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#021 幕間 那古野(2)

 永禄元年(西暦一五五八年)、四月下旬某日 那古野城 城下町


 貸本屋を髭面の大男が訪れていた。

 大男は、店主が店の奥から大事そうに出してきた本を、喜色満面となりながら読んでいた。

 その本の表紙には、柴田勝家と織田信長の名と、両名の似顔絵が書かれている。

 大男は、


「これだ! これこそが、儂が待ち望んでいた物! これで儂はもう! 思い残す事はない!」


 叫んだ。

 小脇にもう一冊の本を抱えながら。

 僅かにだが”行”の文字が覗く。


 店主は大男をチラリと見てから、


「はぁぁ……」


 大きなため息をついた。




  ◇




 河原に河原者や山窩の童や捨て子の類が集っていた。

 その手には、弓を模した道具が握られている。

 それは那古野の弓師が試みに作った、竹と木材を組み合わせた”十字弓”であった。


「どうだ?」

「駄目だ。飛んで十丈(三十メートル)だな」

「お侍の甲冑を抜けるか?」

「近くなら兎も角、遠くは無理だな。三丈(十メートル弱)でも、鏃が辛うじて甲冑を抜き、肌を傷つけるぐらいだろ」

「駄目か」

「だな。でもな」

「何だよ?」

「魚を獲るには良いぞ? ほら、こうして、そーーっと近づいて……」


 童は弓を模した道具を鉄砲の如く構え、引き金を引いた。

 すると、


「パシュッ!」


 矢が放たれ、川魚に矢が突き刺さる。

 川魚は驚きジタバタ跳ねるも、身体に刺さった矢が邪魔で身動きが取れないでいた。

 次第にエラが動くのみとなり、尾鰭はピクリとも動かなくなる。


「あれ?」

「驚いた? 実はしびれ薬を鏃に塗ってみたんだ」

「へー、魚に効くヤツを?」

「……いや、熊、鹿、猪用……のを……」

「……ふーん」


 童には、「その薬は川魚には効果ないんじゃない?」と指摘しないだけの分別が、あった。


「お侍さんに、魚が上手く獲れた、ってだけ知らせに行こうか?」

「う、うん。そうだな、その方が良いよな……」


 その日から河原者は、竹製の十字弓(クロスボウ)を城から借りて漁をするようになった……とか、ならなかったとか……





  ◇





 ある日、俺こと織田信行はたまたま時間が空いたので、我が子の昼寝姿を見る為、奥へと入っていた。

 すると、タイミング良く林弥七郎の娘の於祢(おね)が現れた。

 彼女は子供用の小さな羽毛布団を携えていた。


「於祢か。良い所に来た」

「荒尾御前様がやや子に掛けよと申されましたので……」

「あぁ、構わぬ。今すぐ掛けてやってくれ」

「はい!」


 掛布団と掛け終わると、於祢が俺の側に来た。


「信行様のお子は皆、大変可愛らしゅう御座いまする。私もかように愛らしい子が欲しゅう御座います」

(えっ、何? 俺と伽希望? ち、違うか。だってまだ十歳前後だもんなぁ)

「ふむ、於祢は赤子が好きか?」

「はい、好きで御座いまする。大変(いとs)う御座いまする。早う我が子を産んでみとう御座いまする」

(でも、史実ではなぁ……)

「……さ、左様か。なら……一つ占いを致そう」

「はぁ?」

「じゅげむ、じゅげむ……出た! さ、猿顔、鼠顔の男はやめておけ。子種が無く、女遊びが激しく、於祢が頭を悩ませると出ておる」

「ほ、本当に御座いますか!」

「ああ! 本当だ!」

「では、どのような男がよう御座いましょう?」

「そうさなぁ……先ずは子種がある事が分かっている事。次に女遊び、女を買わぬこと。病をうつされ、子を産めなくなるやも知れぬからな」

「い、今少し分かり易く……」

「織田家の一門なら絶倫で子種が豊富、だから嫁ぐ相手に良い、そういう事だ。誰ぞ、会わそうか?」

「め、滅相も御座いませぬ!」


 於祢は慌てて、俺の前を去って行った。

 しかし……これで良かったのだろうか?

