4
と、いう訳で、翌朝四人は『根海』に向かっていた。
「この先は、作戦行動以外は立ち入り禁止になっている区域だぞ、どうすんだ?」
『根海』周辺には、警備の人間がいるが、あまりに範囲が広大であるので、全てに人員を配置することはできない。
それでもある程度侵入を抑止する為に高いバリケードを張ってある。
『根海』は絶えず拡大していっているので、作り替えが間に合わないようだ。ところどころ、穴がある。
好奇心でこの危険地帯に足を踏み入れる者は後を絶たない。
大抵の者は、バリケードを越え、『根海』を眼にしたところで引き返してくるのだが、たまにそのまま戻らないお調子者もいる。
巷やネットでは心中スポットにもなっているようで、死にたがる人間もここを訪れる。その場合、恐れをなして、逆に死ねなくなることもあるようだ。
「ちゃんと調べはついてるわ。京橋、天王寺方面は警備が厳重。それにゲート以外は侵入しにくくなっているわ。東大阪方面から大きく回り込んで、平野区のゲート付近からバリケードを越えるわ」
昨晩ネットで調べた情報である。物好きはいるもので、『樹』については、さまざまな情報が飛び交っている。
日本全国から、いや、世界各国から観光客や野次馬が殺到しているのだ。
この大阪の地はさながら心霊スポットか観光地と化していた。
本日のシャルリエ様の装いは、どこから調達したのか、ミリタリーの上下である。軍用のリュックを背負っており、小型ノートパソコンを始め、何やらいろいろとサバイバルグッズを詰めてきているようだ。
一行はスクーターでの移動である。立ち入り禁止区域の近くまでこれで近づき、徒歩で侵入する予定だ。
「で、あそこに行って何をする気なんだ?」
今朝、彼女に集合させられた三人は、目的も告げられずにここまで連れてこられた。
聞いても答えてくれなかった。
「うるっさいわね。黙って付いてくることもできないの?」
この調子である。仕方ないので黙っていることにする。
数日前、ミヤケが言っていた言葉を思い出す。
――今度の侵攻作戦に参加を申し込んでいるそうやね?
シャルリエはなぜ、作戦に参加したかったのだろう。
そして、今日は強硬して『樹』に行こうとしている。どこか焦っているようにも見える。行動が突飛であるのはいつもの事だが、彼女のこんな様子は今までにないことだった。
普段から、日常に飽き飽きしていた。
彼女がその口で直接そう言った訳ではないが口ぶりや行動からそれが窺えた。ただ、その日常を変えようとしているだけなのだろうか。それとも、他に何か深遠な考えがあるのか。
まあ、どちらにしても、俺が不幸な目に遭うことに変わりはないだろうな。
真意は分からないが、風を受け、隣を走るシャルリエの横顔をぼんやり眺めてていると、急に振り向かれた。
「なに見てんの?しっかり前見なさいよ、目的地に着く前に怪我されちゃ困るんだから」
怒られた。
そうこうしているうちに、着いたようだ。
そこは区役所の前だった。
平野区役所。
『樹』に近づくにつれて、人通り車通りは減っていったが、大阪市内に入るともう辺りは無人だった。
庁舎もすでに放棄されていた。
「この中を通って裏口から出るわ、バイクは見つからないように隠して置いておくの」
俺達は作戦時とは違う緊張感を感じていた。
シャルリエを戦力に数えることは出来ないので、三人での『根海』突入である。後方支援部隊のバックアップすらない。
遭難しても助けが来る見込みはない。おまけに、警備の人間に見つかっても、厳罰は免れない。四日後の作戦にはもちろん参加はできなくなるだろう。
そんな俺の葛藤を知ってか知らずか、先頭を歩く少女の足取りは軽い。
まるで、春山にハイキングにでも行くかのような浮かれた様子で、ドアのノブに手をかける。
「おい、シャルリエ……」
「なによ、ケンジ。もしかして、ここまで来て帰りたいなんて言わないわよね。まさか、あんたともあろう者が、怖くなってきちゃったの?」
ぐ、と言葉に詰まる。考え直せ、と、言おうと思っていたのだ。
