#015 戦支度
弘治四年(西暦一五五八年)、一月二日 那古野城 評定の間
空気が張り詰めていた。
今、俺の前には、十数名の侍達が平伏していた。
身じろぎ一つせずに。
俺はその姿に満足を覚えつつ、彼らに顔を上げさせた。
その中に、酒の残った顔は一つも無い。
年明け二日目だと言うのに。
実に結構な事だ。
俺は小さく頷くと、議題を述べた。
「皆も知っての通り、我らに品野攻めと那古野普請を急げとの命が下された。まずは品野攻めだ。存念を申せ」
最初に答えたのは林秀貞であった。
「現在、今川方である品野城は山城で御座いまするが、織田方の城、山崎城との間にも二つの、今川方の城が御座いまする」
「うむ、品野城に近い方から桑下城と落合城だな」
「然り。おのおの、長江景隆と戸田直光が入っておりまする。品野城を落とすには、まずはこれらへの手当てを考えねばなりますまい」
そりゃ、そうだ。
品野城の向い城、山崎城から品野城に向かうにしても、その間に山崎城を落とされたら敵わんからな。
「如何程の兵がおる?」
この問いには津々木蔵人が淀みなく答えた。
「しからば、某から! 多くとも品野に五百、桑下と落合に各々三百ずつと聞き及んでおりまする!」
「ほう、山城でそれ程もおるか。して、その出処は?」
逆にこの問いには答え辛そうであった。
「……歩き巫女に御座いまする」
「(はて、何故言い淀む? )左様か。しかし、歩き巫女とは便利な者達よのう」
「はっ! 関も自由に通れまするし、城の奥に呼ばれる事も多々あると申しておりまする」
「ほう……(あぁ、そう言えば、くノ一の類だったかな?)」
俺は寸刻思案するも、
「まぁ良い。次は……各城における兵糧や矢玉の備蓄量は分かるか?」
異なる情報を求める事にした。
この問いには意外な男が答えた。
「拙者が答えるで御座る! 兵糧と矢は兎も角、鉄砲は殆ど御座らん!」
多田野宗兵衛であった。
彼はつらつらと、知り得た内容を語った。
「ふむ、その情報も歩き巫女からか?」
「いえ、違いまする。拙者のは熱田の商人からに御座いまする。商いをするにおいては、城方の常々の”費えの量を知り得ておく”のは鉄則らしく」
「成る程のう。よく調べて参った。褒めてつかわす」
「ははっ! 有り難き幸せ! しかし、ご心配ご無用! 褒美は既に頂いておりますゆえに」
(いや、褒めるって言ったけど、褒美をやるとは一言も言ってないよね?)
ところが、多田野宗兵衛はニヤリと笑っている。
(何だ? 俺が何かをやったのか? まさか……富くじのイカサマ情報が流れていたとか?)
俺は気になり、更に問うた。
すると彼は、
「拙者、信行様に嫁御の世話をして貰ったで御座る」
と答えた。
(はて? 一体なんの事だ?)
俺は首を傾げるも、
「まぁ、兎に角目出度い事だ。ちなみに何処の娘だ? 何か祝いの品を渡してやりたいのだが、何が良い?」
祝いの言葉と共に幾つか尋ねるも、ニヤニヤするだけの多田野宗兵衛の口からは、明瞭な答えは返って来なかった。
(まぁ、良いわ)
「林秀貞、山崎城の城主は誰であったかな?」
「はっ! 竹村長方殿に御座いまする」
「竹村の保有兵数は?」
「与力を含めまして、千に御座いまする」
「ふむ……」
恐らくだが、竹村はこの日までに、今川方の三つの城に対し幾度か攻め立てた筈だ。
しかし、今川方は守りに徹し続けたのだろう。
現に、城が落ちてはいないのだから。
だがそれは、援軍を待っての事か?
それとも虎視眈々と隙が出来るのを、反撃の機会が訪れるのを待っていたのか?
あわよくば山崎城を落とそうとして。
……ふむ、確か品野城の城主は桜井松平の当主と言う事だが。
「松平家次はどのような人物か?」
この問いにも林秀貞が答えた。
「はっ! 中々の戦上手と聞こえておりまする。しかし、祖父が松平宗家の簒奪を試みるなど、代々松平宗家との仲が悪う御座いまする。故に今川家からの覚えも宜しくないとの事で」
「ふーん……」
松平宗家や今川からの援軍は無いか、あっても数が少なかったり、遅れたりするのかもな。
もしかしたら、竹村の兵だけで攻囲すれば、加えて時間を掛ければ落とせるんじゃ……
まぁ、信長は一刻も早く落としたいのだろう。
だから俺に命じた。
だが、何故だ? 何をそんなに焦っている?
