#001 プロローグ
ここから、そしてこの日から世界の歴史の新しい時代が始まる
かつかつと鳴る音。
それに合わせて、俺の体が上下に揺れていた。
口から吐く息は瞬く間に白く彩られ、気温の低さを察せられた。
次に俺が目にしたのは葦毛の鬣。
白い毛に覆われた馬の首が上に下にと縦に揺れ、軽快なリズムを取っていた。
(……あれぇ?)
いつの間にか、俺は馬に乗せられたらしい。
それも競馬場などで見られるサラブレッド、それらよりもやや小柄な馬に。
体の大きさに比べ大きな耳。
それがクルクルとせわしなく動いている。
どうやらこの馬は不安を感じているようだ。
……いや、そもそもだ。
これは現実ではない。
俺は夢を見ているのだ。
それも不思議な夢を、まるで現実のような夢を。
手綱を持つ手が、寒さの為だろう、悴むのを感じる程リアルな夢を。
加えて、木の葉や湿った土の香り、馬から漂う獣臭。
現実の生活では決して嗅ぐ事の無い、強い匂いがしていた。
俺はつい先ほどまでオフィスに一人残り、ある筈のない仕事をしていた。
あさましくも残業代を稼ぐ為に。
つまり、空残業をしていた訳なのだ。
先週末の負けを取り戻す為に。
広いオフィスに一人で居る所為か、うっかり居眠りでもしてしまったのだろう。
広いオフィスに一人、空残業中に居眠り。
光熱費に人件費、割増残業代……自分で言うのもなんだが、酷い話だ。
……それにしても、重ね重ね不思議な夢だ。
こんなにもリアルな夢を、俺は未だ嘗て見た事がなかった。
俺はふと、周囲にも目を向けてみた。
このリアルな夢の不思議な景色を、もう少し堪能したいと思えたからだ。
まず目にしたのは、俺の乗る馬が歩む道。
六メートルは有りそうな、幅の広い道だった。
しかも、行けども行けども幅を一定に保っていた。
両サイドには、松や柳の木々が等しい間隔なのだろう、整然と植えられている。
明らかに人の手が入った道だ。
道の横に眼を向けると、そこには乾いた田んぼが広がっていた。
稲刈りをしてから随分と経つのだろう、刈り取った場所から青い穂がツンツンと伸びている。
(……あれは?)
その時、俺は意外な物を目にした。
白く大きな鳥が一羽、田んぼの土を長いくちばしで突いていたのだ。
首と尾は黒く、頭頂部は赤い、一見すると忘れられないであろう特徴を持った鳥。
それは日本を象徴する鳥、
「つ、鶴!?」
であった。
故に俺は、
(いや、まさか、そんな俺の住む本州で見られる訳が! あっ、でもこれは夢か! なら……良いのか?)
一瞬戸惑った。
それを敏感に感じ取ったのだろう、俺を乗せている馬がその場で足を止める。
すると、馬が駆ける音と共に、男の声が俺の背に当たった。
「……様、如何なされましたか?」
それも、やさしくも気遣わしげな声が。
俺は声のした方に目を遣る。
そして、男の姿を目にした直後、俺は驚愕した。
(ちょっ、何で月代! それに肩衣、袴!? しかも、腰に刀を佩てるよ!)
侍姿であったからだ。
(まっ、まさか!)
俺は慌てて自身の体を検めた。
刹那、俺は知った。
俺も男と大差無い姿格好をしている事に。
(嘘だろ……毛が、髪の毛が無い…………。……ま、まて。まてまてまてー! ゆ、夢だとして、これが百歩譲って凄くリアルな夢だとして! 何この頭の触り心地? 何この地肌を通り抜ける風の冷たさ? 何この寒くて重い衣服? それに、俺、こんな服テレビでしか見た事無いぞ? 手に触れた事も無い服を、夢の中で精巧に再現できるってどういう事!?)
俺は混乱し始めていた。
「信行様?」
「信行様!?」
更に多くの、侍姿をした男らが近寄ってくる。
それが俺の混乱に拍車を掛けた。
(さ、侍の夢!? な、何で!? 何で寄りによって侍の夢? しかも俺、侍集団の先頭を進み、様付で名前を呼ばれてるよ!? つーか、誰が”のぶゆき”だよ!? 俺は山田太郎、三十二歳! 未婚で万年平社員の、会社一の穀潰しと陰口叩かれてる男だよ!? ちょっ、や、優男の侍が更に近くに!? ゆ、夢でも怖いよ! そ、それ以上近づかないでー!)
