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#101 関ヶ原の戦い(5)

 あの(・・)関ヶ原を駆ける。

 ああ、なんと心地が良い事か!

 勢いのままに風を切り、雨を弾き、泥を跳ねる。

 周囲に轟く悲鳴と歓声。

 全身余す事なく感じる、生への渇望。

 人の持ち得る望みが、夢が、欲望が……いや、それらを含めたあらゆる想いがこの地に凝縮し、顕されているのだ。


「……止めぬのか?」

「この津々木蔵人では信行様をお止めできませぬ故。それに、ただただ勢いのままに、それが信行様の〝戦の仕舞い方〟にございましょう」


 先程交わした会話が頭を過るも、それは瞬く間に置き去りとなった。

 俺の右手側から柴田勝家の駆る馬が大外をまくり、鋭く差す構えを見せたからだ。

 まるで、レース最後の直線で全馬を末脚でごぼう抜きするかの様に。

 幕府方左翼を突き破った馬群が街道から逸れる。

 馬首をめぐらした先は幕府方本陣後方。

 目端の利く雑兵が「もはやこれまで」と逃げ出す姿が、馬券を放り投げる姿にも映った。


「勝家らがここに参るぞ! お主らは一番美味いところをくれてやる積りか! さぁ、掛かれ! 足利義輝を討つは我らぞと心意気を見せよ!!!」

「おう!!!」


 雷鳴の如き大音声が起きた。

 一寸前までは防戦一方であった筈の軍勢、疲弊を極めていたそれが息を吹き返したのはそれこそ直前であったと言うのにだ。

 余程手柄の横取りされるのが嫌なのだろう。

 しかしそれは、俺も同じ。


「六人衆!!!」

「はっ!」

「我が名と足利義輝のを交互に叫ばせよ!」

「ははっ!」


 故に、ゴールを此方に呼び寄せる。


(決して、卑怯と言う事なかれ!)


