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#020 幕間 那古野(1)

 永禄元年(西暦一五五八年)、四月上旬某日 那古野城 城下町


「コォーーーーーン……、コォーーーーーン……」


 那古野の至る所で槌音が響いている。

 その所為か、城下町と湊の普請が瞬く間に進み、僅かな期間で町の様相が様変わりしていた。


 そんな中、


「五郎左、あの紙切れは何じゃ?」


 派手な衣服を身に纏った、年若いお侍が供の者に問い質していた。

 場所は街の片隅にある立ち飲み酒屋。

 夜になれば人夫が何処からとも無く集い、鴨肉を炭火で炙り、甘辛いタレや塩を振った串を酒の肴に、一杯やるのだ。

 だが、日中は違う。

 日が出てから日が沈む一刻前までの間、この店とこの店と同じような他の店は、


「あれは”出走馬表”というものに御座いまする。前日までの人気、配当割合、騎乗する者の名前、過去の出走結果等が記されて御座いまする」


 庄内川の河原で行われる”競馬”の予想を行っていた。

 基本一杯(ワンドリンク)制で。

 しかし、酒が旨いのか、鴨串焼きの味付けが濃いのか、皆お代わりをする。

 その割には、酒は決して切れる事はなかった。


「どの”出走馬表”も片仮名で書かれておるが、一字一句違わぬ」

「そう言われてみれば、確かにそうですな。字と字の感覚も、他の紙と違いませぬ」

「……解せぬ」


 派手なお侍はそう呟いた後、別の店へと移っていった。


「この店の”出走馬表”も全く一緒じゃ。寸分の違いも見受けられぬ。これは一体……」

「あっ、のぶ……いえ、若! た……一益殿が、あ、あのような所で!」


 派手な身なりのお侍が供の侍の指差す方へ目を向けると、


「おのれ、貴様! この様なイカサマをしおってからに! そこになおれ! 成敗してくれるわ!」

「お、お侍様! 競馬の予想にイカサマも何も御座いませんよ!」

「だ、黙れ! お主が申したのだぞ! 一番人気の”望月甲賀守義綱”が騎乗する”甲賀丸”が間違いなく取るだろう、とな。なのに、なのに大負けしたではないか! それどころか、一番不人気の”荒子丸”が一位に。このままでは儂は……儂は……」


 大柄な侍が刀を振り回していた。


「……五郎左、あの阿呆をここに引っ張って参れ」


 供の侍は、何処からとも無く現れた他の侍と供に、大柄な侍を迎えに行った。




 派手な格好をしたお侍が、街中でとある物を指差した。


「五郎左、あれは何を建てておる?」


 管を屋根に並べた、奇妙な家屋。

 それが城下町の開けた場所に造られようとしていた。


「はて? 随分と屋根が高い家屋ですな。一体、なんで御座いましょう? 近くにおる者に聞いてみまする。これ、そこの者!」


 五郎左と呼ばれた侍は、近くにいた年若き侍を呼び付けた。

 その年若き侍は、家屋の側に掘られた井戸でなにやらしていた作業を止め、振り返った。


「へ、へぇ?」

「あれは何だ?」

「あぁ、あの建物で御座いますか? 万松寺が営まれる”湯屋”に御座いまする」


 そこに派手なお侍が言葉を挟んだ。


「湯屋、じゃと?」

「へ、へぇ、湯治を僅かな銭で施して下さるそうで。それも宗派に別け隔て無くに御座いまする」

「左様か。しかし、何故あの様に高い?」

「中は二層に成っておりまする。下層に湯殿を、上層には寛ぎながら般若湯を飲む場所を設けておりまする」

「故に、かように高いのか! だが、この周囲を囲む、竹で出来た櫓は何じゃ?」

「へぇ、”足場”で御座いまする。二層の建物は高いので、建てるのが危のう御座いまする。故に竹と竹束で足場を組み、作業しておりまする。竹は何処にでもあり、直ぐに育ちますれば、木のように困りませぬ故」