 もしかしたら、猿と於祢は結ばれぬやも知れぬ。


 ……ま、いっか。

 猿には過ぎた女房だと思われるからな。





  ◇





 俺こと織田信行は万松寺が営む湯屋を訪れていた。

 津々木蔵人と小姓らを引き連れて。

 母上から珍しく、お誘いの文が届いたからだ。

 何でも、久しく会ってないから会い、広場にて行われる劇の観劇に伴いたいらしい。

 しかも、観劇の前に湯屋を訪れたいとか。

 俺は仕方なく、湯屋を貸し切った。


 俺は洗い場で身体を丹念に洗い清めた後、浴槽へと向かった。

 その後ろから、津々木蔵人と小姓らが続く。

 不快な視線は感じない。

 彼らはもう、俺の心変わりを受け入れたようだ。


 暫く湯に浸かっていると、


「信行様、西三河の民が困窮しておるそうで」


 津々木蔵人が話し掛けてきた。


「ああ、知っておる。お主も知っての通り、私が仕掛けたのだからな。何故そうするかは、お主にも以前話した筈だ」

「はい、今川義元の足を止める……と」

「そう、三河に米が無ければ尾張にまで攻めては来ぬ。その為に、西三河から銭を集め、銭不足で買い手のなくなった米を安く買い集めたのだ」

「そして、その米を他国に売り、または酒に変えた」

「そう、その通りだ。……何だ、蔵人は気に食わぬのか?」

「いえ、その様な訳では……」


 難しい顔をする津々木蔵人。

 刹那、壁越しから姦しい声が響いてきた。

 女衆が入って来たのだ。


「あれまぁ、那古野の湯殿に比べて随分と大きな」

「ええ、ほんに大きいですなぁ」

「ほう、那古野の湯殿はここより小さいのですか」

「ええ、土田御前様」

「六人も入れば、足も伸ばせませぬ。比べてここは……」

「わたしは尼寺に湯殿がある事しか知りませなんだ」

「信長殿は専ら、蒸し風呂を好まれていますからねぇ」

「信長兄様に願い、清州にも作って頂きとう御座いまする! ねぇ、お犬?」

「まする!」


 身体に湯を掛ける音が響く。

 続いて、


「あぁ……、何と心地良いこと……」

「ほんに良い香り……」


 感嘆の声が幾つも、漏れ聞こえた。


「時に、昨今は何やら忙しくしていたそうですね?」

「はい、わたくしと高嶋の局殿で絵巻物をこさえているのですが……」

「馴染みの店の者から、無理な頼みを受け、それで……」

「左様でしたか。信行殿の手前、無理をしてはいけませぬよ?」


 しおらしい返事が二つ、返った。


「もっとも、信行殿とは大層上手くいっていると聞いております」

「わたくしも耳に致しておりまする。是非、殿方の気を引く秘訣を賜りたく……」


 女湯に沈黙が訪れた。

 尋ねた女が、「これはいけない!」と思ったのだろう、話題を変えようと先とは違う問いを口にした。


「そ、それにしても荒尾御前も高嶋の局も妙な痣が彼方此方に。それらは如何されたのです?」


 女湯に再び、沈黙が訪れた。

 尋ねた女は再び、問うた事を後悔したのだろう。


「あっ……、こ、答えなくともかまいま……」


 慌てて声を上げた。

 しかし、今回の問いには別の者が答えた。


「信行兄様に吸われた跡に御座いまする! ねぇ、お犬?」

「まする!」

「えっ!? す、吸われた!? 口で!?」

「はい、その通りに御座いまする!」

「まする!」

「首も、胸も?」

「はい!」

「はいです!」

「腰も、尻も?」

「はい!」

「はいです!」

「えっ、嘘!? 股のあんな奥までも……」

「はい!」

「はいです!」

「あわわわわ………」

「おほほ、よく伽に招かれるのですか?」

「はい、土田御前様」

「この所はほぼ毎日で御座いまする」

「信行兄様、凄い!」

「凄いです!」

「あわわわわ、そ、そんなに! わたしなんて、わたしなんて……」

「おほほほほ、信秀様を思い出しまする」


 俺は、津々木蔵人と小姓らからの視線に耐えかね、風呂を出る事にした。




 二階の憩いの間で寛いでいると、女湯から上がってきた者達が現れた。

