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#033 今川義元による尾張侵攻(4)

 永禄元年(西暦一五五八年)、八月二九日 辰の刻(午前八時)前後 丸根砦


 丸根砦の城将、佐久間盛重はその時を今かと待っていた。

 松平元康らが率いる、三河侍の猛攻をいなしながら。

 そして、佐久間信盛が鳴海道において、今川方の先手衆を森の中に釣り出し、反撃を浴びせ掛けた直後、


「ポー、ポッ。ポー、ポッ、ポッ、ポー……」


 丸根砦にその時は訪れたのであった。


 八月の暑気の所為か、地面からは陽炎が立ち昇っている。

 海から漂う潮風が彼らの体を冷まし汗を乾かすも、その効果は瞬く間に掻き消えて行った。


「すわ、皆の衆! いよいよ反撃を行う時が参ったぞ! 手筈通りに致せ! まずは白い木玉に火を点し、三河者の中に投げ入れよ!」


 佐久間盛重の手勢は命じられた通り、腰に下げていた白い木玉の、先から垂れた火縄に火を点し、塀の外側に投げた。

 その木玉は織田信行が以前作らせた物であり、中が空洞になっていた。

 彼はその中に、目的に応じて詰め物をする様に命じていた。

 例えばだがこの白い木玉の場合は、油と煙を発生しやすい物を混合した物を詰めて封をする、という具合にだ。

 中身を間違えぬ様、白い紙が周囲に貼られていた。


 火縄の火が白い木玉に達した。

 刹那、異臭を伴った白煙が周囲を覆い始める。

 それは、攻め方である三河侍を大いに混乱させた。

 それだけでなく、大いに苦しめた。

 ただでさえ暑く、息苦しいというのに、煙の所為で余計に酷く感じられたからだ。

 三河侍の足が、たちまち止まった。


「今よ! 三河者の足が止まった! 足場を起こせ!」


 佐久間盛重の怒号が響いた。

 その途端、兵が所定の位置につき、寝かせてあった足場を起こし始めた。

 それは砦の塀を軽々と越す高さを有していた。

 少し前まで塀越しに矢を放っていた者達が足場を駆け上り、矢を番える。

 その矢は鏑矢、であった。


「放て!」


 煙の中、意外な鏑矢の音に、慌てふためく三河侍。

 彼らは周りが見えぬ中、音の発生元や矢が飛び退る経路から離れようと、我先に逃れた。

 そんな彼らを更なる音が混乱に拍車を掛けた。

 それは、


「黒木玉を放り投げよ!」


 佐久間盛重による、仕上げの一手であった。


 火の点った黒木玉が煙の中の、三河侍が集められた場所に投げ入れられ、幾つもの爆裂音がその中で起こった。

 刹那、霧散する煙。

 と同時に、人と土塊が宙に舞った。

 そう、黒木玉とは現代で言う所の”手榴弾”であった。


 三河侍は何が起きたのか、理解出来無いでいた。

 無論、その隙を逃す佐久間盛重ではない。

 彼はこの日初めて床几から立ち上がり、


「とどめの一撃を加えよ!」


 無慈悲な命を下した。

 その直後、足場に並んだ射手が弓矢を放った。

 塀の上から身を乗り出し、鉄砲衆が撃ち始めた。

 矢玉が夏の日のスコールの如く、三河侍に降り注いだ。


 寄せ手の将であった酒井忠次は、


「こ、これは如何! 一旦退……」


 と口にした所で言葉を途切れさせた。

 何故ならば、


「林弥七郎! 酒井忠次を討ち取った也!」


 二本の矢が、口と目を貫き、物言わぬ屍へと変えていたからだ。


 その報せを聞き、松平元康は思い悩んだ。


「た、忠次が討たれたとな!? しかし、ここで引き下がっては忠次の死が無駄に……」


 このまま力押しを続ければ、落とせるやも知れぬと思っていたからだ。

 ところがこの直後、松平元康は大高城に退く事にした。

 彼の元に新たな凶報、


「恐れながら申し上げまする! 鷲津砦を攻めているお味方が苦戦! 本多忠勝殿、本多忠真殿! 橋本一巴の手により討ち死に御座いまする!」


 が届いたからであった。





  ◇





「大将の名は松井宗信ぞ! 掛かれ! 掛かれ!」


 俺はそう叫びつつ、むせ返る暑さの中、馬を走らせていた。

 先頭を突き進むは前田利益と森可成の二騎。

 その後ろを、赤母衣と黒母衣を背負った騎馬武者らが続く。

 目的はただ一つ。

 松井宗信が率いる、今川義元が本陣の先手衆の後背を突く為にだ。

 鳴海道を鳴海城に向け、馬を我武者羅に駆っていた。


 さて、鳴海道に入る口は鳴海城側と大高道と交わる場所にしかない。

 にもかかわらず俺達が鳴海道にいるのは何故か?

