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#010 末森城における評定

 弘治三年(西暦一五五七年)、一一月三日 卯の刻(午前六時)


 俺は重い瞼をこじ開けながら、東の空を眺めた。

 そこでは、朝焼けが始まっていた。

 思わず、息を呑むほどの美しい景色。

 辺りには清浄な空気が溢れている。


 俺の心とは裏腹に……


 俺はへとへとを通り越して、完全にグロッキー寸前であった。

 何故か?

 それは、


「信行様? 顔を洗われたのですか? まだなら早うお済ましあれ。今一度、人相と名前、経歴を覚えられたか、確かめます故に」


 荒尾御前と高嶋の局の協力の下、織田信行が知っていなければならない事や知るべき事を、完徹しつつ教わっていたからだ。

 あと一刻もすれば、評定が始まるからな。


 俺は力を振り絞り、井戸の水を汲む。

 寝屋の周辺からは人払いをしている。

 故に、誰も手助けしてはくれない。

 桶がやたらと重い……


 やがて、たぐり寄せた桶の中を覗いた。

 そこには疲れ果てた、織田信行の顔が水面に写っていた。

 目の下には大きな隈が現れている。

 スズメの(さえず)りが疎ましく思えた。


(これもまた、朝チュン……か)


 桶の中の水はとても冷たかった。





 辰の刻(午前八時)


 そろそろ、俺が織田信行となって二十三時間だ。

 正直、辛い。

 それは、いきなり実の兄に暗殺されかけたからだし、逃れられたと思ったら小規模ながらも戦が起きたからだ。

 加えて、信行の室、荒尾御前にも殺されかけた。

 それもこれも、僅か二十四時間以内の出来事だ。

 しかも、未だ一睡もしていない。

 これを辛いと言わずして、何と言えようか……


 そんな中、いよいよ評定が始まる。

 昨日の戦を踏まえた上での評定が。

 上手く進行出来るだろうか? 上手く話を纏められるだろうか?

 それにも増して、上手く織田信行を演じきれるだろうか?

 俺が織田信行でないとバレる、それ即ち”死”を意味していた。

 万難を排して臨むには、時間が足りなさすぎた……





(ね、眠い……)


 俺は若干フラつきながら、評定の間へと入る。

 後ろに、小姓らを従えながら。


 評定の間には、既に十名もの信行の家臣が揃っていた。

 俺は早速、面を上げさせ、一人一人の顔を検めた。


(長身痩躯、切れ長の目、鼻梁秀でたるは……長谷川与次(はせがわよじ)。彼に良く似た弟が信長の小姓をしているらしい……。その隣にいるのが、ぎょろ目で且つ顎の四角い……荒尾善久(あらおよしひさ)だ。その名が示す通り、荒尾御前の親戚筋だ。そして、似た顔が三つ並ぶ。林光時、林光之、林勝吉。いずれも林秀貞が子、俗に言う林三兄弟だ。線の細さが父親に良く似ている。この五名は昨日の戦には出ていない筈だ)


 荒尾御前と高嶋の局が拵えた人相書きが良く出来ていた所為か、全員の顔と名前が一致した。

 俺は胸を撫で下ろしつつ、家臣の並ぶ最前列へと顔を向けた。


「(信長の筆頭家老でありながら弟の林通具(はやしみちとも)と共に信行方に付いた。正史では信行死後は信長の下で実直に仕えるも、晩年には追放される。可哀想な)林秀貞」

「はっ!」

「(この人は林秀貞とは逆、信行の家老であったにも関わらず、信長方に付いた人だ。だがしかし? 信長の覚えが悪かったのか、桶狭間の戦のおり、何処かの砦の防衛を担っていたが今川方に包囲され、そのまま見殺しにされている。信長は彼の敵討ちと称して、桶狭間に向かったらしい。ある意味、贄の)佐久間盛重」

「はっ!」

「(佐久間盛重に同調したのか、初めから信長を支持していた。数少ない家老の一人。にも関わらず、晩年に子供共々追放された。一説によれば明智光秀に讒言(ざんげん)されたからとも言われている。正直、お前がこちら側に付くとは思わなかったよ)佐久間信盛」

「はっ!」

「(通称”かかれ柴田”、”瓶割り柴田”、”鬼柴田”。正史では俺こと織田信行を裏切り、信長に仕えた猛将。正妻が信長の妹である、お市。もっとも、二人が夫婦になったのは信長の死後、柴田勝家が六十代頃の筈だ。)因みにお市は兄信長に似て美形らしい。柴田勝家」

「はっ、はぁ?」

「(そして、誰もが知る、織田信行が第一の臣。最も側近くまで侍る事を許されていた男で且つ、)俺の男、津々木蔵人」

「はっ!!」


 なっ、ひ、人一倍声がデカイなぁ……

 しかも目を輝かせてるし。

 でも、何だか目が覚めたぞ!

