第三章 変態×アキバ=奇想天外8
「お、やっと来たわね。アンタの為に私は来てやってるのにアンタが居なくなってどうすんのよ」
開口一番怒られた。物の言い方は気に入らないが言ってる事は全く正論なので一応謝る。
「すまん、ちょっとトイレに」
すると芽衣先輩はちらっと俺を見た。また芽衣先輩と俺の誰も入る事の出来ない禁断の『愛の目線会話 -ラブリー・サイトシング-』が始まるのかと思ったが、すぐにぱっと目を逸らされた。トイレだなんて小さな嘘をついたのは芽衣先輩と二人っきりで話していたのを何となく朱翼に知られたくなかったからだ。しかしサイトシングは観光だろ、とかここは脳内だから誰もツッコんでくれないのが悲しい。
「ま、私も久々で新しい音源に興奮しっぱなしだったからいいけど」
そんなことどうでもいいとでも良いという雰囲気でほっとした。予想通りでしたね。
「んで、このフロアは何のフロアなんだ?」
「はー? アンタ回り見て分からない訳?」
「いや最初に言ったろ、俺はほぼ無知だからって」
三階——ここにもフロア一帯にMIDIキーボードとスピーカーを備えたパソコンが大量にある。下のフロアと違う事と云えば…………置いてあるPCソフトの割合が多い事くらいか? 何のソフトなのかは良く分からない。でも表紙に楽器の写真がプリントされてるからきっと音楽のソフトなんだろうなぁ(小並感)。
「ぶっぶーーーーじーかーん切れー」
ばってんぽーずを作ってそう言う。時間制限あったのか。てかゲーム挑まれてたのか!
「ここはーソフトウェア音源とスピーカーのフロアでしたー」
朱翼は呆れ顔で溜め息混じりにそう言った。
……言われてみればフロアの反対側奥はスピーカーばかり置いてある……のがすこーし見える。ところでソフトウェア音源って何、ソフト麺とどっちがおいしいの?
「パソコンで作曲する時、音を作る方法が大きく三つあるの」
「……音を作る? ハーモニーとかってことか?」
「ちーがぅわよっ!」
びっ!、と指差し指摘される。
「紙の作曲と言ったら基本的に楽器から出る音だけで音楽を作るでしょ?」
「ん? ああ、そうだな」
俺達作曲家は楽譜に音符を書いてそれを演奏者に託す。そんで演奏者は楽器から音を出す。これ以外に音を得る方法なんてそりゃない。
「DAWソフト上で処理出来る音は従来通りの録音した生楽器の音。それからインストールしたソフトウェア音源の音。そしてシンセサイザー等で合成した音の大きく三つなの」
なるほど…………とは言ってみたものの正直まだ良く分からん。仕方ないのでよくわかんねーぞという目線を朱翼に送る。わからんわからんわからんわからんわからんわから…………
「もーちょっと待ちなさい! ほらこっち来てっ!」
俺の念力が通じたのか定かではないが朱翼は俺の服の裾をぴっと引っぱり自分の隣に寄せ付けた。
「ほらっ、このMIDIキーボード、弾いてご覧なさい」
は、はぁ。いきなりすぎて何の事か分からんが、朱翼にせかされるまま試しに『ド』の鍵盤を押してみる。
————ドッ!
「わぁっ!」
俺は思わず奇声を上げた。ああ、確かに『ド』が鳴ったんだよ? けどな…………
「この音色、ホルンじゃないか!」
するとその俺の反応を見た朱翼は勝ち誇った様に胸を張った。
「凄いでしょー? じゃっ今度はこっち!」
ぴこぴこ、とDAWソフトを手慣れた様子で数秒操作すると再び鍵盤を押す様促してきた。今度は『ファ』の音を押してみる。
「…………これは、オーボエか!」
「ん正解! じゃ、今度はこれ!」
「…………ハープ!?」
「じゃあー次はこっち!」
「……トロンボーン!」
「これ!」
「フルート」
「これ!」
「シンバル…………打楽器もあるのか!」
「えーと……じゃ最後は……これ!」
————ら〜〜〜〜!