 それは、


「信行様! 鎌倉街道から鳴海道に通じる道を設けるなど、流石の今川義元も考えも付きますまい!」


 だからだ。

 無論、一朝一夕に道を造った訳ではない。

 尾張一統を果たした直後からこの日の為に、旗衆とは名ばかりの戦闘工兵に道を整備させていたのだ。

 当然ながら、今川方に知られぬよう隠れて行った。

 箝口令も敷いたし、山窩を使い人払もした。

 迷い込んだ者は結果的には”不幸”となった。


 それでも、俺は道を造らせた。

 今川義元を出し抜く為に。

 いや、今川を完膚なきまで叩き潰す為に。

 そうまでしても、俺はこの戦いに勝ち、戦国乱世を生き残りたかったのだ。


 やがて、今川方の兵の姿を捉えた。

 左右から森が押し寄せる狭い道を、自らの体を壁とするかの如く弓足軽が並び、矢を番えている。

 その後ろには、彼らを指揮する弓足軽大将の姿が見えた。


(どっちを狙う?)


 俺が逡巡していると、山鳩の声が高らかに響いた。

 俺はニヤリと笑い、自らの矢を大弓に番え、


「南無八幡大菩薩、日光の権現、那須の湯泉大明神! 先ずは一射!! 御照覧あれ!!!」


 放った。

 それは吸い込まれるかの様に、弓足軽大将を貫いた。

 と当時に、


「痛っ! も、森の中に誰かいるぞ!」


 弓足軽の顔が苦痛に歪み、口々に叫び始める。

 よく見れば、彼らの体から短い矢が幾つも生えていた。

 それは紛れもなく、俺が山窩衆や河原衆らに貸し与えている、十字弓の矢であった。


 今川方の弓足軽の隊列が瞬く間に乱れ、崩れた。

 その隙間を、


「退けや!」


 森可成と前田利益が馬ごと押し通った。

 直後、彼らの槍が赤い糸を引きながら舞い踊る。

 二人と交錯した弓足軽は、血を吹き出しながら崩れ落ちていった。

 ぽっかり空いた弓足軽の壁の穴。

 人馬はその穴を容赦なく押し広げ、更なる奥へと分け入った。

 そこは今川方の馬廻衆が備える、本陣であった。


 今川方先手衆の本陣には松井宗信の家紋”岩に根笹”をあしらった旗の他に、”丸に橘”をあしらった井伊家の旗がたなびいていた。

 それはつまり、


「井伊直盛もおるぞ!」


 と言うことであった。


 ちなみにこの井伊直盛は、


「な、なんだと! ほ、本当か!? あの女城主で有名な”井伊直虎”の父親がいるのか!?」


 である。

 無論、俺に問い質された近習やら小姓らには、俺が何を言っているか理解は出来ない。

 兄信長から引き継いだ六人衆に至っては、完全に”無視”を決め込んでいた。

 もっとも、敵陣深く入り込んでいるのだ。

 それは多分にも、戦闘に集中している所為でもあった。


(クッ! 井伊直虎と言えば、甲斐姫に勝るとも劣らぬ、転生主人公がこぞって嫁にする女! そ、それなのに……。お義父さん、すまぬ!)


