#100 関ヶ原の戦い(4)
じとじとした雨の下、足元の確かな北国街道を踏みしめ現れた百姓の集団。
彼らは雪崩を打ったかの様に朝倉の軍勢に襲い掛かった。
口々に念仏を唱えながら、手にする得物を振り回しつつ。
突如戦場に現れた如何にも場違いなその軍勢に、いずれの陣も思わず手を止め足を止めてしまった。
その間隙を縫い、百姓集団の後方から数騎の騎馬が織田信行のいる陣地へと駆け込む。
時にして数分の出来事であった。
◇
「信行様! ご無事で何より!」
馬を降り、喜色満面となり俺に語りかけたのは、誰あろう本多正信であった。
俺は彼と、彼と同じ一向宗門徒であった三河侍の一部を僧兵らと共に越前と加賀の国境に送り出し、空誓の名で現地一向宗の懐柔を命じていた。
いずれ立ち塞がるであろう朝倉を牽制する為に。
更には、朝倉の軍勢が南下したならばその後背を襲う様、指示を出しておいたのだ。
だが、流石に時節は当てられない。
故に、季節外れの鳥の鳴き声となったのは仕方がなかった。
「よう間に合った、正信! 那古野存亡の危機を救ったのは間違いなく御主ぞ!」
俺は如何にも大袈裟な身振りで本多正信を労い、これ以上ない笑顔を向けた。
「空誓様のお声が確かに聞こえた、と百姓共が張り切ってくれましてな!」
俺は策がなったと満足げに頷き返す。
(南からの風様様だ!)
だが、直ぐ様渋面を浮かべた。
「なれど、これでようやく五分! 未だ細川藤孝の軍勢に勢いがある故にな!」
朝倉の動揺が武田と浅井の軍勢に波及したのだろう、幕府方左翼の動きが著しく鈍い。
そしてそれは、七段備えの三、四段目まで崩された中央も同じであった。
反対に佐久間信盛が相対する右翼は勢いの衰えを見せない。
それもその筈、指揮をとる細川藤孝の位置から戦場を見渡せば、自軍の優勢が明らかであったからだ。
そもそも兵の数が違いすぎたのだから。
一向宗の兵数が一万から二万、それでは焼け石に水、であった。
「なれば、如何するおつもりで!?」
「いま一つ、手はある! なれどまだ使えぬ! 戦の秤が今少し此方に傾けば、な!」
とそこに、新たな鬨の声が。
それは伊勢街道を吹き抜ける風に乗り、戦場を駆け巡った。
細川藤孝の軍勢が背後から轟く音に驚きを見せる。
「あれは前田利益殿に間違いございませぬ!」
事実、本多正信が叫んだ通りの旗印が棚引いていた。
その下には千数百にも及ぶ巨大な金匙を携えた巨漢。
それらが細川藤孝の軍勢に接触したかと思うと、一斉にシャベルが振り下ろされた。
と同時に、季節外れの鳥が「間に合った!」と鳴きわめき始める。
(ややおせーよ!!)
だが、ここに時は満ちた。
秤が此方に傾いたのだ。
それも、ほんの僅かに、であったが。
「ようやくこの時が来た!! 橋本一巴!!!」
俺は近習の一人を呼び付けた。
そして、一方を指し示す。
そこにあるは三盛亀甲剣花菱。
浅井久政の軍勢である。
(今は昔! 関ヶ原のこう着状態を打開する妙策といえば、コレよ!)
そう、俺は浅井に対し寝返りを促す威嚇射撃を命じたのだ。
正史の関ヶ原の戦いにおける小早川秀秋よろしく、裏切らせる為に。
この時を見越して使者を送り、本領安堵を約して。
橋本一巴は「はっ!」と答えたかと思うや否や、雨除けされた那古野筒を抱え駆け出した。
やがて、一発の銃砲が降りしきる雨音を裂いた。
馬印の一つが撃ち抜かれる。
「さぁ、寝返ってみせよ秀秋!!」
気が逸った所為か、思わず名を間違える俺。
それが悪かったのだろうか?
浅井久政の軍勢は此方の意図に沿って動く素振りを見せなかった。
「クソが!」
すると、傍にいた本多正信が、
「この雨音で気付かぬのではありませぬか!?」
掻き消されぬ様声を荒げ、尤もな事を俺に告げた。
ならばと、林弥七郎に鏑矢を射らせるも浅井の軍勢はピクリとも動こうとしない。
「おーのーれーあーざーいー!」
焦れた俺は自ら浅井に向かい、矢を射掛け様と足を運ぶ。
が、それを引き止めたのが、
「ん!? 黒壇太郎が何用だ!」
鋼の大弓を携えし鷹の目衆筆頭。
彼は身振りと拙い口調で鏑矢を「いいから寄越せ」とばかりに主張するのだ。
三本の鏑矢を得た彼は嬉しそうに矢を番えた。
そして、引き絞った。
鋼の大弓がまるで、トルコ弓であるかの様に。
だが、次の瞬間にはそれは放たれていた。
と同時に、耳をした事もない程の大音を立てて矢が突き進む。
あまりの速さで飛ぶ所為か、降りしきる雨の中に一本の水平線が生まれた。
(す、スゲーッ!!)