「左様か、相分かった。じゃが、屋根の上に並ぶ管だけは見たこともない。あれは何だ?」

「あれは”太陽熱温水器”に御座いまする」

「た、たいよう?」

「へぇ、お天道様の事で。お天道様が管に当たると、程良いお湯が中で作られまする」

「ま、まことか! 湯を沸かすに、薪代が掛からぬと申すか!?」

「へ、へぇ」


 派手な侍の眉間に皺が刻み込まれた。


「重ねて問う。その方は何をしておった?」

「へぇ、手押し喞筒(ポンプ)を井戸に取り付けていたで御座いまする」

「手押し喞筒(ポンプ)……とな?」

「井戸から水を簡単に組み上げる道具で御座いまする」

「その方が考えたのか?」

「いえ、織田信行様が考えた物に御座いまする」

「で、あるか……」


 派手な侍の眉間の皺がますます深くなった。




「一益、あれは何じゃ?」


 それは広場の一角を占める程大きな、


「”円舞台”で御座いますな」


 であった。


「この舞台にて、相撲大会や兵法者大会が行われたで御座る。兵法者大会では、上泉信綱殿が優勝したで御座いまする」

「まっことか! あの”上泉信綱”がか! 実に見たかったのう、白刃が舞い、血が飛び散る様をのう!」

「それが、上泉信綱殿が袋竹刀用いる様に申され、信行様もそれをお認めになり、誰一人、死ぬこと無く、大会を終えられたに御座いまする」

「詳しいのう」

「賭けておりました故」

「……で、あるか。時に、それ以外の時は誰も使わぬのか?」

「いえ、何やら申し込めば使えるとの事。これまでは河原者や歩き巫女の一座が舞を披露したと聞いておりまする」

「”舞”であるか」


 派手なお侍はニタリと笑った。





  ◇





 岡本良勝は奥に呼ばれ、平伏していた。

 奥に呼ばれる理由など、身に覚えが無かったからだ。

 しかし、彼を呼び出した二人の女性は鬼気迫る雰囲気を醸し出していた。

 二人の女性は”出走馬表”を握りしめている。


「良勝殿、面を上げなされ」

「そ、そんな恐れ多う御座いまする! 荒尾御前様に……」

「良いから上げなされっ!」

「た、高嶋の局様まで! ヒ、ヒェー!」

「静かにおし! 良いですか、これは大切な事なのです! わたくし達の”命”に関わる事なのです! ですから、わたくし達の問いに、嘘偽り無く答えなさい!」

「は、ははっ!」


 主命であった。

 岡本良勝に拒めるものでは無かった。


「この”出走馬表”なる物は人が手で一枚一枚書いた代物ではない、そうですね?」

「へ、へい!」


 岡本良勝は思わず、以前の言葉遣いで答えてしまう。


「も、申し訳けござい……」

「構いません!」


 高嶋の局が岡本良勝の無用な言葉を押しとどめた。

 彼女は僅かな時間すら惜しかった。

 より大切な事が、知りたき事があったからだ。

 岡本良勝を落ち着かせる様に、優しい声で問うた。


「では、如何にして紙に写しましたか?」

「はっ! 片仮名を銅に一文字ずつ彫り、紙の大きさに合わせた専用の板に、彫った面を上にして並べ、墨を塗り、その上で紙を被せ、写しまして御座いまする!」


 荒尾御前と高嶋の局が息を呑んで見詰めあった。

 小さく頷きあった。

 欲しい情報は得られた。

 なれば”これからの問い”こそが最も重要。

 何故ならば、彼女達の”命”に関わるからだ。


 荒尾御前は優しく微笑み、


「その方の申す遣り方なれば、文字以外にも、例えば”簡易な絵”も写せるのではありませぬか?」


 知りたき事の核心を問うた。

 これが出来るなれば、彼女らは苦役からの解放が約束される。

 何故ならば、彼女らは密かに、絵巻物をこさえていたからだ。

 だからこそ、人相書きも上手く描けたのだ。

 織田家とその家臣の顔はとても書き慣れており、見ないでも片手間に描けるほどであった。


 岡本良勝の答えは、”是”であった。


「勿論です。実際、罪人の手配書は人相書きと罪状を……」


 刹那、


「キャーッ! 高嶋の局! 遂に、遂に!」

「はい! これでわたくし達は創作だけに集中できましょうぞ!」


 堪えていた二人の感情が爆発した。

 その大音声を耳にした、奥を守っている侍女が薙刀を携え、何処からともなくゾロゾロと現れた。


 岡本良勝は危うく、無礼討ちされそうになった。




  ◇




「おう、加賀守ではないか! まさかお主に、この春の最優秀騎手の証”紅蓮の陣羽織”を掻っ攫われるとは思わなんだわ!」

「阿呆、ここで騎乗名の”加賀守”は止めぬか! 恥ずかしゅうてしょうがないわ!」

「何を申す! 開始から一気に馬を走らせ、そのままお主は逃げ切り、勝った! 実に見事な騎乗っぷりであったわ!」


 加賀守と呼ばれた侍は顔を顰めた。

 そして、相手の侍の耳に何事かを囁く。

 すると、聞かされた侍は、


「そ、それは誠か!?」


 目を丸くして驚いた。


「誠も誠。俺はその間、河原の藪の中で伸びていた。何者かに気を失わされていたからな」

「だからか! どうりで挨拶も返さず、何時まで経っても面頬も外さぬから、”おかしな奴”、と思うておったわ! では、一体何奴が……」

「分からぬ! が、俺は別に怒ってはおらぬ。褒美の金子は頂けたからな」

「なんじゃお主、陣羽織はいらなんだか? お前の代わりに”表彰台”で貰った者は大層嬉しそうにしておったぞ?」

「俺がいくら馬廻衆の一人だといっても、敵将の兜首一つ取っておらぬからな。陣羽織は早かろうて。それに……」

「赤地に”麒麟”では悪目立ちし過ぎるか?」

「その通りよ。戦に着て行っては、真っ先に狙われるであろうからな!」

「違いない!」


 二人の侍は大いに笑いあった。




  ◇




 猿顔の小者が新たに出来た遊郭から出ると、向かいの遊郭からも同じ様に、遊び終えた客が軒先を潜って出てきた。

 それは大柄な髭面の侍だった。


「あれ? あれは確か、下杜城城主の柴田様では御座らんか?」


 しかも、出て来て早々首を捻っている。

 どうやら、遊女の具合が芳しくなかったようだ。


(何じゃ? 遊郭に来てまで顔を顰めておる。あれじゃ、相手の遊女も楽しくはあるまいて)


