#119 大坂夏の陣(5)
二頭の象を始末した後、俺は本陣に戻っていた。
戦況を確認する為にだ。
「蔵人! 各方面は如何しておる!」
「各々件の怪物鵺と、襤褸を纏った褐色の大兵と弓矢を交えておりまする!」
「矢で敵の隊列を乱し、槍で受け、騎馬を突撃させよ! 彼奴等は戦慣れしておらぬ一向宗と変わらぬ! 武士の業を腹一杯馳走してやれ!」
大音声で叫ぶや否や、俺は差し出された柄杓の水を呷った。
雨の中だと言うのに、驚くほど喉が渇いた所為だ。
足は重く、それ以上に体は重い。
鎧兜が水を限界まで吸ったからだろう。
俺は具足を変えるか、逡巡した。
その直後、
「な、南蛮の新手が現われたにございまする!」
戦況の変化を報せる叫び声。
最前線の様子を伺うと、そこには確かに見慣れぬ者らがいる。
全身を白銀色に輝く鎧を纏った。
耳を劈く音と共に空が光る。
その光が先の鎧に当たり、続いて俺の目にまで及んだ。
「フルプレートアーマーだと! この時代にあったのかよ!」
片手に盾を持つ者、戦棍を持つ者、剣を持つ者、槍を持つ者と様々である。
だが、それらが一塊となって戦線を押し返していた。
しかもだ、
「全員が全員、柴田勝家並みの体格か! 十字軍の精鋭は化け物か!」
であった。
その直後、
(ま、拙い!)
象によって崩れた後、漸く整いつつあった戦列が再び崩れたのだ。
俺は、
「誰ぞある!」
傍にいる小姓を呼びつける。
そして、声高に尋ねた。
「本陣の右手から動きは未だ見えぬか!?」
問われた小姓は顔を蒼白にしつつ、気丈に答えた。
「あ、雨で何も見えませぬ!」
その通りであった。
俺の目にも、離れた所は雨に隠されていたのだから。
焦っているのだ。
「クソ! 俺としたことが!」
近くにあった床机を蹴り倒した。
(こんな樣で、佐久間盛重の仇が討てるかよ!)
俺が激情を露わにする間も、小姓は俺に命じられた務めを果たそうとしていた。
健気である。
しかも、意味があった。
「で、ですが! 正面に新たな動きが見えます!」
「なんだと!?」
「前田利家様の備えが、銀色の一団に向かって行きまする!」
前田利家の備えとは、兵法者を掻き集めた一軍の事である。
それが、フルプレートを纏った騎士に挑みにかかった。
騎士と武士、しかもそれぞれの強者として名を轟かす一団同士の、命を賭けた争いの始まりであった。
巨体から振り下ろされる一撃を、すんでの所で躱す兵法者。
一瞬の隙を突き、長巻野太刀で斬り掛かるも、盾で受け止められる。
中には、
——チェストォオオオオオオ!
の叫び声と共に白銀の兜を文字通り兜割りする者もいた。
盾撃を放ち、圧し潰す者もいた。
正に一進一退の攻防が続く。
だがそれは、次の新手により突如終わりを迎えた。
「馬!? やけに大きい!!」
「銀鎧が乗ってるぞ! 矢鱈と近づくな!」
「後からもだ! しかも、少なくないぞ!」
文字通り、騎士が馬に騎乗し、戦列に並んだのだ。
いや、それどころか、
「いかん! 信行様の下に行かせてはならぬ!」
前田利家の備えを迂回し、俺に向かっている。
(あ、これはやばい……)
流石に騎馬の速さで一斉に迫られては、弓では敵わない。
そもそも、古来より弓兵の天敵は騎馬と相場が決まっているのだから。
俺は弓を番え弦を引き絞るも、
(南無三!)
死を予感した。
刹那、
——ウォオオオオオオ!
馬に向かって飛び掛かる巨躯。
行く手を阻む大金匙。
前田利益が率いし、力士達だ。
力士ならではの巨体と怪力、それらにより生み出された体重を活かしながら。
次々にぶちかまし、引き倒し、圧し落としていた。
(通したのは二頭のみ! 後続は何とかなるな!)
