7
夕刻、ついに彼等は樹の最深部、『幹』に到達した。
俺たちの行く手を阻む者は結局何も現れなかった。ただ、荒廃した無人の街を歩いてここに辿り着いたのだ。
時間も時間であるのだが、ここまで来ると、根が密集していて、空も見えない。根海内部は真っ暗である。
わずかに消えず残っている民家や商店の電光を頼りに進まなければならない。
むろん、懐中電灯は持参していたが、限りある資源は無駄にできないし、化け物たちが夜行性だったりしたら、動く明かりに寄って来ないとも限らない。
ビル一棟分もありそうな根っこの間から、見上げると、この『樹』の根幹が、その荘厳な体躯を現していた。
その巨大さに、ただただ圧倒される。幹は暗がりの中に浮かび上がるようにぼんやりと青白い光を放っていた。その姿には、この世のものではない幻想的な感覚も付与されていた。
『樹』が現れてからのこの数ヶ月、ここに辿り着いた者はいなかった。いや、いたかもしれないが、少なくとも、それで生還した者はいない。
人類初の快挙、ということになる。自分が今その栄誉な位置にいることが信じられなかった。何者かの作為が感じられる状況ではあるが、そんなことは今、頭にない。目頭の熱くなる程の感動を味わっていた。
「なんかつまんな~い。はじめっからやり直しにしよっか?」
などと抜かしてマールは口をとがらせている。俺の感動シーンをぶちこわしにしてくれる。
「なんでだ、無事に辿り着いたんだからいいことだろっ」
「だぁ~って~、マールはもぉっと大冒険の末にゴールしたかったんだよ~。その方がかぁっこいじゃ~ん。本とかでるかもょ? 超売れるかもよ?」
「お前の本なんか誰も買わない」
「いや、待てケンジ、やっぱりやり直そう」
本を買いたいのか、ゴウ。
「なんでだっ」
「いや~ん、ケンジ君、こわーい」
笑顔できゃーきゃーと、走り回る。
「ちょっと、アンタ達、こっちに来て」
くだらないやりとりをよそに、シャルリエはあるものを見つけたようだ。
近くにいると、感覚が麻痺してしまいそうになるほど、巨大な『樹』の幹。もはや地上に這い出た根っこに支えられて、地表からは数メートル浮いた位置にある。ここからは、見上げなければならない。
その、幹と地表のあいだは、無数の洞窟のように、幾つもの入り口があった。それは、木のうろというにはいささか小さく、人工的であった。その中の一際大きな穴から小さな光が覗いていたのだ。
「ひ、人魂っ?」
元気に走り回っていたマールが突然怯えている。俺に飛びつき、しっかりと服の裾を強く握っている。
確かに、その光は、ゆっくりとこちらに近づいて来ていて人魂のように揺らいでいる。さらにおかしなことに、右に左にと、まるで海中のホタルイカのようにフラフラと動き回っている。少なくとも、電灯の明かりではないようだ。
「こここ、こっちに、来る、くるくるくるよぉ~」
そうとう怖いようだ。こいつは意外とオカルト的な事が苦手だ。ガクガクと袖口を引っ張られる。邪魔だ。
「大丈夫だ、俺がついてる。だから、こっちにも飛びついてくれっ。頼むぅぅ」
悲痛な声で懇願している大男は無視するとして、一堂は、次第に近づく謎の光に緊張を隠せずにいた。
「あんた、誰?」
怖いもの知らずのお嬢様は気丈にのたまった。
ビビッてガクガクとやっているマールをゴウに預けると、俺は、シャルリエの前に進み出て、身構える。背中に差していた瑞輝を抜いていた。
不信な火は、それに怖じず騒がず返答もせず、なおも進行を止めない。
「それ以上近づくと、この冴えない犬耳男が容赦しないわ。名を名乗りなさい」
と、懐から小型のピストルを出し、即座に発砲する。弾丸は地面に吸い込まれる。威嚇射撃だ。
互いの距離はあと十歩というところで、薄闇に浮かんだ火の玉はようやく静止した。
「お待ち下さい。私はあなた方に危害を加える者ではありませんのじょ」
それは、老人の声でそう答えた。
「しゃべった」
ということは人間だろうか。それとも人語を解する化け物がいるのか?
