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#113 五月十二日

 俺はほぼ全軍に対し、


「敵は京にあり!」


 と転進を命じるのに然程時間を必要としなかった。


「宜しいのでござるか?」


 と馬を寄せ前田利益が言った。


「致し方あるまい」

「されど、鵺なる物の怪が相手となるでござるよ?」


 彼にしては珍しくも額に冷や汗を浮かべながら。


「その様だな」

「山科卿曰く、頭から鷲羽を生やし、鼻からは蛇が伸びていたとか」

「うむ」

「人の倍する背丈、黒檀と見紛う色艶の獣皮は弓矢、鉄砲玉、槍や刀すら通さぬとか」

「らしいな」

「正に〝怪物〟と申せるでござる」

「全くよ」

「加えて、南蛮兵も数が多く、その数三万から六万とも。いや、それ以上かも知れぬでござる」

「大した数を揃えて日の本まで来たものよ。ある意味、頭が下がる思いだ」

「境湊を埋め尽くした南蛮船。大砲の数もさぞかし多いでございましょうぞ」

「おお、確かに!」

「なのに信行様は京へ向かう。何故でござろう?」


 俺は首を傾げたのち、


「まず一つ、俺の申し出た全ての条件に山科言継が応じた」


 と語り始める。

 そう、俺は法外な要求を吹っ掛けたのだ。


「伊達・蘆名連合との和睦でござるな」

「加えて、南蛮勢に対する備えとして俺の指揮下に入った」


 絶対に応じぬと考え、条件にしたと言うのにだ。


「山科卿はさぞかし見事な言葉を並べたのでござろう」


 忌々しい事に。

 だが、それだけではない。


「しかも、越後に織田信広様と三万の軍勢が残る事を伊達と蘆名に承知させたでござる」


 陸奥に残された兵はそれほど多くはないと言うのにだ。

 周辺国が虎視眈々と領土を狙う中。

 天子様をお救いし、京の都を奪い返す為にと。

 そしてそれは、織田の麾下にいた諸大名も同様であった。

 しかし、それだけではない。


「二つ目は、信広兄者を関東管領にと勧めたからよ」

「山科言継殿がでござるか?」

「それだけに非ず。関東の諸大名が連名にて願い出たのだ。苦労人たる兄の、実に見事な関東仕置の所以よ」


 俺は胸を張り、誇らしげに言った。


「されど、関東勢の中には上杉輝虎と通じ、信行様に離反を働こうとした者らもいたでござろうに?」

「左様。だからこそ、その者らには先備えを命じた。更に、上洛まで通る事になる領主らにも勅令として兵と道中の糧食、塩の供出を伝えさせた。それが三つ目となる」


 総兵数十二万強、京へ至る頃合いには十四万は下らないだろう。

 だが、兵数を揃えれば南蛮の大兵に勝てるのかと問われれば、「否!」と答えざるを得ない。

 その理由は、


「しかるに、鵺は厄介でござるな」


 であった。


「ああ、その通りよ」

「されど、信行様に焦りは見えぬでござる」

「ま、焦ってはおらぬな」

「つまりは、如何なる代物かおおよそ見当が付いているでござるか?」

「なんとなくは、だがな」


 鵺なる怪物の正体に、俺は心当たりがあった。

 問題は、何故それを南蛮人が、もっと正確に言えば西洋人が使役し出来ているのか、である。


「とは言え、今は考えても詮なき事。それよりも例の手配は済んだか、利益?」

「〝草水(くそうず)〟とやらでございますな」

「ああ、あればあれほど良い」

「樽や瓶、壺に込めるだけ込め、船にて武具と共に運ぶよう申し伝えたでござる」

「山科言継は?」

「天子様の仮御所が置かれた、朽木に一足早く向かったでござる」


 俺はそれを聞き、ニヤリと笑った。




  ◇




 後の世に、〝越後大返し〟と呼ばれる行軍の末、織田信行公が率いし大軍勢が仮御所が設けられた朽木に至った。

 日数にして僅か六日余り。

 驚異的な速さである。

 だが、更に驚異的な速さを見せたものが一つあった。