俺は先頭の騎士に狙いを定めた。
馬の陰に上手く隠れる騎士。
(仕方が無い)
俺は馬を射った。
矢は外す事なく、馬の心臓があるであろう場所に刺さる。
馬は駆けながらも体勢を崩した。
騎士は馬もろとも地に落るかと思われた瞬間、器用にも飛び、転がった。
しかも、直ぐ様起き上がる。
奇しくも、俺の目の前で。
細身の剣を構え、俺と対峙したのであった。
しかし、真の脅威はその騎士ではなかった。
今一組の騎士が俺に向けて馬を飛び上がらせていたからだ。
相対する騎士が、馬を駆る騎士に向かって絶叫を上げた。
◇
「殺すな!!!!」
ヴァレットの叫び。
従者は答えた。
「断る!」
この従者はヴァレットに長く仕えていた。
その間、気安い言葉遣いをするも、命令を違えた事は一度も無かった。
それどころか、主に対し命を預けていた。
マルタに赴いた際も、自身の身体を盾にして守る覚悟で臨んだ程であった。
何故ならば、ヴァレットは神の騎士団と名高い聖ヨハネ騎士団の団長なのだから。
なのに……
(なのに貴方は騎士団の名誉を汚した!)
自らの私的な興味の為に、栄光の騎士団を使った。
多くの犠牲を生みながら。
それどころか、褐色の異教徒をキリスト教徒に僅かばかりの期間で洗礼を与え、あまつさえ、名誉ある騎士団に加えた。
しかも、汚らわしい動物までも。
そして、明け方に受けた衝撃の告白。
許せる筈が無かったのだ。
かといって、団長の命を奪う事は出来ない。
神の前で一度は忠誠を誓った相手、それを殺めるのが躊躇われたからだ。
そんな彼に出来るのは唯一つ。
「貴様の目的を果たせない様にしてやる!」
◇
俺は死を覚悟した。
西洋馬による突撃を受けて、助かるとは思えなかったからだ。
だが、足掻くだけは足掻こう。
馬の進路から外れる様に身体を倒す。
そうしながらも、馬の動きから決して目を離さない。
僅かでも身体の向きを変え、衝撃が和らげる事が出来る様に、と。
迫る馬体がスローモーションに映った。
巨体による影が俺に掛かる。
刹那、馬の身体がくの字に折れ曲がった。
良く良く見れば、急所に一矢が突き刺さっている。
「信行様! 無事にございまするか!」
太郎の叫び声が辺りに轟いた。
「ふぅ……」
安堵のため息が重なる。
俺と、今一人の騎士のものだ。
その騎士は不意に、面頬を上げた。
中から覗いた顔は、老いた西洋人のもの。
齢六十過ぎに見える。
彼は俺に斬り掛かりながら、口を開いた。
『お前が日本の総大将か!』
しかも——
(え、英語!?)
俺はそれを躱し、コクリと頷いた。
その上で、弭槍の切っ先を騎士に向ける。
『やはり、お前は俺の同類だ!』
『同類!?』
俺は片言の英語で返しつつ、辺りの様子を確かめた。
騎馬の一団は前田利益らに行く手を阻まれている。
騎士に至っては、右手から駆け付け加わった佐久間信盛の一軍が完全に抑え込んでいた。
(鏑矢の音が届いたか!)
恐らくだが、相手の騎士も今の状況、敵陣深くで孤立している事を把握している筈。
だが一向に、剣を退く構えを見せないでいた。
それどころか、刃を交える度に——
『ああ、無限に流離う放浪者だ!』
『無限?』
『そのままの意味だ! 永遠に繰り返される悪夢! 攻防戦では文字通りの生き地獄を! 戦の前にマルタ島を逃れようとすれば、従者に惨たらしく殺される! マルタを出られたのは今回が初めてなんだよ!』
『永遠の地獄? マルタ島が?』
『ああ、そうだよ! お前にとっての名古屋だ! 死ぬ程辛いが死ねない! いや死ぬ度に繰り返される生! しかも、記憶を持つのは俺一人だけ! そこに、お前だ! 今回は互いに捨て、次回は手を組まないか!? もう、沢山なんだよ!』
『次回?』
『まさか、一度も死んでないのか?』
『……死んだ事はないな』
『すげーな! 初めてでこれかよ!?』
斬り結びつつ会話を交わしたかとおもうと、突如けたたましく笑い声を上げたのであった。
(な、なんだよこいつ……流石に気味が悪いな)
俺を守る筈の小姓もまた、尻込みしている。
もしくは、間に入る頃合いを見計らっているのかも知れないがな。
一頻り笑った後、騎士は真面目な顔を俺に向ける。
そして、
『なら、この後知るが良い! 地獄の日々の始まりをな!』
と叫んだかと思うと、剣を振りかぶった。
俺と彼の距離が詰まる。
汗が顔を伝い、あご髭の先から落ちるのがハッキリと見えた。
刹那、勇ましい声を上げて騎士が迫る。
俺はそんな彼に対し、足で顔目掛けて泥水を跳ね上げた。
『うぉっぷ!』
視界を奪う為にだ。
『テメェ! 〝騎士道精神〟はないのか!』
『日本人は〝武士道〟だ!』
顔を覆う泥に悶絶する騎士。
俺は弭槍の切っ先を、その鎧の隙間に突き込み、捻る。
騎士は口から地を吐き、その場に膝から崩れ落ちた。
(勝負はあった!)
