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#027 尾張侵攻前夜(1)

 ふと気がつくと、俺はいつの間にか深い森の中を駆けずり回っていた。

 背後から迫る何者かから、必死に逃げるかの様に。


「くそっ! 何だ!? 俺は一体何から逃げているんだ!?」


 俺の疑問は瞬く間に解かれた。

 森の中を切り裂きながら届く、矢羽根の音によって。

 背後から矢が迫っていたのだ。

 その矢は道無き道をジグザグに走る俺の脇を掠め、俺を追い抜き、その先に立つ樹に当たった。

 森の中に高い音が響いた。

 その音はまるで、木を切り倒す為に(おの)を当てたかの様であった。


 刹那、ミシミシと音を立て、樹が倒れる。

 まるで俺の考えが何者かに読まれ、顕されたかの様に。

 それは実に、非現実的な光景であった。


「矢で樹がへし折られるとか……」


 俺は走りながら”非現実的な”理由を零した。


 暫くすると、射手の声が迫って来た。


「……てぇー! 信行待てぇー!」


 それはまるで地の底から顔を覗かせた、怪獣の如き低い唸り声であった。

 その声はあっという間に、俺との距離を縮めた。


「余こそは今川治部大輔義元! 海道一の弓取りである!」

「なっ! 何で俺が今川義元に追われてるの!?」


 直後、俺の後方から矢羽根が風を切る音がした。

 その音の発生源は一旦遠ざかっていくかと思われた。

 しかし、ある一点を境に再び近づいて来た。

 それはまるで、ブーメランの如き軌道であった。

 風切り音が走る俺の真横から聞こえ始める。


「矢が水平方向に曲がるとか有り得ないだろ!」


 が、それは起きた。

 矢が俺の米神を、顔の側面から貫くかの様に現れたのだ。


(ヤバッ! 射抜かれる!)


 俺が覚悟を決めた瞬間、


「信行様!」

「信行様、危ない!」


 何者かが走る俺の足を絡め取り、俺を引き倒した。

 森の地面が俺の体を受け止めた。

 俺はその勢いのまま、落ち葉の絨毯に頭を打ち付けた。


「痛っ!」


 と同時に、鼻を嗅ぎ慣れない匂いが刺激した。

 真夏の所為か、辺りには森の香りが濃く立ち込めていたからだ。

 夏の強い日差しと言えども、木々に覆われた森の奥深くではそれが地に届くのは僅かであった。


 頭を打ち、ぼーっとしている俺の元に、俺を引き倒した者達が現れた。

 それは、


「毛利新助に服部小平太!」


 らであった。

 俺はそんな彼らに対し、真っ先に疑問を口にした。


「御主らはここで何をしておる!?」


 半ば、俺は追われていることを忘れていた。


「我らは信行様の小姓に御座いまする」

「故に、死ぬ時は共に!」


 俺はそんな彼らに対し、


「で、あるか!」


 飛び掛かり、押し倒し、二人の顔を引き寄せ、その間に自らの顔をねじ込み、頬ずりした。


「ちょっ、の、信行様!?」

「良いではないか! 良いではないか!」

「やっ、そこは……駄目!」

「久しぶりなのだ! 良いではないか! しかし、柔らかいのう! まるで帰蝶の豊満な胸の様な……」

「久しぶり? はて? そ、それよりも、それは……わ、わたくしの胸ですから当然で御座いまする……あんっ!」

「……えっ?」


 ふと気がつくと、俺はいつの間にか帰蝶の胸の谷間に顔を埋めていた。

 たわわに実った二つの果実の、そのどちらがより甘いか調べるかの様に。

 肌触りや重さはほぼ同じ。

 故に、俺には二つの胸、そのどちらがより美味しいのかが見当をつけられなかった。


(夢……であったか……)


 俺の頭が徐々に覚醒していく。

 やがて、


「……一緒です」

「え?」


 帰蝶の胸の谷間越しに、俺は帰蝶と目があった。


「どちらもわたくしの”胸”に御座いまする。故に……」

「……故に?」

「お味は一緒……かと」


 その瞬間、俺は完全に覚醒した。

 俺は帰蝶の上に乗り、胸を揉みしだいていたのであった。

 あの帰蝶の、実に見事な双丘をだ。


 俺は帰蝶の胸の谷間から顔を(もた)げた。

 陶器の様に白い肌に、桜色をした小さな果実が成っていた。

 俺はそれを口の中に交互に含んだ。

 その後、真ん中に引き寄せ、同時に含んでみた。


「……本当だ! 帰蝶! 本当に同じ味だ!」

「し、知りませぬ!」


 帰蝶は両手で顔を隠していた。

 隠しきれなかった耳は、その先までが真っ赤に色づいている。

 俺はそれを目にした瞬間、ニヤリと笑った。

 そしてそのまま、徐々に体をずり下げながら、


(しかし、何で毛利新助に服部小平太? それに森の中ってどういう事だ?)