 それが、織田信行公の陞進(しょうしん)・昇任だ。

 春日山に向かっていた山科言継が仮御所に入るや、半刻後には参議に叙され、翌朝には右近衛大将、その一刻後には右大臣に叙任されたのだから。

 古代中国にて悪名を轟かす董卓も真っ青となるほどに。

 なお、この事は現在も皇室に残る、「官途総覧」に記されている。

 そして、織田信行公が朽木に入った二刻後、この時代最大の転機が訪れたのであった。




  ◇



 永禄八年(西暦一五六五年)五月十二日。

 俺は具足姿のまま、額突いていた。

 時の天子様であらせられる、正親町天皇を前にして。

 しかも、具足を御身に纏った姿の。

 いや、居並ぶ公家の面々までが、武者姿であった。

 不意に、天子様は声を発した。


「右大臣平信行、その方は子の仇を討てようか」


 と。

 感情を無理やり抑えたであろう声音で。

 そう、京都炎上以降、第一皇子の行方がようとして分からないのだ。

 身内の不幸は天子様だけではない。

 多くの公家がその目を赤く腫らしている事からも、一目瞭然であった。

 俺は、


「この命に代えて」


 と答えた。

 僅かな間が空き、新たな問いが続く。


「都を取り戻してくれようか」

「必ずや果たしてみせましょう」


「日の本を覆いし憂い、一つ残らず晴らしてくれようか」

「この身が能うかぎり」


「その上で、朕は願う。元凶が絶たれる事を」

「恐れながらこの信行! 天地神明に誓い、天子様の名代として蛮行を働く南蛮兵と、その者らを遣わした大罪人を討ち滅ぼしましょうぞ!」

「なれば良い! 今日ここに! 右大臣信行を征蛮大将軍に叙する! 誓いを果たしに迎え!」

「ははっ!」


 この日俺は、武家としての位人臣を極めたのであった。




 天子様に拝謁し、征蛮大将軍に任じられるやいなや、俺は急ぎ足で本陣へと向かった。


「お帰りなさいませ、信行様!」

「おめでとうございまする!」


 道すがら言祝ぎが乱れ舞う。

 まるで、ライスシャワーの様に。

 それでも俺は笑顔を返す事なく、足を運んだ。

 そして、一転して重苦しい空気に包まれた車座の中に飛び込んだのである。

 理由は直前に齎された凶報。

 床机に座る最中、奥歯が折れるほどに噛み締め、幾筋もの血管が顔に浮かび上がるのが分かった。


「佐久間盛重が討ち死したとは真か!?」

「残念ながら……」


 答えたのは林秀貞。

 京都の守護代として遣わしていた二人の内の一人である。

 今一人は当然、佐久間盛重であった。


(おのれ南蛮兵ども! 京の都に加えて、佐久間盛重を! もう、勘弁ならん!)


 彼とは、信長と敵対した那古野城攻防戦からの付き合いだ。

 古参、と言う言葉では表し足りない程、俺の麾下では古くからいる。

 共に戦った数は数え切れず。

 幾度も命を預け合ったと言うのに。


(その佐久間盛重が死んだ……)


 俺を驚くほどの喪失感が襲っていた。


「盛重殿は如何なる最期であったか?」


 と、代わりに口にしたのは今川氏真。

 膝を突いたまま、伝令の一人が答えた。


「佐久間盛重殿は若狭街道の入り口付近にて南蛮兵の先陣と戦端を交えるようと、陣を構えました!」


 高野川を間に挟む形で。

 土塁、逆茂木を組み、織田軍の十八番である〝足場〟を設け、万全の体制だったとか。

 なのに……


「僅かばかりの南蛮兵が荷車に傷ついた鵺の子を載せて現れ、川岸に縫い付けたかと思うと有らぬ方角へと走り去ったのです!」


 佐久間盛重は戦死した。


「要点を申せ!」


 吠えたのは俺だ。


「は、ははっ! 京の都から鵺が多数現れ、陣は壊滅! 佐久間盛重様は鵺に討たれた次第にございまする!」


 怒り狂った鵺に蹂躙されたからだ。


(そんな死にざまがあるかよ! 織田家の宿将なんだぞ!?)


