#106 関ヶ原を終えて(2)
那古野城にて客人を迎える。
が、その前に俺は奥へと足を向けた。
衣装を替える為に。
奥入りし、最初に出迎えたのは正室、荒尾御前であった。
「お帰りなさいませ、信行様。お着替えにございまするか?」
「左様」
「支度は既に整っております。して、その若者は?」
「新しい小姓だ」
俺は太郎を振り返った。
「正室の荒尾だ。奥では荒尾が親代わりとなる。さぁ、御主も挨拶致せ」
「ははっ! 山田郡安食村の太郎にございまする!」
「うっ……」
最後の声は津々木蔵人である。
「山田郡安食村……」
何か引っかかる様子の荒尾御前、首を傾げた。
「(略して山田太郎! 安食太郎だと変だしな……て、俺の本名かよ! ……いや、まてよ。折角だから……)ただの太郎では困る故、これからは山田太郎と名乗るが良い」
「はは!」
すると、やや遅れて母である土田御前が現れた。
彼女は山田太郎を目に入れると、俺への挨拶もそこそこに、
「おや、喜六郎? 喜六郎ではありませぬか!」
声を荒げる。
「え? 誰?」
山田太郎は戸惑った。
(ほんと、誰、喜六郎って?)
「何を申しますか! 妾はそなたの生みの親ですよ!? この顔をお忘れかえ!?」
(……ああ、血を分けた弟、秀孝の幼名か! 最近は名前を聞くと、何となく思い出すのな)
「誠に申し上げにくいのですが、母は産後の肥立ちが悪く、某が幼き頃に亡くなっておりまする」
それでも山田太郎に縋ろうとする土田御前。
俺は優しく、その手を取った。
「落ち着いてくだされ、母上。この者は山田郡安食村の太郎、山田太郎にございまする。喜六郎ではありませぬぞ」
「な、何を世迷言を!」
「喜六郎であれば、生きておれば既に二十三にはなりましょうぞ。この者が二十三に見えまするか?」
「そ、それは……。されど、喜六郎の生き写しではありませぬか! ああ、喜六郎、母は会いたかったぞ」
なおも、土田御前は山田太郎に縋り付く。
山田太郎は大いに困惑していた。
(どうすりゃいいんだ、これ?)
助けを求め津々木蔵人の方を見ると、何故か青い顔をしていた。
俺の視線を追ったのだろう、荒尾御前も津々木蔵人の顔色を目にした。
途端に「ん?」と顰めたかと思うと、眼が一瞬丸く見開いた。
「信行様」
「如何した?(荒エモん。もう、困った時の荒尾頼み、だな)」
「信行様が申された通り、信行様の小姓なれば正室たるこの荒尾の、我が子同然。お母上の事もありますので、この場はこの荒尾が預かりましょうぞ」
「おお! 流石は荒尾だ! 頼んだ!」
「それと、津々木蔵人殿をしばしお借りしたく。宜しゅうございまするか?」
「無論だ」
満面の笑みを浮かべた荒尾御前。
だが、彼女は次の瞬間、底冷えする声で——
「津々木蔵人殿」
「ひっ!」
「聞いた通りです。しばし、お顔を貸して頂きまする。聞きたき事が色々とある故に」
「……は、はは!」
それから半刻程後、家老が集い始めた評定の間に俺は姿を現した。
「おお、木下藤吉郎か。久しいな。鎧島からはお主が参ったか」
「は!」
「なにもかもが順調らしいな」
「丹羽様、斯波様が張り切っておられます故」
「藤吉郎、お主も気張れよ! 主に作るよう命じた港と運河は、武蔵国の要故にな!」
「は、はは!」
言うなれば、織田信行版関東大開発。
所詮は徳川家康を模倣した代物であった。
洪水多発地帯を農耕地に変える。
加えて、水運能力の強化。
但し、江戸前島や日比谷入江は残す。
神田山も切り崩さずにおくのだ。
ちなみにだが、労働力の当ては困窮した国人衆と百姓だ。
その為にも、現地の諸大名には幕府名義の投降勧告に従って貰わねばならない。
信広兄者が前入りするのはそれを促す為だ。
「織田信行が関東入りする前に投降せねば、お家は断絶だぞ」
との書状と共に。
既に上野国の国人衆や豪族からは、
「上杉を討ってくれるなら」
との意志が届けられている。
地均しは順調であった。
「時に藤吉郎」
「へ、へぇ!」
「京に行きたいそうだな?」
「そ、その通りにございまする」
「何用だ?」
「公家の所作ならびに礼儀作法、更には見識を広めたいのでございまする」
「勤勉よな。良きかな、良きかな。……で、本当の所は? 腹蔵なく申せ」
「い、田舎臭い東女には飽いたもんだで」
「やはりな。だが、早々に許しは出来ぬ(公家と藤吉郎の融合は危険だからな)」
「そこを何卒!」
「(しかし、餌にはなるな)江戸の治水が予定より早く終われば、考えなくもないぞ」
「あ、ありがたき幸せ!」