 俺はその妄言を最後に、戦に集中した。

 先頭の森可成と前田利益が敵方の馬廻衆と交錯したからだ。


「拙者! 前田利益に候! 名も無き侍首は要らぬ! 大将殿! いざ参られよ!」

「我こそは森可成! 命が惜しくば去ね! 我が欲するは将の首のみよ!」


 それらの言葉が言い終わる間に、彼らの周囲から赤い霧が幾つも広がる。

 幾人もの侍が血を吹き出し、馬の背から転げ落ちていった。


 二人だけでは無い。

 彼らの後から、河尻秀隆、塙直政、佐脇藤八、岩室重休らが馬体ごと突っ込んだ。

 更にその後を、毛利新助、服部小平太らの俺の小姓が続く。

 今川方の馬廻衆は勢いに押され、完全に体制を崩され、後手に回っていた。


 やがて、森可成の声が響いた。


「松井宗信を討ち取ったり!」


 それに続き前田利益も、


「この前田利益、井伊直盛が首を頂戴仕った!」


 と雄叫びを上げた。

 俺は思わず、切った西瓜の如く、笑みを浮かべた。




 暫く後、俺達は鳴海道を下って来た、佐久間信盛が率いる一軍と合流した。

 彼らは散り散りとなって逃げるフリをしつつ敵を森の中におびき寄せ、強烈な反撃を加えた後、鳴海道の出口にて集まり、再度今川方に攻め掛かったのだ。

 ちなみにだが、俺はこの策を”十面埋伏の陣”と名付け、佐久間信盛に授けた。

 竹中半兵衛のと被るし、実情はただの”釣り野伏”だ。

 が、決して後悔はしていない。


「信行様!」


 その佐久間信盛が馬を寄せて来た。


「信盛か、無事で何よりだ! して、兵は無事か?」

「はっ! 千八百は残っております。残り二百も全て討たれた訳では御座りませぬ。じきに揃うかと思われまする」

「で、あるか。なれば今少しこの場で待とうぞ」

「それにしても、信行様のお見事な差配! 二万を超す敵方を分散させた上での各個撃破! この信盛、感服仕りました!」

「ふふ、何程のこともない。策は立てたが、相手あっての事。それに合わせ、実際に働いたのはお主らだ。それも、最も危ない橋を渡ってな。感謝しているぞ、信盛」

「あ、有り難きお言葉! しかし、到底我らだけの働きにはございませぬ!」


 その通りだ。

 これを、今川方先手衆の殲滅を為したのは彼らの力だけではない。

 俺の引き連れた馬廻衆を含む、騎馬武者らの手柄でもない。

 一番の手柄は、山岳のスペシャリスト、山窩衆らにあった。

 彼らが木々の合間、木陰の下、土の中に潜み、敵兵の位置を伝え、視界を惑わし、その命を狩り取ったのだ。

 それは織田家の重臣もが認める、大功であった。


 すると、山窩衆の話をしていた所為か、


「信行様、今川方先手衆はほぼ仕留め終えたに御座いまする」


 彼らの頭の一人が現れた。

 彼は顔に炭やら泥を塗りたくり、背に枝葉を生やしている。

 それの姿はまるで、現代で言う所の”山岳レンジャー”であった。


 彼は音一つ立てず、俺の前に平伏してみせた。

 その異様な風体と現れ方に、佐久間信盛ですら刀に手を掛けた程であった。

 俺はそんな彼らの格好や振る舞いを定めた手前、驚く事はなかった。

 寧ろ、想像以上の仕上がり具合と戦果に、手を打ち鳴らし労ったのである。


「おぉ! 大義、大義! 御主らの働き、まっこと格別である。この佐久間信盛も激賞しておったわ」

「な、なんという勿体無きお言葉! われら山窩の! 末代までの誉に御座いまする!」


 山窩の頭は尚更、平身低頭となってみせた。


(忌み嫌われていた者が国の重臣である武将や国主から認められる。身震いする程、嬉しいだろうなぁ)


 俺は、口角が僅かに上がったのを自覚した。


(おっと、いかん、いかん。悪い顔が表に出そうになった。この状況でそんな顔を見せたら、まるで俺が彼らを誑かしているみたいじゃないか。危ない、危ない……)


 俺は慌てて取り澄ました顔を作り、


「良い加減面を上げよ。話し辛いではないか」

「そ、そんな! 畏れ多く御座いまする!」

「構わぬ。上げよ」

「その通りよ。信行様の御言葉ぞ? 上げぬ方が失礼になる」

「うむ、信盛の言う通りよ」

「し、しからば……」


 顔を上げさせ、


「して、最後の大仕掛けの仕上がりは如何か?」


 事の進み具合を訪ねた。


「はっ! 準備万端に御座いまする! 今川本陣はつい先ほど、松井宗信らが放った使い番による知らせを受け、”織田方の鳴海勢を蹴散らした”と大喜びに御座いまする」

「クックック、左様か。今頃その知らせが届いたか。その遅れが命取りとなろうとも知らずにな」


 俺達は、ニヤリと笑いあった。

--更新履歴

2017/10/31 誤字修正


桶狭間が思いの外長く、冗長になってしまいました。

すいません。。


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