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頬杖をついた腕の終端には、黙ってさえいればとてつもなく愛らしい顔が乗っかっている。
窓外を眺め、憂鬱なため息をつく少女。別の方の手では目の上で切りそろえられた茶色がかった髪の毛を弄んでいる。
「おい、シャルリエ帝様、またため息をついてらっしゃるぞ」
彼女を観察していた男子生徒が、隣の席のクラスメイトに声をかける。
シャルリエを観察する。
そんなことをする彼は特別な存在ではない。このクラスの誰ということはないが、彼女を気にしている者は多い。なぜならそれは、彼女の方が特別だからだ。
物憂げに外の景色を眺める美少女は、確かに鑑賞するに値するのだが、この場合は事情が違う。
ここは、ケンジ達ドナーズが通う軍施設と同じ敷地内に建っている学校。大阪府立白方高等学園。
少し変わった学校で、軍関係者や軍研究施設の子供や親族、軍士官候補生が多く集められている。
いわゆる、士官学校のようなものだ。
生徒達の多くは、日本自衛軍の将校となるためにここで修学している。
と、表向きはそういう施設なのだが、そうしておいた方が軍関係者を管理するにも都合がよい、というのが本当のところなのだろう。
そんな中、士官候補生ではないシャルリエは浮いた存在なのだが、彼女が特別なのは、そのせいだけではない。
ずば抜けた身体能力とその美貌も注目に値するが、なによりも特異な点はその性格。傍若無人、傲岸不遜、校則違反、と言う言葉が実によく当てはまる。
既に第一線は退いたとはいえ、ドナーズ制作の第一人者である淀の水博士は世界的にも有名である。その娘である彼女に、教師すらも逆らうことはできない。
もう、野放し状態なのだった。
今も、授業中であるにも拘わらず、盛大に伸びをしているが、教官は素知らぬ顔で教科書のページをめくっている。
そんな彼女を周囲の者は羨望と畏怖を込めて、『シャルリエ帝』、と呼んでいた。もちろん、影で、である。
面と向かって言えるのならば、試しに言ってみて欲しい。その後どうなるか保証はできない。
いつ爆発するか分からないトラブル発生装置たる彼女を観察することは、危機管理の点からも、興味本位の点からも、はたまた眼の保養という観点からもこの教室で平穏に学業を行う者の必須事項なのだ。
昼休みのチャイムが鳴る。
士官学校には、シャルリエと同じように戦闘用アンドロイド研究施設の縁者もいる。彼等はやはり、一目置かれる存在になる。
研究所所属のドナーズの働きは、当然研究所の評価や評判、財政にも影響する。
今や軍事の実戦主力は人間ではなくドナーズにとって代わっているのだ。個体能力では人間は戦闘に特化した彼等に遠く及ばない。
学生達にも、どこの所属ドナーズが活躍するか、というのは大きな関心事だ。強力なドナーズを有している研究所の縁者は、鼻が高いのだ。
このように、
「おたくのところのおドナーズ。まぁ~たまたバカバカ騒ぎしてたんですってね~。ぷぷぴ。少しはうちの子達を見習って、人命救助でもしたらどうなのかしら?」
昼休憩、その人物は唐突に教室に入ってきて、一直線にシャルリエの席に向かって来ると、孤独に弁当をつつく彼女に対してこう言った。
その、高飛車な台詞にお似合いの、縦に巻いたくるくるロールの髪型。キッと吊った目は意地悪そうな顔立ちを演出している。自信に満ちた口元は勝ち誇った笑みで口角が上がっていた。
絵に描いたようないじめっ子お嬢様タイプの少女だった。
こういった女性のご多分に漏れず、背後には家来のように自分を崇拝している生徒を引き連れている。
クラスメイト達は闖入者である彼女の為にも速やかに道を空けていた。誰かさんのお陰で奴隷根性が染みついているのだろうか。
「この間の作戦。お嬢様の研究所のドナーズ達ったら、『根海』に取り残された人を救助されたんでしょ?」
「さっすがですわよね~。どこかのポンコツアンドロイドとは大違いですわ~」
きゃいきゃいと取り巻きの少女達が囃し立てる。当然、縦ロール娘に言い含められていた台詞だろう。
彼女達は、隣のクラスの生徒。なぜか、ことあるごとに、シャルリエに絡んでくる。この学校で珍しくシャルリエを怖れない、数少ない生徒だ。