「因みにだが……万難を排して臨む場合、いつ頃出陣出来ようか?」
「五日もありますれば」
「ふむ……」
(尾張国内の戦だと言うのに、意外と時間が掛かるのな。それもこれも兼業侍が多いからか? うーん、やはり専業の侍が欲しい。朝一で陣触れしても昼一には出陣出来る体制が欲しい。兵糧は二、三日遅れてもいいからさぁ。何故って? 信長が目と鼻の先の清洲に居るからだよ!)
俺が急に黙り込んだのを心配したのか、
「信行様、如何なされましたか?」
津々木蔵人が声を掛けてきた。
「……いやな、今後の事も考え、朝陣触れを出しても昼には出陣出来るようにしたいと思うてな。兵糧は後からで良い。どうだ? 誰ぞ、何か妙案は無いか?」
俺の問いに、柴田勝家があご髭を弄りながら考えを述べた。
「某が思うに、主だった者だけでなく、多くの足軽を城下に住まわすしか手は御座りませんなぁ」
(まぁ、そうなるよなぁ。だがそうなると、人は良いが馬がなぁ……。那古野城にも厩あるけど、結構臭い。日常は兎も角として、戦時に使う分ぐらいは何処かに纏めて置いときたいよなぁ。でも厩に繋ぎっぱなしだと、馬の体力が落ちて、いざという時に走らなくなるし。ん? 馬を日常的に走らせると言えば……アレだ! アレを那古野の何処かに作れば良いんだ!)
「林秀貞、ついでだ、那古野の進み具合を頼む」
「はっ! おおよその縄張り図は出来上がって御座いまする。具体的に申し上げますると、新たな那古野城は八つの稜堡(三角形の突端)を有し、その周囲を大外堀で囲いまする。次に……」
この日の評定は午前中だけでは終わらず、午後にもまた開かれる事になった。
午後の評定は朝にも行われた、品野城を含む”品野三城”の攻略に関してであった。
佐久間盛重が開口一番、懸念を表した。
「やはり、この真冬に出たくはありませぬな。寒さを凌ぐ為、薪代も余計に掛かりまする。加えて、いつ雪が降り積もるかも分かりませぬ。城攻めは時間が掛かりますからなぁ」
そう、現在俺のいる戦国時代では、ここ那古野でも結構な頻度で雪が降るのだ。
薄っすらと降り積もる事さえあった。
那古野より北東部にある品野城では言わずもがなである。
もっとも、那古野城からは半日もあれば着く距離だがな。
「そもそも、いつ迄に落とさねばならぬのでしょうか?」
佐久間信盛が問うた。
「そう言えば、言われておらぬなぁ」
「はて、おかしな。兵糧を出されるのは信長様であるならば、”いついつ迄に”と申される筈ですが……」
「成る程、那古野勢の手弁当で戦えという事か」
「そ、それは!?」
「まぁ、待て。あの兄上の事だ、何か裏がある筈。何か思いつく事は無いか?」
暫くの沈黙の後、津々木蔵人が重い口を開いた。
「関係御座らぬやもしれませぬが……熱田神社の孤児、捨て子が日に日に増えておりまする」
「職人や町人の中には身代を崩し街々を流離う者が増えた、と拙者も商人より耳にしたで御座る」
多田野宗兵衛もそれに続いた。
(……不味い、明らかに不味いな。どう考えても富くじの影響だ。……成る程、信長はこうなる事を予見していたか。だから焦っていたか。早く品野城を落としたいのではなく、寧ろ……)
「兄上は那古野に貯め込んだ金子を存分に使う事を望んでいる! よし! そうと決まれば……林秀貞!」
「はっ!」
「大いに普請を進め、ゆるりと戦支度をしよう! まずは城下町に長屋を優先的に建て、まずは人夫、次に銭侍を集めよ!」
「ははっ!」
「津々木蔵人!」
「はっ!」
「孤児、捨て子を集め、まずは読み書きと算術を学ばせよ! (将来的には精兵に育てる。しかも、俺だけに忠誠を尽くすように。あのマムルークみたいにな)」
俺はニヤリと笑った。
「これだけで、那古野には続々と人が集まるぞ! 反面、直ぐに物が足らなくなり、値が上がる!」
「そっ、それは!」
「心配するな! その為にも那古野湊を、いや、浜に丸太を打ち込み、簡易な桟橋を設け、船からの荷を下ろせるようにせよ! 納屋を建て、米を集め、新たな市を開かせよ!」
(いずれは、ベネチアのようにな!)
