第四章 変態×願い=伝えたいキモチ
「久々の部活だなぁー」
ていうかそもそも久々の学校。俺は五日ぶりに第二音楽室の防音扉の前に立った。
————ガコンッ!
突然、その分厚い扉が開いた。……俺は鼻を強打…………
「あら、輝来てたの」
「来てたのじゃねえよ! ったく…………」
鼻をジーンと赤く染めた俺はほげっとする朱翼にそう怒鳴った。
「そんなんじゃあ折角曲書いて来たのにもう見せてやんねーぞ」
「えっ! 書いて来たの!? 見せて見せてー!」
朱翼は子犬の様に尻尾を振って俺に……いや右手に持った鞄にすがりついた。その様子を見た俺は「楽譜は俺のパンツにしまってある」とか言えば下半身にすがりつくのかなぁーと妄想したけど、後ろでBL本を嗜む芽衣先輩のネタにされるのはご免なのでよした。
「……はいはい、見せるからお座りして待ってなさい、あげわん」
「なによあげわんって…………ってもしかして私の事!?」
「だってお前イヌみたいなんだもん」
俺は嘲笑した。きぃ——!とムキになって表情を崩す朱翼はやっぱり可愛くなかった。
俺は鞄に手を突っ込み至極の玉稿を「ほれ」と一言、いつもの机の上へ投げた。
どうでもいいけどよく自分の作品の事を拙作とか拙著とか言ったりするのが俺は嫌いだ。自分の作品を自分で拙いとか言っちゃうなんてダサくね?
「輝くんありがとねー! コロッケ食べる?」
「……段々その唐突さに慣れてきましたよ! 食べます」
芽衣先輩は鞄をがさごそ、
「はいどーぞ」
タッパーからコロッケを一つ取り出し、ニコニコ俺に手渡した。……ひょっとしていつもあったかコロッケの謎はあのタッパーなのか!? ……のかは分からないが、今日も例の如くコロッケはあったかかった。
「今日はかにクリームコロッケですかー」
「あっ、今日はちゃんと触れてくれるんだー! そうだよーカニはカニカマじゃなくてタラバガニなんだよー」
「無駄に本格的!?」
正直かにクリームコロッケにしちゃえばタラバガニもカニカマも同じだと思っていたのだが、違いが分かる程美味しかった。こうなると俺も芽衣先輩対策に常時白米を持ち歩こうかとさえ思う。
「んで……肝心の曲は…………」
朱翼はコロッケを右手に左手に俺のスコアを持った。あいつは右利きなので俺の曲は芽衣先輩のコロッケに負けた事になるが所詮審判が朱翼じゃそんな事はどうでも良いか。
「おいおい、脂ぎった手で大事な楽譜汚すんじゃねーぞ」
「あんただってその大事な楽譜投げてたんだし、ちょっとくらい良いでしょー」
「……お前、そんな事俺以外の作曲家に言ったらスクラップじゃすまねーからな」
作曲家にとって自分の楽譜と音楽は自分の子供同然だ。脂ぎった手で触られたら怒る。
「それでも今はあんたなんだからいーでしょ…………って、輝! あんたこれ伴奏オーケストラじゃない!?」
朱翼は今迄の興味無さげな声から一変、フォルテでヒステリックにそう言った。
「それがどうした? ちゃんと曲調はボカロっぽくしてあるし既存のボカロ曲の中にも少なからず伴奏がオケでヒットしてる曲もある。寧ろ他のPは苦手で挑戦しないジャンル————つまり俺達が新たに市場を開拓出来る場所、穴場だと思わねえか?」
すると朱翼は腰に手を回し、物思いにふけった。
「そうねぇ…………大ヒットしたボカロ曲を『オーケストラにアレンジしてみた』みたいな動画でヒットした前例なら沢山あるし、一理あるかも……」
「んだろ? オケをバックにミュゼが歌う、なんて壮大でかっこいいし絶対行けるって!」
「……はぁー。まぁいいわ。オケは楽器数が多い分ミックスが大変なんだけどー。」
朱翼もとりあえず伴奏をオーケストラにする事には納得したようで更にスコアを読み進めた。
仮に今からギター、ドラム、ベース、シンセサイザー、ストリングスでボカロ曲書けと言われれば俺は書く。だがオケバックに書け、と言われ書いた曲と音楽のレベルを比べれば圧倒的に後者の方が良い曲が書ける。今迄の経験値が後者の方が俺は多いからな。ところがビビ動内ではそれが真逆でオケを書ける人は少ない。だからといってオケバックで書いたらヒットしないのか?と言われればそんな事は無いと俺は推測する。現にポップスや映画音楽のジャンルではオーケストラをバックに歌手が歌うタイプの曲は壮大で格好良いと評価されているのだから。
つまり今のビビ動内の穴場スポット兼俺の得意分野! ここを攻めない手は無いだろ?
