#108 関東成敗
永禄八年(西暦一五六五年)の一月中旬。
関東は大いなる混乱に見舞われていた。
田植えが始まる頃合いに関東入りする筈だった織田信行が、予定を三月以上も早め現れたからだ。
しかも、春日山攻めの陣頭指揮を名目にして。
そもそも、田植えの時期までに関東の諸大名ならびに国人衆らは、織田か上杉何方の下に付くか、を鮮明にする猶予を得ていた。
その間に織田に降るよう家中を纏めよ、それが織田信行の意向として伝わっていたのだ。
だと言うのに、その織田信行のあまりに突然な武蔵国入り。
東侍共が大いに動揺したのも道理である。
しかし、問題はそれだけではなかった。
なぜならば、織田の軍勢に新たな勢力が加わっていたからだ。
それは、小田原を拠点とする北条であった。
つい数ヶ月前までは関東を今にも呑み込まんとし、上杉と和合してまでも争っていた大大名だ。
その当主となった北条氏政を、まるで人質にしたかの様に引き連れて。
その傍に付き添う板部岡江雪斎の、青白い顔が全てを物語っていた。
◇
二月、関東は驚くほど寒い。
那古野に比べると雲泥の差であった。
途中寄った小田原と比較してもだ。
その所為か、江戸城入りを誘った北条氏政の顔色が悪い。
そう、俺は今、武蔵国は江戸城にいる。
かの有名な太田道灌が築城した城にだ。
すぐ南には日比谷入江、浅い砂地が続いている。
入江の入り口付近には品川湊。
城の北側には荒れた城下町、西にはススキが生い茂る原野や葦の生える湿地が広がっていた。
「江戸城周辺がここまで酷いとはな」
俺が思わず零す程にだ。
その呟きを拾ったのが、
「寧ろ、家臣一同、何故江戸城に拘るのか分からぬ次第」
前田利益であった。
「江戸城周辺に、商人やら町人が闊歩する街並みを夢見てな」
今から数百年後の未来で俺が見た景色。
世界有数の大都市である。
「されど、これだけ広大な平野の殆どが荒地か、もしくは湿地でござる。那古野の如く自然と人が集まる地へと変えるには相当苦労しましょうぞ」
「ああ、まずは治水から始めねばならぬな。その為にも北条氏政に無理を言い、付いて来て貰ったのだ」
「あれは脅しや強請の類でござる」
「本人はそう思っておらぬ様だぞ? 現に何度か話し掛けても普通に答えてくれる」
「顔や声に表れておらぬだけでござる」
「それは……否定できぬな」
幽閉されていた前古河公方、足利藤氏を那古野に送り出させたしな。
そんなことよりも、だ。
俺は問題を抱えていた。
それは無論、俺の庶長子である山田太郎の事である。
信広兄者に打診してみたのだが、色よい返事が未だ貰えず。
仕方なく、こうして直談判に参ったのだが……
「太郎様の事をお考えでござるか?」
「まぁ、な」
「信広様のお子にするは些か難しゅうござる」
「分かっておる。信広兄者も未だ若い。更に若い側室も増やし、日夜励んでおると聞くしな」
鎌倉山付近で採れる自然薯、そのとろろを掛けた麦飯やすっぽん鍋が効果覿面、そう教えたのは俺なのだから。
「なればこそ、にござる。他の家臣、取り分け家老衆であれば問題ございますまい」
「それが、ならぬ、のだ」
荒尾らは何故か、太郎に織田の名を継がせたいらしいのだ。
(荒尾の腹を痛めた子らのライバルが減るのだ。普通は両手を上げて喜ぶだろうに……)
いや、分からなくはない。
正室とはいえ、他の側室も、その子らも共に一つ屋根の下で寝起きしていたのだ。
先の織田家滅亡の恐れすらあった戦も、共に乗り越えた仲なのだ。
故に、ある意味我が子同然の者を、子の居らぬ家臣の家などに入れるなどの家中支配や、大名の婿養子に入れるなどの他国支配の一手としてであっても、手放したくはないのだろう。
俺が子供同士の仲を取り持とうとした、その弊害だな。
事実、信長の子を含めた子らの仲は頗る良い。
そんな中、遅れて現れた庶子とは言え一人だけが割りを食う、それが甚だ嫌なのである。
「では、如何するでござる?」
