#016 品野攻め(1)
弘治四年 改め 永禄元年(西暦一五五八年)、三月六日
俺は総勢三千の兵を率い、山田郡は山崎城に向かっていた。
無論、総大将としてだ。
織田弾正忠家の棟梁、織田上総介信長の実弟として当然であった。
三千の内訳は、柴田勝家率いる下杜城勢が七百五十、佐久間盛重率いる御器所城勢が七百五十、俺こと織田信行が率いる、那古野・末森城勢が千五百である。
俺の那古野・末森城勢が他の二軍に比べて何故倍する程多いのか?
実は、荒子城の前田が兵を貸してくれたからだ。
何でも、
「放蕩孫が身を固めた御礼」
らしい。
全くの意味不明だな。
荒子前田の当主は前田利春と言い、その実子には利久、利玄、安勝、利家、佐脇良之、秀継がいる。
そのいずれかの子が嫁御を娶ったらしい。
前田利春曰く、俺の働きのお陰で。
……全く身に覚えがない。
が、兵を出してくれると言われれば、断る理由はない。
自軍の兵が敵軍より多ければ多いほど、戦は有利になるのだから。
しかし、良くまぁ、信長が許したものだ。
兵を出す、イコール、俺の差配に従うと言うことだろ?
これでほぼほぼ、庄内川の南側、つまり愛智郡は俺の支配下に置かれる事となった。
閉話休題。
俺の率いる千五百の構成についてだ。
簡単に言うと先頭より、旗衆、弓衆、長柄(槍)衆、本陣、馬廻衆、小荷駄という編成になっている。
鉄砲衆が存在しないので、一見すると平凡な編成だ。
が、実は弓衆がちと多い。
全体の三分の一が弓衆なのだ。
何故か?
それは、弓衆には新兵が多いからだ。
訓練を開始して数ヶ月の者を無理して連れて来たのだ。
少しでも実践を経験させたほうが、今後の役に立つと考えてだ。
決して、”肉壁に”と考えた訳ではない。
兎にも角にも、俺は初めての行軍をしている。
山田郡は山崎城に向けて。
時は、永禄元年三月六日の事であった。
同刻 那古野城付近
織田信長が、十数名のお供を引き連れ、織田信行の一行を見物していた。
「いやいや、なかなかの武者行列でございますなぁ。駿府からの帰りに、わざわざ寄った甲斐がありましたわ。中でも第三陣の、旗衆の面々がご立派! 皆、六尺を超す大男では御座らんか!」
「確かに。五郎左!」
「はっ! 信行様が先日取り行われました興行”相撲大会”の参加者の一部と聞き及んでおりまする!」
「との事だ、山科殿」
この信長の話し相手は、名を山科言継と言い、時の朝廷の財政方最高責任者”内蔵頭”であった。
彼の主な業務は財政責任者として各地の有力者の元を訪れ、朝廷への献金を働きかける事である。
「いやはや、織田様は弟君に恵まれましたなぁ。その信行様も立派な武者姿で。中でも赤地に青の龍を背に描いた陣羽織は特に艶やかですなぁ。しかし、何故”龍”で御座ろうか?」
「……五郎左!」
「はっ! 直臣の一人が陣羽織の新調を勧めた折に、信行様が直々に”那古野と言えば龍だろう”と口にされ、”龍”を背にあしらう事を望まれたと聞き及んでおりまする!」
「ほほう、それで”五爪の龍”を……だが、これはこれは……」
山科言継は殊更、渋面を作ってみせた。
「……何か問題か、山科殿?」
「さてさて、問題になるか否か。”五爪の龍”とは古来より”皇帝”を表すもの。それが天子様の耳に届くとなれば……」
ちなみにだが古代中国では、四本の龍を貴族が、三本の龍を庶民が使う事を許されていたらしい。
もっとも、日の本とは異なる古代中国での話ではあったのだが……それはそれ、これはこれ。
顎をさすり、上目遣いで信長を見る山科言継。
その瞳は、鈍い光を発していた。
「……山科殿、近いうちに上洛し、天子様に千貫、寄進させて頂く」
千貫、現代貨幣価値に置き換えると、おおよそ一億円である。