「すごーい……朱翼も輝くんもスコアに並んでる音符を見るだけで音楽が浮かんで来るんだ…………」
「ま、まぁ一応…………私は結構曖昧な所もあるけど…………」
目線を明後日の方向へ向けてそう言う。多分七割くらい頭に入ってないぞこいつ。
「音符は言って見れば言葉みたいなもんです。音符と云う言語を読む事によりそれが喋る情景を頭に思いかべてるだけなんです。音符と云う言語を習得さえすれば誰でもスコアの物語を楽しめますよ」
「へぇー! じゃあ輝くんは音符という言葉を使って物語を書く小説家なんだー」
「ま、まぁ……例え話の上ではそうなります」
目を輝かせてそう言う芽衣先輩に俺は苦笑した。こういうメルヘンな例えは内面BPアップ対象だな。
すると朱翼はようやく俺の作品の終止線を見たようで「うん!」と一言顔を上げた。
「なかなかの曲! アンタの事だからベートーベンやブラームスみたいな曲を書いて来るのかと思ったら案外ボカロしてるじゃない!」
「根底にあるコードワークとオーケストレーションはそのベートーベンやブラームスの引用ばっかだけどな」
俺達は目線をあわせるとついつい笑ってしまった。お互い皮肉を皮肉だと分かり合える程度の仲にはなったらしい。
「ははは…………でも合格。まさか一日で仕上げて来てくれるなんて…………ありがと」
すると朱翼はきょどりながら、すっと右手を差し出した。
「……何、握手?」
目線を斜め下に俯く。目を合わせようとする気配がない。
「う、うるさぃ! ……私もこういうのはきっちりしたいタイプなのよっ!」
恥ずかしがりつつもしっかり腕を伸ばす朱翼に俺は素直に感心した。
「まだ曲が出来た訳じゃねーけど」
そう言いながらも俺は朱翼の手を握り、小さく微笑んだ。
ほんの少しだけ幸せな瞬間だった。
「で、あんたこの曲名と歌詞は? 言っとくけどボカロにおける歌詞って曲以上に大事なんだから」
おっとそうだった。俺は歌詞も曲名も後で考える派のため、そのスコアにはまだ書いていなかった。
「大丈夫大丈夫。ボカロを分析しまくって得た結果を元に、素晴らしいもん作ったからよ!」
「へぇーそんでショボかったらなんて言ってやろうかしらー?」
朱翼は魔女みたいな顔だった。可愛くない。
確かに別紙に書いた歌詞と曲名は確かに俺の鞄に入っている。
が、……………………ちょっと見せるのが恥ずかしい。
「————? 何、あるなら見せてよ」
真顔でそうせかす朱翼。
「いやぁ————…………あ、あとで見せるよ!」
「はぁー? 今見せなさいよ?」
——ですよねー。
仕方ない……見せるか。そう決断し俺が鞄に手を伸ばした時————
——ブルルルルー
携帯のバイブレーションが響いた。
「あっ、また私だ。」
そう言う朱翼は着信画面を見るとまた舌打ちしてから電話を取った。……っと言う事はまた父親からなのだろうか? まあ詮索は趣味じゃないし朱翼の事も趣味じゃないのでどうでもいいが。どうでも良くないのはコロッケの油でつやつやした朱翼の唇が艶かしくてエロい事の方だ。
「……えっ六本木の西園寺先生が!?」
朱翼は電話口で大声になった。
六本木の西園寺先生…………どこかで聞き覚えが…………
「…………それ今すぐじゃないとダメ?」
不安気にそう言う。すると直後しっぽを踏まれた猫の様にびくっ!っとし、それからは表情があからさまに曇った。
「はい…………分かりました。すぐ出ます…………はい————……はい」
とそこで朱翼は電話を切った。
はぁ————。と深くて冷たい溜め息を一回。数秒何かに苦しむ様に俯いた。
そして顔を上げた時にはまた不器用な笑顔で、
「ごっめん! 今から急にヴァイオリンのレッスンになっちゃって行かないといけないんだー! あ、歌詞は明日見せて貰うから!」
元気よくそう言うと荷物をまとめだす。……裏側には嫌々なキモチがいっぱい渦巻いてるの、すぐ見えるけどな。
「——西園寺先生ってあのブサンソン国際ヴァイオリンコンクール審査員の西園寺先生だろ?」
「えっ——————」
俺の言葉を聞くとあからさまに朱翼は手を止めた。図星か。わっかりやす。
「六本木で西園寺、音楽やってたら知ってるっつーの」
