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オオカミが泣き止むのを待って、重田は再び先の質問を繰り返した。
「何があった?」
ケンジはこれまでのことを重田に簡単に説明した。
シャルリエと四人で樹に向かった事。そこで暮らす人々。翌朝にはシャルリエがいなくなっていたこと。ヨキの部屋の奥で見た不思議な光景。光線を浴びて身体が動かなくなった事。
「夕飯の不味さに気を失った俺は、ついさっき目が覚めた。不思議と身体は動くようになっていて、体調はいつもよりいいぐらいだった。そして、気が付いた。自分の姿がこうなっている事に」
「じゃあ、どうしてそうなったかは分からないんだな」
「ああ、全然。なんだか、怖くなって、研究所を飛び出して、そこの公園にいたんだけど、不良に見つかって騒ぎになりそうだったから、ちょっと脅かすつもりで、木を殴ったら、自分でも思いがけないぐらいに力が入って……」
「木が折れた」
後を引き取った重田の言葉に、怪物は頷く。いくらドナーズの力が強いとは言っても、太い樹を軽く殴っただけでへし折ることはできない。
「あの不良達は怪我したみたいだけど、命に別状はないそうだ。この辺りもしばらく平和になるだろう」
重田の言葉に、少しケンジの中の不安材料が取り除かれたようだ。僅かに安堵の溜息を吐く。
「俺、これからどうしたらいい?」
いろんなことがありすぎて、すでに腹も心も消化不良状態になっている。こんなに打ち拉がれた彼を重田は眼にしたことがない。
彼には全くそのケはなかったが、どんなに心の荒んだ人間でも、今のケンジの眼を見てしまっては、力にならずにはおれない、そんな気持ちになった。雨の日に捨てられた子犬と眼が合ってしまったような心境だ。
ケンジは大きく、二つの問題を抱えている。
まずは、彼等が失ってしまったご主人様をあの『樹』から取り戻さなければならない、という問題。
もう一つは、怪物になってしまった彼自身が、どう生きていくのか、という問題だ。
その二つの問題の鍵は、一つ、きっとあの『樹』にあるだろう。
細かい障害としては、今の姿だと、おおっぴらに表を歩けないこと、自衛軍に見つかれば、間違いなく捕獲、悪ければ殺される事。これをクリアーし、あの『樹』に辿り着く。そんな方法はあるだろうか。
前途多難。
青天の霹靂、とはこんな場合に使う言葉だろう。重田は、さっきまで音響担当だったのに、おもむろに、舞台の真ん中に上げられて、これから主役を演じて下さい、というメモを渡されたような気分だった。
泣き疲れたのか寝てしまったケンジ。そうしていると彼の姿はオオカミそのものだ。
こんな姿では、明日の作戦参加など到底不可能、作戦地域に近づく事もできないだろう。
人語を話せるとはいえ、彼をケンジだと信用させるのは難しい。彼の知り合いならばまだしも、上官や、他部署の人間を説得するのは至難の業に思える。
なにしろ、重田自身でさえ、完全にこの事態を呑み込んでいるとはいえないのだ。心のどこかで、これは何かの罠かドッキリか、若しくは夢なのか、と思っている。
彼がこんな姿になってしまった原因については、なんとなく理解できるような気がする。鍵は恐らく、彼の話にあった黒い水晶。
人間、アンドロイド、怪物、この三種の意識と生態について。重田は、これを専門として研究してきた。
ここに眠るオオカミこそが、今、彼が考える一番信憑性の高い仮説を裏付けしているように思えるのだ。
ともあれ、明日だ。どうやってこの獣をあの『樹』にまで連れていってやるか。重田は泣きつかれた教え子を眺めて大きなため息をついた。