 先ほど見た夢を思い返した。

 やがて俺は、後者の疑問の答えだけは見出した。

 ずり下がった先で、森と土の香りの意味だけは俺は知り得たのであった。





  ◇





 尾張国は織田信行こと俺が国主となり、一応の平定を見た。

 が、内訌(内紛)の傷は深く、丹羽長秀、森可成ら一部信長方の重臣が「喪に服する」と称して出仕を拒んでいる。

 その中には、史実において桶狭間における勲功第一と伝えられる簗田広正(やなだひろまさ)も含まれていた。


 また、問題はそれだけでは無かった。

 これは以前からだが、尾張国の西南、海東郡にある蟹江城と尾張国の南、愛智郡にある鳴海城が今川方の調略により寝返り、織田弾正忠家と袂を分かっているのである。






 永禄元年(西暦一五五八年)、七月 尾張国 那古野城 評定の間


「……つまり、鳴海城の山口教継(やまぐちのりつぐ)は兄上を見限り、今川に(くだ)った、そういう事か?」

「はい、平たく申せばその通りに御座いまする」


 俺の言葉に、村井貞勝(むらいさだかつ)が答えた。

 彼は兄信長に重用され、内政・外交の総責任者を任されていた。

 因みにだが、俺は織田家中の融和を最優先に考え、兄の重臣らを以前と同じ待遇で用いている。

 無論、その中には奥の事も含まれていた。

 当然ながら、これには俺の家老らが反対した。

 しかし、所詮は彼らも人の子。

 多少の金銭や褒賞をチラつかせ、実際に与えもすると、直ぐに大人しくなってくれた。

 奥に関しては別の大問題が発覚し、すんなり行ったのであった。


「という事はだ、代替わりした今、再び寝返る可能性もあるのではないか? そもそも、兄上に対して思う事があったのだろう?」

「いや、流石にそれは……」

「駄目で元々だ。それに……」

(確か、桶狭間の戦の前に殺される筈。信長の書いた偽書を真に受け、コウモリ野郎は信用ならん、って事で)

「”それに”とは何で御座いましょう?」

「いや、別に大した事では無い」

(信長の書いた偽書の所為で今川義元に呼び出しを受けます。駿府に着いたら謀殺されます。……何て言えないしなぁ……いや、待てよ?)


 俺は自らの思いつきを改めて検討し直した。


(この話の一部、今川義元が暗殺を計っていると山口教継に伝えたら如何なる? 再び織田に降る後押しにならないだろうか? いや、そこまで行かなくとも疑心暗鬼にはなるだろう。ならば……)

「村井貞勝、ついでにこう伝えてくれ。”駿府に呼び出されたなら気を付けろ”とな」

「それは一体……」

「何、俺が今川義元であれば尾張侵攻の最前線を裏切り者に預けたままにはせぬ。そして、三河や遠江、駿府に適当な代替地が無いとなれば……コレよ」


 俺は手刀を首に当てた。

 村井貞勝はその仕草だけで、十分に理解したようであった。

 彼は頷き返し、


「では信行様、その様に取り計いまする」

「頼む。それと大高城、沓掛城の周辺に”山口は織田に寝返る”と広め、鳴海城周辺には”今川義元は山口を殺し、譜代家老に城を与えるだろう”と広めよ。それは……蔵人、お主に頼むぞ」