 って、あれ? あいつがいない……

 そう言えば、荒尾御前、高嶋の局に聞いても、人相を教えても情報がさっぱり出て来なかったなぁ。

 ……まぁ良いか。


「先の戦、大儀であった」

「ははっ!」


 家老らの声が揃った。


「寡兵同士の戦とはいえ、兄信長を那古野より追い払えたのは祝着至極! お主らの忠勤に感謝致す!」

「有り難き幸せ!」

「しかし! 兄信長は清洲にて健在! 故に、勝ったなどと決して驕ることなかれ!」

「承知!」

「また、昨日の争いが起こり、検めるに及ばず! 全てはこの信行の不徳が故じゃ! 良いか! これまでの事は頭を何処ぞに打ち、忘れたと思え! 一切合切忘れてしまえ! これからは新たに生まれ変わったと思え! この信行に、今日この日仕え始めたと心得よ!」

「ははぁっ!」


 ふぅ、これで良し。

 こう言っておけば、過去の事を引き合いに出して来る事もあまりないだろう。

 もっとも、零にはならないだろうがな。

 さて、どうなる事やら。


 次に、


「今後についてだが……何か存念があれば申せ」


 長期目標と短期目標を決めねばならない。

 俺個人の長期目標は、言わずと知れた”俺が生き延びる事”。

 では、信行方としては如何か?

 勿論、俺自身に腹案はある。

 が、先ずは家臣の言葉に耳を傾けたい。

 俺の考えつかなかった妙案が有るかも知れないからな。


「なれば某から」


 林光時だ。

 父親に似て頑固そうな顔つきをしている。

 齢は今年で二十八。

 父である林秀貞同様、内政に長けた人物らしい。


「許す」

「はっ! 某からは那古野城の破却を止め、新たに水堀を掘り、砦化を進めとう御座いまする」

「ふむ。してどうする?」

「清洲に備えまする」


 確かに、平城とは言え、昨日の様に守れぬ事も無い。

 現状の空堀を水堀に変え、櫓を幾つか新たに建てれば、更に堅牢となるかもしれないな。


「他は?」

「では某が!」


 佐久間信盛。

 正史における通称は”退きの佐久間”。

 兵を損なわず、守りに長けた武将という評価であった。

 しかし信長は違う見方をしていた。

 信長の付けた与力にばかり働かせ、自身と自身の兵を守ってばかりいると思われていたらしい。


「許す」

「岩倉の織田信賢、犬山の織田信清、加えて尾張中の国人衆に書状を(したた)めなさいませ。さすれば信行様に靡かれましょうぞ」


 つまり、尾張国内における”信長包囲網の形成”だ。

 俺達だけが矢面に立たず、周りを巻き込み、被害を最小限に抑える。

 時には互いに連携して攻める。

 戦略として十二分に有効な策だ。


 そうだ!

 この際だから正史で起こった事を綴ろう!

 信長は守護である斯波家を尾張から追放する腹積もりだ、と書こう!

 荒子前田には前田利家に家督を継がせる積りだ、と書こう!

 その他の国人衆や豪族らにも、信長は近習に家督を継がせる積りだ、と書こう!

 何ならこうも書くか? ”父である織田信秀は兄信長により謀殺されかけ、命からがら末森城に落ち延び、二年後意識不明のまま身罷られた”と。

 故に、俺こと信行が喪主を務めたのだ、と。

 実際、この時期の信長は謀略を駆使してたらしいからな。

 世に信長の悪評を振りまき、世情を味方に付けてしまえ!

 俺は生き延びる為に何でもする!

 例えそれが、王道とは決して呼ばれず、覇道とは認められず、外道と呼ばれるような事であってもだ!


 俺は大きく頷いた。


「他には有るか?」


 津々木蔵人が伏し目がちに応えた。


「某に……」

「……許す」


 互いの目が合う。

 前夜、荒尾御前から衝撃の事実を知らされたからだろう、尻の穴がキュッと窄んだ。


「信長様に許しを請う手紙を書いては如何でしょうか?」

「なっ、何を今更!?」


 声を荒げたのは柴田勝家。

 顔を真っ赤に染め上げていた。


「柴田勝家、落ち着け。俺は津々木の続きが知りたい。面と向かって争う以外の方策だ。聞いておいて損は無かろう」

「も、申し訳ありませぬ、信行様」

「良い。さっ、続きを」


 津々木蔵人は俺の言葉から自信を得たのだろう、先程とは打って変わり、堂々と語った。


「尾張は現状、四分割されておりまする。加えて、今川とも争っている最中。信長様としては一刻も早く、尾張下四郡を纏め上げたいと考えている筈。であるならば、信長様に恭順の意を示されれば許されるのではないでしょうか? しかも、昨日の信行様の働き。信長様としては能ある一門衆は一人でも多く手元に置きたい筈。許される可能性は高いと存じ上げまする」