 次に気がつくと俺は、床机を地震の背後に向かい蹴り倒していた。


「気にせず続けよ」


 弟の信包が言った。


「は! 佐久間盛重様が討たれ、混乱に陥った所を南蛮兵が川を渡り襲撃。壊滅も時間の問題となりました。しかし……」

「比叡山延暦寺から僧兵が御主らを逃した、と言う訳だな」

「左様にございまする!」


 命からがら逃げ出した彼らは、街道沿いを駆けた。

 だが、彼らは恐慌に落ちて無様に逃げたとは言え、元は佐久間盛重が育てた精鋭。

 戦場から離れつつも少しずつ集い、やがてある程度まとまった数が揃ったかと思うと、


「拙者が中心となり、敵情を探りに参りました」


 そこで彼らが見たものは——


「当初は地の利を活かした比叡山の僧兵が押しておりました」

「当初は、か……」

「火縄銃に加え、十字弓により次々と倒れ、思わぬ反撃に会うた僧兵共はあっという間に瓦解、そのまま比叡山延暦寺へと後退した次第にございまする!」

「その結果が、あの黒煙と言う事だな?」


 漸く落ち着きを取り戻した俺が問うた。

 命懸けの斥候を果たした彼は体全体を使い、大きな動きで同意を示した。


「比叡山延暦寺の主は天子様の弟君とか」

「主上は僅かな間に、随分と多くの御身内を失われたのだな」


 それは恐らく、佐久間盛重を弔った俺以上の悲しみに、喪失感に苛まれているのだ。

 だが悲しいかな、自ら仇を討とうにも、率いる兵がない。

 天子様が具足に身を包んだのは、少しでもその思いを表そうとしたのだろう。


「時に信行様」


 前田利益が不意に問うた。


「何だ?」

「若狭街道を抜けるや否や、鵺が現れるでございましょうぞ」

「恐らくな」

「如何するおつもりにございまするか?」

「安心致せ。既に先備えには策を授けておる」

「な、何と!? 鵺を倒す必勝の策があるとおっしゃられるか!?」


 大音声で叫んだのは、柴田勝家である。


「落ち着け、勝家」

「これが落ち着いておられましょうか! 鵺を討つ事が叶えば! 柴田家末代までの誉れとなりましょうぞ!」


 確かにな。

 現に鵺を討ち取った逸話は、現代にまで語り継がれていたし。

 だがな。


「俺は鵺を討つとは一言も申しておらぬぞ?」

「それはつまり! 鵺を討たずに制するのでございまするな!」

「流石は信行様!!」


 どこと無く懐かしいフレーズ。

 そんな事よりもだ。


「早くとも明後日には京入りする。真の戦はそれからよ。それも長い、長い日の本を賭けた戦のな。一同、ゆめゆめ、準備を怠るでないぞ?」

「ははっ!」


 蜘蛛の子を散らすかのように陣幕から人が居なくなった。

 残ったのは俺と、俺の小姓らと今一人。

 佐久間盛重と並ぶ最古参の家臣だ。

 彼は何処か寂しげな目を俺に向けた。


「しかし、偶然とはあるのでございますな」


 そりゃ、あるだろう。

 俺が織田信行をやってるぐらいだしな。


「いや、それとも必然なのでしょうか?」


 これが必然だったら俺は泣くわ。

 って言うか、歴史が大きく変わりすぎているし。

 偶然、だろうよ。

 そんな事よりもだ。


「林秀貞、言いたい事があるなら勿体ぶらずに申せ」

「はっ、征蛮大将軍に叙されし五月十二日。この日は、奇しくも信行様の兄君、信長様の生まれた日でございます故に」

「……で、あるか」


 先を行く織田信長が振り向きざま嗤う、そんな絵が脳裏に浮かんだ。

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