残された手立ては一つ、
「太郎が功を上げるしかあるまい」
であった。
武功を上げれば多少の無理は働かせる事が出来る。
戦乱の世らしい、解決策だ。
「もしや、それもあって関東入りを早めたのでござるか?」
「まさか! 子一人の大成を願う為だけに戦など、この信行は起こさぬよ」
「では、何故……」
「一つは、織田に早く降れば降る程、重用される事を世に示す為」
江戸城における評定、俺の次席は信広兄者だ。
これは那古野城でも変わらぬ。
が、その次を北条氏政に与えていた。
例え一時敵対していたとはいえ、織田に降り、その上で江戸城下に嫡男を含む嫡子共々移れば許す。
そのデモンストレーションとしてな。
加えて、
「北条と長らく争っていた里見、太田はそれでも様子を決め込むであろう。が、上野国厩橋城に入る北条高広が江戸に参ったら? 更には常陸国の小田氏治が織田に降る噂が流れたら? 果たして指を咥えて見ているだけであろうか? いや、動く筈だ。上杉を攻め入る前の、景気付けの生贄にされたくなければな」
「左様に上手く事が運ぶでござろうか?」
「雪で上杉が動けぬ間に、彼奴等が動く名分を拵えてやるのだ。その為にも南蛮砲を全て外し、運んで参ったのだからな。事実、小田原では良く効いたではないか。それにな」
「それに?」
「北条高広の動きを察知したのか、はたまた北条氏政が降った所為か。武蔵国忍城の成田長泰、氏長親子がこの信行宛に書状を遣わして参ったわ。既に策は成りつつある、と言う事よ」
何故だか、小姓を勤める太郎からの視線が痛く感じられた。
◇
小田原の北条を相手にした時の如く、当初は合従する構えを見せていた関東の諸大名。
が、織田信行は瞬く間に個別の約定を結ぶ事で、互いの足並みを乱させた。
更には、再編した歩き巫女、透波、商人らを使い、
「武蔵国岩付城の太田資正が里見義弘の下を離れた」
「織田信行は里見義弘、佐竹義重の何れかと手を組み、一方を根切りにするつもりらしい」
「臼井城の千葉胤富が織田に降り、里見攻めの先陣を許された」
「大量の兵糧が江戸城に運び込まれたのを儂は見たぞ」
「織田の国崩しを見たか? 何でも織田様はあれで山一つ崩すお積りだとか。現に、小田原の総構えはそれは大きな穴が開いた」
などと虚実ないまぜの噂話を広めさせたのだ。
その結果、
「里見義弘、それに佐竹義重。此度の江戸城入り、誠に大儀である!」
「ははっ!」
織田信行は戦らしい戦を経ずに、関東一円をほぼ掌中に収めたのであった。
「して、佐竹殿」
「はっ!」
「娘御の嫁ぎ先である宇都宮広綱は如何した?」
「広綱めは病で動けず……」
「だが、宇都宮城から山城の多気城には移る元気はある様だな」
「そ、それは……」
「佐竹義重!」
「は、はっ!」
「多気城への〝那古野道路〟敷設を命ずる! 資材、糧食は用意する故、これより一月の間に領民総出で為し遂げて見せよ!」
「は、ははっ!」
これから僅か半月程後、宇都宮広綱が織田に降った。
故に、織田信行が庶長子、山田太郎が功を上げる機会も得られず。
彼に織田の名乗りを許される事はなかった。
「利益……」
「は!」
「太郎の視線が甚だ痛い。何故なのか?」
「間違いなく、やり過ぎた信行様に問題があるでござる」
「……次こそは戦功を上げられる事を期待する」
「だ、そうでござるよ、太郎殿」
前田利益の視線が織田信行の背後に注がれる。
「戦が起きるなれば、でございましょう」
織田信行の顔がへの字に歪んだ。
雪解けはもう間も無く、
「……そろそろ上野国沼田城まで道路が伸びた頃合いか」
「左様にございまする」
「三国峠までは?」
「旗衆と国人衆ら総出で携わっておりますれば、雪解けまでには間違いなく出来上がるでござる」
「流石よな、利益」
「信行様の太陽熱温水器があればこそ、雪を苦にせず出来た次第」
「と言う訳だ、太郎。今暫く気を休めつつ待っておれ」
「はは!」
であった。




