#012 津島と熱田と織田
弘治三年(西暦一五五七年)、一一月七日 巳の刻(午前十時頃)
俺が今いる国、尾張国について話そう。
確かな時期は不明だが、室町時代の前期に守護大名斯波義重が任じられた。
彼は斯波氏六代目の当主にして、室町幕府管領、越前・尾張・遠江・加賀・信濃守護を兼務していた大人物だ。
これが先代の尾張守護、斯波義統の祖となるらしい。
その守護の家臣として織田家が越前より赴いた。
これが尾張織田家の始まりとなる。
守護の下に守護代が生まれたのはそれから暫くしてからの事。
各地の斯波氏が独立し、戦国大名へと至った頃合いだ。
尾張国を上四郡と下四郡に分け、それぞれを異なる織田家に差配を託す事にした。
所謂、岩倉織田氏と清洲織田氏の誕生である。
ちなみに、織田信長の生家、織田弾正忠家は清洲織田氏の一奉行にしか過ぎなかった。
それが祖父織田信定、父信秀の代にて、他家を凌駕する程の権勢を得る事になった。
無論、それには理由があった。
後に述べたいと思う。
さて、先に”先代”の尾張守護と述べたが、当代の守護は誰か?
それは、嫡男である斯波義銀であった。
しかし、彼は、彼自身が家臣を引き連れて川狩りに行った隙を突かれ、父義統を暗殺される。
時の守護代、清洲織田氏である織田信友の手によって。
それを知った斯波義銀は、這々の体で織田信長を頼り、落ち延びた。
以来、織田信長の下で匿われている。
斯波義銀が織田信長に命じ、織田信友を討ち取ったにも関わらず。
守護を名乗るも、彼は織田信長の傀儡と成り下がったのであった。
余談だが、柴田勝家はこの斯波氏の庶流である。
斯波氏の者が越前か越後の地にて新田を拓いた折、”斯波の田”から”柴田”と名を変えたのが始まりらしい。
閉話休題。
ところで、織田信長の率いる織田弾正忠家、何故これほどの権勢を有しているのだろうか?
答えは簡単、”銭”をどの家よりも有していたからだ。
織田弾正忠家は信定の代にて金蔓を見出し、信秀の代でそれを手中に収めたからだ。
その金蔓が何かと言えば、”津島”であった。
津島はそもそも、津島神社をその中心として作られた門前町であった。
と同時に、木曽川の分流である天王川に沿った港町でもあった。
しかも、何処の国人衆にも属さぬ、自治都市だったのだ。
この当時、織田弾正忠家の居城は勝幡城にあり、津島とは目と鼻の先の位置にあった。
当然、金の匂いに敏感であれば、それはいずれ届く。
織田弾正忠家は瞬く間に、津島を攻め、家臣に任せる事なく自ら領有した。
加えて、織田信秀は津島における最大の商家、大橋家に自らの娘を嫁がせたのであった。
強固な支配体制の確立である。
俺は今、その津島を訪れていた。
兄信長より送られてきた折檻状の、末尾に記されていた”津島を訪れよ”との言葉を受けて。
そう、金と米と鉄砲を手に入れる為に来ているのだ。
「しかし……解せぬ」
「何がでござるか?」
俺の呟きを、轡を並べている男の一人が拾った。
男の名は、多田野宗兵衛。
俺の近習、平たく言えば用心棒として取り立てた男だ。
身体付きは至って普通なのだが、兎に角、腕の立つ男なのだ。
それでいて、俺と歳も近い。
出会ったばかりではあったが、随分と気さくな間柄となった。
俺が黙っていると、
「ふふふ、件の折檻状に御座いましょう」
今一人の男が然もありなん、と答えた。
津々木蔵人だ。
彼もまた、割合に歳が近い。
しなやかな身体をした、美丈夫である。
俺は小さく頷いた。
「そも、兄上は何故かように迄御怒りなのであろうか?」
「ふははっ! 書状に書き連ねておりましたでしょうが。罪状の数々が」
「しかしだぞ? 蔵入り地を横領したからとはいえ、その都度言えば良かったであろうに?」
「ふふ、そうなさる前に、信行様が砦を築かれましたからなぁ」
「(マジで!?)そ、それはそうだが……」
「拙者が思うに、弾正忠を名乗られたのが一番拙かったのでは無いかと思いまする」
「そうか? 兄上は上総介を名乗っておろう? 空いている弾正忠を私が名乗っても問題あるまい?」
「ふふふ、織田弾正忠家でなかれば、そうであったかもしれませぬなぁ。それに……」
「それに?」
