#105 関ヶ原を終えて(1)
永禄七年(西暦一五六四年)十一月
第三次稲生の戦、それに続く関ヶ原の戦から早二ヶ月。
刈田には稲の切り株が並んでいる。
一見すると冬を前にした侘しい景色。
が、よくよく見ると青い芽がそこいらから伸びていた。
ひこばえだ。
人により刈られても何のその、と言わんばかりに。
そしてそれは、人も同じ。
いや、人の方が手足頭を有する分、勝っているのか。
戦火に塗れた織田の領国はあれよと言う間に、嘗ての賑わいを取り戻しつつあった。
現に、那古野大湊には今日も幾つもの巨船が沖に浮かんでいる。
我が織田家の有する南蛮船だ。
それに取り付く数多の小舟。
滑車を手繰りながら、忙しなく荷を上げ下げしている。
俺のいる織田家用の桟橋を除き、他の多くは小舟から荷揚げする多くの人でごった返していた。
「蔵人」
「はっ!」
「あの様子を見るに、武蔵国は上手くいっている様だな」
佐治水軍に運用を任せている南蛮船、そのほとんどが今は武蔵国との間を行き交いしている。
それが大量の荷を扱うという事は、そういう意味であった。
「如何にも。鎧島に砦を設けし当初は落とそうと、遮二無二寄せて参ったそうですが」
「鎧島の一夜城か。さぞかし肝を冷やしであろうな」
しかも、幾ら激しく寄せても落とせぬ所に幕府軍敗走の報せを受けたのだ。
随分と右往左往したそうな。
そこに、幕府方水軍を蹴散らした佐治水軍の南蛮船艦隊が迫った。
臼砲による戦列艦とは言え、火力の差は歴然。
鎧島を攻囲していた舟は悉く沈められたらしい。
無論、逃げ延びた舟もあった。
だがしかし、「魔王からは逃れられない」とばかりに南蛮船がその後を追う。
命からがら逃れた先の港がその後破壊されたのは、当然と言えば当然であった。
「そのお陰か、武蔵国は勿論の事、下総国、上総国、安房国も掌を翻した次第」
「北条勢に加わった諸将が悉く敗死し、更には舟も港も失った。織田に刃を向けた報いとは言え、酷い有様らしいな」
「挙って信行様の庇護下に入らねば立ち行かなくなった家が多い、丹羽長秀殿がそう書状に認めてございました」
「正に……戦は七飢を上回る」
俺の心を鈍い痛みが襲った。
〝信長の弟〟として、先代の遺命を継いだ結果とはいえ。
それを望んだのが、他でもない俺自身なのだから。
「信行様の所為ではございませぬ。御心を痛める必要は……」
そう言えるのは、津々木蔵人が正史で戦乱の幕がどの様に閉じられたのかを知らないからだ。
武蔵野を支配していた強大な勢力、その頭を更なる力で直接潰す事により瞬く間に一帯を支配した豊臣秀吉の功績をな。
「……宇都宮に加え、佐竹までもが不穏な動きを見せている」
「左様で……」
春まで待つ、そんな悠長な事を言っていると東で大戦が起きるだろう。
それどころか——
「暖かくなれば、上杉輝虎が再び乱取りしに参る」
故に一刻も早く、織田木瓜の旗をあの地に立てねばならない。
「では……」
「ああ、北条と武田が降り次第、この信行が武蔵入り致す」
「されど、それでは遅うございませぬか?」
「蔵人の申す通り、些か遅い。故に、今一度信広兄者に骨を折って貰う事にした。三河侍を見事に治めた手腕、東侍相手にも効果覿面だろうからな」
「おお、信広様なれば丹羽長秀殿も安心されましょう」
二人は義理の親子なのだから。
気性も荒くはない。
共に力を合わせ、戦に飽いた武蔵野を鎮めてくれるだろう。
一人納得のいく答えを見た俺は、唐突に話題を変える。
「時に蔵人」
「はっ!」
「荷揚げ人夫の中にいる、一際目立つ者が分かるか?」
「小舟の舳先から船尾へと飛び移る者の事でございますな」
そう、一人の若者が小舟の合間を幾度も飛び回っているのだ。
正に八艘飛び。
源義経もかくや、である。
「ああ、あれは天性の才ぞ。折角だ、呼んで参れ」
「ははっ!」
若者が小舟に揺られ、近づく。
その者は遠目に、十四、五に見えた。
歳にしては背が高い。
目鼻立ちがスッとしていた。
日焼けの所為か肌は浅黒いが、中々の美少年であった。
隣に立つ津々木蔵人が、
「き、喜……郎様……」
と零した。
「ん? 蔵人の顔見知りか?」
だが、津々木蔵人は答えない。
彼は目を見開き、若者を凝視したまま時を止められたかの様に固まり続けている。
やがて、若者が桟橋に立つやいなや跪き、
「参上仕り候、安食郷の太郎にございまする」
名乗りを上げた。
はっきりとした、それでいて、気品に満ちた声で。
俺の背後に控える小姓らが騒つく。
だが、俺が真に驚いたのは、
(安食郷!? 現代で爺様の住む旧地名じゃねーか!)
であった。
しかし、俺以上に驚く者がいた。
それは、
「蔵人、如何した?」
である。
「あ、あ、安食……安食郷……これは拙い……すこぶる拙い……お家が……大事の前だと言うに……。いや、思い過ごしやも……」
顔面蒼白となり、心ここに在らず、なのだ。
(お家の大事? ははぁん、さては津々木蔵人の隠し子か。確かに、蔵人に似てなくもない。顔の形も随分と整っているからな)
俺は思わず、ニヤリと笑った。
「安食郷の太郎とやら」
「はっ!」
「歳は?」
「十四にございまする」
(ほう、この信行相手に物怖じしないとはな。中々やるな。そろどころか、視線が何処となく挑発的……)
「太郎、読み書き出来るか?」
「祖父により厳しく仕込まれてございまする」
「祖父に……か」
「父母は既におりませぬ」
「……で、あるか」
俺は思わず言葉に詰まる。
この若者もまた、俺を起因とした戦禍の被害者だと思われたからだ。
だから、と言う訳ではないが、
「他に何が出来る?」
「弓を少々。鯨を銛で撃つのも得意としております」
「なれば……この信行の小姓にならぬか?」
俺はこの若者を引き立ててやりたい、いつの間にかそう考えていた。
「よ、宜しいのですか!?」
「構わぬ。太郎の祖父殿には手の者を遣わそう」
「あ、有り難き幸せ!」
「では、このまま城まで着いて参れ。そろそろ那古野城で客人と会う時間故にな。蔵人、何時まで惚けておる。いい加減戻るぞ」
「……は、はは!」
山田郡安食郷が、織田信長から俺こと織田信行が押領し、兄弟相争う契機となった篠木三郷のすぐ近くであると知ったのはそれから暫く経っての事であった。