 いずれも劣らぬ、美しい六人の美女、美少女達が。

 俺の母である土田御前を筆頭にして。

 女湯の姦しさなど微塵も感じさせてはいなかった。


 俺は小姓の一人に、


「川口久助、よく冷えた般若湯を出して差し上げろ」


 井戸水で冷やした酒を頼んだ。

 風呂上がりに甘い濁り酒、これがなかなかに癖になる程美味いのだ。


 暫くすると、一人の美少女が俺の前に現れた。

 頬をほんのりと赤く染めて。

 濁り酒を飲んだに違いなかった。

 美少女が、


「信行兄様、お久しゅう御座いまする。お犬に御座いまする」


 と言った。


「おお、お犬か。久しく見ないうちに綺麗になったのう」


 俺は当たり障りのない言葉を返した。

 織田家の者は皆、見目麗しい。

 それに驚くほど、男も女も良く似ていた。

 だからであろう、


「違いまする! お犬は私に御座いまする!」


 こんな事も起こり得るのだ。

 人相書きでは細かな違いなど、俺には分からなかった。


(ぬ、ぬかったか!)


 最初に声を掛けてきた美少女がニタリと笑った。

 いつかの信長に本当に良く似ていた。


「うふふ、私はお市に御座いまする」

(なるほど。これが柴田勝家が六十という歳を忘れ、毎晩ハッスルしたお市か。確かに美人だな。で、こっちがお犬か。同じく美人だが、目元が優しげだな。ふむ、確かに、転生系主人公が嫁にしたがるだけの事はある)


 俺が二人をまじまじと見ていると、


「まっこと、記憶が無いように御座いまするなぁ」


 俺にとっては恐ろしい事を、ころころと笑いながらお市は言った。

 それどころか、俺の瞳を覗き込み、


「まるで別人のように御座いまする」


 心の中を見通したかのように言う。

 俺が黙っていると、お市はまた、口角を上げた。


「ふふ、信行兄様が信行兄様でないなら……信行兄様の室に入っても構いませぬか? 信長兄様は他家に嫁げと煩そう御座いまする」

(な、何を物騒な事を……)

「お、お市は嫁ぎに出たくはないのか?」

(そうそう。史実では肥満の浅井長政に嫁ぐんだよ、同盟関係を強固にする為に。もっとも、その長政も信長を裏切るんだけどな)

「出たくはありませぬ」

(まぁ、そうだよな。知らない土地に行きたく無いよなぁ)

「……なら、出なくて構わぬぞ。私からも兄上に頼もう。考え直してくれるやもしれぬ」

(あれ? でもその場合、現代の天皇陛下がお生まれにならない? ………………いやいやいや、男系だからきっと大丈夫……だろう………………。そう思う事にしよう)


 すると、お市はまた笑った。


「うふふっ! やはり、まるで別人で御座いまする」


 俺はあきらめ顔で困惑した。

 刹那、その顔が面白かったのだろう、


「ぷぷっ」


 遠巻きに見ていた女が笑った。


(あれ? そう言えば誰? この物凄い美人さん。しかも、荒尾御前や高嶋の局と同じく背が高く、着物の上からでもわかる大きな胸だ。当たり前だが大和撫子だし。それはつまり、俺のどストライク! もしかして……この女が帰蝶?)

「信行殿、この方は……雷鳥……という事にしてくださいませ。お願いいたしまする」

「は、母上……」

(ら、雷鳥って……帰蝶で確定かよ……。信長、自身の正室がここにいるって知ってんのかな? まぁ、どうでも良いか! それにしても、胸、でかそうだなぁ……)

「あわわわわ……」


 俺がまじまじと凝視した所為か、”雷鳥”さんは顔を赤く染め上げ、俯いてしまった。




 さて、そもそも何故我が母上がこの様な集まりを設けたかと言うとだ、


「では、そろそろ向かいましょうぞ。始まる頃合いでしょうから」


 広場の円舞台で幸若舞が催されるからだ。

 それを皆で揃って見たいのだそうだ。

 その演目は”百合若大臣”。

 ”百合若大臣”と呼ばれる殿様が家臣”別府太郎”の裏切りに遭い、無人島に取り残されてしまうも、何とかして戻り、自慢の弓の腕前を披露しつつ裏切った家臣を殺して国と愛する妻を取り戻す話しだ。


