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 王女は戸惑っていた。


 彼女自身が命を救ったオオカミは、彼女の『国民』に危害を加える敵だった。


 しかし、今彼は泣いていた。


「よかった、生きてたんだな」


 と言ったきり、膝から力が抜けたのか、座りこんで、滝のような涙を滂沱と流し出したのだ。


 全く、どうしていいのか、彼が敵なのか、味方なのか、分からなくなった。


「あなた、私のこと、知って……」


「ここにおられましたかの、王女」


 動揺していた彼女にとっては、救いの声。


「レイシェル」


 王女と言われたシャルリエは俄に眼を輝かせて、名を呼んだ者の方に駆けていく。


 そのレイシェルは、怪物二人が倒れているのを見て、眼を丸くしている。シャルリエを捜しに来たようだ。


「じいさん」


 振り返ったケンジが呼びかける。


「はて、どなたじょ? 国民の顔は見分けにくい……、今、日本語を話したの?」


 老人の目つきが変わる。それまでの好々爺然とした態度はいずこかへ消えてしまいそこには峻厳なボディガードのそれがあった。問いつめるように闇の中のオオカミに鋭い眼を向ける。


「あんた、ヨキの部屋にいたじいさんだろ? 無事だったんだな」


 ケンジはそんな剣呑な雰囲気を纏った老人の様子には気づかないようだ。ただ、地獄のような場所で顔見知りに会えた事を喜んでいる。


「?」


 老人は相手の正体が分からないようだ。それはそうだろう。前に会ったときは、人間の姿をしていた。


「怪しい奴じゃな。何者じゃ?」


「俺だ、ケンジだよ。っても、覚えてっかな。一昨日会ったろ。この『幹』の前で」


 結局、あれはいったいなんだったのだろう。二日前、ここは、数百人の人間が暮らしていた。しかし、今では怪物の巣だ。

 あの日、怪物の襲撃にあって今に至るのか、それはあまりにもタイミングが良すぎる。


「ああ、あの時の小僧……、やはり生きておったかの。しかし、その姿……、ふむ。そうか小僧、転生の儀式をここで見たのじゃな」


「じいさん、俺の事思い出してくれたのか。てか、儀式……って、なんだ?」


 物知りげに話す老人に不審を抱くのを忘れていた。ただ、自分の事を分かってくれそうな人間と出会えたこと、なぜ、こうなったのか、という疑問に答えをくれそうな者がいたことに喜んだ。


「異界の光に触れたのう」


「ああ、あそにある石が光って、それに当たった」


 顎に手をやり、伸びた白い髭をしごき、考え込む老人を期待のまなざしで見るケンジ。


 もしかしたら、老人がこの呪いを解けるのではないかと思っているのだ。


「じゃろうのう、そうでないと説明がつかん」


 王女には、二人のやりとりが分からない。ただ、彼等が知り合いなのだな、と思った。知り合いではあるが、味方同士、ということでもないように見える。先ほどから首を傾げっぱなし、会話からどういう関係なのか推察しているようだ。


「じいさん、俺が元の姿に戻る方法、知らないか?」


 思い切って、聞いてみた。


「知らんの」


 その回答はにべもないものだった。ケンジは、茫然自失、最期の希望を絶たれた者の顔で老人を空虚に眺めていた。


「じゃ、じゃあ、誰か知ってそうな奴、……、あ、あのヨキとかいう誘拐犯はどうなんだ。奴ならなんか知ってるだろ?」


「ふん、どうじゃろな。そんなもんワシが答えてやる義理は……」


 ここまで酷薄に述べて、白髭の老人はやや考え込んだ。


「じゃが、小僧、その姿では、人の中で生きてゆくことはもうできんじゃろうの」


 いいことを思いついた、という顔で王女付きの執事は言った。


「それは……、そうだな」


 彼には、居場所がない。事実だ。もしもこのまま狼のままだとしたら人間社会にはもう戻れないだろう。


「どうじゃ、ワシらと暮らさんか? お前さんは、我等が王女とも知り合いじゃしの。何も不足はなかろうて」


 悪魔の囁きは、オオカミの大きな耳に甘くまとわりつくのだった。

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