 勢いの増した我が軍勢、逃げ腰となった幕府方の先備えを踏み潰す。

 近習の弓矢が兜首を射抜き、槍が雑兵を蹴散らしていった。

 やがて、小さな川が目の前に。

 関ヶ原を流れる梨木川だ。

 川面が赤く染まっている。

 俺を名を叫ぶ怒声が、対岸から起こった。


「足利義輝か!!」

「公方様と呼ばぬかぁああああ!!!」


 征夷大将軍直々のお出ましである。

 距離にして僅か数十メートル。

 間にいる雑兵を駆る馬で跳ね、勢いのままに来ていた。

 俺は愛用する弭槍(はずやり)を付けた大弓に矢を番え、


「南無八幡大菩薩、日光の権現、那須の湯泉大明神! 先ずは一射!! 御照覧あれ!!!」


 一矢見舞う。

 渾身の一射を。

 それを足利義輝はあろう事か、携えた槍をスッと伸ばして逸らしてみせた。

 そしてそのまま、


「余の前から去ね!!!」


 俺に対して一突きを見舞う。

 刃長の長い槍、優美な浮彫が俺の胸元に勢いよく迫った。


「(死んで)たまるか!!」


 馬から咄嗟に落ちる事で難を逃れた俺。

 「ただでは落ちぬ!」とすれ違い様、交錯する馬の脚を強かに突いた。

 落ちた先で水が跳ね、体を濡らす。


「ふーっ、ふーっ、ふーっ……」

「はっ、はっ、はっ……」


 二つの荒い呼気。

 互いに馬から離れ、距離を僅かに取る。

 喧騒が嘘の様に消えた。

 視界には足利義輝だけが映る。

 その刹那、周囲が慌ただしくなった。

 それも、異国の言葉で。

 目の良い黒人達が何かを察知したらしい。

 林弥七郎らを呼ぶ声が俺の耳にも届いた。

 が、それは些か遅かった様だ。

 遠くから乾いた音が響くと同時に、俺の冠る兜に鈍い衝撃が襲う。


「の、信行様ぁああああ!?」


 思わず仰け反る俺の頭。

 兜に付けていた飾り角が近くに落ちた。

 更に二発の銃声が、立て続けに響く。

 だがそれは、俺の体に新たな衝撃を生むことはなかった。

 その代わりに、


「¡Arghhh!」


 黒壇太郎がのたうち回る。

 俺への射線を身を呈して塞いだらしい。

 鋼の大弓が音を立て、川の水面を激しく打った。

 林弥七郎が、


「おのれ卑怯者!」


 素早く番え、射返した。

 惚れ惚れする程見事な動き。

 だが、その隙を突いて動く者がいた。

 それは誰あろう、足利義輝。

 源氏の長、である。


「この逆賊が!! 何故足利に首を垂れぬ!」


 積もりに積もった恨み節と共に剛槍が唸った。

 それをすんでの所で俺は弾き返した。

 そのついでとばかりに、言葉を返す。


「逆賊とは笑止千万!! 降りかかりし火の粉を払ったまで! 支配者たるお主が民の安寧を望まず! いたずらに和を乱すからこうなる!!!」


 足利義輝は顔を赤く染め上げた。

 そして、怒りのままに声を発する。


「人が生きる限り戦などなくならぬ!!!」

「それはお主が物を知らぬだけよ」

「同じ年に生を受け、同じ時を生きた筈が何を申すか!!!」

「ふっ」


 俺は嗤い返した。

 その上で、


「同じなどではない!!!」


 真実を告げる。

 それは誰もが信じるはずのない言葉、


「ざ、戯言を……」


 であった。

 百人が聞けば百人が一笑にふす。

 にもかかわらず、


「手の者が調べた限り、貴様と余は……いや、お主よもや!!!」


 足利義輝は目を大きく見開いた。

 恐怖か、それとも驚愕か。

 相対する男の心中に手を止める程の何かが確かに生み出されたらしい。

 俺は弛緩する空気を敏感に感じ、


「ふっ、戦の最中に戯言を交わすほど死ぬのが恐ろしいか! ならば降れ!」


 ここぞとばかりに降伏を促す。

 しかしそれは、


「死が!!! 死が恐ろしいだと!!! ……ふはははは!!!!!」


 俺の思い違いであった。

 途端に激しい斬撃が繰り出される。


「死など! 眠りおちるのと変わらぬ! ただただ、無、に帰っするのみよ! なに一つ、怖くはないわ!!」

「!?」


 俺と足利義輝の体がぶつかり合った。

 長槍が迫り、大弓がこれでもかとしなる。

 槍の穂先が細かく顫動しつつ眼前に迫り、その刃に彫られた龍がまるで生きているかの様に映った。

 その直後、鈍い音がしたかと思うと大弓が手の中で跳ねた。

 まるで堪えに堪えた欲求を解放するかの様に。

 予測不可能な動きを見せて。


「ぬ!? あっ!」


 跳ねた弓に巻き込まれ、足利義輝の槍が何処かへ飛んだ。

 互いは咄嗟に距離を取った。

 何事が起きたかを見極める為に。

 余りに突然すぎるそれは、弦が切れた所為だと直ぐに知れた。


「ふ、ふふふ、ふははははーっ!」

「は、はは、はははっ!」


 笑いながら足利義輝は腰に佩た太刀に手を伸ばす。

 その拵えを見るに、明らかな名刀。

 俺もまた、天子様から下賜された太刀に手を伸ばした。

 浅い川の中、摺り足で音もなく近付き合う。

 アドリナリンが過剰に分泌されている所為か、呼吸が極度に浅い。

 俺の目は足利義輝だけを捉え、足利義輝の瞳にも俺しか映ってはいない様だ。

 口に伝い入る雫は酷く辛かった。


 するとそこに、新手が現れた。


「兄上! この義秋が助太刀いたす!」


 史実の足利義昭らしい。

 じゃぶじゃぶと音を立てながら駆け寄り、足利義輝の傍で槍を構えた。

 そんな弟に対し足利義輝は顔を向けもせずに、


「去ね!!!」


 顔を殴打した。

 浅い水面に向かい、後頭部から昏倒する足利義秋。

 出落ちとは正にこの事であった。

 水音が大きく響く。

 俺はその音と共に、太刀を抜き放った。

 対する足利義輝は腰に手を添えたまま、である。

 俺の方が明らかに有利な体勢。

 なのに、足利義輝は冷たい笑みを浮かべた。


「ふっ、流石のお主にも出来ぬ物があったか」


 そして、居合抜きの如き構えを見せる。

 「寄らば切る!」と言わんばかりに。


(ちっ! 太刀が得意ではないと見切られたか!)


 俺達は再び睨み合いに入った、互いの位置を僅かずつずらしながらの。

 刹那、俺の視界の端に大きな和弓の姿が。

 しかもそれは、鋼色をしていた。


(鋼の大弓! あれなら!)