俺は思わず見とれる。
それ程の矢が向かった先は浅井勢の本陣、見るからに身形の良い、馬上の武士であった。
「……あっ!」
一矢目がその者の胸元に吸い込まれたかと思うと、二矢、三矢が立て続けに他の急所を穿った。
見事としか言い様のない結果。
ただし、その武将が、
(おいおい、浅井久政じゃないだろーな!?)
で無ければである。
その成否は直ぐに現れた。
浅井の軍勢が突如、朝倉に対して襲い掛かったのだ。
朝倉勢は総崩れとなり、武田勢のいる方へと算を乱す。
我先に足元の確かな街道に至ろうと。
泥濘んでいないそこならば、追い縋る敵から逃れられると信じて。
だがそこは、今にも駆け出そうとしていた武田騎馬隊の密集地であった。
武田の人馬が悲鳴を上げて逃げ惑う軍勢に驚き、混迷を露わにする。
するとそこに、同じく街道沿いを文字通り駆けて現れた一隊が。
但し、武田騎馬隊を挟み込む形で。
疾風の如きその一軍は恐怖を顕にする朝倉方の雑兵を無視し、慌てふためく騎馬の群れに打ち掛かったのだ。
巨大な太刀がキラリと光る。
その度に、馬が一刀両断されていった。
「信行様、長巻野太刀は古来、斬馬刀、と言われていたとか……」
「……正に、将を射んと欲すれば先ず馬を射よ、だな」
武田騎馬隊の脅威が減じた。
それはつまり、佐久間盛重が率いし軍勢に僅かながらも余裕が齎されるという事である。
そんな好機を戦巧者たる彼が逃す筈もなく。
佐久間盛重は忽ち、形成を逆転させた。
そしてそれを後押しする形で、
「おお、あれは森可成殿ではございませぬか!」
「掛かれ柴田も後に続いているな!!」
遅れていた増援が到着した。
そう、彼らこそが季節外れに鳴いた最後の鳥である。
騎馬を中心に構成されたその二隊は、まるで魚群を喰い千切る鮫の如き働きを見せ、遅れた分を取り戻すかの様に暴れ始めた。
秤が大きく傾いだ。
幕府方の左翼はその羽を悉く引き抜かれ、今にも鳥肌が晒されそうである。
右翼もまた時間の問題であった。
故に俺は本多正信に対し、この天下分け目の、関ヶ原の戦いにおける最後の命を下す事にした。
「正信!」
「はっ!」
「ここは任す!」
「ははっ!」
まさかの事態に幕府方は大きく浮き足立っていた。
そんな好機を俺が逃す訳もなく。
「突撃!!!!」
大音声を発した。
◇
土砂降りの中、
「あ、兄上……」
足利義秋の声が震える。
声を掛けられた足利義輝はそれを無視し、
「馬鹿な……いや、一体何が起こった? 大音が発したと思えば先備えが半壊し……」
独り言ちた。
「兄上?」
「……………………ここまでか? 天は、此度はここまでと申すか?」
そんな彼の耳に、後から続く軍勢の音が響いた。
前を向く目には半壊するも、幾らか無事な先備えが映る。
足利義輝は小さく笑った。
「いや、まだまだよ! 此度はまだ! 余自ら率いる軍勢が残っているではないか!!!」
彼はそう叫んだかと思うと、再び馬を鞭打つ。
その後を慌てて追う足利義秋。
二人の背を血走る目で追いながら、一人の武士がやや道を逸れる形で続く。
その両の手に旋条火縄銃を携えて。
「火を決して絶やすでないぞ!!!」
箱を抱え付き従う従者に厳命するその声には、虎をも這い蹲らせるかと思う程の力が籠っていた。
祝!100話!
皆様のおかげでここまで書き続ける事が出来ました!
本当にありがとうございます!
あと、何と!
本作の第2巻が10月31日に発売されます!
是非ともお手にとって頂ければ嬉しく思います!
ちなみに書影は以下の通りです。
Amazon様紹介ページ
https://www.amazon.co.jp/dp/4896376641/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_vUf5zbYWS7XXP
第1巻に引き続き、本当に素晴らしい表紙です!
(流石にあらすじを変えようかな?)
是非ともご覧ください!
--更新履歴
2017/10/16 浅井久秀を浅井久政に修正