「そ、そーなの! あの西園寺先生とうちの父親が知り合いでね! きゅーにレッスンしてもらえる事になったんだー! もーかんげきー!」
もーかんげきー、か。
……なら、
なんでそんな泣きそうな笑顔してんだよ——————朱翼。
「そりゃ羨ましいぜ! 西園寺先生に私の知り合いも是非先生のレッスンを受けたいと言ってましたって紹介しといてくれ」
「ふぅーん? まーぁ気が向いたらねー」
朱翼の綺麗な膝がガクガク震えてる。小さくて子鹿みたいな肩も、フルートの音色みたいに細くて品やかな指先も。何かを恐れて震えてる。
「じゃっ、まった明日ー!」
「おう、また明日な!」
「……………………」
意気揚々と部室を出て行った。
——途端に静まり返る室内。
取り残された俺と芽衣先輩。芽衣先輩まるで時間が止まったみたいに座ったまま俯いてぴくりとも動かない。静寂。どんだけいつもあいつが騒いでるのか実感したぜ。
「西園寺先生って物凄いスパルタで有名なんですよ——————」
そんな芽衣先輩へ向けて、俺は独り言の様にそう言った。
「でも実力も実績もあって言う事は凄く的確。けどレッスン代は高いし、特定の弟子も取る事は無くてなかなかレッスンをしてくれないことで有名なんです」
「……そう、なんだ————……」
虫の羽音の様なピアニッシモで芽衣先輩はぼそっと答える。
俺はそんな芽衣先輩のつむじ辺りをを凛と見つめた。
エロ目線ではない、ある決意を胸に————……。
「芽衣先輩————聞いても良いですか、朱翼の家庭事情」
はっきりと覚悟を持ってそう言った。
一呼吸置いた。それから芽衣先輩は口を開いてくれた。
「……輝くんはさ————」
ほんの少しだけ顔を上げる。
「朱翼の事が、好きな————」
「嫌いです」
「えー即答?」
芽衣先輩はちょっとだけ笑ってくれた。
「嫌いに決まってるじゃないですかー! 折角可愛いのにそれを活かそうとしない態度、行動、性格。世の中には顔が全てって人も居るけど俺はそうじゃない。寧ろ中身があんなにも子供っぽくて粗雑で下品で惰弱だと、外見がいい事が逆にマイナスですよ!」
「ちょっと言い過ぎじゃない? かーわいそー朱翼」
「そんな事ないですって」
俺達は一緒になって苦笑した。
「じゃあなんで朱翼の家庭事情なんて私に聞くの? なんで朱翼に協力するの? 私の胸を揉みたいから?」
芽衣先輩は色っぽい眼差しをして二の腕で胸を寄せ、谷間を強調させ見せつけた。
うっひょひょーい! はいそうです! おっぱいおっぱい!
俺はそう言いそうになった。ていうかいつもの俺ならそう即答する。
しかし————何故か口に出す前、躊躇ってしまったのだ。
「輝くんが私の胸を揉みたいから朱翼の手伝いしてるって言うんだったら、今直ぐ揉ませてあげるよ? だって悪いもの、輝くんみたいな才能あるすごい人に朱翼の我がままに付き合わせるのは」
「ほっ! 本当ですかっ!」
やべ、ここに来てラブコメの神様再光臨ですか! ひゅー! はっぴー!
——なのに俺、やっぱり即答出来ない。
芽衣先輩のおっぱい揉めるんだぞ!? もうそりゃ「揉みたい?」「はい!」の二つ返事だろ! なんで……俺は、躊躇ってしまうんだ?
そんな俺を見て芽衣先輩はくすりと笑った。
「輝くんは、やっぱただの変態じゃないんだねっ」
「…………自分でもびっくりです」
「本当は優しいんだよ、輝くんは。それなのに自分の生き甲斐はBP測定だーとか言ってその本質を誤摩化してる。これを輝くん流に言うなら————本当は素敵な心を持ってるのになんでそんな勿体ない着飾り方するのかなー?って感じ?」
「……よく見てくれてるんですね、俺の事」
俺の例え方にそっくりだ。自分の長所を把握してそれを活かす魅せ方をするのが美少女への第一歩。口癖の様にそう言って来た俺がまさか他人から同じ事を指摘されるなんて。恥ずかし限りだ。
「君はどうして朱翼に協力するの————?」
ここで投げられる、同じ質問。
それに——自信を持ってこう答えた。
「朱翼に気付いて欲しいからです————本当の音楽の面白さに」
俺の中の何かが、音を立てて動き始めた。