「なんだこれ!」
俺が『ラ』の鍵盤を押すとあら不思議、ラ〜〜〜〜っと人が喋ったのだ! ……てかこの音……
「ボカロか……」
「にひひー大正解!」
朱翼は本当に満足そうな笑顔でそう言った。
「つまりソフトウェア音源をハードディスクとかにインストールすればMIDIキーボードで弾いて音にする事が出来るの。さっきアンタもヴァイオリンをキーボードで弾いたでしょ? これは多くのボーカロイドソフトも同じ原理で出来てるの。あ、ついでに言うとさっきの楽器、全部ウィーンフィルの音なんだから」
「ウ、ウィーンフィル!?」
ウィーンフィルと云えば音楽関係者は勿論、一般の人でも良く知る超が五つくらいついちゃう程有名なオーケストラ。日本に来日した際のS席チケットは一回公演で四万円するのに毎回完売する名実共に世界最高峰に君臨するオケだ! そんなウィーンフィルの音がこのスピーカーから鳴っただって? 朱翼め、何をほらを吹くのか! ……あ、でもこのスピーカーでウィーンフィルのCD聞けば鳴るじゃん、とか思ったり。てへぺろ。
「ソフトウェア音源は全部生楽器を録音してサンプリングしてるの。だからこれみたいにウィーンフィルの音だーとか言えば高値が付くし……他にもウィーン国立歌劇場で録音したーみたいな録音場所で売る音源とか、あとは録音した時アクセント奏法テヌート奏法ETC……奏法多数収録みたいな素材の多さで勝負したりもしてるわ。だーから幾らあっても結局足りないの。色数は多けりゃ多い程良い絵描けるのと一緒でパソコン作曲家が一番お金掛けてるのは確実にこのソフトウェア音源ねー」
あの朱翼が余りにも淡々と真剣に解説してくれたもんで俺はちょっと驚いた。
「なんかお前にしては珍しくまともな解説有り難う」
「最初っから私は真面目よっ!」
朱翼は眉をひそめむっとした。や、だっていつもだったらここら辺でボケかましてくるじゃないですか。もしかして今はチャージ中とか? やめてよ後ででっかいのかますの!
「じゃあボカロの声も元は誰か人間の声なのか」
「えーそのとーりよ」
へー機械の声みたいだったからてっきり波形をいじって作ったものなのかと思ったら実は誰かの声だったのね。
「あとー……シンセサイザーは分かるよね?」
朱翼は当然の事の様にそう問いた。それもその筈。シンセサイザーはボカロなんかに比べたら歴史もあってクラシック音楽にも取り入れられているから少しは俺も知っている。
「ああ、なんとなくは。波形そのものを作る楽器だよな?」
坂本龍一に代表されるクラシック界の大御所作曲家もシンセサイザーを使って多くの曲を書いている。だからシンセに関してだけは俺もそれなりの知識は在るのだ。
だがその時————
「ちょっとー私にも説明してよー!」
芽衣先輩が後ろから俺の背中にダイブした………………
………………
…………………………
……………………………………
うっひょ————————————————————————————————ッ!!
おっぱいの温もりを感じた。
豊満なおっぱいが俺の背中を撫でる。その感触は未だかつて味わった事が無い不思議な感覚。シルクの様な柔らかさとそれと対極的なゴムの様な弾力。仄かに暖かさを内包した至宝の温もりを俺は背中で感じるのだ。そして弾ける俺のウルトラソウルッ(意味深)!
「め、めめ……、め、めめめ、め、…め芽衣先輩っ!?」
「んー? どうしたのー輝くん?」
耳元で囁かれるあまーい美声…………
「そ、そのぉ————……大変嬉しいのですが……興奮し過ぎて理性が————……」
ああ、あまりの至極の感覚に……意識が、朦朧と……………………っ!
すると朱翼は冷や汗タラタラであわてて止めに入る。
「そ、そーぉよ芽衣! 変態とベタベタしてたら芽衣まで変態になっちゃうわよー!」
止め方はどうかと思うが助かる。うん俺女の子のおっぱい触るの始めてだったけど(別に今も触ってはいない)これは人気の無い場所でやらないと理性持ってかれてあんなことやこんなことしちゃうからダメだな。いやマジで野性が目覚める。皆もパブリックスペースで女の子のおっぱいさわったりしちゃダだよ!
「もーだって二人でイチャイチャして私寂しくてー」
「はあーっ!? こんなやつとイチャイチャなんて全くもってこれっぽちもしてないから安心してっ!」
「そ、そうですよ! 俺もこんなやつと………………」
あっ!
