#116 大坂夏の陣(2)
東から差し始めた夜明けの光、それが石山御坊の櫓を照らし始めた。
その上には、二つの人影が既にあった。
よくよく見れば、手にした筒を覗いている。
見渡す限り広がる、朝靄掛かった平野を。
彼らが目を凝らす先には、靄から突き出た無数の旗と煙。
大兵がそこに居る証であった。
「団長、完全に包囲されてますよ」
「そうだな」
十字軍を率いるヴァレットとその従者だ。
二人とも光り輝く鎧に身を包んでいる。
「怖いか?」
「当たり前です。敵兵の方が遥かに多いじゃないですか」
従者の言葉をヴァレットは鼻で笑った。
「団長は流石ですね」
「まぁ、慣れてるからな」
「慣れてる? ああ、ロドス島攻防戦の事ですね。三百隻以上の船と二十万もの兵に包囲されたとか」
「それは知らん」
「え?」
「だが、数え切れない程、俺はマルタを守った」
「ええ? 一体何を言ってるんです?」
従者は首を傾げた。
「マルタが包囲された事など、一度もありませんよ」
「ふっ、俺には有るんだよ。丁度同じ年一五六五年の、同じ日である五月十八日にな。正規兵と民兵合わせて五千に対し、スレイマン率いる五万の大軍。四ヶ月にも亘る地獄の日々、俺はそれを生き抜き、島を守り抜いたのだ」
「同年同日? ああ、夢でも見たんですね。それ、勝ちました?」
「何度も勝ったさ!」
「夢でも凄い! それに何度もって……もしかして、同じ夢をですか? それって、悪夢なんじゃ……」
「ただな」
「はい?」
ヴァレットは片側の口角を上げた。
「戦に勝って、定めに負けたって感じだ」
「……何、意味の分からない事を口にしたくせに、良い事言ったって顔してるんです?」
「いや、結構決まってたろ?」
「脈絡無さすぎですよ。そんな事よりも、準備が整ったみたいです。そろそろ団長の出番ですよ?」
「そうだな。では、やるか!」
◇
早朝、石山御坊の塀を乗り越える形で、黒く大きな筒が並んでいるのが見えた。
昨夕には見られなかった代物だ。
それが何かは直ぐに分かった。
「大砲! やはり、隠していたか!」
直後、雷の如き音が大坂平野に鳴り渡った。
続いて、空気を切り裂く音が続く。
木々の生い茂る葉の陰で休んでいたであろう鳥達が、一斉に飛び立った。
川や沼の水面では、魚が飛び跳ねた姿も見受けられた。
その他無数の生き物が音に驚き慌てふためく。
ただし、最も驚いたのは人間だろう。
それも、俺が率いる兵達が。
音の向けられた先が自分達だけにだ。
幾つかの陣地至近で爆発が起こり、直後黒土の柱が生じていた。
「次が来るぞ! 陣を下げさせよ!」
俺は急がせるも、二弾目が着弾する迄には流石に間に合わない。
賑やかに飾られた幾つかの陣に直撃弾が見舞われ、旗指物が吹き飛ばされた。
◇
「撃ち方、止めぇいいいい!」
朝一番に予定されていた敵陣に対する一斉射撃を終え、効果を計る。
騎士の従者が入れ替わり立ち替わり、伝達しに現れていた。
「どうだ?」
ヴァレット団長の問いに、
「上々です」
と従者は答えた。
「具体的に答えよ」
「はっ! カルバリン砲の砲身が損壊したとの報告は入っておりません。戦果ですが、砲撃前に確認された異教徒領主がいると思われる陣が三十余。その内十を先の連続砲撃で破壊した事を確認しております」
「敵勢の動きは?」
「カルバリン砲の射程から後退。以降、表立った動きは見られません。態勢を整えてるかと思われます」
「つまり?」
「予定通りに進んでいます。流石はヴァレット団長です!」
「この後の事は分かっているな?」
「はっ! 再び射程内に入った事を確認次第、砲撃を開始致します」
ジャン・ド・ヴァレットは満足そうに頷き返した。
◇
厚く垂れ込めた雲に、太陽が隠れた。
辺りが一瞬暗くなり視界が悪くなるも、砲撃の音は一向に止む気配を見せない。
朝靄はとうの昔に晴れ、日は今や高くに昇っていた。
「早う退け! 大砲の射程外にまで陣を下がらせよ!」
俺は津々木蔵人の怒声を耳にしつつ、
「どうだ?」
と側にいる林弥七郎に問うた。
大兵に見せかけた寡兵を前に進め、敵方の攻撃能力を確かめさせていたのだ。
「音は明らかに二種。恐らくはカノン砲とカルバリン砲の混成かと。ですので、最大有効射程はカルバリンの十町程度と思われまする」
林弥七郎が答えた。
「岡本新砲は大丈夫なのであろうな?」
「それが螺旋砲の事でしたら問題ございませぬ」
火縄銃に螺旋状の溝を掘る事で、射程と命中精度が増した。
「ならば、大砲でも同じなのでは」と言い、岡本良勝が苦心の末に作り出した大砲が岡本新砲である。
(あいつは真の天才。ああいう輩には何でも言ってみるもんだよ、本当)
故に、ただの滑空砲であるカルバリン砲より射程は長いし、精度も高い。
つまり、相手の射程外から、それも狙った所に確実に弾を打ち込めるのだ。
難点は一つ、重過ぎる事だ。
船でないと纏めて運べない程に。
一台ずつの場合は道路ならまだしも、未舗装の峠道などでは車輪が地面にめり込んだ。
鯨を引き上げる際に用いる綱を結び、大人数で牽引しても無理だったのだ。
(その大砲を用いて籠城する相手を狙い撃つ。まるで、大阪の冬の陣や会津城籠城戦だな)
俺はニヤリと笑った。
「蔵人!」
「はっ!」
「各陣を石山御坊から十二町退かせ陣を構えさせよ!」
「ははっ!」
「一益!」
「はっ!」
「石山を崩せ!」
「御意!」
滝川一益が配下に対し、腕を上げる。
すると、甲高い鳥の鳴き声が辺りに響いた。
鳥が未だ辺りに居る訳もなく。
鳥笛であった。
刹那、腹を揺さぶる程の音が幾重にも重なる。
石山御坊に向けて、新式大砲が火を吹いたのだ。
それも、十字を描くかの様に。
幾度も空気が揺れ、幾度も体が揺さぶられる。
火薬の匂いが、煙が辺りを覆った。
その隙間から確かに見えた。
御坊の塀に穴が穿たれ、天に向かってそそり立つ櫓が一つ崩れ落ちたのを。
(無駄撃ちが殆ど無いな。流石はライフリングを施した大砲だ)
更にその先からも、打ち上げ花火の如き音が聞こえてくる。
戦況を伝える報せが、俺のいる本陣を賑やかに飾った。
刻は永禄八年(西暦一五六五年)五月十八日、正午前の事である。