少なくともそんな奴に今まで遭遇したことはなかった。
奴らは遇うなり問答無用で襲い掛かってくるので、コミュニケーションが可能かどうかなんて確認のしようがなかったのである。
「じゃあ、何者なの?」
彼女の前に立つ俺はようやく気が付いた。問い掛ける彼女の声が微かに震えていることに。彼女も少しは恐怖を感じていたのだろうか。
「私は、あんた方を案内するように言われて来たもんじょ。なんも危ないもんは持っとりゃせん」
嗄れた声で害意の無いことを伝える。眼が慣れてきた為か、相手の姿が見えるようになってきた。
フード付きの外套を頭からすっぽりと被った老人だった。顔はよく分からないが、手などは皺の刻まれたそれである。そのしわしわの手が握っているのは年代物のランタンである。
しかし、怪物の中には、人間のパーツを持った者は何体もいた。人語を操るのは始めてだが、それだけで安心することはできない。
「な~んだ、おじいちゃんだったのかよぅ~。び~っくりさせやがっても~」
マールは馴れ馴れしく老人に近づいて肩など組んでいる。すでに警戒心は微塵もない。
信じられない程にアレな娘だ。
「おお、お嬢ちゃん、脅かしてすまんのう。そんなつもりはなかったんじゃが、ワシも歳なもんで、足下がふらついてのう。おまけに耳も遠いんじょ。お詫びにお菓子をあげようのう」
そういって、突っ込んだ、外套のポケットにはお菓子など無かった。老人もあまりのフレンドリーさに狼狽しているのだろうか。いや、それとも、ただ単に呆けているだけなのか。
ともかく俺たちは、その老人の案内で、幹にできた洞窟に入っていくことになった。
道中はもちろん、老人に対して質問責めだった。
「あなたに案内をさせたのは誰?」
「ワシらの仮の指導者になっていただいている方ですじょ」
「あなた、どうやって生活してるの?」
「ここは、三月前までは街だったんでの、非常食や米なんかは日が持ちますでこれまで生きてこれましたのう」
「どうして、私達が来るのが分かったの?」
「仮の指導者様は、予知の力をお持ちですのでのう」
「指導者が仮、ってのはどういうこと?」
「それは、今は本当の指導者が不在だからですのう」
「どっか行っちゃたの?」
「ワシにはよう分からんが、仮の指導者の方が言うには、いつか現れるが、今は別のとこにおると言うておったの」
「どうして、ここから逃げ出さなかったの?」
「それは決まっておる。怪物共がおるからですじょ。ワシらに奴等と戦う術はないの」
一際広い空間に出て、この質問タイムが終わりを告げる。
天井にはライトが点けられ、内部をそれなりに明るく照らしている。通ってきた通路も割と広かったが、広場はかなり広大で、学校の体育館程度の広さがあった。
そこには、何百人という人が集まっていた。
広場の隅の方に、壁に垂直に並んだテーブルがあり、そこからは、おいしそうな湯気が上がっている。
食事の時間のようだ。俺達もそろそろ胃が空腹を訴えていたところだった。
テーブルに並んでいるのは、何とも簡素な食事だった。食材が限られているので無理もない。野菜はほとんど見られないし、肉類も乾燥した保存用のモノを煮炊きしたものだった。
それでも、お腹の空いた彼等の食欲を刺激するには十分で、ゴウマールコンビはさっそく配給にありつこうと走って行ってしまった。
「あんたがたも食べて来なされ。仮の指導者様とは、食事の後でも面会できるでの」
その申し出に素直に従うことにした。一応、食料は持ってきてあるが、今日はもう帰れそうにない。手持ちを減らすのは得策ではないのだ。
行き交う人々は皆、紛れもない人間である。ここはやはり、三ヶ月前の災害を生き抜いた人々のコミュニティーなのだろう。テレビでよく観る被災地の避難所を思わせる光景だった。その割りにはずいぶんと活気があったが。
「ねえ、どう思う?」
手を振る老人から離れると、シャルリエは俺に意見を求めた。
「どう、って。なにが?」
「そりゃ、もちろん、この場所についてよ」
『樹』が出現し、この場から逃げ遅れ、なおかつ生き残った者達の集団だろ。
「よかったじゃねえか、生き残ってる人達がたくさんいて。ただ、この大人数をどうやって外に逃がすかだな」
その答えを聞いて、シャルリエは呆れたように溜息をつく。
「一つ、私達の目的は、この人達を探し出す事じゃないわ」
「そりゃあ、まあ、そうだけど……ほっとけないだろ?」
「当たり前じゃない、放っておくなんて言ってないわ、目的が違うっていうこと。ここの人達は、後日の作戦で保護してもらうといいわ」
「おお、さすがお嬢、頭いいな。俺たちだけでこんな人数引き連れて行くのは大変だと思ってたんだ」
シャルリエは、誉められてほんのちょっと嬉しかったようだが、言葉では、
「バカね」
としか言わなかった。
盛大に湯気を立たせる鍋を置いたテーブルで、二人順番を待つ。
「そして、もう一つ。なんだか、出来過ぎてない?」
眉根を寄せて、『ここがポイントよっ』と、言うように俺の眉間に指を突きつける。いや、指は眉間に突き刺さっていた。血が出た、痛い。