「以前の信行様は今とは違い、家老に全てを放り投げ、自身は自堕落な生活をしていたではありませぬか?」
「いや、それは違うぞ! 私はその間、書に傾倒していたのだ!(荒尾御前や高嶋の局からそう聞きました!)」
「武家の、それも織田弾正忠家の者がそれでは下々が困りましょう」
「(まっ、そうだよなぁ)であるか……」
「要するにだ。嘗ての信行様は、御自覚が無いようだから言わして貰うが、”織田家の御当主様がトサカに来るぐらい、酷い体たらくだった”で御座るよ。長年の知己の多くが離れてしまう程に」
多田野宗兵衛はそう言って、目を細めて笑った。
俺は自身の身の覚えの無い事ではあったが、なんとも言えない気分になった。
目的の屋敷に着いた俺達は直ぐさま奥の座敷へと誘われた。
そこには初老の男が一人と、おそらくはその息子なのであろう、年若い男が一人いた。
座敷に入るなり、上座を勧められ、座る俺。
すると、初老の男が口を開いた。
「此度はわざわざ津島まで御足労頂き、誠に有り難き幸せ」
「世辞は良い。頼みがあるのは私の方だ。津島四家・七名字・四姓の長である大橋方を伺うのは当然であろう?」
「いやはや、お武家様とは思えぬお言葉。この大橋重長、感服つかまつりました」
「織田は、武家は武家でも、銭勘定の好きな武家故にな。であるからこそ、父信秀も私の姉でもある”くら”を其の方の室にと思うたのであろう」
「たまさか(確かに)」
最も、姉くらは父信秀の庶子であるらしいのだがな。
俺はいつの間にか出されていた茶をすすった。
芳しい香りがのぼり、口に含むと芳香で満ち満ちた。
「さて、此度の訪問の理由は聞いておろうか?」
「はい、”金子と米”でございますな」
「加えて、”鉄砲”もだ」
「はて? それは寡聞にして初耳に御座いまする。信長様からは先の二品のみ融通しろ、とのお達しでした」
(ちっ、信長め! 既に根回し済みか……)
俺は心とは裏腹にニコリと微笑んだ。
「どうしても、ならんか?」
「へぇ、こればっかりはなりませぬ」
「どうしてもか?」
「どうしても、に御座いまする」
大橋重長も苦笑いする。
織田信長が織田弾正忠家の当主である以上、どうにか成りそうも無い。
俺は小さくため息をつくと、
「相分かった。金子と米を融通して貰おう。して、如何程か?」
「はっ! 米は今年の刈り入れ迄の間は当方が面倒見させて頂きます」
「おぉ! それは有難い!」
「いえいえ。しかるに……」
「ん? 何だ?」
「それが、金子に関しましては……二百貫を上限とさせて頂きたく……」
「それは……ちと少ないなぁ……。兄上が何ぞ申したか?」
「はぁ、実は……”必要なら自ら稼いでみよ! ”と申されましてなぁ……」
俺にはその言葉の意味が分からなかった。
武家が稼ぐ? 有りえ無いだろ!
その証拠に、同席する津々木蔵人が絶句していた。
一方の多田野宗兵衛は面白そうにニヤつき、俺を見ている。
(んだ、コラ!)
と、俺は内心ムカつきを覚えつつも、
「左様か、兄上がそのような事をなぁ」
殊勝に承る振りをした。
内心では
(二百貫かぁ。鉄砲一丁が十石、つまり十貫だから二十丁分かぁ。全然だな。打倒信長、打倒今川など、夢のまた夢、だな)
と意気消沈していたのだ。
とは言え、急場を凌ぐには十分な量の物資は手に入れられる事になったのだ。
今はこれで良しとしよう。
「はて? 足りませぬか?」
「いや、十分だ。それにいずれは必ず返さねばならぬしな。借り過ぎて首が回らぬ、となるよりは良かろう」
「ははっ、たまさか」
俺は次に、若い男の方へと目を向けた。
明らかに、当主である大橋重長に良く似ていた。
俺の視線に気付いたのであろう、
「お初ですかな? 嫡男の長将に御座いまする」
「信行様、長将に御座いまする。宜しくお引き回しのほどお願い申し上げまする」
「うむ! こちらこそ、よしなにな!」
暫く後、俺達三人は津島を出た。
帰り路を行く足は、重く感じられた。
同日 申の刻(午後四時頃)
来た道を戻り、鎌倉街道を行く。
やがて、北に那古野、東に熱田へと向かう別れ道に辿り着いた。
俺はふと考えた。
(津島でも借りれたのだから、熱田でも借りられるのではないだろうか?)
