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#014 大たわけ

 再び、尾張国について語ろう。

 尾張国が上四郡と下四郡に分かれている事は前に述べた。

 ここではその内訳を検めたい。


 この時代の上四郡とは、北から丹羽郡、葉栗郡、中島郡、春日郡であり、下四郡とは山田郡、愛智郡、海東郡、海西郡の事である。

 そう、知多郡は含まれていないのだ。

 実はこの知多郡、元々は斯波(しば)氏とは別の守護が割り当てられていた。

 故に、尾張国の郡ではなかったのだ。


 別の守護とは三河国の守護、一色氏の事。

 故に、三河訛りの領民が多く、帰属意識の大半が三河を向いている。

 同じく、三河に接する山田郡にもその色があった。


 弘治三年(西暦一五五七年)の現在、その知多郡を水野信元(みずののぶもと)が過半を治めていた。

 しかも、織田弾正忠家の支援を受けながら。

 この二つの家は緩やかな臣従関係にあったのだ。


 他方、山田郡は品野城とその近隣以外は織田弾正忠家が治めていた。

 その品野城には今川方である、松平家次が城主として入っている。

 三河十八松平の一つ、桜井松平家の当主でもある。


 織田信長による尾張一統を阻む存在は、この品野城城主松平家次の他は、犬山城城主織田信清と岩倉城城主織田信安だけとなった。


 今は、弘治三年(西暦一五五七年)、一二月一日の事である。





 同日 那古野城 仮本丸屋敷 家老詰所 団欒室


「遂に師走か……」


 俺は火鉢を前に、過ぎ去りし日々を思い返していた。

 主に兄信長に殺されかけた記憶を中心にだが……


 それにしても、早いものだ。

 もう、一月にもなろうとしている。

 俺が織田信行に成り代わってから。


 今ではお務めも順調にこなし、現実での日々が嘘のように充実した毎日を過ごしていた。

 もっともやっている事は単調だ。

 朝の評定と、午後の鍛錬(弓、馬、軍略ほか)と、夜の大運動会だけだ。

 時折、要人との会談が入るのだが、大した事ではない。


 最近では林秀貞や柴田勝家、佐久間盛重もうるさく言わなくなった。

 稀に会う、丹羽長秀や森可成の顔からも険が抜けてきた。

 どうやら俺は、織田家中の中に確固たる地位を築きつつあるのかも知れない。


 しかし、問題はあった。

 それは、


「私の給料日はいつであろうか?」


 個人で自由にできる金が一切ない、待てども暮らせども懐に入って来る金子がない事であった。

 戦国時代、銀行振込みが無いのは分かる。

 ならば、手渡しされる筈なのだが、未だに無い。

 誰かが(主に信長が)、忘れているとしか思えないのだが……


 すると、


「信行様、給料……日とは何でございましょう?」


 すかさず、背中を丸め、隣で火鉢に当たっていた林秀貞が俺の言葉を拾った。

 彼は俺が城内にいると極力側にいるよう、努めていた。


(やべっ! 久しぶりにやっちまったか!?)


 俺は、


「……扶持、または俸禄の事だが?」


 そんな事も知らんのか? といった体で答えてみる。


「……信行様は那古野城と末森城の城主にして愛智郡を差配するお方に御座いますれば、俸禄は御座いませぬ」

(な、何だと!)


 俺は思わぬ答えに、目を丸くした。


(な、ならば! 一体どうすれば、俺の自由に出来る金が手に入るのだ!?)


 驚きのあまり、俺は息をするのも忘れていた。

 再び気を取り直した時、俺は陸に打ち上げられた魚のように、喘いだ。

 その姿を見かねたのだろう、林秀貞が巾着袋を懐から取り出し、その中に手を入れ掴んだ物を俺に握らせた。

 それは、


「一匁……銀?」


 であった。

 これは、この時代の肉体労働者の一日分の日当に等しい額。

 現代の貨幣に置き換えると、およそ八千円、であった。


「い、いいのか?」

「構いませぬ。時には羽を伸ばされるのも必要に御座いますれば」

「済まぬな、秀貞!」


 俺は満面の笑顔で家老詰所を出て行く。

 目指すは、元手を倍に出来る場所。

 それは、それは……


(あれ? あれれれれ?)




 迂闊であった。

 この時代には”大人の社交場”が、如何わしい雰囲気満載の”賭場”しか無かったのだ。

 それも、庶民が入れる類の場所ではないし、昼間はやってないし。

 無論、城主が通える訳もないし。


(それに、丁半博打だしなぁ)


 俺は発想を変える事にした。


 そもそも、ここ尾張は貨幣経済が浸透しているように見受けられる。

 物々交換が主流の戦国時代、津島や熱田、それに清洲などでは貨幣による売買が当たり前となっている。

 それもこれも、信長が”金銭による俸禄”を推奨しているからだろう。

 銭侍が銭を落とすからな。


 なればこそ、俺が楽しみにしていた”アレ”も、この時代で再現出来るのでは無かろうか?