 猿顔の小者はそのまま、言葉を掛けずに去った。

 それもその筈。

 二人の身分には雲泥の差があった。

 小者が気安く話し掛けようものなら、斬り捨てられても仕方がなかったのだ。


 一方の大柄の侍はと言うと、


「似ていると言われて訪ねてみたが、全く似ておらなんだ! 何が、信秀様のご落胤に間違いなし、だ! 儂の貴重な時間を返して貰いたいわ!」


 怒り心頭のご様子。

 頭が冷めるまでは今しばらく、時間が掛かりそうであった。




  ◇




 髭を生やした大柄なお侍が店の一角に長く佇んでいた。

 その店は貸本屋。

 古今東西の書物を写し、それを貸し出すのを生業にしていた。


 髭のお侍は一冊の本を手にしていた。

 その和装本の表紙には織田信長と織田信行の名と、見つめ合う”似顔絵”が記されていた。

 お侍は中を検めた瞬間、顔を強張らせた。

 極彩色の絵が、彼の目を奪ったのだ。

 指先が次々とページを捲る。

 それは思いの外、長い時間であった。


 やがて、お侍は本から顔を離した。

 お侍は鋭い視線を、店主に向けた。


「店主、この本は如何した!」


 厳しい口調の所為か、店主は身を縮めた。


「へ、へぇ、さ、最近持ち込まれた、ほ、本に、ご、御座いまする」

「別に貴様をどうこうしようとは考えており申さぬ!」

「さ、左様でございますか!?」

「しかしだ!」

「ひ、ひぃぃ!」

「儂の頼みを聞いて貰わねば許さぬ!」


 六尺はあるお侍が店主を上から睨みつけた。

 お侍は二、三の頼みを店主に伝える。


 店主は何度も頷き返した。




  ◇




 那古野湊は大いに賑わっていた。

 桟橋に次から次へと荷が上げられていく。

 その多くが”米俵”であった。

 それを初めて目にした、派手な身なりをした若侍。

 不機嫌そうな顔を形作る。


「猿! あの米は何処から来て、何処に向かっておる!」

「何処からかは分かりませぬが、”なごや”と申す問屋の納屋に納められておりまする!」

「”なごや”じゃと!? その問屋はあれ程の米を集めて、一体何をしておるかの!」

「も、申し訳御座いませぬ! 存知ませぬ! す、直ぐに調べてまいりまする!」


 猿顔の小者は叫び、駆けて行く。

 そこに、丁度那古野湊に居合わせた、大橋重長が近寄って来た。


「これはこれは、信……」

「よい! 余は忍んで参っておる!」


 刹那、大橋重長は派手な衣服に視線を巡らせようとするも、すんでのところで堪えた。


「左様で御座いましたか。して、何やら小者に尋ねて御座いましたな。商いのことであれば、某がお力になれるかと」

「では聞くが、”なごや”と申す問屋は何故米を集めて何をしておる?」

「はっ、実は……」


 派手な格好をした侍は、より不機嫌そうは顔をした。


「他国の商人を集め、米の取引を仲介している……だと?」

「左様に御座いまする。もっとも、尾張の仇にならぬ様、売り先は絞っておりまする」

「津島も噛んでおるのか?」

「多少は」


 派手な格好をした侍はますます、不機嫌な顔をした。




 派手な若侍は自らが持つ屋敷の一つに戻ると、


「酒だ! まずは酒を出せ!」


 女に酒の支度をさせた。


 侍は出された酒を一息に飲み干し、女を強引に引き寄せた。

 女の細い腰を抱き、女の形良い顎を手で挟んだ。


「吉乃、生駒の家中は那古野を見て何と……何と申しておる?」


 侍の鼻腔を、女の身体から滲み出た”匂い”が満たしていく。


「いずれ日の本一の都に為るやも知れぬ、と。信長様の尾張は安泰だと申しておりまする」

「で、あるか……」

「……はい」


 女はこの時初めて、目の前の侍の弱さに触れた気がした。

 常日頃から自信家であった侍が、迷いを、悩みを垣間見せていたからだ。

 しかしそれは、束の間の事。

 侍は女を組み伏し、


「抱くぞ!」


 女の帯を解いた。


 侍に遊女の如く抱かれた女は、侍を愛おしく抱いた。

存外、幕間が長くなってしまった。

まっことすまなんだ。

あと一話、幕間が入り候。


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