「帰りたいなんてことはない、ただ、意思確認をしよう」
うち捨てられて、二ヶ月前に廃墟となった区役所。その裏口の扉の前に立つ。ここが、いわば現実と非現実の境界線だ。一歩踏み出せばそこは命の保証のない異界の地。
「いいわよ、お願い」
扉に掛けていた手をそっと放し、彼女は俺、ゴウ、マールと向き合う。
「まず、なんでお前が『樹』に行きたいのか、これはまず置いておこう。それよりもここから先のことを話そう。お前も知っていることだが、ここから先に進むともう戻って来れないかもしれない。死ぬかもしれない。殺されるかもしれない」
各々、息を呑む。へらへらと笑っていたマールもさすがに神妙な顔つきになる。
「『根海』には怪物がいる。それも一匹や二匹じゃあない。無数にいる。うじゃうじゃといる。どれくらいの数がいるのかは分からない」
一堂、頷く。
「そして、中は『樹』の根っこが迷路のように複雑絡み合っている。暗いし普段でも俺たちは迷う。さらに悪いことに、今はリコがいない」
なんだかんだ言っても、俺達は、リコを頼りにしていた。なにしろ、作戦内容などほとんど聞いちゃいない三人なのだ。作戦ルートの確認など以ての外である。
いざという時の退路の確保や的確な指示があったから俺たちはこれまで無事にこれたのだろう。
「その点は大丈夫よ。今日は私がいるもの。お馬鹿なあんた達だけだったら遭難確定だろうけどね。私がちゃあんとナビをしてあげる。確かに『樹』が蔓延ってはいるわ。でも、元は歴とした大阪の街じゃない。大丈夫、分かるわ。だってあんな大きな目印があるんだもの。あれを目指すだけなんだもの」
そう言って腰に手を当て、もう一方の手で『幹』を指差す彼女の表情は自身に満ちていた。
かなり不安だ。
「まあ、あんたの言いたいことは分かったわ、そこまで、私の身を案じてくれているのはありがたいけど、私はどうしても、あの『樹』の中心に行きたいの。危険は承知しているわ。死ぬかもしれないことも理解しているつもり。それでも、あそこに行かなくちゃいけないの。だからお願い、力を貸して」
『樹』の中心に行く……、だって?
確かにそう言った。
無茶だ。無茶苦茶だ。出鱈目だ。しっちゃかめっちゃかだ。
それはあまりに無謀すぎる。
しかし、彼女がこんな風に人にものを頼むことはこれまでなかった。
いや、遙か昔にはそんなこともあったかもしれない。
ここまで言うのにはなにか事情があるのだろう。
「…………」
誰も何も言わない。いや、言葉が出ないのだ。たったの三名であの『樹』の中心を目指す。そんな絵空事にどう考えてよいのか、思考が停止してしまったのだ。
「あそこにいけば、あれがなんなのか、私が誰なのか、分かると思うから」
小さな声で聞き取りにくかったが、たしかにそう聞こえた。ここ数年聞いたことのない弱々しい声。胸が締め付けられるような気持ちになった。
俺は寝ているんじゃないかと勘ぐっていたが、静かに瞑想していたらしいゴウが語りだした。
「そりゃ。そりゃあな。お嬢の頼みごとなら聞いてやりたいが、さすがに鰤軟体だぜ」
そうだな無理難題だな。
「そうだよそうだよ。確かにおもしろそうだけど、ぜっっっっっったいに私たち、帰って来れないよ~。と、いうより、多分たどり着けないかな~。それでもいいの?」
そう訊ねるマールにシャルリエも今回の行動に至った経緯を語る。
結局、彼女が軍に出した侵攻作戦への参加は受け入れられなかったようだ。だからこんな暴挙を思い立ったのだろう。軍としては妥当な判断だった。軍人志望者でもない、一般人を従軍させるいわれはない。怪我でもされたら、世間に悪い風評が流れかねない。
「お前たちには本当に申し訳ない。でも私は、死んだって構わないと思っているわ。お願い。私をあそこに連れってって」
もう聞く事は何もない。
彼女のために目指そうと思った。『樹』の中心を。
「そうか、わかった。じゃあ、行こう」
そして俺等は別世界への扉を開いた。




