#019 決断と準備
永禄元年(西暦一五五八年)、三月某日 那古野城 評定の間
昨日、清洲城にて先の品野攻めと岩倉攻めの論功行賞が行われた。
俺は勿論、褒められた。
否、激賞された。
感状すら頂いた。
あの”信長”からだ。
”不世出の英雄”からだ。
戦国の世を早く終わらせた、その一因、いや主因となった男からだ。
あの男が尾張から立ち上がり、”天下布武”を掲げたからこそ、民は一早く戦の無い世を謳歌する事が出来たのだ。
俺の胸に迫るものがあった。
しかし、俺は見てしまった、気がついてしまった。
信長の目が一切、笑っていない事に。
彼の目が暗く、重い色に満たされている事に。
俺はそれに気づかぬ振りをして、されるがまま労いを受けた。
兄が弟を、出来の良い兄が出来の悪かった弟を、「ようやった! さすがは余の弟である!」と褒め称えるに任せて。
俺の背筋を冷たいものが幾筋も流れ落ちた。
俺は遠くない時期に”決断”を強いられる事を、この時悟ったのだ。
……ならば足掻こう。
いや、その時が本当に訪れるならば、全力で挑もう。
覇王に成りかけた男に勝たねば、俺は死ぬしかないのだから。
それでは、余りにつまらなさ過ぎる。
ここは少年の頃夢にまで見た、戦国時代なのだから……
俺は居並ぶ家老に申し伝えた。
「年内にも我らが命運を賭けた、大きな戦が起こるやもしれぬ」
広間の空気が急に張り詰め始めた。
俺は気にせず、言葉を続けた。
「今川か、斎藤か、それはまだ言えぬ。正直、起きるかどうかも分からぬ。が、恐らく起こるだろう。皆はそう思っておいてくれ。ゆめゆめ、”準備”を怠りなきよう頼む」
「……はは!」
家老らは一瞬息を呑むも、声を揃え答えてくれた。
「さて、先日の品野攻めでの事だが……無理を承知で加えた弓兵だが、思うたよりも芳しくなかった。もっとも、数年後を見据えての事であったのだがな。残念ながらそうもいかなくなった。これまでは、鉄砲を買おうにも値が張り諦めていた。が、いざ銭をこさえて頼むも、津島は首を縦に振ってくれなんだ。また、よしんば鉄砲を買えたとしても……」
俺はここで口を閉じた。
誰が俺と考えを共有しているか、それを試したかったからだ。
それを答えたのは、
「火薬が御座いませぬ。いや、鉄砲と共に幾らかは買えましょう。しかし、火薬は保存が効かぬと聞きます。常に買い足す伝がないと使い続けるのは難しいでしょうな」
津々木蔵人であった。
「その通りだ、津々木蔵人。そこで皆にも考えて貰いたい。鉄砲への対抗手段を、だ」
俺がそう言うと、広間がざわついた。
”鉄砲”への対抗、その意味する事は……余りに少ないからだ。
多田野宗兵衛がニヤリと笑い、発言した。
「熱田の商人によりますると、南蛮より伝来した武具には鉄砲以外にも幾つかあったと聞きまする。それは何でも、女子供でも引ける弓で、放てば鉄の鎧を撃ち抜くとか」
(それ、何てクロスボウ!? ……って本当に、それってクロスボウじゃないのか?)
「ふむ、至急手に入れさせよ」
(いや、基本原理は知っている。弓師にこそっと作って貰っておくか。あとは……)
「それと、誰ぞ南蛮の技術を探れ。特に火薬の製造方法と鋳物技術に関してだ。”秘中の秘”の技であろうが、何としても必要だ」
(硝石の作り方は”ヨモギに小便”、”厩や厠の下の土”程度の知識ならある。しかし、それだけじゃないだろう? ”南蛮吹き”も、こうなったら是が非でも早く手に入れたいからな)
「それならば、某が。人の入れぬところに入れる者達との伝が御座いますゆえに」
(歩き巫女かな?)