……そうじゃないんだ!
そうだ————芽衣先輩の言いたい事はこういう事だったんだ。
例えお互いがお互いにけなし合ってても俺達が会話している事に変わりはない。そんな時、端から見ているだけの芽衣先輩からしたら俺達が仲良さげに見えるのだ。……くそう、やっぱ俺は恋愛……いや違う、そもそも人付き合い下手だ。
BP測定とかやってるくせにいざ美少女を自分がエスコート出来るかと云われればそんな事はない。俺の根はチキンだ。結局美少女と巡り会っても何も出来ず終わるのだ。芽衣先輩と折角出会えたのに、その心をつかみ取る事も出来ず嫌われるのだ。
…………いや。
——そんな現実受け入れちゃ行けない。
「芽衣先輩——————…………」
考えろ、俺。芽衣先輩の望んでいる事を——————
「なーぁに?」
そして応えるんだ————その意思に——————!!
——もにゅっ!
芽衣先輩のおっぱいを————もにゅっ。
「————————————————ッ!」
顔が真っ赤に染まる芽衣先輩。ふっふ、最初は照れて当然だ。
——だが。
朱翼とばかり会話してスキンシップが不足していた芽衣先輩。
そしてその結果、俺の背中に抱きついて胸を押し付けるという行動に出た。
つまり。
この行動から導きだされる芽衣先輩の望んでいる事————それは————……
「何女の子のおっぱいタダで触っとるんじゃ———————————————!」
「おぶふっ!」
————ドンガラガッシャンドカンピカーン!
朱翼は俺の頬を本気で殴ってから腸に本気の蹴りを入れて仕舞にはこれでもかと云う連続攻撃を背中に叩き込まれ、結果ノックダウンした。
目眩で視界が良くない…………が、そこに映ったのは肩で息をしながらゴミを見る朱翼と、頬をピンクに染めて肩を両手で抱きかかえ目線を逸らす芽衣先輩だった。
答え:MIDIキーボード私も触ってみたい! by 芽衣♡
ただそれだけだったらしい。
「なぁ、もう音符の打ち込み方も音源の事も学んだんだしこれでボカロ曲書けるんじゃないのか?」
俺は意気揚々とソフトウェア音源の品定めをする朱翼に聞こえる様そう言葉を投げた。
ちなみに俺はオーケストラに使う楽器の音源、即ち弦楽器、管楽器、打楽器の音源を一通り買い揃えた。なんだか悪い事と朱翼の半ば強制的な威圧により「しゃあねえな、お礼に一個音源買ってやるよ」と言った俺が悪いのだが、その一個を選び始めてから既に三十分が経過した。
芽衣先輩もさっき虐めてしまったせいで口をきいてくれないし、暇でならない。
「なぁー朱翼ー」
「もぅ、うっさいなぁー! あとスピーカー選んでボカロ本体買ったらおしまいだからちょっと待ちなさいっ!」
「はー!? まだあと二つも買う物あるのかよ————……」
DAWとMIDIキーボードと音源が在れば曲なんて作れると思ってたのに。マジでクラシックの作曲とは勝手が違いすぎるなぁ————。
「よしっ!」
すると決心した表情の朱翼は俺に一つの音源を手渡した。
「ウィーンフィルの金管の音源にする! 前から欲しかったんだけど高くて私じゃ買えなかったから!」
「はいはい分かったからさっさと次の買い物に行こうぜ」
そう言ってから俺はちらっと値札をめくると——————げッ!
「おいおい二十万ってマジかよっ!」
「はー? 何でも買うって言ったじゃない! それに十九万八千円でしょー?」
「要するに二十万だろうがっ! 何でも買うとは言ったが…………俺の買った金管の音源は一万五千円だったじゃんか!」
「あれとは物が違うのよー」
ぐぬぬぬぬぬー! ソフトウェア音源ってこんなにたけーのか…………
まあでもクラシック人としてウィーンフィルの音で作曲するためには二十万払え、と言われるとなんだか納得してしまったりしなかったり。良い子の皆も彼女にソフトウェア音源をねだられても買うなんか言っちゃダメだぞ!
はー。俺は溜め息をついてレジへ向かった。
「今日だけで幾ら使ったんだ俺は——————……」
「ありがとー輝くんっ♡」
——こんな時だけ良い顔しやがってムカツク!