 特に今は”師走”だしなぁ。


 俺は早速、小姓の一人である服部小平太を引き連れ、熱田へと馬を走らせた。





「富くじ……で御座いまするか?」

「その通りだ、宮司。壱、弐、参の中から好きな数字を選ぶ。それも五度な。銅板か何かに穴を開け、銭と引き換える。そして、抽選日に私が弓を射て、”当たり”の数字を決めるのだ。近隣の杜に歩き巫女を売り子として手配すれば、人手も賄えよう」


 そして、選んだ数字が的中した者に当選金を支払う。

 無論、集めた金子から人夫代、銅板代などの経費を引いた額の五割を、更に当選者の数で按分した金額だ。

 恐らく、大した金額にはならないだろう。

 が、それなりに楽しめる筈だ。

 娯楽に飢えている者、泡銭を持て余している者は挙って参加するだろうからな。

 何故なら、尾張は豊かな国であり、貨幣が流通しているからだ。

 そして、何故俺が弓を射るのかといえば……御察しの通りだ!


「一つ、お願いが御座いまする」

「何だ、宮司?」

「主催を熱田神社から信行様に変えていただきとう御座いまする」

「何故だ?」

「外れた者から恨みを買いたくありませぬ故に」

「ははっ! はっきり申すのだな」


 俺が笑うと、宮司はニコリと微笑んだ。


「はい。その上で、先の熱田の取り分を寄進願いたく」


 俺は寸刻考えた後、


「良かろう。ちなみにだが、協力を求める他の杜へは?」


 と問うた。

 すると、


「熱田にまとめて寄進頂きたく。集める手間、配する手間はこの熱田の杜が請け負いまする」


 宮司は満面の笑みで答えた。

 しかし、目が笑っていない。

 俺はその笑みに、背筋を凍らせた。


「さ、左様か。で、では任せようぞ。後は……」

「銅板ですかな? 熱田に岡本重国と申す鋳物師(いもじ)がおりますれば、その者を呼んで参りまする」

「いや、それには及ばぬ。誰か案内役を一人、付けてくれれば良い」


 俺はその足で、熱田の鋳物師の元へと向かった。




 熱田の宮司に案内を任されたのは、何故か中根屋の主人であった。


「ご無沙汰しております、信行様」

「何、こちらもよ。無心するだけして、中根屋に一度も訪ねなかった。許してくれ」

「とんでも御座いませぬ! 那古野には何度が足を運ばせて頂いておりますが、なかなか信行様へのお目通りは敷居が高く感じてしまいまして」

「左様か」


 俺達は道すがら、取り留めもない会話をした。


「して、何かあるのであろう? こうしてわざわざ案内を買って出たのであろうからな」

「たまさか。実はお綾の事でして……」


 お綾、または、綾の方。

 中根康友の娘にして、我が父信秀の妾、尾張一の美しさと誉れ高かった女の事だ。


「……何かあったのか?」

「実は……何処かに嫁に出そうかと……」

「ふむ、それは……」

「えぇ、一度の織田様に嫁いだ身。まずはお断りをと考えましてな。如何で御座いましょうか?」

「正直に申すと、父の所業の手前、何も言えぬ。加えて、父が死んだ後、一方的に熱田に戻したのだからな」

「では!」

「その上で、敢えてお願いしたい。次の嫁ぎ先は、綾の方の望みを聞いてやってはくれまいか?」

「そ、それは……」

「出来ればで良い。私の、ただの我儘ゆえ」


 中根康友は明確な答えを返してはくれなかった。




 鋳物師、岡本重国は気位の高そうな職人であった。

 案の定、俺が依頼内容を告げると、


「銅板だと!? 鋳物師の俺がそんな物を作れるか!」


 激昂してしまう。

 思わず、小姓の服部小平太が刀を抜き放つ程の激しさで。


「ぶ、ぶ、ぶ、無礼な! こ、こ、こ、この方を誰と心得る!」

「知るか! 天下の鋳物師に刀を抜くたぁ、いい度胸だ! 小僧、分かってるんだろうな!」


 鋳物師は古来より、時の朝廷により手厚く保護されていた。

 租税の免除は言うに及ばず、給田も受けていた。

 それに、地域における製造および販売をほぼ独占する事を許されていた。

 特別な存在であった。


「相済まぬ。私の小姓が失礼いたした。私の顔と、熱田様の名に免じて、この通りだ、許してくれ」


 すると、


「チッ! 熱田様の名を出されちゃ仕方がねぇ。しかしだ! 俺は銅板なんかやらねぇぜ!」


 と尊大に言い放った。


「それは困るのう……」

「待ちな! 俺はやらねぇが、俺の息子にさせよう! まだまだ若いが、銅板をつくるなんざぁ、朝飯前よ!」

「なれば問題ない。息子殿にお任せしよう」

「決まりだな! 良勝、来い!」


 岡本重国が鋳物小屋の奥に声を張り上げると、


「へーーーーい」


 間の抜けた声が届いた。


 やがて、奥から一人の若者が現れる。

 それが、


「良勝です。お初にお目に掛かりまする」


 岡本良勝であった。

 この出会いが、俺に更なる至福を齎すなど、この時は思いもしなかったのである。