「わかった! 頼んだぞ、蔵人!」
「はっ!」
その後、幾つかの指示をした後、俺は評定を終えた。
俺はその足で、別の間へと向かう。
先ほどの評定にも上がった津島の商人との、談合を行う為に。
「待たせたな、大橋重長」
俺は部屋の襖を開けると同時に、声高に言った。
「いえ、待つのも商人の務めに御座いますれば」
俺の無礼に礼をもって返す。
商人らしい、と俺は思った。
俺は大橋重長の前に腰を下ろし、小姓が間を置かずに出した水を一息に飲んだ。
評定の後は喉が渇く。
それが習慣であった。
「して、此度は何用か?」
俺が問うと、大橋重長は頭を掻き、言葉にし辛い体を装いつつ、
「じつは……那古野湊の件で御座います……」
用件を述べ始めた。
川湊である津島と那古野湊の往来をこれまで以上に密にしたい。
ついては、川舟用の桟橋を作らせて欲しい、との事であった。
要するに、急速に拡大する那古野経済に一枚噛みたい、という事だ。
(ふむ……)
俺は考えるフリをした。
経済圏の拡大は諸手を上げて賛成する。
が、津島は金と米を融通してはくれたが、鉄砲はしてくれなかった。
無論、信長が差し止めていたからだ。
ならば……
「丁度良い。私も頼みたい事があった。なに、そんなに心配するな。鉄砲そのものを用立てろとは言わぬ。ただし……」
俺は条件を出した。
鉄砲に代わる品を望んだのだ。
俺は「それであれば問題御座いませぬ」と答えた大橋重長に対して、満面の笑みを返した。
その日は訪れる客が多い一日であった。
熱田神社の宮司からの使いに、那古野城下町に屋敷を構えた林弥七郎とその娘於祢が羽毛布団の出来を確認して貰いに来たり。
漸く務めを終え、ひとっ風呂浴びていると、
「信行様、万松寺の大雲永瑞様がお見えに御座いまする」
予定に無かった客が新たに訪れる。
俺は、
(永瑞和尚か……会わなきゃならんよなぁ。織田家の菩提寺だもんなぁ)
「急いでおられるならば、そうだな、憩いの間にお通ししろ」
「はっ!」
菖蒲の香りに満ちた湯に浸りつつ、何事かと考えを巡らせた。
「我ら僧門にも、熱田の杜殿の如き知恵を授けて貰えませぬか?」
俺は齢七十を優に超えているであろう老人に、頭を下げられている。
永瑞和尚曰く、昨今はここ尾張でも一向宗の隆盛が凄まじく、曹洞宗並びに他宗派の寺が乗っ取られているらしい。
しかも阿弥陀如来以外の本尊を破壊する念の入りようで。
何故か? 大坂にいる偉い人が一向宗以外の宗派を仏敵と言ってるかららしい。
如何なる手段で? 最初は金や米を法外な利子で貸付け、後に言葉巧みに誘うらしい。
(あぁ、現代でもあったな。価値のない絵を高値で買わせ、借金漬けにしてから洗脳し、先祖伝来の土地を含めた身ぐるみを剥ぐ事件がな)
俺は今や遥か遠くに感じる現代を、思い出していた。
すると、
「話は変わりまするが、お体から菖蒲の良い香りがされておりまするなぁ」
永瑞和尚が話し掛けてきた。
「実は、我が寺にも湯殿が御座いまする。主に薬草を浮かべ、湯治に使っておりまする。この季節は菖蒲がやはり、格別ですなぁ」
「ほう、湯治に」
「はい、左様に御座いまする」
この時、俺は閃いた。
「永瑞和尚、湯屋を開いてみませぬか?」
永瑞和尚にも俺の片棒を担いで貰おうと。
それに、一向宗対策にもなる。
門徒も身近な寺や、那古野の城下町で風呂に入れると知れば、大層喜ぶだろうしな。
「湯屋、ですか? しかし、薪代が酷く掛かるのでは御座らぬかな?」
「その点はご心配めされるな。お天道様の光で温める術を教えまする。その代わり、約束して頂きたき事が」
「はて? 如何なることで?」
「一つは、一向宗の寺には教えぬ事」