俺は自分の顔から血の気が失われていくのを感じた。
唇が乾ききり、歯の根が合わないのも感じた。
喉の口から苦い物がこみ上げてきた。
俺はそれを苦労して飲み込み、次に意を決して、一番近くにまで寄って来ているほっそりとした、加えて優しい眼差し向けてくる若侍に、
「のぶ……ゆき……だと?」
一番気になっていたことを尋ねてみた。
すると、気遣わしげな顔をしていた男がさっと顔色を変えた。
「し、失礼いたしました! 織田弾正忠達成様、ご気分が優れませぬようですが……」
(ん? ”たつなり”? さっきは”のぶゆき”って言ってなかった? って言うか、織田弾正忠って信長の父親じゃね? ん? 織田……信長。織田……のぶゆき? 信行? 織田信行! …………あれぇ?)
刹那、俺の脳裏にとあるゲームが蘇った。
それは織田信長を操り、天下統一を目指す、日本の戦国時代をテーマとした歴史シミュレーションゲーム。
尾張清洲城を拠点としてスタートする。
その最初の回避不可能イベントが「信長様! 信行様に謀反の企み有り!」家臣柴田勝家の言葉によって開始が告げられるのだ。
続いて、二つの選択支が提示される。
それは”謀略”と”討伐”。
謀略を選んだ場合、柴田勝家が織田信行に対して「信長様、重い病にて明日をも知れぬ命」と囁き、母である土田御前へも「後生だ。不憫な息子の最後の願い。信行を見舞に出して欲しい」と手紙を認め、清洲城に誘い出して暗殺する。
討伐を選んだ場合、血みどろの、それも数年に及ぶ内戦に突入し、結果、尾張織田家はほぼ確実に今川義元によって滅ぼされるのであった。
(その織田信行が俺? 統率三四、武勇三二、知略六七、政治五九が俺? 信長は統率一〇〇、武勇八九、知略九四、政治九七なのに? 嘘だろ!? 俺、二十二歳で実の兄に暗殺されちゃうの!? ゆ、夢なら早く醒めて!! ……そ、そうだ! 俺が織田信行だと言うならば……兄である織田信長に媚びへつらい、従順に付き従えば良いじゃないか! 信長は親族には優しかったらしいしな! そうと決まれば話は簡単。夢から覚めるまでは、織田信長の一族として、天下統一をほぼ成し遂げた覇王の弟として、戦国ライフを満喫するぜ!)
しかし、現実は非情だった。
いや、これは夢なのだから、この”夢”が非情なのか……
優男の一言が、俺を奈落の底に突き落とした。
「信行様、いえ織田弾正忠達成様、清洲に急ぎませぬと。信長様が身罷った後に着いてしまっては、外聞も悪くなりましょう……」
「はぁ? な、な、何? い、今何て言った? わ、悪い。も、も、も、もう一回言って! いや、事の経緯も含めて詳しく!」
「はっ! 信長様が家臣、河尻秀隆殿が居城である末森城に使わされ、信長様が気の病の後、卒中にて倒れられたとの事。信ゆ、いえ織田弾正……」
「信行で良いって!」
「はっ! 信行様は柴田勝家殿を清洲に遣わし、真偽の確認を命じられました!」
(こ、この流れはもしや……)
「そ、それで!?」
「はっ、確かに信長様は卒中にて倒れられたとの事。柴田勝家殿より、信長様は口にする言葉にも困るご様子であった、と聞いております!」
(あ、だ、駄目だ……)
「柴田勝家殿は清洲城に信長様を見舞いに行かれるようにと度々進言され、また、土田御前様も同じく。お二方様の言葉を入れ、信行様は清洲城に向かわれる事をお決めになられました。今は末森城と清洲城の間にある那古野城を経て、信長様の元に向かう途中に御座います」
(俺、殺されるんだ……。夢の中でも死ぬときは痛いのかな?)
そう考えた直後、俺の意識は途切れた。
ご一読、ありがとうございました。
本作は私にとって初めての歴史物です。
歴史の勉強をするつもりで書き始めてみました。
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ご贔屓のほど、よろしくお願いします。