 俺達が広場に入ると、広場は円舞台を中心に大勢の民で溢れかえっていた。

 その中で、俺達は角よりの、仕切られた一区画に腰を下ろした。

 大相撲のマス席に似た場所に。

 何故か俺の座る場所が、帰蝶の隣と決められていた。


 百合若大臣が始まると、俺は合間合間に、


「雷鳥殿、喉が渇きませぬか?」

「雷鳥殿、私の体が邪魔になっておりませぬか?」

「雷鳥殿、胸が大き過ぎて肩が凝りませぬか?」


 と聞くも、彼女は、


「あわわわわ……」


 と熟れた苺の如く顔を染め上げる。

 俺は思わず、


(面白い!)


 と思ってしまった。


 やがて、演目が佳境に差し掛かろうとした頃合い、百合若大臣が別府太郎を殺しに現れた。

 大きな弓……ではない、細長い何かを携えて。


(……あれ? 弓じゃない……鉄砲だ……)


 騒つく観衆。

 暫くすると、舞とは思えぬ目新しい演出に対し、喝采を上げ始めた。


(しかも……銃口が別府太郎じゃなく、俺に向いてるんですけど……。あれ、この感覚……)


 俺はゾクリとした。


(の、信長に銃口を向けられた時に似てる……。ま、まさか!?)


 おかしな空気を感じた小姓らが俺の前に並ぶ。

 すると、百合若大臣は改めて、別府太郎に銃口を向け……


「パーーーン!」


 と撃った。

 崩れ落ちる、別府太郎。

 円舞台を中心に拍手が巻き起こった。

 顔を真っ赤にして興奮する観衆達。


 それとは逆に、俺の顔は青ざめ、


(空砲……だったか。だが、百合若大臣は間違い無く信長だった。ならば……信長ならいつでも、俺を殺れていた筈。いや、俺の側に土田御前と帰蝶、お市らがいたから躊躇したのか? もし俺が、彼女らと共にいなければ……)


 額から冷や汗を流していた。







  ◇






 全裸の信長の上に、女が息を弾ませながら寝そべっていた。

 二人の体の汗が交わり、室内に性交の匂いが満たされている。

 気だるく天井を見つめながら、信長は囁いた。


「吉乃。余は……勘十郎めに負けておるか?」

「い、いいえ。信長様は何者にも負けたりしませぬ」

「ならば余は……勘十郎めに劣っておるのか?」

「信長様が何者かに劣ったりなど、ありえませぬ」

「では、余は、勘十郎めより考えが遅れておるのだろうか?」

「その様な事! 信長様の進んだお考えには誰一人として追随出来ておりませぬ!」

「であろう! その筈であろう!」

「そもそも、あやつは信行である筈がないわ! でなければあのような事を考えつき、行える筈がないわ!」


 いきり立つ信長の股間。

 彼は女に再びのしかかった。


「あっ、の、信長様?」

「勘十郎めは! 獅子身中の虫に! 喰われたのよ!」

「あんっ、信長様? はぁあ! も、もう、これ以上はか、堪忍し……」

「だが! 余の邪魔にならぬのならば生かしておこう! 以前はそう! 思うておった!」

「はっ、あっ! うん! はぁああ!」

「余の助けになるならば! 手元で使おう! これまではそう! 考えも! した!」

「はっ、あっ! うん! はぁあ!」

「しかるに! 余を! この余を! 超えようと! 考えるならば! 余は! 余は! 余は! 余はぁああああ!」

「ん! ん! ん! ん! ん! ん! ん! んんんーっ!」


 吉乃は自らの指を噛み、次々に押し寄せる大波に堪えた。





  ◇





「猿、これは誠か?」

「はい、事実に御座いまする。西三河にはもう……。あの今川ですら、米無くば容易に動けぬようで……」

「五郎左!」

「はっ!」

「今川が動けぬ今、この好機を逃してはならぬ! 余は勘十郎めに取り憑いた狐を討ち、真の尾張一統を果たす! 密かに触れを出せ!」

「ははっ!」


 織田信長は再び、実弟である織田信行を討つと決めた。

 時は永禄元年(西暦一五五八年)、四月末日。

 以前誅殺を図ってから、およそ半年後の事であった。

これで、幕間は終わりで候


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