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「おかえり」


 くぐもった声だ。こんな野太く汚い声の知り合いには重田には心当たりがない。


「た、ただいま?」


 とは、言ったものの、誰だったろう、と考える。部屋の中は真っ暗で、カーテンも閉め切られているので、相手の顔は見えなかった。

 もっとも、明るかったとしても相手は顔面毛むくじゃらでまともに誰だったかなど判別できなかったが。


 もっさりと生えまくった髭越しに話しているような音声。それでいて聞き取りにくさは感じなかった。


「ご飯、喰った?」


 正体不明の人物は、馴れ馴れしく質問してくる。少なくとも、性別は男性のようだ。


「ご飯なら、もう済ませたけど、君はまだなのかい?」


 なぜ、見ず知らずの人間の腹のすき具合など気にしなくてはならないのだろうか。

 話しているうちに、知り合いなのではないかと感じてきた重田は、記憶を探って相手の特定を急いだ。


「そうか、俺ももう済ませたんだが、あるおかずで消化不良気味なんだ、悪いけど、コンビニでヨーグルトかバナナを買って来てくれないか?」


 やや、暗闇に眼がなれ来て、姿がぼんやりと伺えるようになった。彼は、非常に体毛が濃いようだ。腕も顔も、至る所に長い毛が生えているように見える。そしてなにより、でかい。座っていても分かる。体長は二メートルを優に超えているだろう。


「そうか、分かった、ちょっと待っててくれ」


 相手に悪意も害意もなさそうなのを見て取ると、気のいい重田は、徒歩5分の所にあるコンビニに出かけることにする。


 道すがら、自分の部屋にいる人物について考える。あれが誰なのかおおよその目星はついていた。


 コンビニは、普段からよく使う店舗で、顔なじみである。店主のおばさんが話しかけてきた。


「さっき、そこの公園で化け物が出たんですってね~。怖いわ~。恐ろしいわ~。なんでも、毛むくじゃらの怪物で軽々と木を叩き折って、学生さんに怪我をさせたんだってね~。いや~。怖いわ~。恐ろしいわ~」


 言葉の中身ほどは怖くなさそうである。早く精算したいのだが、どうも長話をしたいようだ。


「物騒ですよね。おばさんはその化け物の姿を見たんですか?」


 この店からも、例の公園は見える。彼女が直接怪物の姿を目撃していても不思議はない。


「いぃ~えぇ~、見てませんよ。野次馬が大勢いて、ここからじゃな~んにも。まだ、逃げてるんだってねぇ。ほんと、怖いわ~。恐ろしいわ~。自衛軍は何をやってんのかしらね~」


 目の前に当の自衛官がいることなど知らずに、軍の不甲斐なさを語るおばさんだった。

 おばさんの話を適当に切り上げると、重田はお目当ての物を揃えてサッサと部屋に戻る。


「おかえり」


 相変わらず、部屋は暗く、留守番は、何もせずに重田の帰りを待っていたようだ。


 得体の知れない相手だが、帰ってきて、「おかえり」と言われることが、こんなに気持ちの癒されるものなんだな、と感じた独り身の重田であった。


「ただいま。買って来たぞ、バナナ」


 毛むくじゃらの彼に、ビニール袋を放ってよこす。


「おう、サンキュー。お茶ももらうな」


 毛だらけの大きな体でコンビニ袋を漁る。アンバランスな光景だった。


「暗いな。電気、点けてもいいか?」


 食事を終えてくつろいでいる彼にそう、告げた。


「ま、待て、もう、今日はこのまま寝ようぜ」


 よほど、姿を見せたくないようだ。


「何があったんだ、ケンジ。その姿はいったいどうしたんだ?」


 そう、問われた相手は、黙り込んでしまった。


「公園で暴れた怪物って、君なんだろ?どうしてそんな…………」


 室内が急に光に包まれた。相手が電灯の紐を引いたのだ。重田は眩しくて眼を覆う。


 そこには、怪物がいた。


 直立したオオカミのような容貌だった。満月の夜に変身するという伝説の狼男のようだった。


 オオカミは泣いていた。辛うじて原型をとどめている顔はまさしくケンジのものだった。その目からは滝のように流れ落ちる水滴が見て取れた。


「俺は、情けない」


 そう呟き泣き崩れる獣は実物よりずっと小さく見えた。

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