「まだあるぞ! 職人を諸国から集め、武具を作らせよ。特に弓矢を作らせよ! 人夫らに弓の鍛錬を奨励せい! いざ、戦が始まったならば、人夫から弓足軽を募り、弓働きさせる為にな! それに、津々木と多田野には引き続き巫女と商人らと密に連絡を取り、さらなる情報を求めよ! その過程で調略出来そうならさせよ! 遅くとも三月中には出陣する!」
「ははっ!」
鉄砲とは違って、弓矢なら安価に数を揃えられる。
それに、塀に守られた城を落とすには、弓矢は有効だからな。
俺は気持ちを昂らせたまま、広間を後にした。
◇
弘治四年(西暦一五五八年)、一月上旬 清洲城
「那古野はどうだ?」
「はっ! 人を集めだした様に御座いまする」
「して、どの様な者が集まっておる?」
「富くじで身代を崩した者や、家督を継げぬ次男、三男が銭に惹かれて集まっておりまする。また、富くじの開催も月一回に減らしたと聞き及んでおりまする」
「ふふ、ようやっとるわ」
「そのようで」
「が、目を離すな。何を新たに始めるか、常人には皆目分からぬからな。手当が遅れたら尾張はしまいじゃ」
「ははっ!」
信長は目を細め、那古野の方角を見ていた。
この時、丹羽長秀には見えたであろうか?
ほんの少し、口元が笑っていたのを。
信長が珍しく、楽しげにしていたのを。
◇
弘治四年(西暦一五五八年)、一月中旬 那古野城 仮本丸屋敷 夕刻
「良勝、塩梅はどうだ?」
「熱い、しかし熱すぎない湯が出て参りました!」
「そうか! やはり出たか!」
俺は、試しに屋根上に設置した銅管から湯が出た事に興奮していた。
「まさか、屋根に乗せ、日の熱で湯が沸くとは……」
(沸騰はしてないけどな)
「ふふふ、驚いただろう? これを人を、”太陽熱温水器”? と呼ぶ(……筈だ。田舎に帰ると屋根の上に乗ってた)」
「た、たいよう?」
「……御天道様の事だ」
「へぇ……御天道様……お湯、菅?」
(……腕は良いのに、ネーミングセンスは無いのな)
俺は残念な物を見るかの様に、岡本良勝を見た。
「ひ、酷いで御座いまする……」
「すまんな、つい……」
俺は話題を変える事にした。
「そんな事よりもだ! 良勝、私に仕えぬか? 実は、他にも色々と頼みたい事がある。その為にも、那古野にいてもらったほうが助かるのでな」
「よ、よろしいので!?」
「勿論だ。お主の下にも人を何人か付ける。良い者がいれば、お主が連れてきても構わぬ。庄内川の川岸に新たな吹場(鋳物作業場)を設けるでな」
「あ、有難うございまする! この良勝! 信行様の為に、働かせて頂きまする!」
俺は笑いを堪えるのに大変だった。
「では、早速。月一回の富くじを、より大規模に……」
「ええ!? そ、そんな事をしたら……」
「まぁ、待て。最後まで話を聞け。何故かというとだ、熱田に頼んで、いや頼まれて、西三河と伊勢の方にもな……。その為にも、人は多い方が……。それとな、これは秘中の秘だが、馬を使って……」
俺は良勝の耳に囁く。
悪魔の言葉を。
この時、俺の顔は、
「の、信行様、酷いお顔をしておりまする」
醜く破顔していた。
それは、話の内容が内容だけに、仕方の無い事であった。
◇
弘治四年(西暦一五五八年)、一月下旬 那古野城 仮本丸屋敷 湯殿
檜がふんだんに使われた湯殿が出来たのは、つい先日の事であった。
この城の主が陣頭指揮を執り、日夜を惜しんで作らせたのだ。
急造にもかかわらず、その出来栄えは良く、評判はすこぶる良かった。
その証拠に連日、姦しい声が湯殿の中に響いていた。
「ほんに、檜の香りが宜しいですなぁ」
荒尾御前と、
「ほんに、ほんに」
高嶋の局の声が。
「お母上にも早う戻って頂き、堪能して頂きたいですなぁ」
「ほんにそうですなぁ」
「坊丸も国丸も、あんなに喜んでおりますし」
同い年の二人の童が、湯船の縁を掴み、ケタケタと笑っていた。
二つの愛らしい桃が湯船の中に浮かぶ。
それを見て、女達は目を細めた。
そんな二人の前には、大きな瓜が二つ。
透けた衣に浮き上がっていた。
「ええ、そうですなぁ」
ちなみにだが、織田信行にはこの時、先の二人の子を含め、合計五人の子供がいた。
つまりは、男女含め七人のハーレムの主にして五人の子持ちと言う、織田家の系譜に相応しい男である事を示していた。
「信行様と津々木殿の事……残念でしたなぁ」
荒尾御前の声が沈んだ。
「まっこと、残念な事でした。あの日以来、小姓らとも没交渉らく……」
高嶋の局の声も沈んだ。
「ほんに……、残念ですなぁ」
二人の沈んだ声が、重なった。
「……そのお陰で、これまで無かった程、大事にして頂けているのですが」
「それはそれ、これはこれ、ですなぁ」
「女子が増えますかな?」
「増えるかもしれませぬなぁ」
「女子が増えると……」
「私らと気があわぬと……」
「困りますしなぁ」
また、二人の声が重なる。
しかし、二人の声は誰の耳にも入らなかった。
湯殿の外で待つ侍女にすら届かなかった。
童の笑い声が二人の声を掻き消していた。
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