 と思ったのも束の間、足利義輝が一息に踏み込んで来た。

 慌てた俺は手にした太刀を投げつけ、弓の方へと転がる。

 そして、酷く重い筈のソレを軽々と拾い上げ、更に迫る白刃を払いのけようとした。

 十文字に重なる太刀と大弓。

 重くも甲高い金属音が響き渡り、小さな火花が生まれた。


(か、火事場のなんとやらで命拾いした……。…………さて、こっちの方がリーチは長いが……)


 その考えは、容易く見透かされる。


「かように珍妙な大弓を手にしたからとはいえ、よもや有利になったと思うてか!!!」


 俺はゴクリと喉を鳴らした。


「思えばあの時、余はお主を殺し損ねた。が、それはお主が一人ではなかったが故」


 事実である。

 あの時は前田利益が傍にいたからこそ、一の太刀を防げたのだ。


「翻って、今は一人」


 それもまた事実。

 まるで川が規制されているかの様に、周囲から動く人の姿が消えていたのだ。

 いや、隙を見て互いの大将の助太刀に入ろうとするも、相手方の兵に阻まれている。

 それに、川から離れた場所より未だ喧騒が届く。

 互いの軍勢が継戦しているのだ。


「つまり……この太刀が一振りあれば! 兵法に疎いお主を屠るは造作もない!」


 足利義輝は突如破顔したかと思うと、


「余の勝ち戦ぞ!!!」


 俺にこれ以上考える暇も与える事なく、一気に攻め立てた。

 白刃が舞う。

 金属音が鳴り響き、その度に暗い水面を僅かに照らした。

 そしてこれが最後、とばかりに足利義輝が深く斬り込む。

 上段の構えからの、今日一番勢いのある斬撃。

 俺は歯を食いしばり、鋼の大弓で必死に打ち返す。

 再び交錯する太刀と大弓。

 正にその瞬間、大地をひっくり返すかと思う程の雷鳴と共に、目を潰す程の稲光が辺りを照らした。

 やがて、音と光が収まる。

 俺と足利義輝は互いに背を向け川の中に佇んでいた。


「……織田勘十郎信行、何故……天下を、欲する?」


 足利義輝がこの日初めて、俺の名を正しく呼んだ。

 背中越しに。

 俺は再び使い物にならなくなった大弓を投げ捨て、素直に答える。

 弭槍の先から赤い油が水面に浮かんだ。


「かつて、武をもって天下を治めん、そう願った者がいた。その者は夢が叶う間際に倒れた。俺はその者の夢を継ごう、そう決めた」

「そこに、お主の……意思、はあるまい」

「俺の意思? いや、俺の願いは継いだ夢の、天下の先にある。それは戦なき世! 天下治平! それが俺の願い!」


 すると、足利義輝は振り返った。

 口から零れ落ちる鮮血。

 脇腹からも大量の血が溢れ出ていた。


「お、織田勘十郎信行……。お、お主さえ、こ、此度の世におらねば……」

「そう思うたなら、次は俺のおらぬ時に生まれよ」


 足利義輝は、はっ、となり俺を見返す。

 今にも光が失われそうな瞳に、僅かに生気が宿った。


(やはりか……)


 俺はそんな彼に——


「俺からも問おう、足利義輝、此度は生き足掻いたか?」

「……ああ、謀反人に討たれたとはいえ、将軍らしく天下分け目の……戦の末に死ねる。十分だと言えよう」

「なら、悔いはないか?」

「ああ……」


 肌の色が瞬く間に失われていった。


(逝くのか……)


 ところがである。

 僅かに戻したのだ。


「……いや、一つ。わ…………我が室と……子……らを…………」


 俺はニヤリと笑った。


「なら、織田に降れ! 責任持って養育する故にな! 足利の名も後々の世まで必ずや残す事を約そうぞ!」

「…………それが……、それが、お前の言う……天下治平……か……。なんと……懐の……でかい…………。羨んだ末に……戦を仕掛けた……、そんな……余が……負ける……道理……よ……」


 征夷大将軍足利義輝が崩れ落ちた。

 だが、まだ逝ってはいない。

 何か伝えようとしているのだ。

 俺は無警戒に近寄り、耳を彼の口元に寄せた。


「……っ、……は……つゆか涙か……不如帰(ほとどきす)……わが名を……あげ……よ……雲の上……ま……で……」


 それが、室町幕府第十三代征夷大将軍足利義輝最後の言葉であった。

 視界の端で、足利義秋がむくりと起きた。

--更新履歴

2017/10/31 誤字修正


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