その様にお思いだ」
松下之綱のこの言葉に、木下藤吉郎は嬉し泣きしそうになった。
「如何した、日吉?」
「いえ……之綱様は本当にお変わりない。この日吉、大変嬉しく思いまする」
「これこれ、日吉。それどころでは無いのだぞ。三河百姓もろとも、御主を殺す者らが来る。それに、義元様はここで織田を待ち構えるお積りだ」
すると、松下之綱の言葉に、木下藤吉郎は破顔する。
忙しい事この上ない有様であった。
彼はニタニタしながら、
「それはそれは、義元様には難儀な事で御座いまするなぁ」
と言った。
「何故じゃ? あの様な場で待ち構えられれば、如何なる者も討たれて終いじゃろうが?」
「ははっ、確かにその通りで御座いまする。ですが、ここ最近、この辺りに問題が御座いましてな」
「ほう? 如何なる問題であろうか?」
「実は、熊やら山犬やらが住み着いたで御座る」
「なっ、急に何を言い出すかと思えば……。熊など山に居たとしても精々数匹。山犬など追えば逃げる。総じて畜生の事なぞ、どうでも良いではないか」
「それが、之綱様。熊も山犬も大層大きゅう御座いましてな。中でもその山犬、一匹で行動する変わり者に御座いまするが、身の丈が六尺を超す、大きな山犬に御座いまして。それだけでなく、血に大層飢えておりまする」
刹那、松下之綱は木々に覆われた山肌や森を見渡したかと思うと、
「ま、まさか! なれば義元様にお伝えせねばなるまいて!」
と叫んだ後、駆け出そうと身構えた。
「あいや、お待ちあれ、之綱様!」
「何故じゃ! 義元様の大事であるぞ!?」
「なればこそに御座いまする。今、行けば之綱様の大事となりまする。ここは一つ、この日吉めと戦の帰趨を……」
「た、たわけ! 儂は今川様の陪臣ぞ! そ、その様な訳にはいかぬわ!」
気色ばむ松下之綱。
木下藤吉郎はそんな彼に、さも今思い出したという体で、爆弾発言をした。
「そうそう、織田信行様から之綱に言伝が御座いまする」
「な、何じゃと!?」
今川の陪臣である自分に尾張の国主からの言伝。
有り得ない事である。
そもそも、一介の国人衆故に、名を、存在を知られている筈もなかった。
故に、松下之綱は心底驚き、足を止め、聞き耳を立ててしまう。
「近いうちに、遠江の道案内を頼みたい。そう申されて御座いまする」
「な、そ、それは……義元様が田楽狭間で負けると申すのか!?」
「左様で御座いまする」
木下藤吉郎は凛として答えた。
「な、何を根拠に!」
「恐れながら、義元様はすでに袋の鼠。罠に掛かった振りをして、罠に掛けた積りが、実は罠に掛かっていたので御座る」
松下之綱は余りの事に言葉を失した。
木下藤吉郎はそんな彼の姿を目にし、ニンマリと微笑みながら、
「信行様は恐ろしいお方で御座いまするぞ? この日吉、之綱様との事を尾張の誰にも話さずにいたのですが、何処からともなく知り得た方で御座いまするからな」
と言った。
松下之綱は目にした。
口はカラカラと笑うも、その目は決して笑っていない、木下藤吉郎の姿を。
彼は背筋が冷たくなるのを感じたのであった。
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