「……今少し、じゃな」
「少なくとも千貫。山科殿、尾張一統の前に御座る」
「ほっほっほっ。織田様、大変有難く存じまする。天子様も、”公方様も共に”、御喜びにあそばされるでしょう。では……」
山科言継は、信行一行とは逆に、街道を進んだ。
次なる訪問地、伊勢に向けて。
その顔に満面の笑みを浮かべながら。
その背に心地良い音を受けながら。
「勘十郎めぇえええ! ここ暫くはおとなしくしていると思うておったが!! オォオオオ、ノォオオオ、レェエエエ!!!」
残された織田信長は憤怒の目を、信行一行に向けていた。
同日 夕刻
俺達は山崎城に着いた。
道中、特に問題は無かった。
守山城主、織田信広が手勢三百を引き連れ、行軍に加わった以外は。
ちなみに、この織田信広は俺こと織田信行の異母兄であり、織田信秀の長子でもある。
ただし、側室の子である為、信秀の後継者とは成れなかった、可哀想な人なのである。
しかも、今川方との戦の際に生け捕りにされ、虜囚の身となっていた人だ。
尚、その戦いの結果、織田弾正忠家は三河攻略の橋頭堡”安祥城”と三河の次期当主であり人質であった”松平竹千代”を失う事に。
泣きっ面に蜂とは正に、この事であった。
更に弘治二年(西暦一五五六年)、織田信広は美濃国斎藤義龍と謀り、謀反を計画した。
これは未然に防がれたものの、信長との信頼関係は破綻。
幾度かの小規模な戦闘を起こす間柄に。
常に優勢な信長を前に、最後には降伏したのであった。
「信広兄者、宜しいので?」
「なに、三河には大きな借りがある。それに手勢だけで大殿からの与力は用いておらぬ。大丈夫だろうて」
(……いや、手勢だけでも勝手に動かしたらダメだと思うんだけどな)
まっ、来てしまった以上は仕方がない。
それに、手弁当で戦うと言うのだ。
断る理由は無かった。
「時に、信行殿」
「何で御座ろう?」
「旗衆の武者振りも目を惹くのだが……彼らの持つ得物、アレは一体何じゃ?」
「あぁ、あれですか。あれは”踏み鋤”の一種に御座いまする。柄と柄の先端に取り付けた匙状の形をした刃を用い、土を掘るのに使いまする」
「掘れるのか?」
「驚くほど掘れまする。刃に硬い黄銅を用い、彼らの体重を乗せますので」
「ほう」
「それに」
「それに?」
「あの者らが振り回せば、長柄など簡単に斬り落とせまする」
時折、街道沿いの田んぼや畑の周囲に百姓の屍体が転がっていた。
どうやら、先陣の柴田勝家が殺したらしい。
情報封鎖の為に。
酷いものだな。
もっとも、この時代では当たり前の事でもある。
この時代には突然の不幸が、いたるところに転がっていたのだ。
山崎城に着いて早々、戦評定が開かれた。
「品野勢の動きはどうか?」
俺の問いに、竹村長方が答えた。
「品野、桑下、落合間で頻繁にやり取りがされておりまする! しかし、それ以上に動きは御座いませぬ!」
そう、桑下城長江景隆、落合城戸田直光、共に調略には応じなかったのだ。
それはつまり、
「ふむ、品野城に集まり、籠もる訳でもなく、か。三城とも落とさねばならぬな……」
という事であった。
(まぁ、想定の範囲内だな。面倒だが……先に平城である桑下城と落合城を落とすとするか)
「竹村長方と佐久間盛重は品野城を攻囲しろ! 無理をして落とす必要はないが、決して休ませるな!」
「ははっ!」
「柴田勝家!」
「はっ!」
「お主は落合城を攻めよ! 平城だ、手筈通りに焼き落とせ! 信広兄者には、その勝家を助けて貰いたし」
「ははっ!」
「桑下城は私が受け持つ! 明日、日の出と共に出陣じゃ!」
「ははっ!」
戦評定の後、俺は近習の一部と小姓を引き連れ、城を出ようとしていた。