「ははっ!」


 津々木蔵人には歩き巫女との伝がある。

 故に、この様な策には打って付けなのだ。


 やがて、


「次に今川方の……」


 次の議題に移った。

 それは今川方による尾張侵攻に関する報告であった。


 現状、今川方は愛智郡の南部、五つの城または砦を占拠している。

 那古野城に近い順で挙げると、桜中村城、笠寺砦、鳴海城、大高城、それに沓掛(くつかけ)城だな。

 それぞれに千から三千名前後の兵が入っている。

 それに対して織田弾正忠家としては砦を築き、牽制をしていた。

 鳴海城に対しては丹下砦、善照寺砦、中島砦を築き、大高城に対しては鷲津砦、丸根砦、正光寺砦、氷上砦を築いてだ。

 兵糧攻めを行い、城を奪い返そうとして。


 しかし、それに呼応する形で今川義元もまた、動き出した。

 三河において、米の早刈りを命じたらしいのだ。

 その意味は一つ、


「今川が大軍を擁し、ここ尾張に攻めて来る……のか」


 であった。


 今川は東の北条や北の武田と同盟を結んでいる。

 残るは西の尾張のみ、南は太平洋だからな。

 大軍を差し向ける先はそこしか無いのだから。


「はっ! 恐らくは尾張の米が刈り取られる前に動き始めましょう。早刈りをした三河には来年分の種籾すら残さず、その全てを兵糧とする命を下したそうに御座いまする」


 俺はその報せを(もたら)した者に視線を移した。

 津々木蔵人は涼やかな目で俺の眼差しを受け止めた。

 彼の瞳は自信に溢れている。

 それは俺こと織田信行を身を呈して守ったからであった。

 以来、彼は武人肌の武将からも一目置かれる事に。

 それどころか、元からの優男らしい顔立ちの所為か、女衆からの受けが大変宜しいらしい。


 因みにだが、荒子前田家はお取り潰し……にはならず、当主の蟄居、と相成った。

 結果、前田利久が荒子前田家を継ぐ事に。

 俺を殺そうとした前田利家は尾張からの追放扱いである。


「で、あるか。なれば、三河から棄民が来ような」

「間違いなく」

「なれば、何処かに集めておく様に。妙な輩が紛れ込んでいる可能性もあるからな。監視も怠るな」

「はっ!」

「次に、美濃は如何か?」

「その件につきましては某が」


 そう答えたのは、林秀貞であった。

 彼は先の村井貞勝と共に、内政方の一人として働いている。

 加えて彼の三人の息子らは未だに、那古野城とその城下町、および那古野大湊の普請に携わっていた。


 俺は林秀貞に先を促した。


「美濃の国主、斉藤義龍(さいとうよしたつ)殿は信行様と同盟を結ぶ事に前向きに考えても良い、と。ただし、一つだけ問題があるとの事で御座いまする。それは……」

斉藤利治(さいとうとしはる)……か」


 斉藤利治とは美濃の前国主であった斉藤道三の忘形見の事である。

 兄の信長が斉藤義龍と斉藤道三が争った”長良川の戦”の後、助け置いたらしいのだ。

 何処に? 清洲城の中に。

 ゆくゆくは斉藤利治に美濃国を継がせようと考えた上で。

 ……兄上、どんだけ帰蝶が気に入らなかったんだよ。

 上手くいったら、帰蝶と離縁し、吉乃を正室に迎える気満々だったらしいじゃないか!

 あれか? オッパイが大きい女が嫌いだったのか? 帰蝶以外は小さそうだもんな! って言うか、帰蝶以外の女、皆妊娠してたよ! 兄上、どんだけ励んだら側女全員孕ませられるんだよ!

 まぁ、この件に関しては俺も何も言えはしないんだがな!


 俺は小さくため息をついた。


(くそっ! 楽しみにしていたのに!)

「仕方があるまい。同盟は諦め、今川には単独であたろう。考えようによっては後背は必要最小限の備えで十分と分かったようなものだ」

「ははっ!」

「では、次は何か?」

「はっ、河原衆と山窩衆を新たに設ける事と、鳥笛に関してに御座いまする!」

「それと軍略衆な」

「はっ! 目下のところ、河原衆が千、山窩衆が千二百程目処が立ちまして御座いまする!」

「そうか。鳥笛の方は如何か?」

「はっ! 若い者の方が覚えが良く、簡単な会話なら鳥笛で交わすまでになっておりまする!」

「でかした! その者らは大切に扱え! いずれ”通信衆”を設け、その中心に据える積り故にな!」

「ははっ!」


 この日の評定は昼を跨いで続けられた。

 俺が二の丸に下がったのは未の刻(午後二時)過ぎであった。

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