と。
熱田には熱田神宮があり、当然の事ながら、門前町が形成されているらしい。
それにだ、
「確か、熱田には父信秀の妾の生家があった筈だ。そこにも寄ってみよう」
伝がない事もなかった。
もっとも、”父信秀が配下を率いて「尾張第一の美麗たる」商家の娘を浚い、強引に妾にし、男の子を一人なした”程度の伝ではあるが、な。
その母子は信秀亡き後、熱田に帰ったと聞いている。
(……本当に外道な父ですいません!)
すると、
「信行様、正気で御座るか? 恨まれてまでは居らぬとは思うが、歓迎はされぬぞ? あの者の父母は武家を嫌っておるからな」
訳を知っているのだろう、多田野宗兵衛の忠告があった。
「うむ、とは言え、織田家の者が慰問したとも聞かぬ。一度は家中の者が足を向けねばなるまい?」
「ふんっ! どうなっても知らぬぞ!」
「これ、多田野殿! 信行様に何という申しようか!」
「あぁ、良い良い。私達三人は比較的歳も近い仲だ。三人だけの時は今のような言葉遣いで良い。私も気が幾分楽になるでな」
「ほう?」
驚いた声を上げたのは他ならぬ多田野宗兵衛であった。
彼は俺の顔をまじまじと見つつ、顎を摩っている。
「何だ、宗兵衛? 何か言いたき事でもあるのか?」
「……いや、今はまだ……に御座いまする」
「なら、時が来たら言え。ただし、機を逃すでないぞ?」
「ははっ! 拙者、そのような下手を打った事は一度しか御座らぬ!」
「(一度あんのかよ! 滅多にないって事?)な、なら良い。場所はその方が知っておるのであろう? 案内してもらえるか?」
「心得申した!」
多田野宗兵衛は心なしか、足取りが軽くなったかのように見えた。
目的の屋敷は、熱田神宮を除けば熱田で一、二を争う程の御屋敷であった。
宗兵衛いわく、父信秀が娘を攫った後、織田弾正忠家から随分な額の金銭的な援助があったらしい。
それだけでなく、商家としても元から繁盛していたらしいがな。
そこに、俺達三人が先触れも無く訪れた。
正直、家人は俺の名を聞くと迷惑そうな顔をしていた。
そりゃ、そうだろう。
十年前に俺の父親が家来を引き連れ、屋敷の箱入り娘をか攫って行ったのだから。
その息子を歓迎する気になれないのは、家人とは言え、分からないでもない。
津島の大橋家と同様に、俺達は奥の座敷に通された。
当たり前だが、部屋には誰一人いなかった。
屋敷の主人は外に出ていたのだから。
暫くすると、
「失礼いたします」
可憐な声が襖越しに届いた。
何も答えないでいると、襖が開く。
刹那、俺は見た。
(えっ……う、嘘だろ……)
見惚れるほど美しい、大和撫子を。
花に例えるならば胡蝶蘭。
豪華絢爛にして清楚、色鮮やかにして華美、正に花の女王であった。
「信行様。中根康友が娘、綾の方に御座いまする」
俺は多田野宗兵衛の言葉に我に返った。
「う、うむ。苦しゅうない……」
正直何と話して良いのやら、見当も付かなかった。
父の妾にして、父亡き後は城を追われるように熱田に出戻ったのだから。
今更ながらに、俺は後悔した。
このように可憐な花を、我が父は無碍にも摘み取ったのかと知って。
悲しげな色を湛える瞳、父の息子である信行を見るのも辛いのだろう、を見て俺は心を痛めた。
「ふふふ、お久しゅうございますなぁ。本にお変わりなく。今は遠江は二俣城におりまする中根信照殿も、会いたい、と文にて申しておりました」
「さ、左様か」
中根信照とは腹違いの弟の事だ。
今は遠江にある二俣城にいるらしい。
中根氏の親戚筋との事。
……遠江って今川だよな? 父上……曲がりなりにも一門衆を何処出してんだよー……
俺が愕然としている間に、茶と茶請けが振舞われていた。
「ではごゆるりと。父ももう暫くしたら戻りますゆえ」
綾の方はそう言って、部屋を後にする。
すると、
「うおっほん! 拙者も一時席を外させて頂きまする」
多田野宗兵衛が彼女の後を追うかの様に出て行った。
それはつまり、俺が津々木蔵人と二人きりになった事を意味していた。
俺は、
(おいおいおい、密室で二人っきりだよ! これは……何かあるかもよ!)
何故がドキドキしていた。
それもこれも、この身体が、信行の身体がそうさせているのだろうか?
俺にはどうしても、胸が高鳴る理由が他に思いつかない。
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