「それは勿論」
「いま一つは、宗派によらず湯屋を開放する事」
「むぅ、それは……致し方ありませぬ、か」
「そして、最後の一つは……これが一番大変なのですが……」
俺はここに来て言葉に詰まった。
果たして、永瑞和尚に語っても良いのだろうか、と。
だが、残された時は余りに少ない可能性があった。
俺は思い切って、言葉を続けた。
「西三河にも拡げて貰いたい。それも、那古野に三軒の湯屋を開いたなら、次の一軒は西三河の何処かに、という具合に」
永瑞和尚は驚き、目を丸くした。
「それは……如何なるご所存で御座いますかな?」
「なに、駿府殿の歩みを今少し、遅ぅくしたいだけに御座いまする」
那古野が落ちれば、織田家の菩提寺である万松寺もただでは済まないかもしれない。
永瑞和尚は快く、受けて下された。
その後、俺は岡本良勝を呼んだ。
「岡本良勝、参りまして御座いまする!」
「急な呼び立て、悪いな。して、”なべや”は如何か?」
”なべや”とは鋳物を扱う店の事だ。
そこに、俺の鋳物関係で得た資金が蓄えられている。
この他にも”なごや”という店が存在する。
そこでは羽毛布団など、生活用品を取り扱う予定である。
が、それは表向きの話。
実は、富くじや競馬その他の興行で上がった運上金、その中抜きをしていたりする。
銅板の扱いを独占したり、卸値を高く設定したりしてだ。
無論、この事は俺の腹心中の腹心しか知らない。
古くからの家老であっても、一切教えてはいなかった。
「はっ! 富くじ、競馬等に使われる銅板が飛ぶように売れておりまする。外れくじ、外れ馬券もビタ銭と交換という形で回収しておりますれば、驚くほどの銭が溜まっておりまする」
「ふむ。人手は足りておるか?」
「問題御座いませぬ。熱田の鋳物師が我が元に弟子として、子弟を回してくれておりまする。那古野城下に要り用となる品々も、作る手筈が整っておりまする」
「で、あるか。ならば今一つ頼みたい。いや、二つかな?」
「ははっ!」
「一つは、万松寺は永瑞和尚に太陽熱温水器を使った湯屋を営ませる。それも尾張と西三河にだ。例の”菅”が大量に必要となる」
「はっ!」
「今一つは、その”菅”と”踏み鋤”の強度を増すのに用いた技術で、作って貰いたいものがある」
「はっ! 何なりとお命じ下さりませ!」
(良い返事だ。何時ぞやの気の抜けた声が見違えったな。それはそうと……)
「良勝、お主は”石火矢”、”大筒”、”国崩し”なる言葉を知っておるか?」
「いえ、存じませぬ!」
「左様か。何構わぬ、ただの大きな鉄砲の事だ。唐国、いや、南蛮で使われているらしい。それも船にまで積んでな」
「それを某が?」
「そうだ。かの南蛮ではナポレオンと呼ばれる御仁がそれを上手く用い、南蛮の半分を制した事もあるらしい」
「なぽぅ……れおん……に御座いまするか?」
(……あれ? そういえば、まだ生まれてなかったか? ……まっ、いっか!)
「そうだ。ただし、危険を大いに伴う。それに、音も大きい。十分注意して行え。火をつける際は米俵に土を入れ、それで周囲を覆ってからにしろ。”菅”が爆発の衝撃で吹っ飛ぶ可能性もあるからな。玉を入れて飛ばす場合は海に向けてやれ。勿論、船のおらぬ方向にな。米俵は宗兵衛に頼め。旗衆の良き鍛錬になるであろうからな」
ああ、そうだ。
ついでにレールとかバネの概念も教えておこう。
作れるかどうかは分からん。
勿論、今年中に出来るなど、絶対不可能だろう。
それでも、俺がこの難局を生き延びれたなら……
「クックック……」
俺は静かに破顔した。
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