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「公園に化け物が現れたらしいぞ」
道行く人々が、そんな会話を交わしている。
今日もまた、研究に没頭するあまり、重田は帰宅が遅くなってしまった。夕飯は研究室でカップ麺を食べたので、そのまま泊まってしまおうか、とも考えたが、明日は侵攻作戦であることに思い至り、家路につくことにした。
まあ、帰っても誰が待つという訳ではなかったが。
さすがの彼でも、風呂に入ってさっぱりしたいと考えたのだ。もしかしたら、明日、命を落とす、ということもありうる。小汚い身体で死ぬよりは清らかな身体で死にたい。
噂にあがった公園というのは、彼の住むアパートの近くにある。噂が本当だとしたら一大事である。
『根海』に怪物が住んでいることは、一応、一般には秘密になっている。巷に混乱を招く事を避ける為だ。
これまで、根の及ぶ範囲から彼等が出てきたという事実は観測されていない。
公園に現れたのが本当に怪物で、彼等が、『根海』を出て活動を始めたのだとしたら、それは由々しき事態と言っていいだろう。
なにしろ、これまでは、危険区域内に入らなければ一般人が怪物に遭遇することもなかったし、危害を加えられることもなかった。
これからは、安全な場所などどこにもない、ということになる。怪物が平気で町中を闊歩する世界など認めたくない。
家が心配になってきたので、少し早歩きで急ぐことにする。
「すげえな、あれ、ほんまモンやろ?」
「もう、無茶苦茶に暴れてたわ」
公園前には大変な人だかりが出来ていた。
通報で駆けつけた警察や自衛軍が現場を仕切っている。その中に見知った顔を見つけて、詳しく話を聞いてみることにする。
「おう、シゲヤン、珍しいな、施設の外で会うなんて」
気軽に彼をあだ名呼び、話しかけてくるのは、同期で入隊したミヤケだった。
「ああ、家が近くなんでね、それより、いったいなんなんだい、この騒ぎは?」
関係者であると、立ち入り禁止とされた公園内に入る。割と大きな森林公園で、休日には草野球などが催されたりもする。
幼い子供が遊ぶような遊具はなく、平日の昼間は老人や犬の散歩コースであり、夜には主に若者やカップル、ホームレスなどに利用される。
最近この公園に溜まり出した不良が数人たむろしていて、怪物と遭遇した。恐れおののいた彼等は、無闇に怪物に攻撃を加え、反撃にあったという。怪我人は出たものの、人死にはなかったようだ。
話にあった場所には血痕が残っていて、その周囲の木が一本へし折られていた。ベンチも一脚破壊されている。その有様は、象でも暴れたのかと思うほどすさまじいものだった。
重田は、怪物を見たことはない。いや、死体を検死したことや映像で確認したことは何度もあるが、動く化け物を見たことはなかった。戦闘力のほとんどない彼は、これまで、『根海』への同行を許された事がなかったからだ。
「明日の作戦。行くの止めにしようかな」
小心者の彼は外出時にも着用している薄汚れた白衣の襟を持ち上げ、不安げに独り呟く。知的探求心は、個人的恐怖心にあっさり敗北しかかっているようだ。
「心配すんなって、明日は数万の味方がついてんねんぞ。万に一つも敗北する事なんてないわ。問題は、誰が一番にゴール出来るかってことやな、ほんで、秘密を握ったモンが勝ちや。そのあとはお前さんの出番やろ。まあ、一番近くにおって、これまでにも調査経験がある俺たちが有利なんやけどな」
独り言を聞きとがめた、耳聡い重田は、同僚を安心させるようにそう、笑って見せた。
「それにしても、奴等がこんな所に現れるなんて……」
「だからこそ、明日はやらんとあかん。奴等をこれ以上のさばらせとくのは許されへんねん、これまではお偉いさんの都合でお預け喰らってたが、今回は行きつくとこまできっちり行かせてもらうわ」
それは、彼の公人としての意見よりも、私的な感情の方が多分に含まれた言葉だった。
大阪市内に住んでいた彼の恋人は、現在も行方不明者の名簿に名をを連ねている。生きているにせよこの世にいないにせよ、彼の性格からすると、はっきりさせたいのだろう。そして、それに対するけじめを何らかの形でとりたいと考えているのだろう。
長い付き合いである重田にはそれが分かる。その為には彼が自身の命をも省みないだろうことも。
若い自衛官がミヤケに報告に訪れる。
「結局、逃げた奴の行方は分からんかったわ。もしかしたら、付近に潜んでる可能性もあるわ。気ぃつけて帰れよ」
「ええっ、本当か。あ、ああ、ありがとう、また明日な」
「おう」
ミヤケと別れると、再び家路に就く。といっても、近所のボロアパートだ、公園からはもう見える位置にある。
この坂の多い街でも丘の頂上に建っている。周りはほとんどが高級住宅、一軒家ばかりなので、その佇まいは、間違って選抜された、ベンチ要員の高校球児のように申し訳なさそうに見える。
二階建ての階段を上って奥の部屋が彼の住まいである。今時、トイレは共同、洗濯機も置くスペースがないため、住人の供出で二台の洗濯機を狭い廊下に設置してある。住人は数名しかおらず、アパート全体は暗くうらぶれた雰囲気を醸し出している。
別に、お金が無い訳でも、ケチだからでもない、アパートの大家と知り合いだから、というだけで、この不便な住居を選んだのだ。彼の人の良さと生活に対する無頓着さが伺えるというものだ。
玄関の前に立つと、異変に気が付いた。
それを見つけた重田は一瞬心臓が止まったような錯覚を覚えた。扉のノブに血がついていたのだ。
――まさかとは思うが、先の怪物がこの扉を触ったのだろうか。なんのために?
それとも、別の誰かが、怪我をした手でここを開けたのか。人付き合いの希薄な彼には前触れもなく訪れる友人にも彼には心当たりはない。
気の弱い重田は、やはり研究室に戻ろうかと考える。この中にもし怪物がいれば、重田の命はない。怪物ではなく、強盗か何かだとしても、一研究者である彼に対処する術はない。そして、誰もいなかったとしても、気味が悪くて居着けない。
そうして悩んでいると、ドアが内側から開いた。
そして、金縛りにあったように動けないでいる重田を何者かが部屋の中に引っ張り込む。
無抵抗な彼の姿は、もし様子を誰かが見ていたとしたら、その滑稽さに笑っただろう。