「信行様、何処に行かれるので?」
「おお、津々木蔵人。馬に乗りっぱなしで体が硬い。解すついでに河原で狩りを、と思うてな」
「……御身が総大将に御座いまする。無論、ご自覚の上で御座いましょうな?」
「勿論じゃ。故に近習も小姓も連れておる」
津々木蔵人はあからさまに、ため息をついた。
「仕方ありませぬな。では、今少しお供を付けさせて頂きまする。それと、弓の末弭に弭槍をお忘れなきよう。敵方の城が近いのです。何処に雑兵がいるか分かりませぬからな」
「うむ、蔵人には常日頃から世話を掛ける。感謝しておるぞ」
津々木蔵人はプイっと身を翻し、
「でしたら今少し……」
と零しながら、何処かに足早に去って行った。
やがて、山崎城を出る折に、
「お待ちくだされ、信行様。某が津々木殿にお供を言い付けられ申した」
一行に加わったのが、織田信安が家臣にして、昨年の那古野城攻防戦の後から俺の下にいる、
「おお、”隠れなき弓達者”の林弥七郎殿ではないか」
であった。
彼は自らの異名に恥ずかしそうに笑った。
「ははっ、如何にも。もっとも、某も体が強張り申した。このまま寝ては、明日の戦に差し障りまするゆえ、お供仕りまする」
俺は彼と彼の指揮する弓隊と共に、狩りへと向かった。
河原には年中、鴨がいる。
水鳥の一種であり、冬場は脂が乗って美味い。
現代では家禽として飼われ、羽毛の採取や農業に役立てられていた。
(……あれ? ひょっとして、鴨で羽毛布団、作れるんじゃね?)
俺は興奮を隠せなかった。
「皆の者! 鴨の羽を汚すでないぞ! 毟り取り、後で役立てるでな!」
「そ、それは……」
小姓頭、毛利新助が口ごもる。
案に「無理だ」と言いたげにしていた。
鴨の体は小さい。
鴨を獲るには、その小さな体に矢を射込まなければならないからだ。
すると、
「まぁ、ここは一つ、御座んなれ」
林弥七郎が弓を構えた。
それも、夕日に焼ける空に向けて。
弦の鳴る音が一つ。
一矢が高く昇った。
矢は綺麗な放物線を描き、地に向けて急降下を開始する。
その下には鴨の群れが川岸に集い、羽を休めていた。
やがて……矢がその中に落ちた。
「クワーッ……」
「クワックワックワーッ!」
鴨の群れが慌てて飛び立った。
一羽を残して。
その鴨は頭を、脳天から打ち抜かれていた。
「おお! 流石は”隠れなき弓達者”!」
「なに、この程度の事は信行様にもお出来申す」
(いやいや、それは幾ら何でも無理だろ!)
「それに……丁度良い。信行様、あそこにおる”狸”が見え申すか?」
「狸? ……おお確かにいる。何やらこちらを伺っておるな?」
「はい、伺っており申す。これより某が、彼奴と目を合わせ申す」
林弥七郎が一歩前に進む。
すると、狸は林弥七郎に注意を向けた。
その視線を自らの目で受け止め、ゆっくりと矢を弓に番える。
そして、先程の鴨の時と同じく、空に向かって矢を放った。
狸はまだ目を離さない。
否、林弥七郎の目と合い、蛇に睨まれた蛙の如く、身動きが取れなくなっていたのだ。
刹那、矢が狸の頭を貫いた。
林弥七郎は然もありなんと、俺に振り返った。
「この通りに御座い申す。四つ足とは言え、注意が他に向いてしまえば、おつむの上は空いており申す」
その顔には”どうです? 簡単でしょう? ”と書いていた。
それは紛れも無く、”隠れなき弓達者”の顔であった。
翌、辰の刻(午前八時頃)
俺は桑下城を攻囲していた。
空は薄暗く、南西からの風が強い。
空気は僅かに、湿り気を帯びていた。
俺は南の空模様に気を配りつつ、
「弓衆を前へ! 火矢を射よ!」
戦を始めた。
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