そこに、
「信行様!」
太郎が表れる。
腰に先ほど討ち取ったであろう、騎士の首を下げて。
彼は俺が討ち取った騎士に近づき、俺の代わりに首を切り離そうというのだ。
だがそれは、為されなかった。
「信行様! この者が信行様と!」
俺の名を呼んでいるからと言って。
近づくと、確かに何かを伝えようとしている。
俺は他の小姓も呼んで最大限の警戒をさせつつ、耳を口元に近づけた。
聞こえてきたのは、予想外の言葉であった。
『俺の……生まれは、西暦二〇〇六年……五月……五月……だめだ、忘れた。名前も思い……だせない。親からは……アル……と呼ばれ……てた。世界……中を……周遊……する船の……航海……士……だった……のは……覚えて……いる。後は……ボストン……のブルック……ライン……で生まれ育った。ボストン……知ってるよな?』
その所為か、思わず返事に詰まった。
「…………あー・はー」
『郊外の……生まれ育った家で、家族と……暮らしていた。愛する……妻、二人……の娘……両親……』
『素晴らしい』
『……俺が……殺すまで……。疲れて……たんだ、仕事に。良き父親……息子を期待され、そ……を演じるの……にも。以来……、多くの者を……この手に……かけた。俺は……好きな……だけ……自由……に』
俺は絶句した。
『これはその……罰……なんだ。神が与えた、大罪……に……塗れ……た、俺への……天罰……だ。いつの日か……償いを果たす……その日……まで。なぁ、お前も……そう……なんだろ? 自らを……飾り、誰か……殺した……んだろ? 俺のように……愛する……家族……を』
首を横に振る俺に、騎士は唖然とした。
『嘘だ……ろ。……なんで……この……時代に居るん……だ……よ』
『知らない』
『……俺はこ……これから……何を信じ……て……』
騎士は見るからに絶望していた。
そんな彼に、俺は言わずにはいられなかった。
『俺には分からない。しかし、これだけは言える。お前の家族はとても絶望しただろう。今のお前の様にな。信じていた者に裏切られて。それに、家族がお互いを期待し合う。それは普通の事だ』
騎士は目を大きく見開いた。
『お……俺は……なんて……取り返しの……つか……ない……事を……』
しかし、直ぐに息絶え絶えとなる。
視点が明らかに定まらなくなり、いよいよ命の灯火が消えようとしていた。
『……れ……礼……だ。スペイン……艦隊……が名古屋に……向かって……る……。お前……留守を……狙っ……て……』
『本当!?』
詳しく聞こうとするも、騎士の声は更にか細いものに。
それどころか、
『あ……あ、……と……父……さん、早く……帰って……き……て……。母さん、も……う……許……し……て…………』
意識が混濁していた。
やがて、騎士は事切れた。
顔が恐怖に歪んで見える。
(アル……ボストン生まれの十字軍騎士。長い航海の末に辿り着きし大坂の地にて、深い後悔を抱きながら散る……いや、本人曰く再び夢見る、か。そんな事よりもだ!)
俺は直ぐ様、後始末を実弟の信包や林秀貞らと講じた。
一度も床机に腰を下ろす事なく。
すべてを取り決めた後、急いで那古野へと向かった。
供するは太郎ら近習と近衛のみ。
馬の背に乗る俺の顔に、雨粒が殊の外強く当たった。