ちなみに、『根海』とは、あの巨大な樹が広大に根を張る部分のことだ。広さが数十キロに及ぶそれはまさに『海』と形容するにふさわしい威容だ。
あのプライドの塊のようなシャルリエ帝様がバカにされている。戦慄すべき事態である。教室の空気は触れれば刺さりそうなほどの緊張感に満たされた。
周囲のクラスメイト達は、この後何が起こるのかと、興味と恐怖に満ちた眼で遠巻きに様子を眺めている。
「あんた、誰?」
なんと、惚けた。そして、ゆっくりと、自作のたこさんウインナーを口に運ぶ。
「な、何をおっしゃってるの、貴女。ま、ま、まさか、わ、私のことを忘れたとでもおっしゃるの?」
知らないはずはないのだが、明らかにシャルリエの言葉に狼狽してしまっている。
取り巻きが、作戦です。手の内に乗ってはいけません、などと、彼女をなだめている。割とお馬鹿さんのようだ。
どうやら、シャルリエに対して一方的にライバル心を持っているだけのようだ。実質相手にされていない。
「ふ、ふん、記憶力が貧弱なのですね、この私の名前をお忘れになるだなんて。忘れたのでしたらしかたありません。教えて差し上げます。私の名は……」
「どうでもいいわ。あっちいって。バッチイ垂涎が私のかわいいお弁当にかかるじゃない」
「かっ…………、なっ?」
あまりの悪態に絶句してしまった。精神的にも意外と脆いみたいだ。
結局、呆然としたまま名乗らずに両脇を抱えられてクラスに戻っていってしまった。
何とか、平穏に事が済んだので、周囲は安堵の息をつく。
一体なんだったのだろう。緊張に張りつめていたいた教室は再び通常の時間の流れに戻っていく。
それにしても、シャルリエは孤独だった。
普段、規律に厳しい士官学校とはいえ、昼休みともなれば、クラスメイトと一緒にわいわいと騒ぎながら楽しく昼食を摂る。そこら辺は普通の高校と何ら変わらない。
そんな中、彼女は独りで弁当を広げ黙々とそれを平らげる。他の生徒は寄っては来ない。
寂しくない、などと言うことはないだろう。
彼女にしても、年頃の女の子である。定番の恋の話や教師の悪口、うわさ話、とりとめもない流行や芸能人の話など、したくないわけではないだろう。
しかし、そんな普通の輪の中に入ることができない。むしろ、自分から拒んでさえいた。
それは、彼女の中の何か分からないもどかしさがそうさせる。心にある違和感が叫ぶ、お前は何をしているのか、そんなことをしていて良いのか、と。焦燥感に苛まれる。だが、何をして良いか分からずに、ただ腹が立つ。イライラが止まらない。
たまに興味本位で話しかけてくる物好きな生徒もいたが、ちょっと邪険に扱うと、すぐにすごすごと逃げていく。
そんなことを繰り返すうちに、先ほどの高飛車子(仮名)のような者以外は誰も話しかけてくることもなくなった。
皆、遠巻きに眺めているだけだ。
――ふん、一人になれてせいせいしているの。
そう強がり、再び窓外に思いを馳せる。向かいの実習棟の端に例の『樹』がその枝葉を覗かせている。
ガシャーン。
遠くでガラスの割れる音。
にわかに、教室内がざわめく。教師はおちつくように学生達に諭している。
「……またきっとあいつらね」
外を眺めていたシャルリエが忌々しそうにそう呟く。手にしていたシャープペンシルが真ん中から二つに割れる。
「やばいぞ、シャルリエ帝様がお怒りだ」
「み、道を空けろ。轢かれるぞ」
その声を合図に時ならぬ席替え、いや、席移動が始まる。シャルリエの座る席から、教室の出口まで一本の道ができた。
つまらなそうに窓際に座っていた美少女は消え去り、そこには一匹の鬼がいた。
鬼は教科書を一冊握ると、海ではなく、人を割って造った道を使わず、窓を開き、窓枠に手を掛けると、そこから外に身を躍らせた。
生徒達は息を呑む。小さな悲鳴も上がった。
ここは三階である。普通の人間ならただではすまない。が、彼女は普通ではなかった。校舎の壁に伝っている配水管を教科書ごしににぎり、滑るように降りていく。離れ業だ。
「さすがシャルリエ帝。信じられん」
窓から下を覗き込んだ男子生徒が感嘆の声を漏らす。
ドナーズの通う訓練棟の方に何事もなかったかのように歩くシャルリエの姿があった。