「出来過ぎって、何がだよ?」
刺さった人差し指を払いのける。
「アンタ、ほんとに二ブちんね」
「勿体ぶらなくていいから言えよ」
「教えて下さい。ご主人様、でしょ?」
「教えてくだ……」
「冗談よ。やっぱり、アンタオオカミじゃなくて犬ね。忠犬」
ひどい、からかわれた。笑っている。
「なんなんだよ」
「いーわ、二ブ犬にも解りやすく教えてあげる。まず、ここに来る道中、全くあんたらの言う怪物に遭わなかった。そして、待っていた案内人。案内された先には食事。これが出来過ぎでなくてなんなのよ」
「それは、ラッキー…………ってのはないか?」
その発言は、風船の空気が抜けるように、尻すぼみになる。
「うん、もしかしたらそうなのかもしれないわ。私の思い過ごしなのかも、なにしろ、私達を嵌める理由がこの人達にあるとは思えないしね」
そう言いつつも、何か引っかかるようで、しばし目を瞑り考え込んでいる。
子供達が遠巻きにこちらを伺っている。外から来た俺達に遠慮のない視線を送ってくる。特に俺の耳が気になるようだ。そりゃそうだろう、オオカミの耳を持っている人間はいない。怪物と思われているのだろうか。
「よう、兄ちゃん達、新入りだな」
配られた器に暖かい鍋の具を入れてもらう。当番のおじさんは愛想良くそう、声をかけてきた。
「ん?新入り、か。そういうことにしておこう」
自分が軍人であることを説明するのが面倒なので、そういうことにしておいた。
「最近は滅多に来なかったんだがなあ、サービスしとくよ。変な耳のアンちゃん」
例え思っても口にしてはいけないことがあるんだぞ。と心の中では苦情を申し立てたが、大盛りに盛られたお椀の中身に、俺の腹が先に感謝を述べた。
熱い鍋をつつきながら話の続きをする。ゴウ達はどこに行ってしまったのか。姿も見えなくなった。五月蠅いのでちょうどいいといえば、ちょうどいい。
「でも、なんだか、さっきのお前の話だと、ここに来るように誰かにし向けられたような気がするな」
おいしそうな臭いのする器を片手に、手近なテーブルに着く。
シャルリエは熱い料理と格闘していた。猫舌で、熱いものはしっかり冷まさないと食べられない。間違って熱いモノを口に入れさせてしまうと、怒って八つ当たりされるのだ。
「そうなのよね、やっぱりアンタもそう感じる? あの人に呼ばれてるみたい……」
そう、言ってからハッとしたように口に手を当てている。後半は無意識に考え事をしていたら零れてしまったようだった。
「呼ばれてるって、誰にだよ?」
「な、なんでもないわ、気にしないで」
あからさまに聞かれたくなかったようだ。意外とドジな一面がみれた。
「気にするなって言っても、気になるだろ。ほれ、言え」
「うるっさいわね、アンタには関係ないの」
「な、なにぃ、関係ないってことはないだろう?こんなとこまで連れてきておいて。それになあ、同じ屋根の下に住んでて、悩み事一つ打ち明けらんねえのかよっ」
俺がシャルリエに対して、ここまで声を荒げて怒ることは、ここ数年無かった。彼女を案じる気持ちがここにきて噴出したのだ。それだけに、シャルリエは驚きもしたがそれと同時に感動も覚えたようだった。その口元が笑みに変わる。
だが、やはり、彼女は天の邪鬼だった。感情に素直になれない不器用な病。それも、この何年かの月日で染みついた悲しい性だろう。
「関係無いモノは関係ない。もう、詮索しないで」
声は小さかったが響きは十分、冷淡だった。二人の間に深い溝を作るのには余りある程だった。
「アイっス、クリームっ!」
どんっ、と二人が食事を摂っていた机が押しのけられる。
マールが体当たりをしたのだ。テーブルは横滑りして、かわいそうな通行人に被害を与えてしまった。
「いてーだろ、何してんだ」
「悪い、ちょっとこの娘、アレなもんで」
通行人は、ならしかたない、と去っていった。
彼女は、猫耳をピコピコと動かしながら、抗議の声をあげる。
「な~んだよ~、ケンジ君。今の言い方じゃ、このマールっちがまるでアレな娘みたいじゃんかよ~、ぶーぶー」
そのものズバリの言い方だったのだが、残念な彼女にはストレートには伝わらなかったようだ。日本語って難しい。
「そうだぞ、マールは、アレじゃない。仮にアレだとしても、可愛いことに変わりはない。たしか、こいうのって、腐ってもいい、っていうんだぞ。ところで、アレってなんだ?」
はいはい、腐っても鯛ね。いろいろと間違っている。
ともあれ、最低の雰囲気は一挙に振り払われた。その意味では、感謝するに値する。
「あっちにアイスクリームがあったんだよ~。シャルリエちん、すっきだろ~。食べにいこうぜぃ~。あと、残り四十個だったから、二十個づつだよ」
そんなにいらないだろう。
「そうなの、早く行かなきゃね」
全部食べるのか? いや、きっと、居づらくなったから適当なこと言って逃げたのだろう。まさか食べれないだろう。
結局、二人でアイスは平らげた。