 俺は柏手を真似て打った。

 あの織田信長の下にいれば、成功は約束されたも同然。

 織田信孝や信雄の如く、労せずして大名になれるのだから。


「良きかな! 良きかな! 無用な争いを避けられよう! 先ずは試してみる価値がある!」


 俺は激賞する。

 満更でもない顔をする津々木蔵人。

 そんな一方で、顔を顰める者がいた。

 それはつい先日、信長方から寝返った者達だった。

 中でも


「某! 津々木殿の案には異を唱えもうす!」


 柴田勝家と、


「同じく!」


 佐久間信盛の二人は立ち上がり、明確に反対した。


「お主ら! 信行様がお考えを述べられた後だぞ!」


 林秀貞がそんな二人を諌める。

 しかし、俺は、


「良いのだ、林秀貞。私が存念なく申せと命じたのだからな」


 逆に取り成した。

 その言葉に、二人は落ち着きを取り戻したのだろう、居住まいを正した。

 俺はそんな二人に新たに言葉を掛ける。


「だが、訳は話して貰おう。難が有るなら、解けば良いのだからな」

「はっ! 某、信長様の側近くに長う使えておりました。故に信長様の気性の激しさは十分に理解しておりまする。決して、二度の謀反を許す様なお方では御座りませぬ」


 答えたのは佐久間信盛であった。

 なるほど、彼にとって信行方に付いたのは、苦渋も苦渋、大苦渋の決断であった。

 その最後の後押しとなったのが、叔父である佐久間盛重が信行方に走った事。

 いや、佐久間盛重が織田信長によって見捨てられた事だ。

 越後奥山への帰還、という大願成就を願う佐久間氏にとって、一族の棟梁を容易に見捨てる主を戴く訳にはいかなかったのだ。


「なれば此度の罪を今後一切問わぬ事。また、このまま私の下に付けられたままにしておく事。以上を約すれば問題は無いのだな?」

「いや……」

「そ、それは……」


 俺の言葉に、再び渋る顔をする二人。

 しかし、


「いい加減にせぬか、二人とも! 信行様が決められたのだ! 我らはその下知に従うのみ!」


 佐久間盛重の一喝が場を収めた。


「は、ははっ!」


 柴田勝家と佐久間信盛の二人は漸く、落ち着きを取り戻した。


(ふぅ……やばい、やばい。あの二人に再び離反されたら、目も当てられなかったな。それにしても佐久間盛重には助けられた。腹も座ってるみたいだし、頼らせて貰うか?)

「すまんな、佐久間盛重」

「いえ」

「では、先ずは一筆認めよう。周辺への書状はその返書が届いてからとする」

「ははっ!」


 俺の家老達から、心地よい答えが返ってきた。

 気分の乗った俺は自らの腹案を挙げる。


「先ほど林光時が申した那古野城の事だ。私はいっその事、那古野城を私の居城にしようと考えている」

「そ、それは!?」

「まぁ、まて、柴田勝家」

「はぁ……」

「那古野城の城下は兄上の手により軒並み焼き払われた。商人どころか住まう者一人、いや、人っ子一人おらぬ有様だ。なればこの機を活かし、新たな城下を形作る」

「して、如何程の?」

「うむ、如何程の銭が必要かは分からぬが……城下を海にまで広げ、浜には(みなと)(港)を設けたい」

(まんま、現代の名古屋城と名古屋市をイメージしているがな)

「そ、それは……」

「それだけでは無い。我らには鉄砲が無い。いや、有るには有るが、数が少ない。兄上に対抗するには少なくとも同数は必要だ。それに足軽の多くを、兄上同様銭侍に変えていかねば為らぬ! そうせねば、この乱世、生き延びられぬからな!」


 斜め上の言葉に、絶句する俺の家老達。

 中でも一番顔を顰めているのが、林秀貞であった。

 その理由は、


「金が御座りませぬ」


 であった。


(はぁ!?)


 衝撃の事実。

 あの織田信長の弟で、城主で有るならば、俺は潤沢な資金を持っているのかと思っていた。

 しかし、現実は残酷であった。

 が、俺を待ち受けていた現実は更に過酷であった。


「それどころか、米もございませぬ。当座の扶持米にも困るほどに。このままでは年を越せませぬ。いや、それどころか月を跨げませぬ」


 俺は耳を疑った。

 余りの事に、暫くの間、評定の間が沈黙に支配された。

 静かすぎて、俺の耳で耳鳴りが起きた程だ。

 全員が苦悶の表情を浮かべている。

 柴田勝家と佐久間信盛は顔色が蒼白となっていた。


「誤ったか……」


 誰かが呟いた。


 俺はハッと気をとり直し、林秀貞へ問うべき事を問うた。


「な、無い!? 金も米も無いのか!?」

「如何にも!」

「な、何故!?」

「信行様の策が為に御座りまする!」

「え!?」

「思った以上に松明の購入に費えた次第。那古野城では足らず、末森城の蔵からも用立てたでござる」

(あぁ、想定を大幅に超えた、二、三千人程が燃え盛る松明を持って那古野城に現れたんだったか?)


 その結果、年を越す金も米も、いや米は月を跨ぐ分すら無いらしい。


(おいおい、まだ十一月だぞ? どうすんだよ、これ? 身から出た錆とはいえ、こりゃぁ無いぜ……)


 俺は一人、目が回りそうになった。


 まさにその時である。


「いやー! 遅刻でござる! 大遅刻でござる! 某、面目の次第も御座らん!」


 評定の間の末席に一人の侍が滑り込んで来た。

 それは、


「ただの宗兵衛、ここに推参!」


 であった。

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