話題はいつしか京の事に。
「信行様、何でも天子様からの上洛要請がひっきりなしだとか?」
信広兄者である。
彼は織田家の次席。
故に俺から一番近い場所に席を設けていた。
「如何にも。林秀貞や佐久間盛重、更には伊勢貞孝や細川晴元、昭元の下に、近衞前久や山科言継らが足繁く通うては何度も頼まれるらしく」
他の兄弟、家臣とは一線を画す扱いをしている。
我が子が幼い今、俺に何かが起きた場合、彼に織田家を束ねて貰わねばならないからだ。
何と言っても、戦国時代は乱世。
十にも満たぬ子が家を継ぎ政を治めるなど、余程の事がない限り、上手く行く訳がないのだから。
「あの御二方は那古野を出入禁止にしなったが故、林や佐久間に頼むより手はない、か」
織田信広がニヤリと笑った。
「それだけではありませぬ。多田野義秋に良からぬ事を吹き込まれても適いませぬ故」
ちなみにだが、彼奴とその弟には筆の代わりに刀を握らせている。
筆持たすと、良からぬ手紙を書く、て話だしな。
「だが、代わりに参られる御方が金蓮院准后とは驚きました」
金蓮院准后、時の天子様であらせられる正親町天皇の実弟である。
それほど遠くない時期に天台宗座主になると思われている。
「天子様もさぞかしお困りのご様子」
「ですが、前回の上洛も酷い代物でした。今度は、我らが欲する物を約束して頂かなくてはおいそれと参れませぬ」
「まぁ、それほど遠くない時期に宣下されましょう。さすれば、いよいよ織田幕府でございますな、信行様」
「はい。もう一押し、にございまする」
そこに小姓がススっと現れた。
彼は俺に近づき、数語を告げる。
俺は評定の間の端から端に響くよう、手を叩いた。
「皆の衆、客人が参った様だ。出迎えよ」
「はは!」
やがて、評定の間に現れたのは、
「武田義信、にございまする」
であった。
そう、甲斐の武田が織田の軍門に降ったのだ。
苦渋の決断だったのだろう、目の下の隈は大きく、顔の色は酷く悪い。
「よく決意された」
「こ、これが契機でございまする! 是非とも御目通し頂きたく!」
それどころか、彼は何故か切羽詰まっていた。
そんな武田義信が懐から取り出したる代物。
それは一通の書状であった。
「父、信玄からでございまする」
「……宜しいのか?」
「是非とも読んで頂きたく。その上で、某の気持ちを汲んで頂きたく候」
そういう事なら、と俺は拝借した。
「ふむふむ、我が子義信へ、か。なになに、わしは今、春日山城にて囚われの身となっている。生き永らえる程度の飯は貰える。が、薬がない。織田殿が越後への荷を差し止めている所為だ。そこで頼みなのだが、左に記した品々を送ってはくれまいか。何故ならば、輝虎様はわしを含む拐かした奴隷を昼夜の別なく護岸・治水などの苦役・普請を命じ……………………すまぬ、信玄殿が憐れ過ぎ、これ以上読み進められぬ」
「では拙者が」
すかさず手を挙げたのは前田利益。
彼は名乗り出ただけはあり、全く動じる事なく読み上げてみせた。
しかし、内容は凄惨の一言。
戦に負け、辛うじて奴隷として生き永らえさせて貰えているとは言え、人はここまで他人の尊厳を踏みにじる事が出来るのだろうか?
多くの家臣が顔を青ざめさせ、津々木蔵人は気持ちの悪さ故にだろう、顔を手で覆っている。
柴田勝家の、鼻をすする大音が響いた。
「……尚、この内容は輝虎様に命じられるがまま、書いている。薬や糧食、金一万貫が届かぬ場合、また書かされるであろう。この様な非道、後何度も耐えられそうにない。十月二十八日。信玄。武田義信殿。以上でございまする」
読み終えてなお、誰一人声を発しない。
俺は仕方なく、
「……………………あ、余りに酷い扱い。信玄殿は虜囚となり、随分と酷い責めを受けているようですな」
と同情を口にした。
「読むのも辛い有様なれど父は父。その父を、武田信玄を助けたいとの一心で家臣が纏まったのです。父を、武田信玄をどうか助けて頂きたい! 何卒お願い申し上げまする!」
「あ、ああ、良いだろう。か、必ずや地の果てまで追いかけてでも、信玄殿を救い出してみせようぞ」
この日、織田家による中部地方支配が八割方固まる。
残すは上杉輝虎が治める越後とその周辺のみとなった。
関ヶ原の戦以降、順風満帆とも言える織田家。
だが、その足元を揺るがす問題が、音もなく広がろうとしていた。
--更新履歴
2017/12/05 誤字脱字を修正
2017/12/06 春日山城における信玄の境遇を修正
2017/12/27 名古屋弁を修正