  ◇






 弘治三年(西暦一五五七年)、一二月中旬 清洲城


「なんじゃと、五郎左! もう一辺言うてみぃ!」

「はっ! 津島の大橋からで御座いますれば、市中から”銭”が、まるで浜から潮が引くかの如く引き揚げられているとの事!」

「何処にじゃ!」

「それが……信行様が催されておりまする”富くじ”らしく……」

「何じゃそれは!」

「それは……」


 丹羽長秀が語り終えると、


「おのれ、勘十郎! 小賢しき事をしおって! この尾張を潰す気か!!」


 信長の怒髪が天を突いた。


「そもそも、あの阿呆は何故知らせぬ!」

「それが……近頃は那古野に出仕せず、熱田に足繁く通っているらしく……」

「おのれ利益め! 勘十郎と言い、彼奴らはいつまで、この余を苛立たせるのか!」


 信長は立ち上がり、室内を音を立てて歩き始めた。


「今一つの方からは如何じゃ!?」

「至って真面目に政務を務めているとの事で……」

「ぐぬぬぬぬ……。おのれ……、猿! 猿はおらぬか!」

「はっ! 猿めはここに! この猿、信長様の必要な時がおと……」

「黙れ!」


 信長の扇子が猿に目掛けて放たれた。

 しかしそれは、怒りの所為だろう、僅かに手元が狂った。

 猿の額を外れ、耳元を通り抜ける軌道を描いていたのだ。

 だが、それを猿は、


「ウキキッ……痛っ!」


 首を曲げてまで、額で受け止めた。


「ほう……」


 丹羽長秀が感心した。


「……猿! 今すぐ那古野と熱田に行け! 如何程の銭が動いているかを調べて参れ!」

「ははっ! この猿めにお任せあれ! 必ずや、ご期待に……」

「いいから早う行け!」


 信長に蹴飛ばされた猿は、それでも嬉しそうに駆け出していった。







  ◇







 弘治三年(西暦一五五七年)、一二月下旬 熱田



「良勝! お主の働きのお陰で、那古野の蔵は銭で満ち満ちておるぞ!」

(加えて、俺のお小遣いもだ! 自分で選んだ番号に矢を当てる、簡単なお仕事のお陰です! 勿論、富くじの購入は小姓らに任せているぞ)

「それはそれは。よろしゅう御座いましたなー」

「おぉ! ほんに目出度い事よ! そこでな、お主に新たに頼みたい物がある! 那古野の城を造り直して入る事は知っておろう?」

「へぇ、勿論で御座いまする」

「そこでな、腕ほどの太さの空洞を持つ、言うなれば筒を幾つか作ってもらいたいのだ!」

「へぇ、お安い御用です。して、どの様な用途に?」

「実はな……」


 俺は岡本良勝の耳に口を寄せ、使い方、その目的を伝えた。


「驚いた! その様な事が本当に出来ますんかいなー!」

「出来る! では頼んだぞ! 銭は幾らでも有るからな!」


 俺は出来上がりを楽しみに年を越した。

 しかし、新年早々、驚きの出来事が俺を待っていた。

 それは、清洲城で兄信長に対し、年賀の挨拶をした際に起きた。


「勘十郎、随分と”商い”が儲かっているらしいな……」


 彼の目は憤怒を表していた。


「い、いえ、その……」


 俺の目がバタフライを始めた。


(ど、ど、ど、どっちだ? な、な、那古野の方か? そ、それとも俺の懐か?)

「蔵に貯まるだけ貯め込み、使わぬ気か?」

(な、那古野か?)

「い、い、いずれは……け、計画が纏まり次第、な、那古野の普請(ふしん)に……」

「で、あるか」


 兄信長は一旦言葉を止めた。

 誰かが喉を鳴らした。

 それは、俺の喉だったかもしれない。

 真冬の部屋の空気が数度、一気に下がった気がした。


「この大たわけが……」


 確かに、俺の耳には聞こえた。

 信長の囁く様な声が。

 底冷えのする音が。

 しかし、幻聴だったのだろうか?

 いや、その可能性が高いだろう。

 正直、俺はテンパる寸前なのだから。


 この直後、彼の口から大音声が発せられた。


「品野城を勘十郎と愛智の者共で落とせ!!!」

(へ? いやだって、あそこは……)

「や、や、や、山田郡は、あ、あ、兄上の……」

「黙れ! 余は岩倉と犬山、それに那古野で忙しい!! 勘十郎、お主がやれ!」

(それ、おかしいって! それに那古野って俺じゃん! まだ信用されてないの!?)


 俺が口をパクパクしていると、信長の鋭い目が俺を捉えた。


「何だ?」


 俺は、直ぐさま理解した。

 返すべき答えを。

 俺はその通り、答えた。


「は、ははっ! この勘十郎、品野城を落とさせて頂きまする!」

「励め!!」


 俺は平伏したまま下がろうとする。

 その刹那、新たな言葉が俺に重くのし掛かった。


「あぁ、それからな。富くじの運上金、半分は清洲に届けよ」


 俺は再び、


「ははっ!」


 と答えるしかなかった。

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